人だすけ、世だすけ、けんすけのブログ

愛知13区(安城市・刈谷市・碧南市、知立市、高浜市)
衆議院議員 おおにし健介

変わらないもの

2004年12月27日 | Weblog
 少し前になるがテレビを見ていたら、中高年の元技術者の男性が集まって、開業しているという目黒川沿いのチーズケーキ店を紹介していた。
 概観もなかなかお洒落で、ケーキの味もたしかで、人気を集めているとのこと。
 インタビューを受けていた職人さんの一人がとても興味深いことを言っていた。
おじさんが「昨日よりうまいものは作らない」はっきりと言うのが私には強く印象に残った。いつ来ても、お客さんに同じ味を提供するというプロとしての決意を語った言葉だ。軽々しく「よりおいしいものを」と言わないところがにくい。
 「そうそうこの味」という安心感、それはとても大きなことだと思う。老舗と呼ばれる店が守り続ける価値とは、まさにそこにあるのだろう。「変わらないものの」の価値というのを再認識した。

 我々民主党は、日頃どうしても政府与党への対抗上「変革」を前面に出す。人々には、変革への期待というものを抱く一方で、潜在的に変化を恐れる意識を持っている。恐れず、変えていくことを訴えることは重要だが、我々も「変わらないものの」の安心感を見失ってはいけないと思う。「変わらないもの」、「守るべきもの」というのをしっかりと示していくことは、人々に安心感を与えて、「政権を委ねてもいい」という安心感にもつながっていくのではないか、そんなことをテレビを見ながら考えた。
 

オー・コリア!

2004年12月27日 | Weblog
 今年は、たいへんな「韓流」ブームだった。
 私は、以前一年間仕事で朝鮮半島に関わったことがある。
当時は、金大中政権が誕生し、小渕総理との間で「未来志向の日韓関係」が確認され、日韓関係は良好な方向に向かっていたが、「妄言」や様々な形での第二次大戦中の日韓の請求権問題等過去をめぐる問題は後を絶たず、その度に日韓関係はギクシャクしていた。
 当時を思うと、ヨン様ブームの昨今の状況というのは、隔絶の感がある。
 内政についても、「不死鳥」キム・デジュン(DJ)、キム・ヨンサム(YS)、キム・ジョンピル(JP)の「三金」はすべて過去の人となってしまい。ノ・ムヒョンが彗星のように現れ、前回の総選挙では、大量の新人議員が誕生するなど韓国政治は劇的に変化した。
 一方で、日朝関係では、今年一年は、終始、拉致問題が国民の関心を集めた。
 私が朝鮮半島問題に関わっていた頃は、もちろん拉致の問題は日朝間の一つの大きな課題であったが、一般の国民の関心はここまで高くなかった。

 来年早々、久しぶりにソウルを訪問する予定である。
その関係で先日テレビにも出演するある識者の方から、最近の朝鮮半島情勢についてお話を聞く機会があった。概説的な話であったが、なかにいくつか印象に残った話があった。

 一つは、「太陽政策」の話。彼は、太陽政策には反対だという。ご存知のように、「太陽政策」はイソップ童話の「北風と太陽」に由来する、別名、抱擁政策といわれる。彼は「『太陽政策』は意図が相手に分かっている場合には効果がない。黙ってやるのが本当だ。」と述べていた。「おとそうという女性がいて、『太陽政策だよ』と言って貢いでも『服は脱がない』のと同じ。」というたとえが分かりやすかった。

 もう一つは、高句麗問題。彼は、高句麗問題の背景には、北朝鮮崩壊後にこの地域に影響力を持とうとする中国による揺さぶりとの見解を述べていた。

 日朝の問題では、核やミサイルというわが国の安全を脅かす脅威への対応、拉致問題といった目の前の解決すべき問題があるため、なかなか長期的な問題に目が行きにくいが、金正日独裁政権が未来永劫続くことがないことを考えれば、その場合の朝鮮半島の姿、北東アジアのパワーバランス、南北統一がある場合の日本が果たす役割等について複数のシナリオに沿ったシュミレーションが必要と思われるが、最近はそういう議論はあまり行われないように思う。

 ところで、寒くなってきて、辛い韓国料理がおいしい季節になってきた。赤坂周辺には、本格的韓国料理店が軒をつらねる小路がある。昔よく友人の外務省の韓国語の専門職の友人と行った店には今でも時々出かける。おすすめは、プデ・チゲ、ソーセージから出るダシがスープに深みを加えなんとも言えない。インスタントの辛ラーメンの麺をスープに入れるのが通、思わず「マシッソヨー」と叫びたくなる。
 今から、久しぶりのソウルでの食事が楽しみだ。

