<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

さて、どっちを選ぼうか?

2024年08月06日 16時47分47秒 | Weblog

己の努力精進の修行によって仏陀の道、仏道を歩いて、仏陀に成るという自力成仏の方法がある。救われて行く方法がある。しかしこの方法を採択できるのはほんの一握りに限られる。指導者が選ぶ道だ。この道を歩めば益々己の力の高まりを感じることが出来る。

船に乗って目的地に着くという、もう一つの行き方がある。仏陀の願いの、願船に乗って。これは自力が問われない。仏の力、仏の衆生済度の願力、仏の功徳、仏の慈悲によって救われて行く方法だ。船に乗るという決断が要るが、乗った後はお任せでいい。信賴帰依をしていればいい。念仏の道がこれだ。

船を下りるとそこがもう仏の建国した安養の浄土である。ここに迎え取られて、ここで大安心が与えられる。

大安心を自らの修行で掴み取るか、それとも仏陀の慈悲、仏陀の功徳にあずかって大安心をもらい受けるか。

さて、どっちを選ぼうか。どっちを選んだとしても、しかし、大安心が最終目的地ではないという点を考慮に入れておく必要がある。

大安心を得て成仏したら、仏の仕事に加担するのだ。もう一つの出発地点に立つのだ。仏の仕事は、すべての衆生を仏(完成者)にすることである。山川草木悉皆成仏を達成することだ。此処をよろこびの宇宙にすることだ。

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面白いことを,新規に、見出さねばならぬ。

2024年08月06日 16時15分36秒 | Weblog

面白いことを見出さねばならぬ、新規で。これまで面白いとしてきたことは、この暑さで、向こうの方からさらりと視界を出て行ってしまった。もう追えない。世の中は変化する。新しい価値観を持たねばならぬ。

そこで新しく、ぞっこん惚れ込むものが必要になった。寝食を忘れてでも打ち込めるものがほしい。男女の色事の、その真似事でもよかろうが、この高齢だから、それは無論、対象外だ。そんな元気は残っていない。

涼しい室内でできるものがいい。猛暑の中に出ていくのは無理だ。勉強のやり直しはいいかもしれない。

そうだ、小学年生の習う教科書なんかをおさらいするのはいいだろうな。全教科。2年生3年生くらいの。小学校を訪ねて行ったら、古くなって捨ててあるようなものを譲ってくれたりしないだろうか。(算数なんか解けないかもしれないなあ)

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此処に留まることにしました。

2024年08月06日 09時02分45秒 | Weblog

此処に留まることにしました。

留まって、自未得度先度他の菩薩行をすることにしました。

自らは未だ渡るを得ずして先に他者を渡す、この菩薩道の仕事が大量に残っていました。

人々を苦悩の此岸から安養の彼岸に渡すのが菩薩道である。

わたしの菩薩道の実践は、仏教仏道の詩を書いて読んでもらって、仏陀の功徳によって、そこばくの安堵を得て貰うという実践である。

仏陀が歩く道がある。

この道を、われわれは仏陀になって歩いて行く。

わたしたちは早かれ遅かれ、かならず仏陀に成るのである。

尊い仏陀に成って、仏陀が歩く道を歩くのである。

歓喜雀躍の道を歩いて行くのである。

それを知ればみな元気が湧き上がるのである。

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上昇は快感です

2024年08月06日 07時18分25秒 | Weblog

わたしたちは大空を高く高く上って行きます

上っていけるようにしてあります

梯子を上るのは疲れますから

エスカレーターが用意してあります

そこに立っていると

わたしが高く高くなっていくのが分かります

気分もそれにつれてハイになっていきます

どこまでもどこまでも上って行きます

気分もそれにつれて

どこまでもどこまでもハイになっていきます

 

上昇は快感です

快感の極に来たところで迎えられます

多くの多くのよろこびがわたしをハグします

ハグされる度にわたしは消えてしまいそうになります

そこからまた新しい旅が始まります

星々がきらきらきらきら輝いて迫って来ます

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