2023年2月5日礼拝説教
『恩人のバルナバと別れたパウロ』
【使徒15:36~41】
はじめに
礼拝説教では今年からパウロの生涯について分かち合っています。パウロの生涯と信仰を学ぶことを通して、パウロが神様を深く知ったように、私たちも神様のことを深く知りたいと願っています。
パウロは、元々はイエス様の弟子たちを迫害する側の人でした。ユダヤ人たちがステパノを石で打ち殺した時、パウロもユダヤ人たちと同じ考えを持っていました。ステパノが殉教した後、パウロはエルサレムでイエス様の弟子たちを激しく迫害し、弟子たちがエルサレムから散らされてからは、エルサレムの外にまで出掛けて行って迫害するようになりました。
そうしてダマスコにいる弟子たちを迫害しに向かう途中で突然イエス様が現れたことで、パウロの人生は180度変えられました。それまではイエス様の弟子たちを迫害していたパウロですが、今度は一転してイエス・キリストの福音を宣べ伝える側の者になりました。先月はそこまでを分かち合いました。
回心したパウロはその後、教会宛てに、そして個人宛に多くの手紙を書き、その一部が新約聖書に収められています。パウロが生涯で書いた手紙がいったい何通あるのか、恐らくは膨大な手紙を書いたのではないでしょうか。新約聖書に収められているのは、そのほんの一部ではないかと思います。
それらの手紙を読むと、パウロが聖められた使徒だという印象を受けます。しかし、使徒の働きと合わせて丁寧に読むなら、まだ十分に聖められていなかった時代もあった様子が見て取れます。きょうはそのことを分かち合いたいと願っています。
きょうの聖句は、ローマ人への手紙12章10節です。
そして、次の構成で話を進めて行きます。
①背景:第一次伝道旅行の序盤で離脱したマルコ
②本題:a) パウロにとっては大恩人のバルナバ
b) バルナバとの別行動を決めたパウロ
c) 霊的にはまだ成長途上だったパウロ
③適用:互いに相手をすぐれた者として尊敬し合う
①背景:第一次伝道旅行の序盤で離脱したマルコ
きょうの説教のタイトルは『恩人のバルナバと別れたパウロ』です。パウロにとってバルナバは大恩人でした。パウロは、その大恩人のバルナバと激しい口論をした挙句に別行動を取ることになりました。ここからはパウロの激しさが見て取れて、まだまだ十分に聖められていなかったように見えます。きょうはそのことを分かち合いますが、そもそも、どうしてパウロとバルナバが口論することになったのか、その原因を先ず見ておくことにします。
使徒の働き13章をご一緒に見ましょう。13章の1節から5節までをお読みします。ここには、アンティオキアの教会にいたパウロとバルナバが、第一次伝道旅行に出発することになった時のことが書かれています。この時のパウロはまだサウロと呼ばれていました。
2節に、聖霊が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われたことが書かれています。聖霊は天の父とイエス様が天から遣わす神の霊ですから、これは天の父とイエス様からの命令です。そうして、まずキプロス島に向かいました。
後で地図をご一緒に見ますが、その前にマルコのことを見ておきましょう。5節に、この第一次伝道旅行にはヨハネも助手として加わっていたことが書かれています。このヨハネとはマルコのことです。そして、マルコはこの旅行の始まった序盤の段階で離脱してしまいました。13節、
ここで、巻末の地図13を見ましょう。ここに、パウロの第1次伝道旅行の経路が描かれています。そして、マルコがエルサレムに帰ったことも地図に描き込まれています。出発地点はアンティオキアで、パウロたちは先ず船でキプロス島に向かいました。そして、最初の伝道をキプロス島で行った後で、パポスから船出してアジアのペルゲに向かいましたが、ここでマルコが離脱してエルサレムに帰ってしまいました。第一次伝道旅行が本格化するのは、ペルゲに上陸してからで、この後、ガラテヤ地方などに向かいます。つまり、マルコは第一次伝道旅行が本格化する前に早々に離脱してしまいました。どうして離脱したのかは、書かれていないので(興味深い問題ではありますが)、きょうは触れないでおきます。
②本題:a) パウロにとっては大恩人のバルナバ
パウロにとって、バルナバは大恩人でした。まだ回心して間もない頃にパウロはエルサレムに行ったことがありました。使徒の働き9章の26節から28節、
バルナバがパウロを引き受けてくれたから、パウロはエルサレムにいた使徒たちとの交わりに入れてもらうことができました。使徒たちとの交わりの中に入れてもらうことができたことは、パウロにとって非常に大きなことだったと思います。このことだけでもバルナバは大恩人です。
そして、その後、パウロは長い間、故郷のタルソで過ごしていました。このパウロをタルソまで探しに行ってアンティオキアに連れて来たのも、バルナバでした。使徒の働き11章の25節と26節、
このように、バルナバがパウロをアンティオキアに連れて来たことで、パウロの異邦人への伝道活動が本格的に開始されました。バルナバがいたからこそパウロは本格的に用いられるようになり、そうしてパウロの手紙が新約聖書に収められて、二千年を経た今も読み継がれています。また、バルナバがパウロをアンティオキアに連れて来なければ、後にパウロがヨーロッパ方面にまで伝道することはなく、キリスト教はエルサレムとアンティオキアを中心にした狭い地域のみの宗教で終わり、世界中に広まることもなかったかもしれません。
