おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

オモテに出てはイケナイ写真。

2006-12-09 07:01:06 | 我思う、故に書くなりよ。
そんな写真がとあるHPに載っていたそうで、載ってるだけでなく、その出所も怪しい…と騒がれているとか…。

どういったレベルにせよ、報道目的のそれ…ってモノなら、しばしばオモテに出ちゃったり、出したりするコトもあるのだけれど、捜査・鑑識、学術研究目的のそれ…となると、日本の場合は滅多に出ちゃうコトも、出しちゃうコトも無かったりする。

海外の場合は、どっちも案外と気軽に出ちゃってたりするので、目的によっては問題にならなかったりもするとは思うが、日本の場合は、まぁほとんどNGだろうねぇ…。

でまぁ、そうした写真を撮っていた身から言えば、出ちゃった写真を報道で見る限りは「ありえない…」ってモノだと、やはり思ったりする。ただ、全部がそうかと言えば、そうでもなく、例えば海外でオープンにされている写真だったり、書籍に載っているモノだったり…ってモノが含まれているとは思うのだけれど、ある種独特と言って良い写真が目に入ると、やはり「ありえない…」と。

それは「白くブッ飛んだ写真」である。

「なんでその近距離でフラッシュをフル発光させるかな…?!」

って具合に、実物の色再現とか質感再現とかその他もろもろをもブッ飛ばす撮影が、そうした現場ではフツーに行われていたりもしているのである。でまぁ、医療関係者がそんな写真を撮ると、上の人から怒られたりもする。使えないからね…。ところが、警察関係者だと…

「今日のは良く撮れたな…」

って具合に、おまいらはそのブッ飛んだ写真で捜査・鑑識ひいては裁判までやっちゃうのかよ? と、傍で観ている方が心配になったりもするんだが、そうした独特のブッ飛び具合満点な写真が、あたかも「継承」されているかのように、続いていたりもしているのである。

そんな写真が医学書とかに採用されて、印刷媒体になっちゃうと、さらに「ブッ飛ぶ」ワケで、そんな書籍を「教科書」にしちゃっていたりもするもんだからねぇ…。

だから、あの手の書籍のその手の写真がカラーであったとしても、モノクロと見間違うばかり…ってのは、そーした事情が濃く絡んでいると読んだほうが宜しいかと。

もちろん、きちんと実物を再現すべく、努力されている警察関係者の方もおられたのは知っているので、全てがそうだとは言わないが、その数はもの凄く少なかったのを記憶している。昨今はこの手の世界でも銀塩から離れて、デジタルな時流に乗っているとは思うが、近年発行された、かなり高価な医学書を見ても、相変わらずな写真が多いところを見ると、質の向上はまだまだなのかも知れないな。

となると、出所も簡単に判ってしまう感じがするが、医学用の写真と違って、モノだけしか写っていない場合が多く、特定するのはムズカシイだろう。医学用、学術用はほとんどの場合、モノと一緒に例えば、スケール(ものさし)とか、管理番号なんかを一緒に写し込んだりしているので、なんとなく出所を辿るコトも出来そうだけれどねぇ。

もちろん、その手の写真は街のプリント屋さんとか写真屋さんで現像処理とかプリント処理はしてもらえない場合がほとんどだから、そうしたトコロから出てしまうのは現在ではムズカシイ。一応、頼むにしても、予めそうした倫理面を含めて契約とかしておかないとダメだったり…。警察関係ともなれば、一層の機密保持が求められたりもするんで、県警とかそうした単位でラボシステム丸ごとを使ってその手の写真の管理をしていたりもするんだろうなぁ…。

そうした事情を潜り抜けて出ちゃったとすると、「出しちゃった」と言う「ありえない」事情しか浮かんで来ないのである。そりゃ、やっぱりダメだよねぇ…。

ただ、こうしたオモテに出てはイケナイ写真が、オモテに出無いままで全てが良いかどうかは疑問な点もある。今回の場合は、非常に不謹慎な扱いの元でオープンになっていたワケで、論外ではあるのだけれど、事実としてそうした写真を捉えた場合は、その限りでも無いと思ったりする。

御巣鷹山に日航機が落ちた時は、それはそれで揉めたけれど、凄惨な事故現場の写真がオープンになったコトで、それなりの社会的に有用な役割を果たしていると考えても良いと…。交通事故や児童虐待にしても、言葉以上に有用なのは、そのものズバリの写真だとも思う。全てを言葉に置き換えて行くのは、やはり無理だし、そうすることが本当に良いのかどうなのか? 判らないほどに想像を絶した凄惨な事件・事故が増えていたりもするからだ。

もちろん、何でもかんでもオープンってのもそれはそれで困る。デジタルな時代になって、事実の改竄も比較的簡単に行われるワケだから、安易な考えでは当然困るし、やはり出所ってのもポイントになってくると思う。それが、アートならばなんだっていいんだろうが、事実として捉えたモノでは許される範疇は限りなく狭いと。

昨今は報道写真であっても、何気なく事実の写真として見ているモノが事実で無かったりする場合も多々有る。事件事故に限らず、スポーツなんかでも、意図的に改竄して載せたりする場合が増えている。ま、この場合、改竄と呼ぶのが適当かどうか? 意見が分かれるところだが、あるハズのモノがスッパリと消えている…なんてのも実際にあったりしたしねぇ…。

いつになっても、ムズカシイ問題だとは思うけれど、撮る人も見る人も、考え続けなきゃならない問題なのかもしれませんな…。

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