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みみこのneko的生活

スノーボードとねことともに・・・がんと向き合って生きる

冬の読書日記

2012-02-19 21:40:01 | 本と雑誌

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①にゃんちんと「ワン・モア」。ちなみに、桜木さんは釧路出身だそうです。なるほど、北の町の書き方が嘘くさくなく、うまいはずだ~。

②昨日、Bスキー場の帰りに立ち寄った岩見沢SA。どこから入るんですか~?

③今日は、珍しく地元Hスキー場へ。昨日も今日も天気が良く、まったり楽しく滑りましたー。

最近は、ゆっくりと本を読めていないのですが、そんなバタバタの合間に出会った1冊がとても良かったので、記録します。

桜木紫乃「ワン・モア」(角川書店)

桜木さんの著書は初めて読みましたが、じんわりと感動が後にまで続く感じで、とても良かったです。

余命宣告を受けた医師・鈴音、わけあって島に左遷された医師・美和、元妻・鈴音と再び暮らすことになった男・拓郎、ベテランの看護師、医師の幼なじみの男、近所に住む本屋の店主の物語がつながりあって、ラストシーンとつながる見事な展開。

それぞれがそれぞれの人生の再出発を切るに至るエピソードがどれもわざとらしくなく、素晴らしく描かれていると思います。

この本を読んだきっかけは、新聞でこの本の中の一節を読んだからです。美和が、余命宣告を受けている鈴音の、元夫・拓郎に言うセリフです。

「前向きで自信のある人じゃ、駄目なんです。そういう人は、前向きにがんばろうという人の支えにはなれないんです。わたしが志田さんにお願いしているのは、応援じゃない。ただ、そばにいてほしいんです。あの子が望むものは、あなたからの応援じゃないんです。なにも言わずに、鈴音と一緒に犬の散歩をしてください。」

話の前後はわからなくとも、このセリフにはグッときました。こんなセリフを書ける人はただものではないと思いました。

そして、やっぱりラスト。これは、具体的には書けないけれど、希望にあふれるラストで、何度も何度も読み直してしまいました。


年末の読書日記

2012-01-09 00:02:08 | 本と雑誌

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①「困ってるひと」大野更紗、「みさおとふくまる」伊原美代子、「永遠の0」百田尚樹

②かわいいみんちゃん苦悩中?

③とある日のBスキー場

年末に出会った3冊の本には、感動やら感謝やら「なるほど!」やら、さまざまな感情を与えてもらいました。

 私はアナログ人間なので、これからもきっと紙媒体にしがみついていくと思うんですが、1ページ1ページ指でめくるドキドキ感、ワクワク感、この本の存在感には本当にしびれました。

出会えて良かったと思えた3冊です。

大野更紗「困ってるひと」(ポプラ社)大野さんのコラムをいくつか読んだことがあり、また、書評で絶賛されていたので、手に取りました。帯をそのまま書くと、「ある日、原因不明の難病を発症した、大学院生女子の、冒険、恋、闘いー。知性とユーモアがほとばしる、命がけエッセイ!」なのですが、内容的には想像以上のものがあります。

そして、私はがん患者であるけれど、今まで感じていたいろいろな違和感をはっきりと言葉に表してくれた!と思いました。(これについてはいつかじっくり書きたいと思いますが、)医療に関して、がん患者として当事者として語り合うことは大事だけれど、がん患者だけの問題ではなく、もっと広い目線で語り合わなければ解決はできないのではないかと私はずっと思っています。医療だけではなく、介護等も含めた社会保障の問題、労働の問題、国と地域の関係、政治と行政の問題、等々。がん患者だけではなく、医療や福祉のはざまで苦しんでいる人たちはたくさんいます。原発による放射能の問題などもそうでしょう。自分の苦しみだけではなく、さまざまな立場の人たちの苦しみも理解し、共有し、一つの流れや政策の理念をつくっていけたらいいなあと(ちょっと大きく出ちゃったけど)そう思いました。

伊原美代子「みさおとふくまる」(リトルモア)本屋さんでこの写真集を立ち見したのは11月のことでした。その時は悩んだあげく買わなかったのですが、年末耐えきれずに買ってしまいました。写真集はお高いので、見て終わることが多いんですが、これは手元に置いて、時々眺めたいと思ったのです。なんというか、見る度に心があったかくなります。みさおおばあちゃんもねこのふくまるも人間とか猫とか超越した関係性があって、とってもいい顔しているんです。また、おばあちゃんの自然と共にある丁寧な暮らしぶりが、とても素敵です。心がすさんできた時に、つい開いてしまう1冊です。

百田尚樹「永遠の0」(講談社文庫)この本は夫超おすすめの1冊だったのですが、夫と私の好みが違うことが多いので、しばらく読まずにいたものです。とにかく、いろんな場面でついつい涙が出てしまうので、電車内や病院では読むことができませんでした。何度号泣してしまったことか。零戦パイロットにまつわる話なのですが、あの時代にはありえないほど命を惜しむ男だった宮部久蔵がどうして最後に零戦で命を落としてしまったのか・・・今を生きている私たちに問いかけていることをじっくりと考えてみたいです。


「グーグーだって猫である」6

2011-10-22 22:16:48 | 本と雑誌

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①「グーグーだって猫である」6・5

②うちの最初の猫、にゃんた13才

③ブチ猫ぶっちゃん7才、みーみー12才

「あのさ あんたが長寿を全うして 最後はわたしにみとらせてくれるつもりがあるなら うちの子になってもいいよ」 大島さんが最後の抗がん剤治療退院後、拾ったクロにそう言う下りがあります。クロはこっくりとうなづき、大島さんは「退院祝いとなった」と書かれています。私にとっては、ぶっちゃんがクロでした。

「シリーズ、ついに完成!!」

この本の帯を本屋さんで目にした瞬間、ポロッとこぼれ落ちそうになる涙をグッとこらえました。

完成と言うことは、

イコール、グーグーが亡くなってしまったということ・・・。

人のうちの猫のことながら、本当にショックで、二日間ぐらい落ち込んでしまいました。

読み進めると、ラス前の2話まではノラちゃんやその後家猫になる子のお話が中心で、グーグーは完全に脇役。話も現在ではなくて、数年前のお話。

そして、唐突に今年の3.11の時のお話、最終回の「アイ・ラブ・グーグー」となるのです。

確かに、1巻から読んでいくと、グーグーは体の弱い子だったんですよね。15才8ヶ月、そんななかでよく生きたと言ってもいいのかもしれません。

愛猫「サバ」の死、そして、その深い反省となげきのもとにやってきたグーグー。大島さんを癒やし、また、癒やされ、そして、次々とやってくる猫たちや人間を癒やしてきたグーグー。

淡々と語られるその最期の日々を読んで、「『サバ』の時のような後悔、反省、なげきは少なく看取ることができたのかな」とはじめは思ったけれど、でも、何度か読むうちに、逆に悲しみが深く感じられるようになりました。

最後のコマの「グーグーにかけることばは “ありがとう” しかありません」には、「自分がうちのにゃんずにかけることばも、やっぱりそれしかないだろうなあ」と感じ、じーんとしてしまうのでした。

うちのにゃんずにもいつかお別れの時が来ることでしょう。「ごめんね」ではなくて、「ありがとう」と言えるように、私もにゃんずと共に悔いなく生きていきたいです。

そうそう、この「グーグーだって猫である」は猫たちのお話と共に、私にとっては大島さんの闘病記も心に残っています。

1巻最後から2巻にかけて書かれている卵巣がんの闘病記。

この本を購入した時は、私のがんはまだ見つかっていなくて、どこか人ごとだったのですが、病気が見つかって、すぐに読み返したのがこの本でした。

Ⅲ期の卵巣がんが見つかり、手術、抗がん剤治療に入る大島さんのもとに、当時、グーグーとビーの2匹がいたんです。

当時の私にも2匹の家猫にゃんたとみーみー、そして、当時は外猫のぶっちゃんがいました。

猫のことについても、また、闘病についても考えさせられた本でありました。

「12匹の猫に囲まれて生活されている大島さん、どうぞ猫たちのためにもまだまだ元気でいてください。そして、もし、気持ちが整ったら、違うタイトルでいいですから、猫たちのお話の続きを書いてください。」

そう大島さんに伝えたいなあと思いました。

 

 


夏の読書日記 その3

2011-08-28 21:50:54 | 本と雑誌

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①「ありがとうのえほん」「ひろしま」

②いつも枕元で見守ってくれるぶっちゃん、ありがとう。(でも、枕が毛だらけ・・・)

③「しろくまカフェ」1~3(ちなみに2は「いちご味!」、3は「マンゴー味!」です)