b) バルナバとの別行動を決めたパウロ
さてしかしパウロは、その大恩人のバルナバと喧嘩別れするようなことになってしまいました。その経緯が、きょうの聖書箇所に書かれています。まず15章36節、
ここから第二次伝道旅行が始まります。パウロはバルナバに第一次伝道旅行で行った町を再び訪れて、兄弟たちがどうしているか見て来ようと言いました。そうして、出発することになりましたが、37節、
実は、マルコはバルナバのいとこでした。コロサイ人への手紙4章10節でパウロは次のように書いています(週報p.2)。この時にはパウロとマルコの関係は回復していたようです。
バルナバはいとこのマルコにもう一度チャンスを与えたかったのですね。しかし38節、
先ほどご一緒に地図を見たように、マルコは第一次伝道旅行が本格化する前の序盤で早々に離脱してしまいました。パウロにしてみれば、こんなひ弱な若者を一緒に連れて行ったら、足手まといになるばかりだと考えたのでしょう。39節と40節、
こうして、パウロとバルナバは互いに別行動をすることになり、バルナバはマルコと共に船でキプロス島(バルナバの故郷)へ向かい、パウロは41節にあるようにシラスと陸路でシリアおよびキリキアを通り、諸教会を力づけました。
c) 霊的にはまだ成長途上だったパウロ
さて、ここでこのパウロの態度が「御霊の実」という観点から見てどうだったかを考えたいと思います。ご承知の方も多いと思いますが、バルナバという名前には「慰めの子」という意味があります。使徒4章36に、そのことが書かれています(週報p.2)。
この「慰めの子」という名前からは、バルナバの性格が穏やかであった様子が伺えます。ですから、パウロがマルコの同行に反対した時も、最初から激しい議論にはなったわけではないと思います。反対するパウロに、バルナバは穏やかに、「まあ、そんなこと言わずにマルコにもう一度チャンスを与えようよ」という感じでやんわりと言ったのではないかなと思います。それでもパウロが強硬に反対したので、バルナバも段々と熱くなって来て、ついには激しい議論になってしまったんでしょう。そういう様子が目に浮かぶようです。
「慰めの子」であるバルナバを熱くさせて怒らせたパウロは、良くなかったんじゃないかな、という気がします。マルコは単なるひ弱な若者ではなくて、非常に将来性を秘めた器でした。マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4つの福音書のうち、最初に書かれたのがマルコの福音書であると言われています。マルコはお手本なしで、素晴らしい福音書を書きました。マルコの福音書がなければ、もしかしたらマタイとルカ、そしてヨハネの福音書は書かれなかったかもしれません。福音書を最初に書くという素晴らしい働きをマルコはしました。バルナバがマルコにチャンスを与えたいと思ったのは、いとことしての情もあったと思いますが、マルコの才能をもっと育てて上げたいという気持ちもあったような気がします。
そんなことはお構いなしに「慰めの子」であるバルナバを怒らせてしまったパウロの態度はどうだったんだろう、という疑問を持たざるを得ません。この頃のパウロは、まだまだ十分に「御霊の実」を結ぶことができていなくて、霊的には成長の途上であったんだろうと思います。「御霊の実」とは、パウロ自身がガラテヤ5章22節と23節に書いている通りです(週報p.2)。
③適用:互いに相手をすぐれた者として尊敬し合う
まだ御霊の実が十分に結ばれていなかったと思われるパウロは、後に書いたローマ人への手紙12章10節では、このように書いています。きょうの聖句です。
ローマの教会に手紙を書いた時のパウロはかなり聖められていたのでしょう。でも、バルナバと別れた時のパウロはまだまだでした。パウロに十分な兄弟愛があれば、バルナバの「慰めの子」としてのすぐれた部分、マルコが将来「マルコの福音書」を書くことになるすぐれた部分にも気付くことができて、尊敬し合うことができたことでしょう。
先ほど見たコロサイ人への手紙4章10節で見たように、後にパウロはマルコとの関係を修復しています。この文面を見るとバルナバとの関係も修復できたことと思います。コロサイ人への手紙はローマ人への手紙よりもさらに後に書かれています。ですから、パウロはさらに聖められていたことでしょう。
パウロでさえ、第二次伝道旅行に出発する頃にはまだ「御霊の実」が十分に結べていなかったようであるところを見ると、このことの難しさを覚えますが、私たちも御霊に励まされながら、「御霊の実」を結ぶことができるお互いでありたいと思います。そうして、兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合うことができるお互いでありたいと思います。そのように、御霊に導かれたいと思います。
このことに思いを巡らしながら、しばらくご一緒に、お祈りしましょう。
『恩人のバルナバと別れたパウロ』
【使徒15:36~41】
はじめに
礼拝説教では今年からパウロの生涯について分かち合っています。パウロの生涯と信仰を学ぶことを通して、パウロが神様を深く知ったように、私たちも神様のことを深く知りたいと願っています。
パウロは、元々はイエス様の弟子たちを迫害する側の人でした。ユダヤ人たちがステパノを石で打ち殺した時、パウロもユダヤ人たちと同じ考えを持っていました。ステパノが殉教した後、パウロはエルサレムでイエス様の弟子たちを激しく迫害し、弟子たちがエルサレムから散らされてからは、エルサレムの外にまで出掛けて行って迫害するようになりました。
