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わたしが耐えられる分の苦しみにして

2024年08月19日 18時26分23秒 | Weblog

若し無量百千万億の衆生有って、諸々の苦悩を受けんに、この観世音菩薩を観て、一心に名を称れば、観世音菩薩は即時にその音声を観て、みな解脱を得せしめん。

妙法蓮華経「観世音菩薩普門品第25」より

もしもこの娑婆世界に百千万億の無量の衆生がいて、もろもろの苦悩を受けて苦しんで、藁を持つ神気持ちからこの観世音菩薩の姿を観て、そこで一心に菩薩のみ名を称えたら、観世音菩薩は即時にその声を、あたかもそこに人がいるのを観るようにして聞きつけてくださって、その人達を苦しみから解き放って下さるだろう。

観音様は苦しんでいる人が上げる声を観ることができる菩薩である。特殊な神通力の持ち主である。だから観音の名がある。

人は一人では抱えきれないほどの苦しみ悲しみを抱いて生きている。その苦悩の衆生を観て、助けないような菩薩様なら、それは菩薩道の菩薩様ではないことになる。

菩薩は「代受苦」が得意種目である。代わって苦しみを受けることができる特殊能力の持ち主である。

(わたしはその反対で、人様の楽しみをぶんどってきて、代受楽しているばかりだが。)

だから、わたしの苦しみ悲しみを、その幾ばくかは、いつも代わって受けていて下さっているのである。

わたしが耐えられる分の苦しみにして軽減していて下さっているのである。ああ、有り難いなあと思う。

でも経典を読んでいないときには、横着者のわたしは、その分の観音様のご苦労を察知することすらも、しないでいる。一人で生きているような顔をしている。

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