ガンジス川の川の砂粒(=恒河沙=ごうがしゃ)ほどもたくさんの、仏陀がいらっしゃるのだ。
仏陀は釈尊(お釈迦様)お一人ではない。
なぜか?
生まれて生きている者は、長い長い命の旅の後で、みな仏陀になられたからである。
成仏を果たされたからである。
仏陀になられたら、それぞれがお名をお持ちにる。
仏陀は、後から生まれて来たものたちを守って導いてお救いになられる方である。そのハタラキを働いて下さっている。
地球での生死を終えた者を仏国土にお迎えになる。そこでその人たちに法を説いて仏陀に育てられる。
仏国土は夜空に瞬く星のように光っている。輝いている。そこには仏陀がいらっしゃるのだ。法を説いておられるのだ。
だから、死者は、「お安らかにお眠り下さい」と言われるけれど、眠ってなんかいないのである。しばらくは眠っているかもしれないが、死後の全期間を惰眠を貪ることはしない。
大法を聞いて悟って、実践して、活動するのである。やがて仏陀として活躍するのである。
わたしもやがてそうすることになる。成仏する。仏陀となる。仏陀となって活動を起こすことになる。
☆
不安で不安で恐怖心を抱いて死んでいくのだが、その後は、もう不安も恐怖もないのである。次へ進んでいくのである。次へ次へ進んでいくのである。輝いて輝いて行くのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます