昔、居酒屋で友達の愚痴を聞いていたら、「上司がやたら文章にこだわる」人で閉口している、とのことだった。
で、その上司が達意の名文家、であるならよいのだが、そうではなく、上司の書く分は、言い回しがくどくて余計な修飾語句が多く、何が言いたいのかさっぱりわからない、その会社が外部に向けて作成したパンフレットを見せてもらったが、なるほどその上司の書いた部分は冗長で意味不明だった。
聞けばその上司はビジネス書を読み漁り、自己啓発本も読み漁り、そのうえで「本を読め」と強要してくる、非常に厄介な人物であるそうだった。
まあビジネス書や自己啓発本は読書にカウントすべきでなく、、ドリンク剤飲んで元気を出す、というのに非常に似ていると思う。
それはさておき、私も、講師として、生徒の作文の添削をし、人の書いた文を批評する立場にいると、ついつい自分が書くとき、無駄に力が入って全く手本とはならない悪文を書いてしまう、という危険性が常にある。このブログを続けているのも、そうならないように、と思うところによる部分が大きい。駄文を連ね、恥をさらしているが、自分自身の戒めとしての役割が大きい。
で、その上司が達意の名文家、であるならよいのだが、そうではなく、上司の書く分は、言い回しがくどくて余計な修飾語句が多く、何が言いたいのかさっぱりわからない、その会社が外部に向けて作成したパンフレットを見せてもらったが、なるほどその上司の書いた部分は冗長で意味不明だった。
聞けばその上司はビジネス書を読み漁り、自己啓発本も読み漁り、そのうえで「本を読め」と強要してくる、非常に厄介な人物であるそうだった。
まあビジネス書や自己啓発本は読書にカウントすべきでなく、、ドリンク剤飲んで元気を出す、というのに非常に似ていると思う。
それはさておき、私も、講師として、生徒の作文の添削をし、人の書いた文を批評する立場にいると、ついつい自分が書くとき、無駄に力が入って全く手本とはならない悪文を書いてしまう、という危険性が常にある。このブログを続けているのも、そうならないように、と思うところによる部分が大きい。駄文を連ね、恥をさらしているが、自分自身の戒めとしての役割が大きい。