おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

よみがえる源氏物語絵巻(再)。

2006-01-02 06:25:37 | 我思う、故に書くなりよ。
なんだか、お正月の番組が例年に比べて面白くない…。

んで、早起きして見ているんだが、これ、写真に興味のある人にはオススメ。
直接は関係ないのだけれど、昔の絵の具の解析とかにちょろっと光学分野の話が出て来るんである。色ってモノを知るにも良いねぇ…。

平安時代に書かれた絵巻物を再現模写する…ってのが本来のスジ…なんだけれどね、今でこそ画材だの絵の具だのってのはゴマンとあるんで、いかにも簡単そうに思えるんだが、見た目で復元しても実はあまり意味が無い。それこそ単に「複製品」を作っているに過ぎないんだけれど、オリジナルはかなり劣化しているワケで、これを現代の科学の目で解析して、書かれた当時がどうだったかを再現するのである。

今よりモノが全てにおいて「乏しい」時代の作品なのだけれど、そこに当時の絵師が至高の技を盛り込んでいたワケで、単に「立派なもんだぁ…」ってのを超えちゃって「すげえよ、コレ…」って世界がそこにあるのだ。

そうした全てを読み取って、新たに描く現代の絵師もそれ相応の人でなければならず、単に日本画の巨匠…ってだけじゃ無さそうなのもスゴイ。オリジナルの劣化した状態から僅かな痕跡を読み取って、再現しなければならないのだからねぇ。

こう言う時、ちょいと絵画についての知識があるともっと楽しめるのだが、生憎そんなに深い知識も無いので、いきなり完成品を見せられても「ふーん。」で終わっちゃう方の人間なのが後悔したりする。高校の時に、美術の時間に「油絵」はちょろっと描いたりもしたので、油絵ならスタートから知っているが、日本画がどうなのか全く判らない。水彩画と違うのかどうなんだかなぁ。

写真の場合、オリジナルはオリジナルのまま、正確に複写するのは仕掛けさえ揃っていれば難しいコトも無いが、オリジナルが劣化する前の状態がどうだったか再現するのは無理ってモノ。デジタル化して像を置き換えて行かねばならないだろうし、それが果たして「写真」の範疇に納まるものかどうか…。絵の場合はそうした事も可能である所がうらやましい。だけど、そこに至るまではやはり写真ってものが必要不可欠であったりもする。

デジタルな写真が当たり前になって、誰もが簡単に100年前では想像も付かなかった映像の世界を手にするコトが出来たのだけれど、そうなった事でアートの世界も大幅に広がった。絵画と写真の境が無くなって、新しいアートとして産まれてもいるのだけれど、どこかでカッチリとした線引きを期待しているのは古い人間だからかなぁ。何か釈然としないものもあるのは確かなんだけどねぇ…。

そうした意味で、自分で撮ったデジカメの写真も、ほとんどいじるコトは無いのです。フォトショップを始め、便利なツールはたくさんあるのですが、リサイズするくらいで、それ以上は何か「いけないコト」をしている感じがしちゃうのです。

さて、再現模写された国宝の絵巻は、オリジナルと比較したらそりゃ全然違います。だけれども、可能な限りでオリジナルと同じ道具、同じ手法を用いて描かれたそれは、別の意味で「国宝」でしょうね。これを見るコトで、オリジナルが描かれた当時と同じ物を見ているに近いって、やはり「スゴイ…」コトだと思うのです。860年前に描かれたオリジナルを人間の目で見ても、入ってくる情報量は劣化と言うベールで隠されているのですが、科学の目で情報量を補って再現された再現模写からは圧倒的な量を「これでもかっ!」ってほどに見せ付けられます。そこに、800年も前の人々の英知が見て取れるってのは、いいよねぇ…。

が、こう書いている私は「紫式部」が原作者だってコトくらいしか知らないし、肝心な書籍の中身は全くと言ってよいほど知りません。光源氏って人がぐちゃぐちゃのどろどろな人生を送った…とは聞いてますが。そうした中身も知らないと、作品を見てもまた情報量は減っちゃうんだろうな。物語の挿絵ってのは、物語を知らないと描けないのも当たり前だし…。

まぁ、目の肥やしにはなったんで、良しとするんだけど、芸術は奥が深いなぁ、おい。

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晴れてくれないと…。

2006-01-02 03:05:51 | ポラロイドーシス。
なんだこの「ジャンル」ってのうざいな…。

gooブログに投稿するときに「ジャンル」ってのがあるんで、読んでる人には関係ないけどね、写真っての見付けたから今後は「写真」で。

さて、フィルターもゲットして、フィルムも大盤振る舞いで3パックもゲットして、正月をポラで過ごそうと目論んでいたのだが、元旦の1日はどんよりとぐんにょりと薄暗い1日で終わってしまった。従って、SX-70の出番なし。

