<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

うふふという含み笑いについてのエッセー。

2019年12月29日 08時40分36秒 | Weblog
うふふ、うふふ、うふふ。

これは含み笑い。口の中でひとりでに笑いが湧き起こっている。笑いの自然温泉みたいな。

人が来たらそこでぴたっと止む。人が去って行ったら、また湧き上がって来る。

「笑いを殺す」という表現があるけど、押し殺さなくてもいい笑いもある。だが、この種の笑い声は、あんまり声を立てない。聞こえないくらい。

うふふ、でなくてもいい。わはは、でもいい。えへへでもいい。おほほ、いひひでもいい。好きにすればいい。

山中に老人が居た。笑い声を押し殺していたが、行きすがりの人に見抜かれてしまった。表情が笑っていたからだ。

どうしてそうもにこにこしているか、と問われた老人は答える。

一に、おれはこの世の極樂に生まれた。二に、おれはそれを知る人間に生まれている。三に、おれはこうしてまだこの世の極樂に生きている。それを思うと笑い囲み上げて来るのだ、と。

この世は極樂なのかどうか。そこを疑うと笑いは消える。そうなのだ、地獄なのかもしれないのだ。

極樂だと決めてしまえば、笑いが点灯する。

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そこに生を受けている己が有り難く感じられて来るからだ。逆かも知れない、己が此処に生きていることがありがたく感じられて来れば、此処が自然と極樂に思われて来るのかも知れない。

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好きにしていいのだ。それぞれによさがある。

今は地獄を生きているとしてもいい。次を極樂に生きるために、今は一歩下がって地獄を味わっておく、としてもいい。

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今をうふふ、うふふと笑っていてもいい。次にそうすることを期待していてもいい。

13
風邪の症状が幾分退いて来たようだ。これは、うふふに値する。ちょっとだけ、うふふする。

14
目白が山から下りて来た。我が家の客人となっている。梅の木の小枝に刺している小蜜柑を啄んでいる。眺めていると、うふふになる。
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