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みみこのneko的生活

スノーボードとねことともに・・・がんと向き合って生きる

4年が経ちました

2009-09-26 23:44:31 | 抗がん剤治療開始

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①「あら、4才?あたちは10才よー。」(みーみー)

②おっぱい見えてますよー。(ぶっちゃん)

③ど、どこ見てるの~?(にゃんた)

「あ、明日で4年だ・・・。」

昨日、母と話していて、気づきました。

術後4年。

今では朝抗ガン剤の薬を飲むのもすっかり習慣化してしまい、何かのサプリメントでも飲むかのような感じで、病気のことを思う時間はすっかり少なくなってしまいました。

でも、「あと一年。」と思う半面、「5年ですべてが終わるわけではなくて、病気には一生向き合っていくことになるんだな。」という思いは強くあるし、「いつどうなるかはわからない。」とも思います。

いろんな愚痴を毎日言いつつも、こうやって生きていられることはやっぱり幸せなこと。

いつまで続くかわからないけれど、今ある命、自分の命も周りの命も大事に生きていきたいなと改めて思っています。


2009.8.3 診察

2009-08-03 22:34:47 | 抗がん剤治療開始

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①ホテルや町のあちこちにある彫像は見ごたえあります。

②きれいな花もいっぱい。

③ホテル内の湧き水からなるホーリープールの一角。

今日は診察日でした。

内科主治医曰く、「夏休み中だから」とのことでしたが、激コミで、疲れました・・・。

結局、病院に4時間以上いました。ふう・・・。

でも、先生方も大変だなあ。「おつかれさまです」と声をかけました。

今回は、血液検査の結果を聞いて、今後の治療を続けるかどうか話すことがメイン。

血液検査の結果は大丈夫で、治療はやはり5年、つまりあと1年は続けようという話になりました。

続けるにしても、やめるにしても、不安はあります。

が、ここまで来たら、5年やってみようかと思っています。

<検査結果>

DHEA~s 2221(前回2677)

アンドロステンジオン 1.12(前回1.09)

コルチゾール 9.7(前回8.8)

ACTH 21.0(前回22.7)

次回は、久しぶりにレントゲン。そして、冬にはCTの予定です。


2009.6.8 診察

2009-06-13 23:09:10 | 抗がん剤治療開始

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①②③みーみーの写真を撮るのは難しいのです。なぜなら、フラッシュですぐ目をつぶってしまうから。ほんとはすごくかわいいこなんですけど・・・。そして、性格はくるねこさんとこのトメちゃに似ています。は~、トメ、トメ♪

新しい職場になって初めての診察。

忙しい職場なので、なんだか休みづらいような気もしたけど、そんなことも言っていられないので、朝少し仕事をしてから、JRに飛び乗って行ってきました。

主治医H氏は関連の別の科に4月より完全移籍となり、受け持ちの患者さんのほとんどは別のお医者さんに主治医が変わったようです。

でも、私はちょっと変わった患者なので、これからも継続してH氏に診てもらえることになりました。良かった・・・。やっぱりこれまで手術も含めてずっと診てくれたお医者さんにこれからも診てもらえるというのはありがたいです。この約4年間で、私のなかでH氏に対する信頼感も生まれ、育ってきています。これからもいけるところまでH氏にお世話になりたいなと思っています。

ということで、診察ですが、薬を出してもらうことと次の検査のことを話すのが主な内容でした。

とりあえず、血液(ホルモン)検査をして、その結果をみて、CTは冬でもいいんじゃないかということになりました。3年を過ぎ、「副腎で再発する場合は、普通3年ぐらいでもう出ていると思うから。もう大丈夫かも。」というのが主治医の考えのよう。だから、治療ももういいんじゃないか・・・とは言わなかったけど、そう思っているような気がしました。

次に、内分泌代謝内科。ここは、いつも混んでいる・・・。予約しているのに、2時間は待ちました。元気な私でもこの待ち時間はつらいです。2冊も本が読めました。

で、こちらの主治医も忙しそうですが、とてもいい先生です。治療については5年は必要というのが一貫した考え。先日、昨年私の症例を発表したという研究会に再び先生が参加したところ、「術後、予防的にミトタンで治療」というのが一般的になってきているのだそう。う~む・・・。しかも、飲めるだけ飲もうという風になってきているらしい。量も、期間も。

「ということは、一生ですか?」(私)

「ま、そういうことだけどね。あなたの場合は、5年でいいんじゃないかな。」(先生)

一生って・・・。唖然としちゃいました。再発しないためにというのはわかるけれど、ずっとかあ・・・。私の場合は、その悪性度からいって5年でいいということのようですが、4年でやめようかなともちらっと思っていたので、あと1年かあとちょっと考え込んでしまいました。

内分泌の先生も「そのあたりは、H先生とも相談しておくから。」と話していたので、次回の診察で治療期間の話もきっちりしなくてはいけないし、そのために自分の考えも固めておかなくてはと思いました。

