うちの代議士は地元にいれば必ず朝駅頭に立ちます。私も地元に入っているときには一緒に立ちます。そして、うちの事務所では朝の駅頭が終わると、代議士の家に行ってみんなで一緒に朝ご飯を食べます。
代議士は「朝稽古に朝飯」と言っていますが、これを聞いた人はみな口をそろえて「相撲部屋みたいですね」と言います。
一緒にご飯を食べるというのは不思議と絆が深まります。「食べる」という人間が生きるのに不可欠な行為をともにするというのは特別な意味があるのです。家族一緒に囲む夕食が何よりも安らぎを与えてくれるというのも同じです。
「食べる」という行為について書いた私の好きな短編小説があります。
レイモンド・カーヴァーという作家の「A Small,Good Thing」と言う作品です。カーヴァーの作品を好んで翻訳している村上春樹のつけた邦題は「ささやかだけれど、役に立つこと」。
小説はこんなストーリーです。
少年が誕生日に交通事故にあって意識不明に陥る。付き添いで憔悴しきって、一旦家に戻ると、電話が鳴る。いたずら電話かと思った電話の主は誕生日ケーキを頼んでいたパンだった。パン屋は「早くケーキを取りに来て欲しい」と言う。疲れきった親は「こんなときに」と怒りをぶちまける。
明け方になってパン屋に向かった夫婦。子どももおらず、ただただパンを焼くことだけ繰り返してきたおやじと最愛の息子を失った夫婦の間には何ともいえない空気が流れる。そこで、焼きたての暖かいパンを口にする。そうすると、なぜか分からないけど救われた気になる。食べることで私たちは救われる。食べるということは、ささやかだけど、意味のあるものなのです。
村上春樹翻訳のカヴァーの短編集は「Cover's Dozen」というタイトルで文春文庫からも出ています。何でもない日常を描いたカーヴァーの短編をぜひ読んでみて下さい。