人だすけ、世だすけ、けんすけのブログ

愛知13区(安城市・刈谷市・碧南市、知立市、高浜市)
衆議院議員 おおにし健介

ぶっ飛び、政見放送

2007年03月30日 | 政治
 候補者が乱立の東京都知事選。選挙公報を見ていても、申し訳ないが「なんじゃ、こりゃ?!」という立候補者も多数います。
 反対に、東京くらいの大都市になると、供託金300万円で選挙公報と政見放送で自分の主張をすることができると考えると安いともいえます。

 ユニークな選挙公報の中でもとりわけ目を引くのが外山恒一氏。デカイ字で「政府転覆」、その他にも「いまどき政治犯」、「福岡刑務所卒」と過激な文字が並んでいます。

 この外山氏の政見放送がネット上で話題を集めています。検索サイトで「政見放送」と入れるだけで、外山恒一氏の政見放送に関する情報が多数ヒットします。You Tube等のサイトで動画を視聴することも可能です。

 これが、またぶっ飛びの政見放送です。ただ、内容はともかく、話し方、服装、バックミュージック等計算尽くされた演出も見え隠れします。
 扇情的な音楽をバックに「諸君!」と呼びかける演説口調は、ナチスを連想させます。黒のトックリのシャツにスキンヘッドというのも顔を浮かび上がらせ強い印象を残します。
 過激な言葉を連発しながら、「最後に言っておく!」、「もし私が当選したら奴らはビビル!」、「俺もビビル」なんて言うくだりなどはユーモアさえ感じさせます。

 とにもかくにも、過激な主張が公共電波を使って広く流布され、それがネットを伝ってさらに多くの人々の関心を呼ぶというのは、ネット社会の情報伝達のおそろしいところです。


「ロング・グッドバイ」

2007年03月28日 | 書評
「ロング・グッドバイ」 レイモンド・チャンドラー著、村上春樹訳 早川書房刊  
 読み進むにつれて、読み終わるのが惜しい気持ちになる、そんな本にたまに出会う。あとがきまで含めると600頁弱の本書もその一つだ。  
 出張帰りに、ふとのぞいた新幹線の駅の中の本屋で、ハードボイルド小説の不朽の名作「ロング・グッドバイ」の村上春樹新訳を見つけた時には心躍った。  
 学生時代に村上春樹を読み漁った人は多いと思うが、私もその一人である。村上作品にはまるにつれ、彼の翻訳も多く手にとるようになる。  レイモンド・カーヴァーやジョン・アーヴィングといったハルキが日本の読者に紹介してきた作家のほかにも、最近では、彼が大きな影響を受けたと思われるフィツジェラルドやサリンジャーの古典の新訳も手がけている。  サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の新訳の時のエピソードを書いた文春新書の「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」には、翻訳家としての村上春樹の考え方が記されている。  
 私は、小説は好んで読むが、ミステリーというのはほとんど読まない。しかし、ハメットやチャンドラーのハードボイルドは、もはや古典であり、エンタテーメントとしてはもちろん独自の世界を構築していると思う。  チャンドラー小説の主人公、探偵のフィッリプ・マーロウは、本当にかっこいい!マーロウの「タフであること」、それは私にとっては、自分の流儀を貫くこと、金銭に人生の価値を置かないことだ。
 中身もさることながら、チャンドラー作品は、村上春樹も指摘しているように、その文章表現において独特の風合いがある。装飾的だけど、いやらしくない文章というのは本当に独特だと思う。
 この小説の中で私が特に気に入ったのが、主人公がコーヒーを入れるところを詳細に描写した部分。後に、主人公は死んだ友人(実は死んでいなかった)のために、2杯分のコーヒーを入れるという重要なシーンへの伏線になる部分でもある。こんな感じだ。
  湯を火にかけ、コーヒーメーカーを棚から下ろした。ロッドを水で濡らし、コーヒーの粉をはかってトップの部分に入れた。そのころにはもう湯が沸いていた。下段の容器にお湯を入れ、炎の上に置いた。そこにトップの部分をかさね、ひねって固定した。(中略)  コーヒーメーカーはぶくぶくと音を立て始めていた。私は炎を弱くし、湯が上にあがっていくのを見ていた。ガラス管の底の部分にいくらか湯が残っていたので、火力をさっと強くして上に押しやった。そしてすぐにまた火を弱めた。コーヒーをかきまわし、蓋をした。それからタイマーを三分に合わせた。細部をおろそかにしない男、マーロウ。なにをもってしても、彼のコーヒー作りの手順を乱すことはできない。拳銃を手に目を血走らせた男をもってしても。
 コーヒー一杯を入れる動作をここまで描写した小説があるだろうか!一見、どうでもいいようなことへのこだわり。これこそがハードボイルドの世界なのだ。