オリジナルのフィルムならそれでも青味を楽しむ被写体を探しに出掛けても良いのだけれど、600フィルムなのでそれなりにメリハリのある色気が無いともったいない。高感度で発色も良いので、いまやポラのスタンダードなフィルムだけれど、どちらかと言えば黄色が目立った感じを受ける。やや明るい曇り…ちょっと明るめの日陰なんかで撮るとイイ感じかもしれないと言うのが従来の感想。10Cくらいのフィルターかましてやってもいいかなと思うが、新しく付けたNDフィルターで微妙に変わってきているハズなので、やはり晴れた日に試してみたい。

と、能書きは良いから撮らねばならぬ。撮らねばならぬのにこの天気とは…。

そんなワケで、先日張り替えた革のその後の様子がどんなんだかを書いておこう。

そりゃあ非常にキレイに貼れたので、満足至極なのだが、私のソナー君の場合、薄い金属板が剥がれかかって来ているトラブルが多発していた。一応、革を張る前に、処理はしておいたつもりなのだが、革を貼った後に改めて撫で回すと「ペコポコ…」は新たな場所に発生している。貼られた革に引きつられてペコポコになった場所が出来てしまったみたいなのだ。

で、これも処置しないとベロン…と言うか「パキッ!」って感じで金属の板ごと剥がれてしまう感じもするので、そーっと隙間を開けて、ボンドを薄く塗り塗りする。

前回はクリア系のモノを使ったが、なかなか接着力が即効で効いてくれなかったので、今回は恐らくオリジナルと同じだろう「黄色系」を使った。すると、どうしてだか効果てきめん。ちょいと圧着させているだけでしっかりと付いた。ただ、はみ出た部分が汚くなるので固まるのを待って、ゴリゴリと…。

これでペコポコも無くなり、げろげろりな状態。さりげなくジュラシックな感じの漂うSX-70が完成。持った感じの指への当たりもオリジナルと比べて格段に良い。うっかり滑らせたらとんでもないコトになるし、取り返しが付かないのはカメラの宿命だけれど、修理が効かないカメラだとなおさら。こうした点でも、張り替えて正解だったと思う。ただ、オリジナルの状態が損なわれるコトに変わりは無いのだが、コレクションとしてのSX-70では無いので…。

んー。うずうずずずずzzzz。撮りたいのは山々エベレスト10回言ってみ?

する事も無いので、剥離剤で爛れたソナー部の補修でも考えるかな。まぁ、表面の細かいシボが溶けてしまっただけなので、適当にサンドペーパーでなでて、サーフェイサー吹いて、マットブラックを吹いておけば良いんだけれど、新鮮なマットブラックが無いなぁ…。賞味期限切れ…なら転がっているんだが…。

んじゃ駄目か…。

そうだ。フィルターについて書いておこう。

とても薄くて、貼り付けたままで何ら問題は無い。ソナーだとデフォルトでレンズはある程度引っ込んだまま折りたたむコトになるので、傷が付く心配も無さそう。それ以外の機種では手動でレンズを引っ込めてから収納するように書いてある。リング部の裏に粘着テープが貼ってあるので、これで貼り付けるのだけれど、難しいコトも無いと思う。まぁ、不用意にフィルター部分に指紋など付けないのは当たり前だけれどね。付けた状態でファインダーを覗くと、暗いには暗いのだけれど、思ったほど暗く無い。もっと暗くなるんだろうと、想像していたんだけれどねぇ。単に露出を合わせてNDフィルターを選んできたってワケじゃなさそうだ。やるなぁポラロイド。

ただ残念なのは、真っ黒なリングなので、距離がわからなくなった。レンズ部にメートル表記がしてあったのだが、隠れちゃって。まぁ、1眼レフだから、覗いてピントを合わせれば良いワケだし、ソナー付であればソナーに任せても問題は無いし。そもそも、開放値でF8らしいので、多少ズレていてもあまり気にならないだろうけれど、後書きで入れてもいいかな。

一応、貼り付ける時にも気を使ってみた。汚れなどが付いていると、粘着力が弱くなるので、綿棒にベンジンをちょいと付けて拭う。意外に汚れてたりする。塗装が溶けているワケでもなく、黒とも茶色ともつかない汚れを拭い、革を張るときに使った消毒用アルコールで仕上げる。フィルターの粘着部にもアルコールを塗っておくと、微調整が可能。まぁ、フィルター径とレンズ径がほぼ同じなので、あまり神経質になるコトも無いのだが、一応ね。

そんなこんなで、準備は万端なのだが、天気がなぁ…。いっそのコト雨でも雪でも降ってくれればそれはそれなりに、なんだけど、どんよりの曇りじゃなぁ…。

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