おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

頭数が増えるだけだな。

2006-05-18 02:25:05 | 我思う、故に書くなりよ。
民団・総連がトップ会談 共同声明で「団結のため協力」 (朝日新聞) - goo ニュース

私は北朝鮮はさておき、韓国って件になると、了見は非常に狭くなる。ある意味、差別主義者とも言えるかもしれない。それは20数年前に言われなく殺されかけたコトがあったり(国士舘の大学生に救われた。)、ニュースやTVで見る、かの国の人々の様子を見たりしてと言うコトもあるが、やはり20年くらいになるのかなぁ、未だに心に残る件がそうさせているんじゃないかとも思っている。

就職して数年経ち、知人の紹介で在日韓国人の女性と仲良くなった。この人はきちんと自分が日本人の様で韓国人であるコト、名前がもう1つあるコト、日本で生まれて、日本で育ったのにパスポートの色は違うことを話してくれて、もし、そう言う面で「イヤな気持ち」になるのであれば、お友達でなくていい…とまで言ってくれた、非常に心の優しい人である。もちろん、私も、この国の韓国人の人々がどうしたコトか、つらく悲しい経験を強いられた歴史ってのモノの一面は知っていたので、率直に話してくれたコトはうれしかったし、そうしたコトが目の前にいる彼女にも降り続いている現実は少なからず知っていたので、気の毒にも思うし、そうしたコトに怒りを覚えたりもしてたので、お友達にならない理由はどこにもないコトを伝え、お友達になった。断る理由なんて、当時も今も無いじゃん。

彼女とは書いているが、世間で言うトコロの『彼女』では無い。同じ特殊な写真を志す仲間…と言うのが正しい。当時は…。

で、暫く後に、彼女の家にお招き頂いた。友達なので、大意は無いし、まぁ、そうした国籍の方の家ってのも見てみるのも勉強…って感じだったと思う。彼女が当時発売されたばかりのマミヤ645の新機種をある程度フル・セットで購入したコトもあって、お披露目って意味もあった。

住宅街の大きな家に招かれた私は、うやうやしく居間に通され、彼女が好きだという紅茶を出されて、しばし待たされるコトに。部屋の雰囲気は、数年前にドラマで見た光景。『東京湾景』に出て来た感じと言えば判りやすいかな。民族衣装を着て、家族で撮った写真とか民芸品みたいなのが沢山飾られていた。

と、突然、家の奥の方から怒号が。まぁ、一般家庭でも娘さんが男でも連れてこようものならしばしばあったりもするが、そうした間柄でも無いワケで、そうだったら困ったなぁ…と、思っていたんだが、顔面真っ赤に殺気立った目を血走らせて、おそらく彼女のお父さんだろう人が居間に飛び込んで来た時は驚いたのなんのって…。

開口一番、父と思わしき人物が私に言った言葉。

「日本人殺す!!」

仁王立ちされてそんなコト言われても、ソファーに深く沈みこむ他に私は成す術が無い。大きなテーブルが私と父らしき人との間に無かったらと思うと、やっぱりヤバイ勢いなんである。血の気が無くなって青白くなるほど握り締められた拳はプルプルしちゃってるし…。

お招き頂いて、紅茶を2口ほどすすっただけなんであるが、日本人と言うコトで殺されてもかなわないワケで、かと言って「んなコノヤロー!」って瞬間沸騰するほど血の気も多くないので、ぽかーん…と真っ赤な顔と真っ赤な目を見あげていた。

遅れて、号泣しながら彼女が入って来て、あっちの言葉で何か言っている。彼女も必死な形相で、真っ赤な父を責めるのだが、全くコトの次第が判らない私は…

「ここは大変なウチだったかもしれない…」

と。「お父さん星一徹かよ?」状態。そのうち、父らしき人は娘をパーーーンッ! と張り飛ばした。さすがにポカーンとしてはおれず、まぁまぁ! って感じで止めに入ったものの、2~3発頭やら肩やらに喰らう。彼女の頭にも父らしき人のケリが遠慮なく数発ヒットし、床にゴンゴンと頭をぶつけるイヤな音が聞こえる。さらに数発私の足にもヒットしたが、こう言う時って、とりあえずあんまり痛みは感じないのだね。アドレナリン注入の成せる業…だったんだろう。

