人だすけ、世だすけ、けんすけのブログ

愛知13区(安城市・刈谷市・碧南市、知立市、高浜市)
衆議院議員 おおにし健介

「悪党 小沢一郎に仕えて」

2011年07月20日 | 書評
「悪党―小沢一郎に仕えて」
石川知裕 (著)
朝日新聞出版


 「悪党」という強烈なタイトル、表紙の小沢さんのコワい顔の写真、帯の「破門覚悟の告白譚」という宣伝文句、この本が売れるのが分かるような気がする。しかし、当初、私は、この本を読む気がしなかった。うちの秘書が貸してくれたので読んだが、面白くて、一気に読んだ。私も馬淵澄夫代議士の秘書だったが、秘書としての石川議員のオヤジへの尊敬や畏怖の入り混じった複雑な想いは共感する部分が多いし、秘書、石川知裕を通して、「豪腕」という伝説が広く流布される一方で、謎のベールに包まれた小沢一郎という政治家の実像を垣間見れた気がする。

 「小沢さんをどう思うか?」という質問を地元でこれまで何度受けたことだろうか。私の地元にも熱烈な小沢ファンが多くいる一方で、多くの方から、小沢さんへの厳しい批判もいただく。正直、私の中での小沢一郎という政治家の評価は揺れて未だ定まっていないし、まともに口を聞いたのは当選前に選挙区に入ってもらった時の一度しかないので、人間、小沢一郎という人はよく分からない。ただ、あえて言えば、「悪党」の帯にもあるように、「小沢擁護でも小沢排除でもない」、そういうことに飽き飽きしているし、はっきり言ってどうでもいいことだと思っている。一期生の多くは私と同じような立場なのではないかと思う。

 同じ政治家として、間違いなく、小沢一郎という政治家は「凄い」政治家だと思う。ただ、言い方は、不適切かもしれないが、「凄い」先輩と「あんな風になりたい」と思う先輩は違うと思う。

 小沢さんの凄いと思うところは、自民党、新進党、自由党、民主党と党が変わろうが、刑事被告人になろうが、小沢待望論、「とにかく小沢」という多くの人に支えられていることだ。政治家が信念を貫くためには、自分を信じて、どこまでもついてきてくれる人が必要だ。小沢さんは、それをしっかり持っている。そして、それに応えるように、若くして「日本改造計画」という明確なビジョンを打ち出し、どんなバッシングを受けても、どんなに嫌われようと、一見、ぶれているように見えて、「自民党に代わる政権を担いうる保守政党を創り日本に二大政党的政治を根づかせる」という目標を一貫して追求し続けている「ぶれない」ところは凄いと思う。
 
 もう一つ見習わなければならないのは、選挙への執念。自戒を含め、民主党の若手議員の中には、選挙に対して「甘い」人が多いと思う。いい政策を掲げれば支持されるはずと単純に考えている節がある。我々、一期生が前回選挙で勝ち抜けたのは、もちろん風もあるが、小沢さんが民主党に選挙至上主義という文化を持ち込んだことの功績が大きいと思う。「悪党」にはこう書いてある。

 何のために選挙に勝ち、権力を掌握するのか。それは国民の暮らしを大事にするためだと思う。よく「小沢は選挙しか考えていない」と批判されるが、選挙に勝たないと権力は掌握できないし、法案も予算も通せない。

 これは真だ。理想だけ言っていても、実現できなければ意味がない。一方で、理想はかなぐり捨てても、とにかく選挙に勝てればいいというのでは、政治家ではなく、「政治屋」になってしまう。政治家なら誰もが感じるジレンマだと思う。

 もう一つ小沢さんが好きな人が共通して言うのは「政治家は清濁併せのまなければならない」ということだ。そこも理解できるところがある。この点、「悪党」ではもっとストレートに次のように書いている。

