おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

素人のヤンキーと思えば…。

2007-10-08 16:45:25 | 我思う、故に書くなりよ。
闘拳が牙むいた!アッコまたキレた!!エリカ様騒動収拾つかず(サンケイスポーツ) - goo ニュース

リアルに『ラジかるッ』で観ていたのだけれど…

「おっ。路線変更で素人出すようになったのか…」

と、ガン飛ばしてぶっきらぼうなネェちゃんをやたらと気遣いながら進むインタビューを観ていたのであるが、その後の別の記事やニュースを観てたら、女優さんだったらしいことを知る。

自身の主演映画のお披露目で、映画のみどころを聞かれて「特に無い…」とか言い放ったそうで、以後の騒ぎになっている様だが、まぁ、叩かれて干されるのも致し方ないなぁ…あれじゃ…。

おじたん。も、最初から『女優』だと知っていたら、マジでムカついていたと思うのだが…

「なんで中山ヒデは素人におずおずしながらインタビューしてるんだろう?」

と、マジで不思議がっていたものだから、その人そのものよりも、そういう素人をTVに出しちゃってる番組、急にそんな路線に変わった方針にムカついていたんであるのだが、これは立派な勘違いだったみたいだ…。

こうしたのを『個性的』と捉える向きも当然としてあるのだが、それで『許されて』しまうとなると話は変わってくる。そんなのの模倣が増えだしたら、より一層、世の中気まずくなるし、モラルもへったくれも今以上におかしくなってしまう。

個人的には「ヤンキー」は大嫌いだが、昨今のヤンキーは礼節を重んじながら、自己の主張としてその外観をそうしているに過ぎない立派なヤンキーもいるコトを考えたら、TVで観たあの女優の態度は「ヤンキー以下…」に相違なく、同格に扱うのはヤンキーに対して不遜であろう。まぁ、道を極めていないヤンキーの予備軍って格付けだろうな…。プロのヤンキーではあり得無いだろう…。

そんなのを、映画だの、TVだのに出してしまう方が変である。どちらも、マジメに一生懸命により多くの人に観てもらおうと頑張っている人達が集まってこその世界。そうした世界に背を向けるポリシーのある人ならば、予めそうした態度で登場するだろうコトは理解できるし、過去にもそうした芸能人はいたし、未だにやんわりとそうしている芸能人もいたりするのだが、この人の場合は違うと思う。

ある種、『放送事故』みたいなものであったし、それは『ハプニング』で片付けられるべき事じゃなかろう。言動だけでなく、共演者を見据える眼つきそのものは、そうした業界関係者であるならば、やはりあってはならない事じゃなかっただろうか。

そうと知らず、単なる「ヤンキーがTV出てガン飛ばしてらぁ…」ってコトだと、意外にも「しょーがねーの出しちゃったなぁ…」で済んでしまうトコロもミソなのだろう。知っているのと、知らないのとでは『不快感』の度合いが大きく違うのである。

でもまあ、TVはともかく、映画作った人達は気の毒だなぁ…。主演女優にみどころが特に無い映画って言われてんだからなぁ…。泣くに泣けないのかもしれないが、『歩く放送事故』を野放しにしちゃってた身から出たサビ…なのかもしれない。

こうした騒ぎで、本人が痛い目に遭って、何か『是正』でもなされればそれはそれでたいしたもんだと思うんだが、『本性』って言うか、『素性』って琴線に触れる部分が大きいトコロなので、どこぞの誰かが『シメた』トコロで効果が現れるかどうか怪しい部分でもあると思う。

若い才能を伸ばし、その発表の機会を与える事と同時に、社会人として最低限の教育を怠ってしまった周囲の大人が悪いんだろうと思う。まぁ、金になればなんでもいいって世界の話なのだが、そろそろ、そんなのもTVやスクリーンのこっち側には通用しない世の中なんであるね…。

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円天最高っ!

2007-10-08 02:59:10 | 我思う、故に書くなりよ。
うちの近所にも被害者兼加害者がいる。

しつこく勧誘された家人には、致命的な障害があって、それは、ケータイの操作が電話をかける、受けるくらいしか出来ず、それ以上の機能についてはおそらく生涯知らないで済ますだろう…ってコト。円天のご利益に近寄れないのは不幸中の幸いだったかもしれない。

TVなどでその怪しさが既に報道されているにも関わらず、1口200万とか言っていたらしいので、それなりの『地位』を授かってしまっていた方らしいが、さすがに近所を素顔で歩く事が出来なくなり、家人と共に車で移動しているみたいである…。

『入らない人は馬鹿だ…』

とも言っていたそうで、まぁマルチの常套句としてあまりにも有名なのだけれど、そう言う本人は『マルチ』とは全く想像もしていないらしく、論破するにも時間がかかるし、面倒だし、近所ではあるが、知らぬ人だから無下に相手にしないのも大変なので、宗教と同様にやっかいではあるんだな…。

随分と昔ではあるが、友人からマルチを誘われた。

結果として、自身の関与は退けたが、彼を論破してやることはしなかった。そうも出来たのだけれど、話を聞いているうちに…

「コイツとはここまでだな…」

と、思ったら萎えたのである。痛い目に遭わないと、妄信は溶けないだろうと。

ビジネスの話と考えると、まことしなやかに見事なからくりではあるのだが、破綻に至るプロセスが容易に想像出来るし、そうしたリスクを補うだけの根拠がほとんど無いのに妄信出来るってのもナカナカな脳味噌してるのである。騙す相手を3人集めればちょいと格が上がり、5人ともなればもっと上がるワケで、騙すと言う営業努力の伴うビジネスの連鎖ってコトが、さも立派な夢のビジネスとなるのだから、騙しあいのスペクタクルはホンモノのビジネス以上に加熱するんだろうが…。

てなワケで、自身がマルチに与したコトも無ければ、被害に遭った事もないし、加害者になったコトも無いが、こうした話は時々身近にやってくる。

「あー。そりゃすげー! それは儲かるな。絶対。やるべきだな。いい話だ。1年後にはウハウハだな、それ。いやぁ~。すんげぇ話だ。オレは絶対手も金も出さないけれど、やるべきだなそれは。」

と、逃げる方が楽で、論破するに費やすパワーなんぞこれっぽっちも無いのだが、一応、しっかりとこきおろしておく事にはしている。そうしたコトで、友人、知人としての縁は切れてしまうコトがほとんどなのだけれど、これは致し方ない。そうした点においては『エセ宗教』にも非常に似ている…。

騙されること、騙すこと。被害者でもあり加害者ってのがこうしたマルチに見られるものだけれど、騙されたことに重きが置かれ、騙したコトがうやむやになりやすい。騙したヤツは被害者であろうが何だろうが、徹底的に叩かなければ、連鎖の存在と存続を断ち切れないのだけれど、なぁなぁで来ているので、いつまでも…なんだろうなぁ…。

豊田商事の時は、親玉は報道陣の前でメッタ刺しに遭って消えたが、親玉だけじゃなくて、取り巻きも根絶やしにしないとこうした事件は消えないんだよな。法律でそこまで出来ないお陰で、奴等はいつの日か同じコトを繰り返すってのも周知の事実なんだから、そろそろなんとかしとかないとねぇ…。

さて、近所の「円天最高っ!おばちゃん」はどーなることやら。眺めて楽しむ他に、哀れむ気持ちなんぞはどこにも無いんである…。

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