人だすけ、世だすけ、けんすけのブログ

愛知13区(安城市・刈谷市・碧南市、知立市、高浜市)
衆議院議員 おおにし健介

「危機の宰相」

2006年08月30日 | 書評
「危機の宰相」沢木耕太郎(魁星出版、定価1600円税別)

私の上半期のベストかも。「テロルの決算」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した沢木耕太郎が描く、歴史・政治ノンフィクションにすっかり魅了されました。
背景取材や経済理論も分かりやすく書き込まれており、永田町住人には必読、お薦めの一冊です。

60年安保が最高潮に達したとき、それは現在振り返れば日本の大きな「危機」であったと言えます。その後、安保闘争が下火となり、東京オリンピックを迎え、後の時代に60年代は「黄金時代」と呼ばれるようになりました。
その時代に日本を指導したリーダーが「所得倍増」を掲げた池田隼人首相です。
「危機」を「黄金時代に」変えたこのあまりにも有名な「所得倍増」というスローガンがどうして生まれたのか、沢木氏は、池田隼人のブレーンであるエコノミストの下村治、宏池会事務局長の田村敏雄という2人の人物を登場させることでそこに光を当てていきます。
そして、そこにはともに大蔵省でのエリート官僚の道を歩みながら、大きな挫折を味わった「敗者」である3人の物語が語られています。

私は、いまの社会経済の混迷の最大の要因は、国民が価値を見失ってしまったことにあると思っています。「幸せとは何なのか?」、「豊かさとは何なのか?」その答えが示されないことが人々を迷わせています。
戦後の復興期から高度成長期にかけて、この国と国民は、物質的な豊かさを追い求めてきました。しかし、一定の豊かさを達成した現在、どうして私たちは胸をはって幸せだと言うことができないのか。
「所得倍増」というスローガンが、「危機」の時代に国民に目指すべき方向をしっかりと指し示し時代の転換をもたらしたのです。
いま、私たちはこの国新たなリーダーを選ぼうとしています。新しいリーダーは私たちの守るべき価値、進むべき方向をはたして指し示してくれるのか。後の時代に現在を振り返るといまこの瞬間がわが国にとっての「危機」なのかもしれないのです。

磯料理、万歳!

2006年08月18日 | グルメ
夏休みの小旅行で夫婦で湯河原に行ってきました。
湯河原と言えば、有名な温泉地ですが、今回泊まったのは、リゾートホテル「ラ・シェネガ」。
「La Cienega」
http://www.lacienega.co.jp/
プールのあるホテルを探していて見つけました。プールはこじんまりしていて、泳ぐには物足りませんが、のんびりするには最高。プールサイドからは海が一望できて、デッキチェアに寝そべっていると波の音が聞こえて、とてもここが神奈川県とは思えない心地よさです。更衣室からプールに行く途中には、サウナとジャグジーもあります。
部屋のテラスから、プール越しに見る海の景色は、なかなかのものです。オン・シーズンなので仕方ないと思いつつ、もう少し安ければ評価もぐっと上がるのに少し残念です。

あいにく、あまり天気には恵まれませんでしたが、今回の旅は食事に関してはあまりはずしませんでした。なかでも、湯河原に行く途中に立ち寄った真鶴で入った磯料理の店が当たりでした。
店はお世辞にも綺麗とは言えませんが、どこか懐かしい民宿の風情。板前のおじさんの威勢の良いのとおばさんの接客が丁寧なところに好感を持ちました。
何より、この舟盛のお刺身を見てください!これで、しめて4千円なり。二人で食べるのはもったいないボリュームでした。もちろん、お味の方も新鮮で美味でした。
磯料理・活魚「丸入水産」
 真鶴町1-117-10
 0465(68)1330
* 貴船神社向かい観光センター隣なので分かりやすいと思います。

翌日に行った御殿場アウトレットモールで「沼津市場のセリ権を持つ回転寿司」といううたい文句につられて、長時間並んでやっと入った「沼津回転鮨魚がし」は、マズイとは言いませんが、並ぶほどではない。この程度の回転すしなら都内にいくつもあります。客さばきの悪さも相まってめちゃくちゃ待たされ、「丸入水産」を思い出し後悔しきりでした。