理想と現実と、政治

2007年03月22日 | 政治
 私のブログを読んでくれた方がコメントをくれました。そこには、
「日々仕事をしている上で、政治と生活の関わりを深く深く考えるようになったからです。 理想と現実のギャップに落ち込んでしまうこともしばしばあります。」
と書かれていました。

 一新塾の中間発表会で一緒に審査員をした鈴木崇弘さんは、いまは、自民党が作ったシンクタンクの事務局長をされています。日本におけるシンクタンク論の第一人者であり、単なる批評家にとどまらない行動する学者でもあります。
 鈴木先生のライフワークは「日本に非営利の独立系シンクタンクを創る」ことです。鈴木先生はまさにその理想に向かって邁進してきました。鈴木先生が現在事務局長をしている政党シンクタンクという試みは、鈴木先生が理想とする非営利独立という形態とは明らかに異なるものです。しかし、鈴木先生は、理想に至る過渡的な形態としてそれを受け止め、自らその事務局長役を買って出ました。しかし、「シンクタンク2005・日本」も多難の道を歩んでいるようです。

 これまでも幾度となく、シンクタンクの創立に関わり、その度に挫折を味わってきた鈴木先生は言います。「民主主義の基本は、失敗を繰り返しながら少しずつ前に進んでいくことだ」と。
 私もこの意見に同感です。一夜にして世の中が一変するようなことはありません。まさに「♪三歩進んで、二歩下がる」が民主主義です。その積み重ねが後で見ると、ある日を境に大きな変化が起きたように見えるだけです。温度を少しずつ上げていくと、いつか火がつきます。発火点は一瞬ですが、温度を上げていくには時間がかかるのです。

 私はよい政治家とは、理想と現実の両方のバランスとることができる人だと思います。理想論だけを振りかざしていても何も変わりません。時には現実と折り合いをつけながら少しずつでも物事を変え前に進めていくことが重要です。一方で、現実ばかりを見て、足して二で割るようなことばかりをしているのは「政治家」ではなく「政治屋」の類と言えます。

 永田町では、日々、理想とは程遠い現実が繰り広がられていますが、めげず、くじけず、少しずつでも目に進んで行こうと思う毎日です。

沖縄は公職選挙法特区?

2007年03月22日 | 政治
 私は沖縄にハマッテ、1年に3回訪れたこともあります。しかし、最近はなかなか沖縄を訪れるチャンスがなく、久しぶりに仕事で沖縄に行ってきました。遊びに行くのとは違って、仕事で行くと今まで見ていたのとは違った沖縄の側面が見えてきます。その一つは選挙です。

 沖縄は、参議院の補欠選挙をひかえています。街にも補選予定候補者のポスターが目立ちます。
 まず、目に飛び込むのは「違法」ポスターの多さです。本土でも電柱や道路脇の鉄柵に貼られたポスターを時々見かけますが、沖縄ではこれは当たり前。道路の電柱1本ごとにポスターがくくりつけられています。さらに、本土ではほとんど見かけないのが、道路と歩道の間の鉄柵につけられた横断幕。予定候補者の名前を大書した派手な色の横断幕をあちこちで見かけます。
 地元の人に「あれって完全な公職選挙法違反ですよね?」と指摘すると、「沖縄は公職選挙法特区ですから・・」と冗談交じりで苦笑していました。

 もう一つの沖縄のポスターの特色は、姓ではなくファーストネームを片仮名で大書したものが多いこと。「ミノル」、「スエコ」、「タケシ」と赤や黄色で書かれています。これは、沖縄では、比嘉とか仲宗根とか上原とか同じ苗字が多いのと、高齢者には片仮名の方が分かりやすいので名前を片仮名で書くのが慣例になっているようです。

 ある人は、こんなことも言っていました。「沖縄では選挙は一大産業だから・・」保革の対立の構図、内地との経済的格差、基地問題と沖縄には政治的な関心を高く持たざるを得ない様々な要素があるのです。

 もともとは自身も民主党の市議であり民主党の国政候補だった夫を持つ自公推薦の候補者と野党が共同して推す連合沖縄の会長が激突する沖縄の参院補選から目が離せません。

 

