おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

燃えちゃった…。その2。

2007-08-21 20:53:11 | 我思う、故に書くなりよ。
燃えちゃったチャイナエアラインなんだけれど…。

怪我人数人だけで、良かったですなぁ…。まぁ、いろいろと判って来ると、燃えちゃったのは「なんで?」ってコトにも近づいて来るのだが…

「そりゃ、派手に燃えるわな…」

ってコトが判って来た。高熱危険なそばで、燃料ダダ漏れ…なワケだからねぇ…。

「普通じゃあり得ないコト…」

が、一気に起きてしまったワケで、避難するのもギリギリ。逃げるのに精一杯だったんだな…。

極めて稀、レアな事故なんだろうけれど、どこまで、その元を辿るのかが実は注目なのである。こうした交通災害では国土交通省航空・鉄道事故調査委員会ってトコロが専門に調査して報告したりする事になっている。

福知山線の列車事故でも、長い調査時間の末に報告がなされたのだが、部外者の見た聞いた印象と、被害者の見た聞いた印象とではかなり違うものが報告されたと聞いている。

まだまだ、こうした分野での経験は浅いものであるし、産業の中での事故であるので、何か恣意的な流れの影響を受けたり、本来は中立な立場で事故調査を行うべきものなのだけれど、それがなかなか出来ないとか事情があって、万人が納得出来る報告書を作り上げるのはなかなかムズカシイ。

国内の旅客会社の事故でさえムズカシイワケだから、外国の…となると、さも大変ではあるのだけれど、次に起きる事故を少しでも減らす努力、そうした情報を世界で共有する努力が始まっているんであるね…。

まぁ、飛行機の世界はこうした情報の共有が早い方なので、いい加減なコトは出来なかったりもするのだけれど、御巣鷹山に墜ちたJAL123便でのゴタゴタは有名でもあって、お世辞にも立派とは言えない報告書が出来ちゃったのは周知の通りだったりする。

そうしたところから、いかに脱却できるかが問われる時代の調査報告なのである。

こうした事故は昔からあったワケで、なんだって今頃…って感じがアリアリなのだが、本来なら大昔からそうでなくちゃ、困るんだけれども、何かと隠すとか、隠蔽しちゃう…ってのがフツーなワケだったので、肝心なところがスッポリ抜けていて、不自然ではあっても「委細不明…」で終わっちゃうわ、証拠は捨てちゃうわ、封印しちゃうわ…ってのが「当たり前」だったんであるな…。

その辺から、少しずつ離れて行ってる感じは見えて来ている。どこに原因があり、どこに責任があるのか…少しずつではあるけれど、ツボを押えた報告が陽の目を見る様に変わって来ているのである。

事故なんて、誰だって早く忘れたいだろうし、逆に、忘れたくても忘れられないって場合もある。被害者のためにも、加害者のためにも、キッチリと満足の行く最終報告が出来上がるべきものであるし、そこで一応の区切りとされるべきハズなのに、それが21世紀にもなって、まだまだな現状を、誰もが憂慮しなければいかんのですよ。

明日の加害者に、被害者にならないための努力の積み重ねは、当たり前の様に、知らぬところで勝手に行われては来たのだけれど、そこに目を向ける人があまりにも限られて来たために、こうした分野では遅れを取ってしまっていた。

当事者でなければ、完全に他人事で、そんなコトもあったね…ってハナシで終わっていたコトがほとんどなのだけれど、そうしたコトへ目を向ける意思の持続と、いい加減を許さない目を養う努力を、誰もが怠らなければ、ちゃんとしたコトが出来る社会が育つのであるのよ…。

だからこそ、大きな事故の顛末を注目し続けたい…って、思ったりするんである…。


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