「遊就館」見学

2006年08月10日 | 政治
総理の靖国参拝に注目が集まるこの時期を特に選んだわけではないですが、以前から行きたいと思っていた「遊就館」を見学しました。見学者の多くは、私と同じような比較的若い世代であったのが印象的でした。
中国が靖国神社=War Shrineというロジックのひとつの根拠としているのが、「遊就館」が戦争を美化しているということなので、実際に自分の目で見てみたいと思ったのです。
中国の主張から、戦争美化のかなり偏向した展示を想像しましたが、率直な感想はかなり違ったものでした。韓国の独立記念館や西大門刑務所歴史観の展示で感じるような強烈な違和感は感じませんでした。ただ数点気になった点もありました。
例えば、第二次大戦前夜の国際情勢について、日本包囲網の中で日本が戦争に踏みきることがやむを得なかった当時の国際環境を伝えている部分を第二次大戦を正当化するものだとの批判もありますが、当時の国際情勢をきちんと説明した上で当時の指導者の判断というのが適当だったのかどうかを客観的に見つめることは私はむしろ必要なことではないかと考えます。ただし、あくまで簡単に「仕方がなかったのだ。」と片付けてしまうこともできないと思います。極端ですが、北朝鮮が経済制裁を受けて国際的な包囲網でしめあげられたからミサイルを撃ってよいということにはならないと思います。
もうひとつ気になったのは「守勢作戦」という展示。私は軍事的なことは分かりませんが「守勢」というのは作戦なのかという違和感を感じました。開戦に踏みきらざるを得なかった当時の国際情勢があったとして、守勢に回らざるを得ない状態になったところで、停戦・終戦に向けてどのような取り組みがなされたのか、そのことが知りたかったと思いました。国を守るため命を投げうつことは尊いことだと思います。ただ、玉砕戦死を美化することにはやはり違和感を覚えます。
英霊の残した数々の手記は本当に胸に迫ります。「お父さんに会いたくなったら九段にいらっしゃい。」という一行を読んだ時には目頭が熱くなりました。家族、郷土、国を想い無念の死を遂げた英霊への哀悼の誠の気持ちは日本人であれば私は誰もが共有できる気持ちだと思います。戦史・軍史としての展示もそれはそれとして立派なものですが、戦国時代の刀や勇ましい戦車と英霊の遺影や遺書が並んでいることには多少の戸惑いを覚えます。
私は、できるだけ多くの日本人にこれを見て欲しいと思います。そして、それを見た者の心に去来するものは、戦争の美化ではなく「二度とこんな悲しい思いをすることがあってはならない。」という平和への誓いであって欲しいと思います。


成功者は人の言うことを聞かない

2006年08月08日 | 生き方
私淑する音楽プロデユーサーが面白いことを言っていました。
「駆け出しのアーティストであればデータを示して説得したり言うことを聞かせるのは簡単だけど、メジャーになったアーティストは言うことを聞かないと思ったほうがいい。」
成功した者は、自らの成功体験に基づく勘や瞬時のひらめきといったものを重視する傾向があるのと一般にトップの人は、人の話を聞き入れない傾向があります。
自負心が強いと「人に説得されたくない。」という気持ちが強いのです。
意見を言っても聞き入れられないとなると、言う方は徒労感にとらわれてしまうのですが、全く聞いていないかと言えばそうでもないのです。その場では意見に従わなくても後になってあたかも自分のアイデアのように人の意見を取り入れるということがままあります。「それ、この前俺が言ったやん!」というやつです。
要は「手柄は本人に」と言う形を作ってやることが重要だということです。「これです!」というと反発するので、いくつかオプションを挙げて誘導するというのがポイントです。

「不羈不奔 椎名素夫回顧録」

2006年08月06日 | 書評
「不羈不奔 椎名素夫回顧録」 読売新聞盛岡支局編 東信堂

私がワシントンDCの大使館に二等書記官として勤務していた頃、椎名素夫先生がワシントンを訪問されました。椎名先生の政策秘書だった佐賀さんには、その時のご縁で、帰任後、参議院事務局の議事課に勤務していた時にもご指導を頂いていました。
先日、その佐賀さんから椎名先生の回顧録を頂戴しました。

椎名先生は、米国務長官特別功労賞を日本人として初めて受賞するなど、日米外交のキー・プレイヤーとして活躍し、外務省でも尊敬と信頼を集めていました。私は大使館では、議会班というセクションで主に米国議会の上院を担当していたので、日米の形式だけでない人と人の関係の議員交流というのがいかに重要かを肌で感じていましたが、2000年の大統領選挙でゴア副大統領と民主党内での指名を争ったブラッドレー上院議員やルーガー上院議員らとの間で椎名先生が行っていた議員交流はその見本となるものでした。