あまりのテンションの高さを一気に登り詰めた瞬間沸騰のせいなのか、父らしき人は一気に勢いを失い、向かいのソファーにへたり込んでしまった。だが、怒号と罵声はあっちの言葉8割、日本語1割、意味不明1割な勢いを失わず、遠慮なく続く。つくづく、大きなテーブルで良かったと思った。傍らで彼女は大粒の涙をボタボタと垂らしながら、ヒドク悲しい嗚咽と共に、床に届きそうな鼻水まで伸ばしていた。やがて、鼻水に血が混じって来たし…。

全く、全く意味不明な修羅場…とでも言えば判ってもらえるだろうか? 今にして例えるなら、突然マジな内戦が目の前で始まってしまって、どうして良いのか、どうすれば良いのか全く判らないままに流れ弾を喰らう観光客…って感じ。逃げ出せれば、今すぐ逃げ出したいんだけれど、それも出来ない…。

怒号と罵声と嗚咽と鼻水と涙の中で、動転した私も少し余裕が出て来て、こぼれちゃった紅茶を気にしながら、へたり込んだ父らしき人物に

「何か粗相があったようなら謝りますけれど…」

と、言ってしまった。まぁ、こっちとしてはそれ以上なんて言えばいいんだか判らないし。ところが、これがまた火に油を注いじゃった様で、鎮火寸前にナパーム撒いちゃったらしい。あくまでも一方的で汚い言葉の怒号と罵声は途切れるコトを知らない。

こうなると、不思議なもんで「こーゆー人なんだな…」って、冷めた目で見られる様になるもんである。あたかも、街なかで一見すると普通なのだが、電波ゆんゆんな人を見付けちゃった時の「特にしなくても良い諦めと絶望」って感じに似ている。で、まぁ、あっちの言葉は全然判らないのだけれど、日本語の部分は判ったりもするので、黙って聞く事に…。

要約すると…

1.日本人は必ず殺す。
2.日本人は人間じゃない。虫以下。
3.日本人は消えろ。消すべきだ。
4.日本人は殺人鬼で詐欺師でオマンコ野郎で…(以下、略…)
5.アメリカは原爆を100個でも1000個でも落とせば良かった。
6.世界は日本を占領すべきだ。
7.以下、わけわかんない…。

と言うコトである。すなわち、私はこのままここにいると、非常にヤバ過ぎるコトになりそうだ…と言うコトは判った。じゃあ、逃げるか? 聞いていて思ったのだが、当然、異論はあるし、反論すべきトコロもほとんどなのだが、そうしたトコロで、一切が『無駄』である。日本人はともかくとして、意見を聞く耳なんか無いだろうし、中東の油井をことごとく爆破炎上させて行くようなもんだ…。そうかと言って、逃げるに等しく座を辞するタイミングが全く完全に掴めないのもすげぇ困るもんだぞ…。

で、彼女の父の罵声と怒声を延々と3時間近く聞き、最終的に

「出て行けオマンコ野郎っ!!」

と、お許しが出たので帰って来れたのである。往復2時間掛けて、紅茶2口の挙句に『オマンコ野郎』の称号も頂いて帰って来たんである。私が『日本人』なばかりに。

のちに、彼女から長い長い手紙を貰った。そこには沢山の「ごめんなさい」が書いてあったし、父らしき人物が「父」であったこと、父が日本で生活を始めてからどういう生活を送り、どういう気持ちを持って行ったか、などなど、沢山書かれていた。

私は、

「起きちゃったコトは仕方が無いし、それを考えてもどうしようも無いし、これからどうするか考えるのも友達として出来るんだし、だからこれからもあなたはお友達だよ…うんぬん…」

と、返事を書いたが、届いたのか届かなかったのか知らぬが、疎遠になってしまい、それっきりである。当時残念で、後悔したコトは、私が彼女を招けば良かったかなぁ…と言うことである。とりあえず、我が家ではどこの国の人だろうと、客人を殺す勢いの父もいなければ、そうした思想も歴史も無かったからね。

