なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

揺れ動いて

2019-11-25 16:18:44 | 日記
感情には反動がある。激昂したその後は落ち込んでしまう、など。それが正常であり、むしろ反動のない一方通行の感情に突き動かされているとしたら危険ではないか。それは世論に関しても同じだ。これだけたくさんの人がいて、それぞれの状況に応じて利害が異なるのに、意見がまとまりすぎるのは、悪い事が起こる予兆、でもある気がする。揺れてぶれて、波うっているくらいでちょうどいいのでは。
 

自慢話

2019-11-24 16:09:17 | 日記
たちの悪い自慢話に我慢して付き合う必要はない。
だが立場というものがある。その場を去りたい、と思ってもできないときどうすればいいのか。


その場を去ることができない原因は何か。それは、将来における便益を担保に取られてしまっている場合だ。
簡単に言うと、立場が弱い、ということだ。弱い立場の者にここぞとばかりに自慢話を浴びせるのは本当に悪趣味なのだが、

1つ目。現実的な選択肢として、我慢。ストレスにはなるが、我慢できるのなら、我慢する。
2つ目。度胸のいる選択肢だが、相手に、「自慢話はやめてほしい」と言う。
3つ目。損失を生むかもしれない選択肢だが、その相手との関係を断ち切る。
4つ目。年月がかかるかもしれない選択肢だが、自分の人間性を磨いてどんな話でも受け入れられる人物になる。
5つ目。関係の改善。便益を享受する関係が一方的でなくなれば、抑止力になる。


これらの選択肢に貴賤の上下はない。実行できるものを選べばいい。


近似値

2019-11-23 16:39:11 | 日記
鏡をみるとき、目をつぶってはいけない。いや目をつぶるわけがない、それじゃあ鏡を見る意味がない、と思うかもしれないが、見たいものしか見ていないのでは目をつぶっているのに等しい。
見たいもの、見てもいいと思う部分を取捨選択して見ているにすぎない。しかも左右反転した像を。
しかしこれはどうしようにもないことでもある。さて目を凝らしてみよう、としたところで見えるものではない。訓練をすれば見えるようになるのかもしれないが、どんな訓練をすればいいというのだ。
だから、できる対策としては、鏡に映る自分は自分の近似値であってそのものではない、と自覚することだ。本当の自分はどこに、との問いは難問だが、このくらいの自覚ならできる。自覚したうえで鏡を覗けばいい。


でもしか

2019-11-22 16:52:53 | 日記
でもしか、で決めると痛い目に遭う。


対象を見下していると、当然バカにするな、となり反発を買う。
さらに、自分も見下している。心からの満足を得ていない、という理由で、自分にはこの程度で仕方がない、と対象と自分の両方を見下している。


心からの満足、というのは結果ではなく過程の中にしか存在しない。ことが終わった後での回想は良くも悪くも雑念が入る。過程に没頭しているときにしか100%の満足はあり得ない。でもしか、と思った瞬間に没頭できなくなる。うわの空で臨んでも集中できるわけがない。


その時そこでそれを選んだのは運命であり必然であり、それが自分の人生そのものだ、くらいの勢いで臨むべきだ。


メッキ

2019-11-21 17:26:41 | 日記
メッキは剥がれる。剥がれてからが勝負だ。最初からメッキなどない方がいいか。そうでもあるまい。見た目以外にも表面を保護し結果中身も保護してくれる。メッキもペンキも必要だ。
だが剥がれる。必ず剥がれるがそこから先が大切だ。もう一度塗り直すか。中身むき出しで勝負するか。本気でやれば必ずこうなる。メ剥がれたからと言って騒ぐ必要はなく、むしろ当たり前、本番はここから、と考えるべきだ。