人だすけ、世だすけ、けんすけのブログ

愛知13区(安城市・刈谷市・碧南市、知立市、高浜市)
衆議院議員 おおにし健介

嘘、ごまかしを許さない!

2007年01月23日 | 政治
記者や代議士と話していた時のこと、前国会での「やらせタウンミーティング」の問題は、もっともっと政府を追い込める問題だったのではないかという話題になりました。

「でも、あれを『民主主義偽装だ!』って言っちゃうと、国民には響かないんだよなぁ。」

私もその意見には賛成です。
私は「やらせタウンミーティング」の話は、幼い子どもにまず教えること、「嘘、ごまかしはいけない!」このシンプルなメッセージに尽きると思います。

地震になって倒壊してもバレなきゃかまわないと構造計算の数値をごまかした耐震偽装、どうせ分からないと消費期限切れの材料を使った不二家、納豆を食べれば痩せるというデータを捏造したテレビ番組、すべてに共通するのは、バレなければかまわないとごまかし嘘をつく「無責任の体質」なのです。

夢のある政策を!

2007年01月23日 | 政治
民主党のことをよく知っていて、現在はビジネスの世界に身を置いているある人とお話をする機会がありました。「いまの民主党を見ていてどう思いますか?」という問いに対して、「うーん、言っていることに、明るさがないよね。もっと夢のあることを言わないと。」。

「批判ばかりで昔の社会党みたいだ」というお叱りは、有権者の皆さまからもよく受けます。批判というのは、人を気持ちよくしません。

野党は、権力を握っていない分、夢で勝負しないとというのはそのとおりだと思います。人間というのは不思議なもので、空腹でも、夢や希望があれば進んでいけるのです。

高らかに理念やビジョンを語る、そういうところが最近の民主党になくなってきているところが少し気になります。

なつかしの味、アウトバック・ステーキ!

2007年01月21日 | グルメ
品川のOUTBACKステーキハウスに行ってきました。
http://www.outbacksteakhouse.co.jp/

ヒデキ、感激!
ここは、オージー・ビーフのステーキハウスですが、ここのプライムリブは、私にとってはなつかしのアメリカの味なのです。

日本のステーキは美味いけど、ボリュームは上品です。その点、ここのプライムリブは、アメリカ映画に出てくるようなあの分厚い肉汁滴るステーキです。
ただ、和牛のフィレやサーロインとはまったく別の食い物、日本人の感覚で言うと分厚く切ったロースとビーフという感じ。いや、ライオンの餌と言った方がよいかも。
アメリカに赴任して、最初にここに連れてこられたときには「何じゃこりゃー!」という軽いカルチャーショックを受けました。

久しぶりに食べたプライムリブは、記憶の中の味ほど美味しいとは言えないが、涙が出るほど懐かしい味でした。
おまけに、内装やサイドもアメリカと同じ。品川店にいたっては、客に外国人が多いので、コロナを飲みつつステーキに食いついていると、日本にいるのを忘れるほどです。
まな板にナイフをさして大胆にサーブされるハニーブレッド。少しガーリックのきいたシーザーサラダ。サイドのフライドポテト。うーん、懐かしい。

もちろん、チェックもテーブルです。思わず、チップを置かなければならないのかと思ってしまうほど(欧米か!)。

今度は、六本木店を攻めてみようと思います。





中央大学での講義

2007年01月15日 | 日常
 13日土曜日、中央大学で講師として話しをしてきました。私が講師を務めたのは、今村都南雄教授の担当する特殊講義「公共政策の最前線」。大学院の公共政策研究科、法学部・総合政策学部が共同で各省庁から講師をゲストスピーカーとして呼んで話を聴くという講義です。

 人事院の協力で各省の実務の中心となる補佐クラスの話を聴けるというのは、学生にとってはとても貴重な経験だと思うのですが、今村先生によると、土曜日の午前という時間帯もあってか学生の出席情況はいまひとつとのことでした。

 私が担当した1月13日は、後期のレポート提出日ということもあり、普段は講義に出てこない学生も含め教室が満員になるほどの盛況振りでした。
 想像以上に静かに私の話に聴き入ってのは有難かったのですが、最後の30分間の質疑応答の時間にあまり質問が出なかったのは拍子抜けでした。

 

訪台雑記②-偉大な哲人政治家李登輝

2007年01月14日 | 政治
 今回の訪台の最大の目的、それは李登輝前総統に会うことでした。

 李登輝前総統は、80歳を超えるというのに背筋はぴんと伸び、背が高いため威風堂々として見えます。何より驚いたのはその雄弁ぶりです。予定の一時間を越えて一時間半の面談時間ほとんどは、李登輝前総統の独演会状態でした。

