人だすけ、世だすけ、けんすけのブログ

愛知13区(安城市・刈谷市・碧南市、知立市、高浜市)
衆議院議員 おおにし健介

【書評】トラオ 徳田虎雄不随の病院王

2012年07月06日 | 書評
「トラオ 徳田虎雄 不随の病院王」
 青木 理 著
 小学館 刊


 「週刊ポスト」に連載された記事を加筆・修正したものだが、週刊誌に連載されていた時にも気になっていたが、読んでいなかったので、手に取った。

 私は、子どもの頃から伝記が好きだ。また、(こう見えて?)人間が好きだ。だから、政治をやっている。政治や選挙は、人間が好きな人でないとできないと思う。過去にも、時々、世襲議員が「自分はこの世界には向かない」とあっさり引退してしまうことがあるが、政治家はとにかく人に会うのが仕事だ。人間の本性がむき出しになる政治や選挙は、人間好きな人でないと、嫌でしかたないだろうということは想像がつく。私の周囲にもとにかく面白い人、普通にサラリーマンをしていたのでは絶対会うことがないような個性的な人がたくさんいる。そして、そういう人々に支えれれている人も普通ではない人が多いかもしれない。私は、そういう「濃い」人々の中では、すごくノーマルだと自分では思っているが、うちの家内に言わせると「あなたも十分に変わっている」と言うが、そういう私と結婚する家内も人のことは言えない。

 話はそれたが、徳田虎雄氏は、そういう「濃い」人が多い政界の中にあって、まちがいなく、群を抜いた奇人、怪人と言える。「保徳戦争」と呼ばれる保岡興治代議士との激しい選挙戦や日本医師会との対立をめぐるエピソードには、常識人からすると眉をひそめたくなるような話も枚挙に暇がない。一方で、ALSという不治の病を患う徳田氏に涙を流す石原都知事や絶対の忠誠を誓う徳州会グループの人々のように徳田氏のエネルギーとその人間的魅力に惹きつけられる人も多い。そして、全身の筋肉が動かなくなって、眼球で意思を伝えることしかできなくなった今もなお、巨大、病院グループの経営を実質的に差配し、普天間移設問題でもその存在感を示すというのは、まさに、怪人と言える。

 私も、どちらかと言うと、こういう「濃い」人に魅かれるところがある。健康で、衆議院議員をされている時に、一度、お会いしたかったものだと思う。

 かつて、私は、小沢氏についても似たようなことを書いたことがあるが、政治をやっていると、目的と手段の関係と言うことを考えさせられる場面がある。「目的のためには手段を選ばない」という表現があるが、政治の世界は「結果がすべて」とも言われる。きれいごとを言っていても、選挙に落ちたら終わり、政権をとらなければ理想や政策も実現できない。一方で、権力奪取は、あくまで、理想の実現のためであり、それを失ったしまっては、政治家は、政治家ではなく政治屋に成り下がってしまう。「政治屋は次の選挙を考え、政治家は次の世代を考える」という言葉もある。

 この点、本書のエピローグで徳田氏の秘書が興味深いことを語っている。

 「理事長の場合、目的が正しければ、その手段もすべて正しいんです。一般的には間違っていると言われるようなことでも、正しい目的を成し遂げるためなら、そのために使った手段もすべて正しくなてしまうんですよ(笑)」

 もちろん、私はこの徳田イズムを全面肯定はしないが、こう考えると、徳田氏の奇行や常人には理解しがたい行動もある部分で筋が通っているようにも思えてくる。そして、徳田氏にとっての目標は、徳之島に生まれ育ち、病気で弟を失った原体験と「命だけは平等だ」というスローガンの下に、困っている人を救うために、離島に、そして、世界中に病院をつくることであり、政界進出もその手段だったのだ。

 


最新の画像もっと見る