9月末で術後4年となります。「生きてるだけで丸儲け」ではありますが、こうやってなんだかんだと生きているといろいろ欲も出てくるものです。人間ってやつぁ・・・。


よぎょさんのこと

2009-04-26 21:52:15 | 抗がん剤治療開始

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①我が家の畑で福寿草とともに最初に咲いた花。

②昨日のキロロから見えた余市岳。思ったよりいい天気のなか、気持ちよく滑れました。

よぎょさんが旅立っていきました。

彼女とはブログを始めた頃からやりとりが始まったように思います。

彼女の書く文章はまっすぐで、あたたかさと聡明さがありました。

本や映画、旅が好きなところにも惹かれました。

「リレー・フォー・ライフ芦屋」に彼女も来てくれ、一緒に語らいながら歩くこともできました。

想像通りのあたたかく、優しく、明るく、聡明な、笑顔の素敵な人でした。

よぎょさんは多重がんの患者さんでした。

そして、Sさんもそうでした。

2つ目のがんは二人とも同じ部位で、前半の経過はかなり違うものの、タイプも似たものであったようです。

なので、Sさんの経過をそばで見ていて、よぎょさんの体調も相当悪いものなのではと思い、心配していました。

Sさんは、昨年秋に治療を一時やめたいと医師に伝えたところ、治療をしないのなら別の病院へ行くよう言われました。

Sさんはずっと同じ病院でみてもらいたいと思っていたようだったけれど、彼女はホスピス病棟のある病院をいくつか紹介してもらい、自ら足を運び、一番納得できた病院へ行くことを決めました。

よぎょさんも病院のことでは相当悩まれていたのではと思います。本当は彼女もずっと同じ病院でみてもらいたかったんだろうけれど、でも、その時どきにしっかり自分で考えて選択をしてきたことは彼女らしいし、すごいと思っています。

医療に救われたり、絶望したりしながらも、自分の頭でしっかり考え、選択し、前を向いて生きてきた二人。

私も彼女たちとともに今の医療ってこれでいいのかなと疑問に思ったり、時には怒りを感じたりもしてきました。

医療については、私一人の力でどうにかなるものでもないけれど、自分もその時々で自分の頭でしっかり考え、医師や周りの人たちと相談しながら、前へすすんでいきたいし、これからあるべき医療についてずっと考えていきたいし、時には当事者として声を上げていければと思っています。

よぎょさん、おつかれさま。ゆっくり休んでください。

出会えて、本当に良かったよ。


Sさんのこと

2009-04-12 21:38:26 | 抗がん剤治療開始

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①にゃんた ②みーみー ③ぶっちゃん 

うちのにゃんず。彼女から「カリカリ」をプレゼントしようと言われたこともありました。でも、カリカリじゃなくて、図書券が送られてきました。「みみこさんは、入院中よく本を読んでいたよね。」と。彼女は入院中の私の姿を知る数少ない人の一人でした。

Sさんと出会ったのは、約3年半前。

偶然同じ病室になって以来、退院してからも通院の時などご飯を食べたり、お茶をしたりしては、好きなスポーツのことや、それぞれの近況や思いを語り合ってきました。

力まずに話せる、弱音も話せる、家族にも話せないような「病気」や「生」や「死」について話し合える友だちでした。

ずっとこうやって励まし合って生きていきたいねと話し合っていたけれど、彼女に二つめのがんが見つかり、手術後、余命宣告をされたと聞いたのは一昨年のこと。

そして、少しずつ体調が悪くなっていくなかで、出会った頃からずっと続けてきていた治療を昨年秋より一旦休み、自らホスピスを選びました。体が動くうちにとさまざまな持ち物を整理し、法的な手続きもすすめ、仕事も退職の手続きをすすめ、自らの葬儀の準備をし、友だちなどに連絡をし、会ったりと、最期に向けての準備を着々とすすめていました。

きっと一人で泣いた日もいっぱいあるでしょう。でも、かなりリアルな話も、いつも冷静にしていた姿が印象的でした。

なかなか食事がとれないなか、「コンソメスープが飲みたい」とリクエストがあり、このブログで「なかなか見つからない」と書いたところ、わざわざたくさん送ってくれた方がいらっしゃって、とっても喜んでいた時もありました。大事に大事に飲んでいたようです。(本当にありがとうございました)

その後、ケンタッキーのチキンや茶碗蒸しなどのリクエストがあって、一緒に食べたこともあったっけ。

昨年秋より月に2~3回会いに行っていましたが、その間、彼女の学生時代などの写真を見せてもらいながら、学生時代のお友だちと一緒に昔話を聞かせてもらって、談笑したこともありました。

あるときは、「次来るときはカメラ持ってきてね。一緒に写真を撮ろう。」と言い、一緒に写真も撮りました。

何かあったとき、私に連絡が行くように手配をしておいてもくれました。どんなときも私や周りに対する気遣いを忘れない人でした。

いつだったか、メールでやりとりしていた時、「どんなときも志を持って生きていたいね」と言っていた言葉がとても印象的でした。

今の私は「志」を持って生きられているだろうか。。。

亡くなる2日前、彼女に会いに行きました。

すでに意識はかなり遠くなっていたけれど、私の語りかけに目を潤ませて、小さくうなづいてくれたSさん。

「いつも励ましてくれて、ありがとう。出会えて、本当に良かったよ。」

「また来るからね。一緒に生きていこうね。」

そう語りかけたのが最後になってしまいました。

お通夜の日の夜、仕事の後、彼女に会いに行きました。

おだやかな表情は数日前に会った彼女そのものだったけれど、でも、「やっぱりあの時とは違う、彼女の魂はもうこの体のなかにはないんだな」となんだかストンと落ちるものがあって、泣き虫な私だけれど、不思議と涙は出ませんでした。

どうして、自分は生きていて、彼女は先に逝ってしまったのか。

それは、よくわかりません。

だけど、いつか私にも死は訪れます。

そのときまで、彼女が懸命に生きていた姿、彼女に教えてもらったことを心にしっかり留めて、精いっぱい生きていかなくちゃ、それが彼女に対する恩返しと思っています。

Sさん、おつかれさま。ゆっくり休んでください。