 話は、最初は台湾と日本の政治経済の現状を憂う話から始まって、話は政治哲学にまで及びました。李登輝前総統はこう言います。
「人生は一回限り、意義ある人生をどう生きるかが大事。人間とは何ぞや、自分とは何かという哲学的な問いから出発することが必要。"I am not the I that I am."の境地。自我を否定した時に、人間はより高次の存在、それはある時は神かもしれない、に出会うことになる。ただ信じること、理屈は役に立たない。」
 つまり、「実践躬行」、これこそが李登輝の最も強調することの一つです。

 また、李登輝前総統はリーダーシップについて次のように語ります。
「『人民は人民自身を治めることはできない』だからエリートの育成が必要である。指導者たるものは教養を高め、国を愛し、人民を愛さなければならない。映画でUボートの艦長はリーダーについてこう言う。『私は分かりませんと絶対言ってはダメ』。またハイデッカーは『指導者としてやるには理屈を言う人間を煙たがってはいけない。そういう人間を上手く使うようでなければならない』と言っている。」

 李登輝前総統の口から出る言葉は一つ一つが至言であり、現代の政治家にない哲学を感じました。ただ、正直に言うと「ギラツキ」を感じて、20世紀最大の偉人に会えた素直な感動を感じるというのとは少し違っていました。
 私はワシントンにいるときに最晩年のマンスフィールド大使にお会いする機会がありましたが、マンスフィールド大使が枯れきった私欲のかけらもない高いところから日米関係の将来を語るのと比べると、李登輝はまだまだギラギラしていて、2008年ポスト陳水扁の政局にも影響力を発揮していく気が十分と感じられました。

訪台雑記①-台湾の過去と未来を映す女性たち

2007年01月14日 | 日常
 年始早々、民主党秘書会の訪台団の一員として、台湾を訪問しました。今回の訪台では、様々な台湾の人たちと会う機会がありましたが、なかでも印象に残ったのは、ここに紹介する女性たちでした。

 一人は、陳玉梅台北市議会議員。知日派経済人として知られた台湾ヤクルト元会長を父に持ち、自らも青山学院大学に留学した経験があるという知日派女性議員。昼食を取りながら、流暢な日本語で話をしてくれました。
 気さくな態度、会話の端々に出ているスマートさ、一線で活躍する日本の女性に時々感じられるような気負いのようなものが感じられない一方で、その堂々とした風格には恐れ入りました。
 先般の選挙でも二位のダブルスコアの得票でダントツのトップ当選を果たしたそうです。始まったばかりの市議会の会期では、副議長にとの声もありましたが、「まだ若すぎる」という反対の声もあり今回は見送られたとのことでした。ちなみに議長も女性だそうです。
 「若いことの不利を今回初めて感じた」と淡々言う陳議員。正確な年齢は知りませんが、30代後半?かどうみても40代前半という若さで既に三期目。台北市はごく最近まで国の直轄市として議員も選挙ではなく指名によっていたということもあり、台北市議は他の地方議員よりもはるかに地位が高いそうです。陳議員が将来台湾市長を経て台湾初の女性総統に名乗りを上げるのも夢ではないかもしれません。

 立法院で私たちを迎えてくれた外交委員長も女性の民進党若手議員、蕭美琴議議員。陳水扁総統の英語秘書を務めたという経歴もあり、これまでは米国問題を中心に外交問題に取り組んできたとのことですが、最近は日本語を勉強するなどに日本にも強い関心を抱いているとのことでした。

 二人の台湾の女性議員を見ていると、本当に自然体で颯爽としていて、台湾の将来はこのような女性たちによってリードされていくのではないかと感じました。

 彼女たちとは対照的に印象に残ったもう一人の女性、それは総統府を案内してくれたガイドの林玉鳳さんです。70代とは思えない快活で上品なおばあさんです。
 林さんは自らを「日本語族」と呼び、「こうして日本語を話して、若い人たちにお話をするのが楽しい」と言います。
 林さんは自分の話す日本語を「やまとことば」と呼び、「若い方々はお国の歴史を知らない」と言います。林さんは、私たちが戦後失ってしまった何か大切なものを体現しているように思えました。
 林さんは「台湾は日本の植民地なんかじゃなく領土だった」と誇らしげに言います。「あなたがたの先人は、台湾のインフラ整備や教育をやってくださったのよ」、「また、いらっしゃい」と笑顔で手を振る林さんに見送られて私たちは帰国のために空港に向かいました。

 台湾で会った印象的な女性たち、彼女たちが台湾の未来と過去を映し出す鏡のように思えました。

(写真は日本統治時代には台湾総督府だった総統府)

東京味噌ラーメン紀行

2007年01月06日 | グルメ
 私は独身の頃独りで食事をするのにも、ラーメンやコンビに弁当で夕食というのはどうもわびしくて嫌だったのですが、遅く起きた週末などは朝を抜いて、よくラーメンを食べたものです。

