アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

似てるといわれたくない大臣の陰謀?

2010年09月02日 | Weblog
 「○○大臣に似てますねえ」というのは、言うほうが褒め言葉のつもりでも、受け取る側にとっては不快ということが多いかも。私は、(言われたことはもちろんないが)中井国家公安委員長に似ているといわれると、間違いなく不快感をあらわにしますね。路チューに似ているなどと言われたら、子々孫々までの恥ですから。

 女性の場合、「蓮舫に似ている」と、いわれると、「まあ、イヤダー!ホントのこと言うんだからぁ!」と、喜ぶ人が多いかも。これが、「千葉景子法務大臣に似てますねえ!ソックリですぅ!」と、いわれたら、「ケンカ売ってるのか、こらっ!ぶっ殺すぞ」と、言う人が多い。「多いと決めつけるな、千葉法相ファンの女性だっているはずだ」だって?多いに決まってます!

 参院選で落選して、法務大臣を続投。死刑制度のあり方を議論する勉強会を省内に作った。死刑廃止論者だったのに、いきなり死刑を執行。今度は東京拘置所の(死刑の)刑場を公開。急にやる気を出してきました…。

 景子さん(千葉法相)は、国民的な死刑制度の存廃論議の必要性を強調している。「刑場を公開することによって、国民の死刑制度の存廃論議に火がつけば」…とのこと。

 死刑制度の「存廃論議の火つけ」とは、別の見方もあるにはある。
 「あまりにも犯罪が多いので、抑止力としての刑場公開」…これになると、脅しでしょう。脅しでも犯罪が減ればいいのですが…刑場を脅しで使う…?
 この意見を聞いて4~5歳の頃を思い出しましたよ。悪さをしたら、「穴へ入れるよ」と脅されたものです。家の近くに自然の洞穴があったのですが、当時は怖ろしくて怖ろしくて、「穴」と、聞くだけで震えたものでした。そのお陰で悪事に手を染めることなく、現在に至っているのですがね。
 「犯罪抑止のために刑場を公開した」という方が、実際は解りやすかった。

 裁判員制度が始まり、国民が死刑判決にかかわる時代になった。死刑に係わる情報公開に消極的だった法務省も、姿勢を転換しなければならなくなった…。それで、どの情報を開示するかとなって、刑場の公開…。この短絡というか、結びつけというかがある意味凄い。
 はっきりさせておきますが、「刑場の公開」と「死刑制度の存廃論議の火つけ」は、次元の違うことですから。

 景子さんの腹の内は、「存廃論議にあたって、刑場や処刑の手順などを公開しておけば、風は死刑廃止に吹く」でしょう。彼女は、死刑廃止へ導きたい。「存廃」の「存」は、言葉だけ。
 ○ ここが、ロープをクビに巻いた死刑囚が立つ場所です。
 ○ ロープは直径3センチ、長さ約11メートルです。
 ○ 死刑執行ボタンが3つあり、3人の刑務官が同時に押すので、誰のボタンで床が開いたかは解りません。
 ○ 死刑囚の首にロープがかけられた後に床板が開き、体が落下して首が絞まるという仕組みです。 
 これが、国民の死刑制度の存廃論議に火をつける…?冗談じゃない。明らかに、「死刑廃止に火をつける」でしょう。
 裁判員になった一般人は、「自分が一人の人間を死なせていいのか?」と悩む。刑場公開により、「死刑にはしたくない」と思うようになるんじゃないか?つまり、公正な判断ができなくなる。

 東京拘置所というと、連合赤軍事件を起こした永田洋子死刑囚がいる。もう40年近くも死刑が執行されていない。これもなぜか解らない。法律では、6か月以内に処刑…。あと、地下鉄サリン事件その他もろもろのオウム真理教松本智津夫死刑囚もいる。「死刑廃止」になると、彼らも処刑を免れる…。これは、被害者遺族がやりきれません。世論調査では、死刑制度容認派が8割を超えている(内閣府)。罪に見合う処罰として死刑を求める被害者遺族は多い…。

 「刑場は死者の魂がいる厳粛な場所(法務省の職員)」。だったら公開しなくても良かったのに。