3月12日の読売新聞の一面です。
昨日、3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード8・8の>国内観測史上最大の
巨大地震が発生、北日本から関東にかけて強い揺れと津波が襲い火災が発生した。
「東北地方太平洋沖地震」と命名され、発生からずーっと引き続き
その状況がテレビで放映され、一晩中くぎづけとなりました。
宮城で震度7、10メートル大津波が記録され、多数の船や車や、家が急激な勢いで
押し流されていく様子に恐怖を覚えました。
詳しい報道が、刻々と伝えられると共に、山形米沢と東京に住む息子達のことが
心配になってきました。
幸い、どちらも無事とのメールが夕方から、夜中にあり、一安心しました。
しかし、米沢では、今日までづっとゆれが続いているとのこと、東京は、
交通機関のストップで、家には帰れず、会社で一夜を過ごし、今日のお昼に
ようやく自宅に帰れたとの連絡がありました。
壊滅的な被害を受けた被災地の復興は、果たしてどうなるのでしょうか?。
少しでも早い、復興を願わずには入られません。
この大地震と大津波を忘れないために、簡単に記録として書き留めました。
昨日、3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード8・8の>国内観測史上最大の
巨大地震が発生、北日本から関東にかけて強い揺れと津波が襲い火災が発生した。
「東北地方太平洋沖地震」と命名され、発生からずーっと引き続き
その状況がテレビで放映され、一晩中くぎづけとなりました。
宮城で震度7、10メートル大津波が記録され、多数の船や車や、家が急激な勢いで
押し流されていく様子に恐怖を覚えました。
詳しい報道が、刻々と伝えられると共に、山形米沢と東京に住む息子達のことが
心配になってきました。
幸い、どちらも無事とのメールが夕方から、夜中にあり、一安心しました。
しかし、米沢では、今日までづっとゆれが続いているとのこと、東京は、
交通機関のストップで、家には帰れず、会社で一夜を過ごし、今日のお昼に
ようやく自宅に帰れたとの連絡がありました。
壊滅的な被害を受けた被災地の復興は、果たしてどうなるのでしょうか?。
少しでも早い、復興を願わずには入られません。
この大地震と大津波を忘れないために、簡単に記録として書き留めました。