一新塾 政策提言中間発表会

2007年03月17日 | 日常

NPO法人[政策学校]一新塾

主体的市民の育成を目指す一新塾の塾生がチームを作って行う政策提言について、講師がコメントする政策提言中間発表会に講師として参加してきました。

他の2人のコメンテーターは、環境総合研究所所長で武蔵工業大学教授の青山貞一さんと「シンクタンク2005・日本」事務局長の鈴木崇弘さん。両先生とも政策の分野では高名な先生方ですが、そこに私が末席に加えていただく形で、この中間発表会のコメンテーターを務めるのは、これでもう3回目です。

言いたい放題批評をするのは簡単ですが、少しでも参考になるようなコメントをしようと思うと、なかなかたいへんです。また、ありきたりですが勉強にもなります。

約4時間に及び発表会の総括でも述べましたが、塾生の政策を評価していて、いくつかの政策評価の視点を挙げることができると感じました。

第一は、同じような活動をしている他の団体や組織の活動と違う、そのこでしかないもの、オンリーワンの部分はどこなのか。別の言い方をすると、いかにニッチなところを埋めるかということ。

第二は、社会をある方向に導こうとする場合に考えうる政策手法には2つのやり方があります。1つは、規制やペナルティーを課す方法。2つめは、インセンティブを与えたり、マインドに働きかけるという手法。市民による政策提言は後者をうまく使うのがポイントだと思います。

第三は、何かを実行する場合に、既存のアクターの協力をどうとりつけるか、また、反対に既得権益を有する人たちや抵抗勢力とどう折り合いをつけていくかと言うことだと思います。

この政策のタネが一つでも芽を出して大きく育つかどうか見守って行きたいと思います。

 


「累犯障害者」

2007年03月10日 | 書評

「累犯障害者 獄の中の不条理」山本譲司著 新潮社

 政界を引退した議員がその後どのような人生を送るのかということは、永田町で生きたきた私には常に頭の片隅にある関心事です。

 菅直人議員の秘書、都議を経て、衆議院議員となり、政策秘書給与の流用事件で実刑判決を受けた山本譲司元代議士の場合、その後の活動が表に出ている数少ない例です。

 433日の獄中での体験をまとめた「獄窓記」は大きな話題となりました。今回、私が読んだのは「累犯障害者」。

 矯正統計年報によると、知的障害のある受刑者の7割以上が刑務所への再入所者で、そのうち10回以上服役している者が約2割いるというのは驚くべき数字です。本来、福祉の対象となるべき人たちがセーフティーネットの網の目から落ちて、刑務所が行き場を失った人たちの受け皿となっているという現実があります。「刑務所の中が一番暮らしやすい」と障害者が言う社会というのは悲しすぎます。裏返して言うと、彼らには社会の中に居場所がないのが現在の現実なのです。

 この本を読んでいるといくつか「目からウロコ」の事実に気づかされました。その一つは、我々は、障害者はもっぱら犯罪の被害者になることが多いと考えがちですが、被害者と加害者がどちらも障害者というパターンが結構あること、犯罪に障害者が絡んでいる場合、特に加害者が障害者である場合には、マスコミは報道すること自体を避ける傾向があるという事実です。

 もう一つは、ろうあ者に関して書かれた部分、私は今まで「手話」を学べば聴覚障害者の人たちとのコミニケーションが可能になると思っていました。ところが、いわゆる健常者である聴者が作った手話とろうあ者が使う手話は全く違うもので、ろうあ者からは外国語のようにしか聞こえないということです。さらに、ろうあ者は、抽象的な概念が理解しにくいといったことから聴者とは違った世界観、常識というものを持っているということです。

 いずれにしろ、障害者、前科者というマイノリティーに光を当てることで、この国の矛盾というのが浮き彫りになってくると感じました。

  


国会は序盤から中盤戦へ

2007年03月08日 | 国会
 予算案は、先週末の徹夜国会で衆議院を通過しました。参議院のがんばり次第ではありますが、予算の年度内成立は濃厚という状況です。

 中盤から後半国会の行方はどうなるのでしょう。
 今通常国会の最大の特徴は、選挙を控えていることです。7月22日を参議院選挙の投票日と想定すると、告示は7月5日となります。現在の国会の会期末は6月23日なので、会期延長は困難です。つまり、お尻が切れているのです。
 さらに、今年は4月には、統一地方選挙が予定されており、前半戦は3月22日には告示になります。後半戦の投票日が4月22日で、その後には、大型連休もあることを考えると、実質的な審議日程は限られていると言えます。

