アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

栃若の強さは朝青龍の比ではなかった

2010年09月10日 | Weblog
 初代若乃花が亡くなった。1960年代の名横綱。マスメディアの取り上げ方も予想外に大きかった。若乃花全盛期にテレビの相撲放送にかじりついていた私は、その業績が改めて取り上げられたことに、懐かしさと満足を感じましたよ。

 「力道山の足を噛んだ」
 若いころ、力道山に可愛がられた(しごかれた)のだが、稽古がきつくてたまらない。伊勢での巡業中の稽古で、苦し紛れに力道山の足に噛みついた。その後、稽古場から逃げ出して川に飛び込んだ…こんな逸話がある。噛み傷の大きな跡は、消えなかった。そのため、プロレス転向した力道山は、噛み跡を隠すためロングタイツを着用したという話になっている。真偽は不明。
 「異能力士」
 横綱に昇進したき(1958年)は、身長179センチ、体重100キロ弱。この体格で、大型力士を宙に浮かせる。そのため、この「異能」という異名がついた。 
 「土俵の鬼」
 息子さんを事故で亡くした次の場所も休場しなかった。それで「鬼」の異名がつけられた。映画にもなりました。もちろん見ました。若乃花本人が主演でした。ホント、ホント!
 「ケチ」
 金銭には細かかったらしい。実弟の藤島親方(初代貴ノ花)に年寄株「二子山」名跡を3億円で売った。「実弟から3億円もふんだくる。そりゃないだろう!」と、ひとしきり話題になりました。「親方(初代若乃花)がケチで、ちゃんこの中身が粗末だから、弟子が夜逃げする」などの揶揄もあった。
 「気力じゃダメ、死力を尽くせ」
 稽古場での口癖。それを実践した本人の言葉なので弟子たちへの伝わり方が違う…。
 「土俵のケガは土俵の砂で治せ」
 「土俵の砂でケガは治らんやろ!」などのボケは通用しない。強くなるためには、ゲガを休んで治してなどいられない…。

 さて、前置きはこのぐらいにして(前置き長すぎか?)、(初代)若乃花の強さですが…朝青龍とどっちが強いか?これは、もちろん比較などできないが、若乃花を知る人は、100人中100人が、「若乃花がはるかに強い」とおっしゃるでしょう。間違いないです。朝青龍には、今の日本人力士にない多彩な投げ技があった。若乃花は、その上を行った。筋力の強さは、朝青龍の比ではない。「かかとに目がある」と、いわれたように、土俵際の粘りがまた凄かった。「死んでも勝つ!」という鬼気迫るものが感じられた。勝負が決まったあと、ダメ押しをすることなどなかった。ライバルだった栃錦がまた強かった。もちろん、朝青龍よりはるかに上。
 若乃花と栃錦の取り組みは、スピーディで華麗な大技の競演でした。相撲ファンがウナリを上げて増えました。おもしろいんだから、当然です。

 現在の大相撲…本業の相撲がつまらない。決まり手が「よりきり」ばかりじゃつまらない。華麗な大技を出せるよう、気力じゃダメ、死力を尽くしていただきたい。
 若乃花は、「土俵にはカネが埋まっている」というフレーズもよく使った。「夜中にこっそり土俵を掘っていた弟子がいた」という話は…聞いていない。