人だすけ、世だすけ、けんすけのブログ

愛知13区(安城市・刈谷市・碧南市、知立市、高浜市)
衆議院議員 おおにし健介

演説力

2005年01月26日 | Weblog
(2月も後半に差し掛かってきましたが、1月末に書きかけのままになっていた原稿ですが載せます。)

 与党ペースでいくかと思われた国会冒頭、再質問をめぐって民主、社民が本会議場から退席するという波乱の幕明けとなった。
 民主党岡田代表が9項目にわたって再質問を行ったのに対して、小泉総理が「すべて誠実にお答えした」と斬って捨てたのだ。小泉総理の不敵な笑みからして、確信犯であり、総理一流の挑発にちがいない。
 再質問は、認められたものであり、これに誠実に答弁しないというのは言語道断。個人的には退席もあの場面では当然と思う。
 本会議は、異例の議長からの注意と再質問のなり直しで再開されたが、予定されていたその日に小宮山議員の質疑は次の日に先送りとなった。
 明けて代表質問第二日、まず、小宮山議員が質問に立った。小宮山議員は前日の岡田代表に続いて、再質問を行ったが、昨日の議長の注意はどこへやら総理の答弁はまたも「すべてお答えしました」というものだった。議場は野次と怒号で騒然となったが、与党は議場内交渉係も交渉にさえ応じない。河野議長は、次の質疑者、野田議員をコールした。

 ここでの野田さんの質問が出色だった。
 冒頭、小泉総理が再質問に対して、誠実に答弁しないことに対して、総理が施政方針演説で浜口雄幸をひいたことを取り上げて、小泉総理にはその資格がないと強い調子で批判した。

 浜口雄幸の男子の本懐の真骨頂は、東京駅で暴漢に襲われた後にあり、術後の経過が悪く土色の顔をしながらも総理としての説明責任を果たすために国会に出てきたところにある。「逃げて、ぼかして、開き直る」総理には浜口を語る資格はない、と。

 堂々とした調子といい、内容といい風格十分だった。
 続く演説も器の大きさを感じさせるすばらしいもので、ほとんど原稿には目もやらず、時折、言葉遊びを交えた演説は聴く者を魅了した。

 言論の府と言われる国会だが、十年永田町にいるが残念ながら、グッとくる演説というのは稀にしかない。今回の野田さんの演説は間違いなくその一つだ。
 言葉で人を動かすというのはすごいことだと思う。
 





「岡田克也、父と子の野望」

2005年01月17日 | Weblog
なんともおどろおどろしいタイトルである。

 榊原夏著、扶桑社「岡田克也、父と子の野望」

 岡田代表に批判的な立場から書かれた本であり、結論の方向が決まっていて、ネガティブな結論に結びつけるような構成はいただけないが、政治家、人間、岡田克也が乗り越えるべき壁として、父岡田卓也と小沢一郎がいることを指摘している点、岡田家の系譜と岡田代表の人格形成家庭に関して考察を加えている点は興味深かった。

 岡田代表については、そのキャラクターが様々な形で表現されるが、いまひとつ人間、岡田克也の実像というのが浮かび上がってこない。
 この点、本書は、政治家、岡田克也のメンタリティーの底流には、商家のメンタリティーがあると見ている。著者は、「お客様がいいといえばいいんだ」という単純化された正義に裏打ちされたスパー型政治と批判する。

 田中角栄という政治家には、良くも悪くも越後の農民のメンタリティーというのが根底にあった。同様に、政治家、岡田克也に商家のメンタリティーが流れているというのはうなずける。
 私は、何もこのことをネガティブに捉える必要はないと思う。商家と言うと、時代劇の越後屋のような悪代官と何やらよこしまな相談をしている悪玉やそろばん勘定しか頭にない小物といったイメージがあるが、別の言い方をすれば、消費者のニーズや時代に敏感に反応する経営マインドを持った者という言い方もできる。

 岡田屋を現在のイオングループにまでした父、岡田卓也氏の存在は大きいに違いない。一方で、政治家、人間、岡田克也の人格形成に父、岡田卓也氏が大きな影響を与えていることは間違いない。個人的には、そのことから目をそらすのではなくそれを肯定的に受け止める形で、人間、岡田克也の実像が広く一般に示されることを願っている。