石内都「ひろしま」(集英社)この写真集は、いろんな面を持って見ることができますが、まずは、被爆で破けたり、変色したりしているものの、その服のデザインやテキスタイルの素敵さに感心してしまいます。考えると、既製服というよりは家でお母さんが作ってくれた服がほとんどの時代なんですよね。先日、初めて「u g」というユニクロ系のお店に行ったんですが、今はTシャツでも靴でも何百円とかで買えちゃうんですよね。でも、そんな現代よりも昔の方がよっぽど一人ひとりの生きる知恵とか力とかがあって、心身共に健康的で豊かだったんではと思わせられます。でも、そんな世界が一瞬にして原爆でなくなってしまった。原爆の恐ろしさをまた感じると共に、今の原発問題とも重ね合わせてしまいます。

 

フランソワーズ・作 なかがわちひろ・訳「ありがとうのえほん」(偕成社)絵が素敵で買ってしまった1冊。どのページも絵がすばらしいです。そして、さまざまなものに感謝することを教えられます。ねこも出てくるんですが、「びょうきの とき そばに いてくれる ねこ ありがとう」とあります。うちのねこ・・・う~ん、特にみーみーは私の咳がいやなようで、寄りつきませんが、ぶっちゃんはいつも枕元にいてくれます。

 

ヒガアロハ「しろくまカフェ」1~3(小学館)このギャグやボケ、好きな人と好きじゃない人といるだろうなと思うのですが、私は結構好きです。そして、絵がかわいくて、うまいんです!とっても癒やされます。ちなみに、私は時々しか出ないけど、レッサーパンダくんとエゾリス一家が好きです。

 


夏の読書日記 その2

2011-08-16 20:48:16 | 本と雑誌

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①「彼女がその名を知らない鳥たち」「猫鳴り」「九月が永遠に続けば」

②バリにはどこの建物にもどこの通りにも祈りを捧げる場所があります。

③「ガンサ」のベッドルームに置かれていたお供えのお花。

沼田まほかるの本を読んでいると、どこか祈りや宗教を感じる部分がありました。彼女の略歴に、「僧侶」もあり、なるほどとちょっと思いました。

沼田まほかる「猫鳴り」(双葉文庫)三部からなるお話ですが、第一部の前半は猫好きとしてはつらかった。背景はわかるし、同年代の彼女に強く同情はしても、「なんだよ。」と。そして、第二部の大きくなった猫と少年少女のお話。最後の第三部の年老いた男と年老いた猫のお話。う~ん、これはすごいと思いました。特に、第三部は年老いた猫を飼っている私としては、どうしても家の猫と重ねずにはいられず、つらいんだけど、読まずにもいられなかった。きっと猫だけに限らず、作者は同様の経験をたくさん重ねたからこそ、この「猫鳴り」が書けたのでしょう。「生」と「死」。ちょっとだけ覚悟ができてきたかな。そして、「死」に対する救いのようなものも感じることができました。それにしても、佐野洋子が「猫のように死にたい」と語ったというのを何かで読んだことがありますが、私もそう思いました。なかなか難しいだろうけど。

沼田まほかる「九月が永遠に続けば」(新潮文庫「猫鳴り」ですっかり沼田まほかるが気になった私。2冊目として、この本を手に取りました。サスペンスはあまり読まない私ですが、いや~、一気に読んでしまいました。エグい描写が続々と出てきて、いたたまれなくなってしまうのですが、それでも、次はどうなる?と読んでしまうのです。それぞれにありきたりの少年や少女であったり、母親であったり、父親であったりするのですが、それぞれの心の奥底にある暗いものがこのような事件に発展してしまう。人の心の暗い、見えない部分をかいま見させてくれる、そして、自分にもそんなところがあるんだよなと改めて感じさせられる1冊でした。

沼田まほかる「彼女がその名を知らない鳥たち」(幻冬舎文庫「猫鳴り」でもそうでしたが、沼田まほかるの本に出てくる女性って、極悪ってわけではないんだけど、なんだかいや~な感じの、友だちにはなれなさそうな感じの人が多いような気がするんですが、でも、自分も含め、自己中心で人ってこんなもんかもねと思ってしまいます。そして、男性も、「うわ~、やだわー」と思う人物が結構出てくるんですが、最後にはそうでもないかもって思ったりもするんです。この本の陣治もまさにその通りで。人ってどこで判断したらいいんでしょう。