この回顧録は、読売新聞岩手県版での連載を基にしたもので、たいへん読みやすく、あっという間に読んでしまいました。
回顧録の冒頭でも紹介されている中曽根総理の訪米の地ならしを椎名先生が特命を受けてやった時のエピソードで、レーガン大統領補佐官のしシグールに総理の意向を独り言だよといって伝えるといったところは心憎いばかりで、外交というのが互いの信頼を基礎にして行われるもので、職業外交官ではなく政治家が外交で果たすべき役割というのを再認識しました。

私が接した椎名先生は参院で無所属の会を立ち上げわが道を行く政治家。「飄々とした」という言葉がぴったりの好々爺でした。若くして自民党の政調副会長や国際局長を務めながら、自民党時代も無派閥を通し、22年の議員生活で閣僚や政務次官はもちろん委員長にも就任したことがないのに存在感があるというのは稀有な政治家と言えると思います。地位や名誉に関心がない、自分の果たせる役割を飄々と果たす姿は、海千山千、己が己がの政治の世界にあってはめずらし存在だったと言えます。
長年、椎名先生に仕えてきた佐賀さんは「椎名みたいな政治家も居たんだということだよ。」としみじみと言われていました。
大臣、さらには総理を目指してしのぎをけずるというのも分かりますが、衆議院480人、参議院242人のすべての議員が総理を目指しても仕方ありません。自分が国会議員としてどういう仕事をするべきかを椎名先生はよく分かっていたのだと思います。
椎名先生のご尊父は、かの椎名悦三郎自民党副総裁。椎名悦三郎、灘尾弘吉、前尾繁三郎の三人が晩年「三賢人」の会と呼ばれる会合を持っていたことは、城山三郎の「賢人たちの世」という小説でも有名ですが、椎名先生には父親譲りの賢人の風格があったように思えます。
椎名先生は次世代のリーダについてインタビューの中で語っていて「政治家を見ていてコンプレックスのある人を偉くしちゃ駄目だね。」と言っています。個人的には、コンプレックスこそ人を押しのけのし上がる一つ原動力だと思っているので素直にこの意見には賛成できませんが、地位や名誉にこだわらず自分のやるべきことを淡々とやって来た椎名先生が言うと分かるような気もします。

衆院選に落選し、参議院に移った後も、無所属をで再選を果たした椎名素夫と言う政治家を選び続けた岩手県水沢の有権者が選び続けているもう一人の政治家が小沢一郎民主党代表だというのも面白いと思います。

「政党シンクタンクの現状と展望」

2006年08月06日 | 国会
政策空間とヤングライオンズの共催セミナー「政党シンクタンクの現状と展望」に行ってきました。
発表者は、日本のシンクタンク研究の第一人者の鈴木崇弘さん。鈴木先生には、一新塾
http://www.isshinjuku.com/)を通してご縁を頂いて以来、薫陶を頂戴しています。
シンクタンクをめぐる論点を包括した発表はさすがです。
鈴木さんは、単なる研究者ではなく、「日本にも民間非営利独立系のシンクタンクを!」をライフワークとして、自ら東京財団の設立に参画するなど、実践している故に、発言にも説得力があります。
現在は、自民党のシンクタンク2005・日本の代表理事を務められています。
政党シンクタンクという新しい動きに、これまた自ら身を投じておられます。
討論者として鈴木さんに対峙したのは初代「政策空間」編集長の佐々木孝明さん。政策秘書試験組の畏友です。佐々木さんは松井孝治参議院議員の秘書として、民主党のシンクタンク「プラトン」の設立にも深く関与していただけに、自民党シンクタンクの現状について鈴木さんに鋭く突っ込みます。
資金の問題、党運営や議員との関係、鈴木さんも言いにくそうですが、現実に直面している様々な困難がにじみ出ます。
「文句言っていても仕方がない。できるところからやっていくしかない。」、「小さく生んで大きく育てる。」、「政策インフラを整備できるかどうか、日本の民主主義が試されている。」
鈴木さんの、自ら「現実的理想主義者」と語る姿勢には拍手。
そうです。民主主義は与えられるものではなく、作っていくものなのです。