「松下政経塾とは何か」

2005年01月13日 | Weblog
 「政官要覧」というのをご存知だろうか。この手の国会議員録というのは他にも「国会便覧」だとかいくつも出版されている。
 私は、プロフィール欄が詳しい「政官要覧」を愛用してる。暇つぶしに「政官要覧」をパラパラとめくっているといろいろな発見がある。
 「ああ、この人は議員になる前はこんなことをしていたのかぁ」、「この人が政界に入ったきっかけはこうだったのかぁ」、「縁戚にはこんな人がいるんだぁ」、普段仕事で顔をあわせることの多い先生も背景を知って見ると違って見えたり、妙にその人の行動様式が納得できたりする。
 「人に歴史あり」、政治家の政治理念や行動様式に生い立ちやこれまでたどって来た道が読み取れるのは当然だろう。

 「松下政経塾とは何か」新潮社、出井康博著

を読んだ。
関係者へのインタビュー等をもとに、創立25周年を向かえ、国会、首長、地方議員を含めた60名の出身政治家を擁する松下政経塾のこれまでの歩みを検証し、その日本政治に残してきた功罪を論じている。
 
 著者は、結論としては松下政経塾の現状に厳しい評価を下しており、関係者には苦々しい内容かもしれない。「松下政経塾とは何か」というテーマは別にして、登場する議員の多くを普段身近に見る機会がある私には、松下政経塾出身という共通項を持ちながら、創立者松下幸之助への思い、世代等によるスタンスの違いと言うのが、散りばめられたインタビューでの証言によって浮き彫りにされているところがたいへん興味深かった。政界の中にいても、どうして誰と誰が近いのか反対に遠いのかといったことは意外に分からないことが多い。この本から、松下政経塾出身議員の中の微妙な人間関係の一端を垣間見ることができた。

 

分断の現場 非武装地帯を訪ねて

2005年01月11日 | Weblog
 成人の日を含む週末、韓国、ソウルを訪問した。
ソウルは、これまで仕事で2回、観光で1回訪れているが、北朝鮮との境界、非武装地帯(DMZ)については、いつも訪れたいと思いながら、これまで訪れる機会がなかった。今回も時間がなく、板門店を訪問することはできなかったが、臨津閣、第三地下トンネル、トラ山展望台、トラ山駅を見学した。

 訪問した週末は、ソウルは今シーズン一番の寒さと言うことだったが、がらんとしたDMZの風景は寒々しいという表現がぴったりだ。鼻腔で水蒸気が凍って鼻の中がピリピリする。
 まず、訪れたのが臨津閣観光地。ここには、イムジン川を休戦ラインをはさんで南北をつなぐ唯一の橋、「自由の橋」がある。
 爆弾の被弾によってできた穴を池にしたという凍った池の上にかかる橋を進むと、DMZの韓国側に鉄条網の柵が築かれていてそこから先は行き止まりになっている。
 フェンスには、韓国語、英語をはじめ様々な言語で平和への願をつづった布などが巻きつけられている。
 DMZの協会には、見張り小屋があり銃を持った兵士が警備をしている。
 国家が分断されていると言うことはこういうことかと実感する。

 次に、北朝鮮が韓国侵攻のために掘ったという地下トンネルをケーブルカーで実際に下まで降りて見学する。これまで、地下トンネルは4箇所発見されており、第三地下トンネルは1978年に発見された。4つのトンネルの中でもソウルに最も近い距離にあり、なんとソウルまでの距離は、約50km、完全武装した兵力3万人が1時間以内に南進できる規模と言われている。脱北した兵士から寄せられた情報を基に発見されるまで韓国側は気づいていなかったというから驚異だ。トンネルの終点は、三枚の厚いコンクリートの扉で封じられているが、いまもその向うで北の兵士が警備していると想像するとぞっとする。