 タイトな国会日程を配慮して、今国会には最初から、重要法案はあまり出されていません。政府与党は、イラク特措法と国民投票法案を最優先としているようですが、いずれも重要なものですが、国民生活に密着するものではありません。
 野党の立場からすると、むしろ、労働法制の見直し、社会保険庁改革法案、教育改革関連法案、天下り禁止法案といった法案の審議を通して、民主党らしさを発揮していくことが求められると思います。
 しかし、与党も改革をアピールし、民主党が労働組合との関係から改革に後ろ向きと喧伝することが予想されます。挑戦者である我々はかなり思い切ったエッジのきいた案を提示していくことが必要だと思います。

 閣僚のスキャンダルや安倍内閣の支持率低下の一方で、衆議院予算委員会では、野党は十分に政府与党を十分に攻め込めたとは言えませんでした。
 一方で、ここに来て、安倍総理も「どうせ参院選で負けて退任するなら思い切って好きなようにやろう」と開き直ったようにも見て取れます。安倍総理の独自色の発揮が国民にリーダーシップと受け止められることには警戒が必要だと思います。

 統一地方選挙の結果もさることながら、当面の最大の鍵となるのは、福島、沖縄の参議院補選の結果だと思います。
 なぜなら、2つの選挙区は、もともと野党が保持していた議席であり、結果次第で、7月の参議院選挙で与党を過半数割れに追い込めるかどうかのボーダーラインが変わってくるからです。

 選挙戦の追い風になるような生活に密着した論戦が行えるかどうか今後の国会運営が重要になります。





大義のフィリバスター 「スミス都に行く」

2007年03月08日 | 国会
 3月3日土曜日の未明、平成19年度予算は衆議院本会議で可決されました。深夜から未明にわたる本会議で、延会手続きをはさんで、枝野議員は、最終的には動議で時間制限を受けたものの、約1時間半、予算委員長解任決議案の趣旨弁明の演説を行いました。手元の原稿にはほとんど目を落とすことなく、長時間よどみなく演説する枝野議員には本当に感服します。しかし、正直に言うと、そこで得られた結果について考えるとき、少し残念でなりません。

 米国議会では、このような長演説による議事妨害をフィリバスター(filibuster)と言います。米国議会で実際に行われたフィリバスターの最長記録は故サーモンド上院議員が1957年に行った24時間18分という記録があります。

 「スミス都に行く」MR.SMITH GOES TO WASHINGTON
1939年 フランク・キャプラ監督 ジェームズ・スチュアート主演

 では、地方の少年団のリーダから指名された青年上院議員がダム建設法案の不正を暴くために、フラフラになりながら24時間近いフィリバスターを行い、最後には、良心の呵責に耐えられなくなった同郷の先輩議員が悪事を白状し懺悔し、映画は幕を閉じます。

 田舎者で法律の知識も何もないが、正義や自由を信じる青年議員の純粋な姿に、政治の世界に嫌気がさしていた女性議員スタッフが心動かされ、次第に協力していく姿は、永田町の住民としては感じるものがあります。

 加えて、この映画、ワシントンの大使館で上院を担当していた経験からも、改めて見直してみると米国議会についての勉強になります。

 例えば、主人公は、上院議員の死亡によって、州知事によって後任の上院議員に任命され、ワシントンに赴くことで物語が始まります。多くの州では、上院議員が書けた場合には知事が後任議員を任命します。

 開会のシーン。牧師が祈りを捧げます。上院には、Chaplaintoと呼ばれる専属の牧師がいます。

 quorum call 定足数を確認するための点呼のことです。映画のストーリーの中で重要な役割を果たします。

 さらには、映画の随所でかわいらしい姿を見せるのが、ペイジ(page)と呼ばれる少年たち。議会開会中に、議場を走り回り、議員にメモや資料を届けたりする少年たちで、なんとアメリカの議会の中にはペイジの寄宿舎や学校があります。

「スミス都に行く」
 永田町住民なら必見の名作です。今なら、DVDが500円でも手に入ります。

 主人公は「大義のために、自分は負けない、闘う!」と言います。
そうなんです。「大義」が大切です。「大義」なき抵抗は、駄々をこねているだけに映り決して共感を得ることができませんが、そこに「大義」があれば、映画のように大きな結果を得ることができるはずです。
 議員や秘書向けに上映会を開いてはどうかと思うくらいです。