さて、ここからがやっぱり腑に落ちない。私は日本人だと言う理由で、韓国人に殺されなければならないのか? 私は彼女の父にその日まで会った事も無ければ話した事も無く、彼女の父を韓国人というだけで蔑んだり、不要な迫害を故意に仕向けたり、企んだり、その人の商売の妨害も、商売上での詐欺的行為もしてはいない。パーソナルな個人としての私としては全く、納得の行くハズも無い事態である。日本人と言うだけで核爆弾をふんだんに落とされ、巻き添えになって死ね…と言われて「そーですね…ハイ…」と受け入れるワケも無いんである。例えば、私が彼女の国籍を知った上で、性的虐待を加えるとか、差別行為を楽しむとか、そうした事実があれば、そーなるコトも判らなくは無いが、そうしたコトは一切無いし、当時も今も、お友達だと思っている。百歩譲って、多少『オマンコ野郎』な点はあるかもしれないが、それは私が男だからであって、国籍に起因したモノでも無い。韓国人だって『オマンコ野郎』もいるだろうし『オチンコ野郎』だっているだろう。どこの国だって問わずだ。ともかく、招かれた私はヒドク粗相した覚えも無ければ、この際だからと差別行為や差別発言に勤しんだワケでもなく、おとなしく客人をしていたに過ぎない。友人として。

もちろん、彼女の父の様な韓国人の方ばかりなワケでも無いと考えてはいるが、あーなるとどーしようもない…って見方をせざるを得なくなってしまう事象が多々未だに残っているワケで、誠に不遜だが「韓国人だからな…」と言う感情が必ず生まれてしまう。もっとヒドク言えば「朝鮮人だからな…」って事だ。「そんなにイヤならとりあえず母国と言う国家領土に帰れば?」とさえ思ってしまう。

それらが、ヒドク悲しい事も判っている。だから、パーソナルな関係で、そうした気持ちも考えも無いのだが、彼らが「日本人」と言う見方をするならばやはり「朝鮮人」と言う見方になってしまう。確かに、日本人が韓国や北朝鮮の人にそうした見方や扱いをして来た事実はあるし、それが戦後と言う区切りをも越えて残っている事も知っている。それはそうした事実を知ってはいても、実際に加担したり、行ったりした事の無い日本人にしても「ヒドイ事をした…」と、同情するだけのモノであるし、そんなコトを受け継いでも将来に何の得にもならないばかりか、マイナスだと言うコトも知っている。

そうした考えの世代が多いハズなのに、未だに「日本人」「朝鮮人」と、どっちもどっちなコトを続けている。事実として、そうした差別は残っているが、日本ではそうした行為はイケナイコトだととりあえず教わる。徒党を組んで差別行為に走れば、当然捕まるだけのコトとして認知もされているのだけれど、北朝鮮はともかくとして、韓国じゃどうなんだか? 日本の文化はとりあえず受け入れるが、日本人と言うだけで敵視するのが当たり前…って考えはどうなんだろう?

どっちもどっちな話なのだが、とりあえず「日本人は殺す!」と言われたトラウマは判っていてもあまり良い考えには結びつかないモノである。と言うか、彼女はそうしたコトも含めて、危惧しながらも日本人である私をお友達として見てくれた。だから、今でも、彼女は私の大事なお友達である。彼女の努力を父は判っていなかったんじゃないかと思う。彼女の気持ちは、今はどうなんだろうかと、イヤなニュースを目にする度に、今でも思う。あの時の彼女の涙と鼻水は、一生忘れない。忘れちゃイケナイもの。日本人と韓国人であったがために、生まれてしまった、ヒドク悲しい宝物なのかもしれない。もう、行方さえ判らなくなってしまった彼女の気持ちを、大事にしていきたいと思う反面、そうした気持ちがありそうも無い団体の団結にはあまり期待も出来そうに無いな…と思ったりするんである…。

「とりあえず、日本人である私が謝って済むのなら、幾らでも謝ろう。だが、だからと言って、あんたらの一方的な主張を全て飲み込むのは無理って話だ。既に、怨み辛みはどちらにも腐るほどあるんだろうし、とりあえず今の私には気の毒なコトをしたと言う気持ちはあっても、それが私の行為や発言でのコトじゃ無い。私の生まれる前から遭った事だし、私の知らない世界での話でもある。落ち着いて考えたら、判りそうなコトじゃ無いか。どちらも、そうした悲しいコトが残る事の無い世界、二度と起こらない様な世界を考えて行かなきゃイケナイんじゃないのか? そろそろ…」

20年前はそう考えていたが、20年経った今、諦めと言うか、どーにもならねぇんじゃねーか…。って気もしている。そう思うコトは、彼女を裏切るコトになるのだけれど、とりあえず、彼女だけは今でも信じていたい。彼女と言う韓国人だけでも…って感じかな…。何世代にも渡って、こんなコトやってるバカらしさ…ってのに気付く日は来るんだろうか? どちらか一方に訪れても意味無いんだが…。


Comments (2)
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