 臨津閣観光地を後にして、北朝鮮領内を望遠鏡で見ることができると言う南側最北端の展望台トラ山展望台に行く。概観は、日本の地方のどこかの観光地にありそうな古ぼけた展望台、中に入ると階段状の座席があり、前面のガラス窓の向うに広大なDMZの風景が広がっている。我々ツアー客が来ると展望台を警備する兵士が模型を使って日本語で説明をしてくれる。そのキビキビとした軍人らしい説明態度に緊張感した空気が流れる。
 コインを入れて望遠鏡をのぞくと、北朝鮮の開城(ケソン)の様子がよく見える。しかし、ここでの写真撮影は決められた線の内側からしか許されない。

 最後に訪れたのは、トラ山駅。ソウルと北朝鮮の新義州を結ぶ京義線の韓国側の最後の駅が都羅山駅で、次の駅はピョンヤンです。一日三便だけソウルとの間を往復する列車が運行されているが、乗客は駅で降りることはできず、現在のところ、象徴としての意義しか持たない駅は、不自然に近代的できれいで、周囲の風景から浮いていた。

 冷戦が終結した現在でも、我が国のすぐお隣の国では、民族がDMZという境界線で分断されている。そして、その現場は、首都ソウルから車でわずか1時間足らずのところにあるという現実は、言葉の上で分かってはいてもこうして実際に見てみると感慨深い。

 昨年はたいへんな韓流ブームで今年もまだまだブームは終わりそうにない。成田-仁川だけでなく、羽田-金浦間にもシャトル便が飛び、韓国はこれまで以上に近い国になってきている。
 韓国は、近くて遠い国から近い国に変わりつつある。しかし、ソウルからわずか1時間ばかりのDMZの向うには、あいかわらず近くて遠い国、北朝鮮が存在する。
 韓国に訪れる機会があれば、分断の現場、DMZを一度訪問されることをお勧めする。



「希望格差社会」

2005年01月06日 | Weblog
 2005年、新たな年を迎えた。新年に意気込んで書き始める日記と言うのは続かないのが世の常だが、このブログは細々とでも何かとか書き続けて、時々の思いや考えを後で振り返ることができればと考えている。

 年末年始は、予想外に休暇をもらうことができ。妻と一緒に私の両親が住む福岡に帰省した。まだ小さい姪っ子甥っ子も一緒だったため、あまり外に出ることもなく典型的な寝正月となってしまった。

 かと言って、本もあまり読まなかったのだが、読んだ本で面白かったのは、

「希望格差社会」山田昌弘著、筑摩書房刊

である。
著者の山田昌弘東京学芸大学教授は、「パラサイト・シングル」という言葉の生みの親でもある。

 副題には、「『負け組』の絶望感が日本を引き裂く」というこれまたショッキングな副題が付けられている。
 よく「勝ち組」と「負け組」という言葉が使われるが、昨今指摘されている格差の拡大は、単なる収入といった量の開きではなく、質的な隔たりへと変化していることに著者は警鐘を鳴らしている。
 大学を出ても就職できるとは限らない、理想の結婚ができるとは限らないし結婚しても離婚さえるかもしれない、就職してもリストラされるかもしれない、生活の様々な局面でリスクが増し、生活が不安定化している。

 人は、辛くても貧しくても、ささやかな夢があれば生きていける。戦後の焼け野原の中で、我々の祖父母の世代は、昨日より今日より明日がよい日になると信じてがんばってきた。他方、いまの日本には、すべてがあるが、希望だけがない。
 夢や希望を失った人はどうなるか、努力することをあきらめ、現実から逃避する、自暴自棄になる、そうして社会は病んでいく・・。

 岡田代表は、昨年の臨時国会の代表質問で、小泉総理がアテネ五輪に言及し「やればできる」と言ったのに対して、「努力した人が報われる社会にするとともに、努力したけど報われないたくさんの人々がいることを決して忘れない政治を実現すること、目指すことを誓い、私の代表質問といたします」と演説を締めくくった。
 これを一歩進めれば、努力することをあきらめてしまった希望を喪失した「希望格差社会」を何とかしなければならないということになるのではないだろうか。

 著者も述べているように、社会で進展している状況を食い止めようとしても難しい。何ができて何ができないのか、何をすべきか何をしてはいけないのかを議論することがまず政治に求められていることである。