 有楽町線沿線に住んでいた頃、時々立ち寄ったのが池袋の立教通り入り口にある「味源」。池袋に用があったので、久しぶりに行ってみました。

 味噌ラーメンといえば、「すみれ」、「むつみ屋」などがありますが、どちらも昨年後半にあらためて食べる機会がありましたが、どうも素直に「おいしい!」と思えませんでした。

 しかし、「味源」は久しぶりに食べてみても美味しかった。まず、麺がいい。黄色く輝く太く縮れた麺はこしがあって美味しい。スープも味がしっかりしていて満足でした。

 私の髪をもう10年以上切ってくれている美容師のHさんは、北海道の帯広出身で札幌でも働いていたことがあるのですが、彼の東京で一押しの味噌ラーメンは、高田馬場の「純連」だそうです。雑誌等でも高い評価を受けているようです。今度一度試してみようと思っています。

至福の独り飯

2007年01月06日 | グルメ
 独身の頃は、ほとんどが外食だったので、独りでも居心地よく食事が出来て、安くておいしい店をいくつ知っているかは、ほとんどライフラインのひとつと言うべき重要なことでした。

 妻が実家に帰省している間に、そんな「独り飯スポット」を久しぶりに訪れてみました。

 新宿アルタの真裏という超好立地にありながら、おいしい洋食がお手ごろな値段で楽しめるのがここ「アカシア」です。
 ここの名物は、何と言ってもロールキャベツシチュー。しかし、私は同じホワイトシチューのポークシチューをお薦めします。
 ロールキャベツシチューやポークシチューは、ご飯が付いて定食にもできます。「シチューとご飯?!」と思われる方がいるかもしれませんが、食べてみると分かります。この濃厚な味、まさにご飯のおかずなのです。

 シチューは、他の料理とセットにすることもできます。私は、欲ばりにもオムライスとのセットを注文しました。
 シチューはもちろんこのオムライスも「おいしゅうございます」。私はオムライスが大好物なのですが、私が好きなのはオーソドックスなオムライス。「ふわふわ卵のホニャララ」というのは邪道です。しっかり卵に包まれ上にケチャップのついたやつです。
 先日、洋食の津久井でオムライスを食べたのですが期待はずれでした。それに比べてアカシアのオムライスは卵の硬さといい、ライスの味付けといい、とても美味しかったです。

 アカシアは店が隣り合って二つに分かれていますが、独りなら向かって左側の方がお薦めです。カウンターがあって、クラッシクなバーのたたずまい。ジャズも流れていていい雰囲気です。


 


亥年生まれの年男

2007年01月05日 | 日常
私は、昭和46年亥年の生まれ、つまり今年は年男です。
今日、何気なく幹事長の年頭記者会見の記録に目を通していると、鳩山幹事長が亥年生まれということに気づきました。
そこで、調べてみると次のような記事を見つけました。
亥年生まれの議員は81人いるそうです。
ちなみに、最近お笑いタレントとの結婚が明らかになった藤原紀香さんも昭和46年生まれです。


「亥年生まれ」議員は81人 還暦は35人 (共同通信)
 07年のえと、亥(い)年生まれの国会議員は衆院51人、参院30人の計81人。施行60年を迎える憲法の改正論議の高まりが予想されるほか、統一地方選、参院選といった政治決戦に“猪突(ちょとつ)猛進”するか-。永田町の年男年女に抱負を聞いた。還暦を迎える1947(昭和22)年生まれは川崎二郎氏(自民)、鳩山由紀夫氏(民主)、穀田恵二氏(共産)ら35人。
[ 2006年12月31日17時17分 ]

仕事始め

2007年01月04日 | 日常
今日4日は、会館事務所も仕事始め。
仕事始めといっても、役所にいた時のように大きな組織と違って、特に儀式がある訳でもありません。私が役所に入った頃、十数年前には、仕事始めには着物を着て出勤する女性もまだ見られて、お昼過ぎには職場でビールをあけてお祝いをして早めに帰るといった牧歌的な雰囲気がまだ残っていましたが、最近はどうなんでしょうか?

私は帰省先から今朝羽田に戻って、会館には少し遅れて出勤させてもらいました。
遅れたついでに「日枝神社にお参りしていくか。」と思いついて行ってみると長蛇の列。引き返すわけにも行かないので並んでお参りしてきました。

ここは、他の初詣スポットとかなり参拝客の趣が異なります。ほとんどがビジネスマン、オフィースレディーのみなさん、それもくたびれた感じのおじさんは少ない気がしました。
みんな整理員の誘導に従って、整然とお参りをしています。「これだけ多くの人がどういう気持ちで神様に何を祈っているんだろう?」。自分も並んでいる一人でありながら不思議な気持ちで参拝客を眺めていました。

帰省して、両親が「5年日記」をつけているのを知って驚きました。今年は私もこまめにブログを更新しようと誓う仕事始めでした。