 いま、日本のリーダーにふさわしいのは、官僚を動かせないがカネに清い菅直人か、カネに汚いが官僚を動かせる小沢一郎か。

 もう、一つ小沢待望論の根底にあるのは「危機の時こそ小沢の出番」という考え方だ。「悪党」では、第二次大戦の危機と時に、76歳で返り咲いた英国首相のチャーチルになぞらえている。これもある部分では理解できる。
 しかし、一方で党内での小沢信奉者を見ていて、いつも気になるのは、「マニフェストの実行のための財源は?」→「小沢なら何とかしてくれる」、「景気、円高対策は?」→「小沢なら何とかしてくれる」、「ねじれ国会の打開策は?」→「小沢なら何とかしてくれる」という姿勢である。
 言葉は悪いが、「とにかく小沢なら何とかしてくれる」という盲目的な信奉には違和感をおぼえるし、もし、そうであるなら、首相という立場でなくても、どうして「一兵卒」としてその辣腕をふるわないのかという素直な疑問がある。

 この点、石川代議士は、冷静に見ていると思う。「悪党」には次のように書かれている。

 「小沢頼みから脱却しなければならない」よく仙谷さんはこう言っている。確かにそうである。我々一人ひとりの政治家は自分自身の考え方をまとめ小沢一郎への依存から脱却し自ら政策を掲げ、それが日本の指針となるような、または対立軸となるようなものを作り上げなければならない時期に来ている。

 さらに、「小沢の後継者は誰か。」ということについて、こうも書いている。

 私(石川)は『日本改造計画』に続く政策を示し、その内容が国民に受け入れられた人が「小沢一郎の後継者」と言われるべきだと思う。

 私も石川代議士のこの意見に賛成だ。もう、いい加減に小沢叩きをすることをやめて、我こそは次世代のリーダーたらんとする者は、「日本改造計画」を超えるような政策やビジョンを掲げて、小沢依存からの脱却を目指して、小沢という存在を乗り越えることに注力すべきだと思う。

 
 
 
 
 




「植物工場」の可能性

2011年07月12日 | 国会
被災地の復興策の中で、「植物工場」が検討されていると聞き、行政視察で国会を訪れた安城市議会のみなさんと一緒に私も政府からの説明を聴きました。

「植物工場」とは、「高度な環境制御を行うことで野菜等の周年・計画生産を可能とする施設」と定義されます。ビニールハウスを高度化したような太陽光利用型から、完全人口光で、土も使わない閉鎖環境のものまで様々なタイプがあります。

「植物工場」には、経験や勘に頼らず、「できたものを売る」のではなく「売れるものをつくる」、定時定量定価の農業生産が可能になること、工業団地や商業地など場所を選ばないこと、特定の成分を多く含む機能性野菜や漢方用植物の栽培など新需要創造の可能性があること、軽作業のため障害者雇用等の雇用機会につながること等多くの利点が考えられます。

すでに、全国に様々な取り組み事例があり、たとえば、日本サブウェイでは、植物工場を店舗に併設することで、「店産店消」を実現しています。

「お日様や土を使わない農業なんて、農業じゃない!」という声もあるかもしれません。また、栽培可能な作物の拡大やコストダウンに課題が残るものの、「植物工場」は大きな可能性を秘めていると思います。

しかし、ここでも中国が追い上げてきています。中国では、手ごろな価格で、富裕層向けに、家庭用の「植物工場」装置が発売されました。日本でもロビーに植物工場を設置したマンションが販売されています。

「植物」と「工場」という言葉の組み合わせからも分かるように、農水省と経産省が共管しています。安城は、「日本デンマーク」と呼ばれ多角経営農業発祥の地であると同時に、自動車産業をはじめとする製造業が盛んな地域であり、まさに、農・工業の連携による「植物工場」は安城にぴったりの政策テーマとも言えます。

たとえば、自動車部品を製造するメーカーが、JAから栽培ノウハウの提供を受け、人工光源、空調制御等の装置を研究・製造することで、家庭用、店舗用の「植物工場」装置を新たなビジネスチャンスにすることも考えられるのではないでしょうか。