クリスマスツリー

2004年12月12日 | Weblog
 遅ればせながら、今週末、我が家にX'mas ツリーがお目見えした。
 自分は、思い切って大きいのを買おうと思ったのだが、うちの妻があまり興味を示さなかったので、結局、小さいものを買った。小さくても、あるだけで華やいだ気分になる。

 ワシントンでは、ホワイトハウスの前の広場のツリーが有名だが、私は、議会の前のツリーの方が好きだった。
 ワシントンでの仕事が連邦議会の動きをフォローすることだったこともあり、日本人はとかくホワイトハウスに目を向けるが、こういうところでも議会の肩を持ちたくなる。 

 昨日は、用があって銀座に出かけた。日本でもこの季節街には、クリスマスの飾りが溢れているが、アメリカのクリスマスを懐かしく思うのは気のせいだろうか。
 ハロウィーン、サンクスギビング、クリスマスと続く、この季節は一種独特のものがあって、アメリカでの生活を懐かしく思い出だす。

 ホワイトハウスのギフトショップでは、毎年、クリスマスのオーナメントを発売する。ワシントンを懐かしみ、うちのツリーにもホワイトハウスで購入したオーナメントを飾り付けた。(金色の馬車のオーナメントがそれ。見えるかなあ?)

 
 
 

「discuss」の語源

2004年12月08日 | Weblog
 昨日、選挙プランナーの三浦博史さんの講演を聴く機会があった。三浦さんの話を聴くのはこれで2回目であるが、前回同様、話の内容もさることながら、小気味好い話術に引き込まれた。

 もちろん、前回聴いた話と重なる部分もあったが、「以前にも聴いたなぁ」ということは思い出せるのだが、細かい部分になるとよく覚えていなくて、再度聴いて「そうだった、そうだった」と思う箇所がいくつかあった。

 その一つが「discuss」の語源の話である。「dis-」はみなさんよくご存知のように否定の接頭語で、三浦さんの話によれば、「cuss」は「のろう」、「ののしる」の意の「curse」から来ている。したがって、「discuss」は「うらみっこなし」という意味で、欧米人は徹底的に議論をした直後でも平気で一緒に食事に行くが、議論の本当の意味を理解していない日本人は、議論が感情的な対立に発展したり、そもそも議論をさけてしまうとうのである。

 「なるほど、おもしろい」と思わせる話である。余談だが、あらためて「discuss」の語源を調べてみると、
←ラテン語 discutere 「分散させる」)。dis は「離れる」、cussはラテン語の quatere 「振る、揺さぶる」
とある。

 実は、私は、語源についての三浦説の真偽はどうでもいいと思っている。肝心なのは聞き手に「なるほど、おもしろい」と思わせること。三浦さんは、この話をする時も「私がこんなことを聞いて失礼ですが、ちょっと、みなさんの中で『discuss』の語源をご存知の方いらっしゃいますか?」と切り出す。そうすると、聞き手は頭の中で「なんだろう?」と考える。そこに、三浦さんがこの説を披露する。すると、聞き手は自然と話に引き込まれる。

 三浦さんは、この手の話をアクセントとして話の中にいくつも挟みこんでくる。だから聞いている方は飽きない。
 聞き手に呼びかける。例え話を使う。例え話の中に人が登場する場合は、自分と会場に居る具体的な人物の固有名詞を使う。三浦さんの講演には、話術のコツのようなものが上手く取り入れられているように感じた。

 スピーチにエッセンスを聞かせるには、こういう話の引き出しを多く持つことが重要だと思う。そのためには、見聞を広めることだが、せっかく見聞きしたことも忘れてしまっては意味がない。こういう場所でもどこでもよいが、気づいたことを書き留める習慣が重要ではないかと思う。

選挙の復習

2004年12月05日 | Weblog
 早いもので、今年ももう12月。臨時国会も終わったことだし、ブログの更新もしっかりとやっていこうと思う。

 「選挙参謀」前田和男著、太田出版を読んだ。昨年の衆院選で大阪3区から出馬し、初当選を果たした民主党の辻恵衆議院議員の選挙戦の顛末記である。
 この本は出たときから関心があったのだが、2つの点で胡散臭さを感じていた。一つは「三ヶ月で代議士になれる!」という副題がついていること。二つ目は、背表紙の著者名の横に「●通称・一人電通」とこれ見よがしに書いてあること。著者紹介でも「一人電通と呼ばれる」と書いてある。私は「これは、きっと選挙参謀気取りの勘違いおやじが一人悦に入って書いたものにちがいない」と失礼なことを考えていた。