* 私も投稿している「政策空間」はコチラ 
http://www.policyspace.com/

物言いのついたチャンピオン

2006年08月04日 | Weblog
2日夜に放送されたプロボクシングWBA世界ライトフライ級王座決定戦で、中継したテレビ局に判定について5万件を超える抗議が殺到しました。
私もテレビで試合を見ていましたが、最終ラウンドでは解説者も亀田の判定負けを前提にしたかのようなフォローのコメントを発していたので、私も勝者亀田のアナウンスには正直違和感を覚えましたが、その時には自分は少数派かなと思っていました。
世論の反応を見ていると、時代の寵児と言えども厳しい目で見ていることがよく分かります。生意気な言い方ですが、こういう時に国民はちゃんと見ているんだなと思います。
他方、マスコミの手のひらを返したような反応には違和感を禁じ得ません。パフォーマンスを煽って持ち上げるだけ持ち上げておいて、落として叩くというのは、ホリエモンの時にも見られて傾向です。
亀田については、試合前から世界戦までの歩みについて「噛ませ犬」疑惑がささやかれていました。私も個人的には、1階級落とした亀田と1階級上げたランダエタというライトフライ級での実績のない二人が空位の王座を争うというマッチメーク自体に疑問を感じないわけではありません。
しかし、冷静に考えると、ジムの立場に立てばチャンピオンにすることが目的なのですから、弱い相手を選んで当然、タイトルを取りやすい階級を選択して当然とも言うことができます。
私は、勝負事ですから結果は結果として認めるべきだと思います。選挙でもそうです。運がよかった悪かった、風が吹いた吹かないいろいろあっても、落選したものは何を言っても負け犬の遠吠え、最後は事情はどうあれバッチをつけたものが勝ちなのです。勝負の厳しい現実です。
だから、亀田はどうどうとチャンピオンベルトを巻けばいいと思います。周りももうこれ以上はとやかく言わなくてもいいと思います。
あとは、亀田自身が真のチャンピオンであることを自らの行動で示すしかないのです。


「二階堂進 清貧の政治家」

2006年08月02日 | 書評
「二階堂進 清貧の政治家」上城恒夫著 高城書房

 調べ物で行った国会図書館の分館で、たまたま手にして読んだのですが、なかなか面白かったです。
 私の中の二階堂進という政治家のイメージは「二階堂擁立劇」の失敗や「趣味は田中角栄」の名言から来る悲劇のNo2、マフィアのボスのような威圧感といった断片的なものから出来上がっていましたが、一方で、あの時代に単身渡米して南カリフォルニア大学で政治学の修士を修めたという異色の経歴に心ひかれるものがありました。
 今回、伝記を読み、あらためて二階堂進というひとりの政治家の生き様に触れることができました。
 二階堂の政治信条は「個人より派閥。派閥より党。党より国家、国民」というものでした。有名な「趣味は田中角栄」は、その最初の部分を言ったに過ぎません。「政治家は国家、国民のために働くもの」というこの極めてシンプルなことを肝に銘じ実践できている政治家がいま何人いるでしょうか。
 また、二階堂が自らの戒めとしたのは同郷の偉人、西郷隆盛の「己を尽くして人とを咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬるべし」でした。
 やれることもせずに、結果が出ないと人の責にすることの方が一般的な今日この頃、もう一度私自身「わが誠の足らざる」を自分の胸に手を当て問い直してみたいと思います。

子どもが生きる地域社会を考える

2006年08月02日 | 政治
 1日、民主党本部でシンポジウム「子どもが生きる地域社会を考える-子どもの居場所づくりとNPO-」が開かれました。
 よく知っている奈良NPOセンターの仲川さんが事例報告を行うと聞いて私も聞きに行きました。
 仲川さんは、奈良で「もうひとつの学び舎」事業と言うのに取り組んでいます。
 仲川さんは、子どものための事業を通して、地域の人的資源が掘り起こされ、ネットワークができていくことで地域再生につながっていくと説いています。
 また、「子どもは社会の鏡」などと言いますが子どもに起きている問題は社会が抱えている問題の投影だとも述べていました。
 同じようなことは、別のパネリストの臨床心理士の三沢先生も言われていました。
 三沢先生は「子どもの問題は親の問題」とはっきりと言われていました。
 子どもの問題を解決するためには、子育てを押し付けられ孤立した母親を社会全体が同支援していくかという問題なのです。
 三沢先生は、こうも言っていました。
 「地域に助けられた人は、余裕ができたら今度はきっと地域のために役に立とうとするはず。」
 子どもは地域、国の宝。母親一人に子育てを押し付けるのではなく、地域全体、社会全体で子どもを育む、そんな社会の仕組みづくりが求められているのです。