

①にゃんた ②みーみー ③ぶっちゃん
うちのにゃんず。彼女から「カリカリ」をプレゼントしようと言われたこともありました。でも、カリカリじゃなくて、図書券が送られてきました。「みみこさんは、入院中よく本を読んでいたよね。」と。彼女は入院中の私の姿を知る数少ない人の一人でした。
Sさんと出会ったのは、約3年半前。
偶然同じ病室になって以来、退院してからも通院の時などご飯を食べたり、お茶をしたりしては、好きなスポーツのことや、それぞれの近況や思いを語り合ってきました。
力まずに話せる、弱音も話せる、家族にも話せないような「病気」や「生」や「死」について話し合える友だちでした。
ずっとこうやって励まし合って生きていきたいねと話し合っていたけれど、彼女に二つめのがんが見つかり、手術後、余命宣告をされたと聞いたのは一昨年のこと。
そして、少しずつ体調が悪くなっていくなかで、出会った頃からずっと続けてきていた治療を昨年秋より一旦休み、自らホスピスを選びました。体が動くうちにとさまざまな持ち物を整理し、法的な手続きもすすめ、仕事も退職の手続きをすすめ、自らの葬儀の準備をし、友だちなどに連絡をし、会ったりと、最期に向けての準備を着々とすすめていました。
きっと一人で泣いた日もいっぱいあるでしょう。でも、かなりリアルな話も、いつも冷静にしていた姿が印象的でした。
なかなか食事がとれないなか、「コンソメスープが飲みたい」とリクエストがあり、このブログで「なかなか見つからない」と書いたところ、わざわざたくさん送ってくれた方がいらっしゃって、とっても喜んでいた時もありました。大事に大事に飲んでいたようです。(本当にありがとうございました)
その後、ケンタッキーのチキンや茶碗蒸しなどのリクエストがあって、一緒に食べたこともあったっけ。
昨年秋より月に2~3回会いに行っていましたが、その間、彼女の学生時代などの写真を見せてもらいながら、学生時代のお友だちと一緒に昔話を聞かせてもらって、談笑したこともありました。
あるときは、「次来るときはカメラ持ってきてね。一緒に写真を撮ろう。」と言い、一緒に写真も撮りました。
何かあったとき、私に連絡が行くように手配をしておいてもくれました。どんなときも私や周りに対する気遣いを忘れない人でした。
いつだったか、メールでやりとりしていた時、「どんなときも志を持って生きていたいね」と言っていた言葉がとても印象的でした。
今の私は「志」を持って生きられているだろうか。。。
亡くなる2日前、彼女に会いに行きました。
すでに意識はかなり遠くなっていたけれど、私の語りかけに目を潤ませて、小さくうなづいてくれたSさん。
「いつも励ましてくれて、ありがとう。出会えて、本当に良かったよ。」
「また来るからね。一緒に生きていこうね。」
そう語りかけたのが最後になってしまいました。
お通夜の日の夜、仕事の後、彼女に会いに行きました。
おだやかな表情は数日前に会った彼女そのものだったけれど、でも、「やっぱりあの時とは違う、彼女の魂はもうこの体のなかにはないんだな」となんだかストンと落ちるものがあって、泣き虫な私だけれど、不思議と涙は出ませんでした。
どうして、自分は生きていて、彼女は先に逝ってしまったのか。
それは、よくわかりません。
だけど、いつか私にも死は訪れます。
そのときまで、彼女が懸命に生きていた姿、彼女に教えてもらったことを心にしっかり留めて、精いっぱい生きていかなくちゃ、それが彼女に対する恩返しと思っています。
Sさん、おつかれさま。ゆっくり休んでください。