みみこのneko的生活

スノーボードとねことともに・・・がんと向き合って生きる

2005.9 手術後

2006-03-14 19:23:11 | 副腎腫瘍 手術

翌日、吐き気もなく、寒気もなくなった。少しすっきりした感じ。

でも、見ると、いろんな管やら針やらが刺さっている。胸に、心電図のためのぴったんこも貼ってある。どれがなにやらよくわからないが、怖い。手首にはぶっとい針が深く刺さっていて、見ているだけで怖いので、見ないようにした。

朝、医師団がやってきて、説明があった。

腫瘍はつるんときれいにとれ転移は見られなかったこと、傷は1つ間違えたところがあって(!)5カ所あること、そのうち腫瘍を出した1カ所が腫瘍が大きかったため4~5cmの大きさになってしまったこと、術中大静脈に少し傷がつき80mlの出血があったが輸血などの必要はなかったこと、でも再出血の恐れがありしばらく安静にしてほしいこと(とりあえず、今日一日はベットから動かないこと)、手術が予定より時間がかかった(手術だけでは4時間10分)のは止血に時間がかかったためであること、腫瘍はすぐに道外の某大学に病理のため送ったこと、ごはんは夕食から食べられるかもしれないことなどの話がある。とにかく再出血の心配をすごくされていて、大部屋に戻れるかと思っていたのに、数日は個室にいなくてはならないようだ。両親などはよかったねと言っていたけど、個室はなんか怖くていやなのだ。

その後、時間をおいて心電図、点滴がはずれる。尿管も早くはずしてほしかったが、2日後やっとはずれる。尿管はいやだ。尿管をはずすと、むくみがとれてきた。

2日後、バルーンチューブ(痛み止め)もはずれる。これ以後は、痛み止めは座薬となるが、私は2日くらいしかお世話にならなかった。痛みはもちろんあったが、我慢できないほどではなかったのである。けれど、起きあがるときなどはつらかったなあ・・・。

そして、尿管などがとれると、歩いてもいいことになった。まずは、看護師さんと一緒に病棟内だけであったが・・・。最初に、体重計まで歩いた。傷口は痛いけど、歩ける。「何キロ痩せているんだろう」期待を胸に体重計へ。しか~し、体重はなんと3キロ増。ショックで動けない私に、看護師さんは「点滴だけでも太るんですよ~。かなり点滴しましたからね。」と明るく一言。そうか~。でも、なんか納得いかなかった。

熱は37度台でちょっとだるい感じ。数日微熱は続いた。

そして、何より気になったのは肩こりであった。原因は、手術でお腹をふくらませるために使う炭酸ガスのせいらしいが、これが普通の肩こり以上でしんどかった。5日くらいで楽になると言われ、その通りだったけど、この5日間は結構せつないものがあった。

そして、術前にはいた(エコノミー症候群みたくなるのを予防するためにはく)白いハイソックスは数日はいたまま。これも、ちょっとつらかったなあ。そうとう臭かったと思うけど、怖くてかげなかった。

ご飯は、手術の翌日夕食から出た。最初は七分がゆであった。食いしん坊バンザイの私もさすがになかなか食べられなかった。でも、「これは仕事なのだ」と思って、根性でたいらげた。こんなに食べるのがつらいのは生まれて初めてだったかも。その後もご飯は完食し続けた。これだけは、いつもほめられていた。

水はたくさん飲むように言われ、心がけた。2リットルは飲んでいたと思う。最初はお茶なども飲んでいたが、やっぱり水が一番おいしい。山でもなんだかんだ言って水が一番おいしいもんなあ。

4日後、大部屋に戻る。この頃には個室に慣れてしまっていて、なんだか寂しかった。でも、自分でも回復が感じられるようになっていた。痛みも少なくなってきているし、体のだるさもないから、本も読めるようになったし、日記も書けるようになったのである。

シャワーは、5日後に許可が出た。髪は洗っていたとはいえ、シャワーに入れないのは結構つらかったなあ。だいぶにおっていたと思う。

5日後、ガーゼや腹帯がとれて、傷口初お目見え。聞いてはいたけど、ほんとにホチキスでとまっている。怖いなあ。

1週間後、抜糸(抜ホチキス)。「痛くないですか?」「大丈夫だよ」という会話のあと、結構一気にいった。ちょっとちくっとしたけど、案外大丈夫だった。傷口にはテープを貼られた。自然にはがれるまでそのままで、はがれたら違うテープをケロイド防止に貼ったらいいとのことだった。このときには、病棟以外も歩いていいとの許可がでる。

8日後、手術をした右側に寝返りができるようになったし、起きあがるのも楽になってきた。体重も減ってきて、以前の体重に戻ってきた。(それでも、おでぶだけど)よかった、よかった。

再出血の心配もなくなり、手術より2週間後の退院が決まる。やった~!


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