 実は、私は、この本の出版直後に、著者の前田氏とある集まりで同席していた。しかし、その時には、本の表題を耳にした程度で、内容もよく知らなかったし、その席に遅刻して参加したため、前田氏とは挨拶は交わしたが、ほとんど会話を交わさなかった。

 ところが、この本、読んでみるとなかなか面白く、一気に読んでしまった。前田氏と話をする機会を逸したことを悔やむとともに、仕事を通じてお目にかかることも多い辻恵議員に対する見方が少し変わった。

 著者も述べているように、この本が画期的なのは「選挙の復習本」という点である。


前田・・
 「選挙は記録に残さない」がこの業界の掟なんだよね。いろいろ微妙な問題もあるし。公選法の 問題やら、相手陣営に情報がもれちゃうおそれもあったりして。
辻・・・
 たしかに手の内をばらしちゃうと「不利」かもしれないけど、同じ戦いは二度とできないわけだ し。むしろ、そうした選挙のプロたちの「配慮」が、内輪だけに流通する「特殊な物語」をつく ってしまい、それが選挙を一般の有権者から遠ざけることになっているんじゃないのかな。~


 私がこの世界に入った一つの動機に「選挙というものを実感してみたい」という気持ちがあった。それまでも普段から政治家とは近い距離で仕事をしていたが、彼らの関心の半分以上、いや場合によってはほとんどを占める選挙を知らずして政治をかたることはできないと思ったのである。
 ところが、前田氏が指摘しているように、選挙については記録というものがほとんどない、また、報道等も特定の候補者に有利にならないようにと気を使うため、選挙の実態というのは外の世界にいるとまったく分からないのである。そもそも「選挙参謀」という言葉自体がアングラな響きを帯びている。

 私の選挙戦の経験は、さきの参議院選挙だけであるが、公示前から開票までみっちり選対に入ったことで、初めて選挙の一端を垣間見ることができた。これはやはり中に入ってみてみなければ分からないというのが実際やってみてよく分かった。
 また、最近もつくどく感じるのは、他の議員がどんな戦い方をしているのかを見てみたいと思う。しかし、選挙と言うのはいっせいに行われるので、衆議院であれば自分たちの選挙を必死で戦っているあいだに他の陣営の選挙を見るというのはなかなか難しい。そういう意味でも選挙の復習をするのは大変意義深いと思う。

 もう一つ実際に経験して感じるのは、選挙ほど人と人の気持ちがぶつかり合う濃密な人間関係を体験できる機会は他には少ないということである。人間関係が希薄な現代社会においては、選挙戦を通じて生まれる濃密な人間関係と言うのはカルチャーショックである。「選挙大好き人間」が少なからずいることもうなずける。
 それ故に、選挙選の実態を描いた本と言うのは読み物としても面白いのではないかと思う。

 みなさんも、関心があれば、ぜひ読んでみて下さい。選挙を体験してみたいと思うかも!?



 

ビジョンと自信

2004年12月01日 | Weblog
 今日は、毎月恒例の勉強会「政策工房J-WAY」に行ってきた。立教大学の山口教授を中心に桜井充参議院議員らが行っている勉強会で、マスコミ、経営者、学生、会社員等出席者が多彩なのが特徴だ。高速道路無料化論で有名な山崎養世氏、経済評論家の荻原博子女史等も常連である。

 いつもは、金融、経済関連のテーマが多いのだが、今回は、前駐米大使の柳井中央大学教授が講師で「ブッシュ新政権下のアメリカと日本のアジア外交」というテーマで話をした。
 必ずしも外交が専門でない人が多かったせいか、質疑応答では、米国追従の日本の外交姿勢に疑問を呈する意見が多く聞かれた。

 そんな中、会の最後に出席者の一人のスウェーデン人がこう言った。
「この国の最大の問題は、20年後、50年後にこの国がどうあって欲しいかというビジョンがないことと、自らの文化、国に対する自信が持てないことにある。」
 米国の言いなりといわれる外交政策もこの表れと言えなくない。

 よく考えると、これはどちらも政治家が行うべきことである。長期的な国家ビジョンを描き、国民に自信と誇りを持たせること、それは政治の責務である。