そうしてダマスコにいる弟子たちを迫害しに向かう途中で突然イエス様が現れたことで、パウロの人生は180度変えられました。それまではイエス様の弟子たちを迫害していたパウロですが、今度は一転してイエス・キリストの福音を宣べ伝える側の者になりました。先月はそこまでを分かち合いました。
回心したパウロはその後、教会宛てに、そして個人宛に多くの手紙を書き、その一部が新約聖書に収められています。パウロが生涯で書いた手紙がいったい何通あるのか、恐らくは膨大な手紙を書いたのではないでしょうか。新約聖書に収められているのは、そのほんの一部ではないかと思います。
それらの手紙を読むと、パウロが聖められた使徒だという印象を受けます。しかし、使徒の働きと合わせて丁寧に読むなら、まだ十分に聖められていなかった時代もあった様子が見て取れます。きょうはそのことを分かち合いたいと願っています。
きょうの聖句は、ローマ人への手紙12章10節です。
ローマ12:10 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。
そして、次の構成で話を進めて行きます。
①背景:第一次伝道旅行の序盤で離脱したマルコ
②本題:a) パウロにとっては大恩人のバルナバ
b) バルナバとの別行動を決めたパウロ
c) 霊的にはまだ成長途上だったパウロ
③適用:互いに相手をすぐれた者として尊敬し合う
①背景:第一次伝道旅行の序盤で離脱したマルコ
きょうの説教のタイトルは『恩人のバルナバと別れたパウロ』です。パウロにとってバルナバは大恩人でした。パウロは、その大恩人のバルナバと激しい口論をした挙句に別行動を取ることになりました。ここからはパウロの激しさが見て取れて、まだまだ十分に聖められていなかったように見えます。きょうはそのことを分かち合いますが、そもそも、どうしてパウロとバルナバが口論することになったのか、その原因を先ず見ておくことにします。
使徒の働き13章をご一緒に見ましょう。13章の1節から5節までをお読みします。ここには、アンティオキアの教会にいたパウロとバルナバが、第一次伝道旅行に出発することになった時のことが書かれています。この時のパウロはまだサウロと呼ばれていました。
使徒13:1 さて、アンティオキアには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟(ちきょうだい)マナエン、サウロなどの預言者や教師がいた。
2 彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われた。
3 そこで彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いてから送り出した。
4 二人は聖霊によって送り出され、セレウキアに下り、そこからキプロスに向けて船出し、
5 サラミスに着くとユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ伝えた。彼らはヨハネも助手として連れていた。
2 彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われた。
3 そこで彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いてから送り出した。
4 二人は聖霊によって送り出され、セレウキアに下り、そこからキプロスに向けて船出し、
5 サラミスに着くとユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ伝えた。彼らはヨハネも助手として連れていた。
2節に、聖霊が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われたことが書かれています。聖霊は天の父とイエス様が天から遣わす神の霊ですから、これは天の父とイエス様からの命令です。そうして、まずキプロス島に向かいました。
後で地図をご一緒に見ますが、その前にマルコのことを見ておきましょう。5節に、この第一次伝道旅行にはヨハネも助手として加わっていたことが書かれています。このヨハネとはマルコのことです。そして、マルコはこの旅行の始まった序盤の段階で離脱してしまいました。13節、
13 パウロの一行は、パポスから船出してパンフィリアのペルゲに渡ったが、ヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰ってしまった。
ここで、巻末の地図13を見ましょう。ここに、パウロの第1次伝道旅行の経路が描かれています。そして、マルコがエルサレムに帰ったことも地図に描き込まれています。出発地点はアンティオキアで、パウロたちは先ず船でキプロス島に向かいました。そして、最初の伝道をキプロス島で行った後で、パポスから船出してアジアのペルゲに向かいましたが、ここでマルコが離脱してエルサレムに帰ってしまいました。第一次伝道旅行が本格化するのは、ペルゲに上陸してからで、この後、ガラテヤ地方などに向かいます。つまり、マルコは第一次伝道旅行が本格化する前に早々に離脱してしまいました。どうして離脱したのかは、書かれていないので(興味深い問題ではありますが)、きょうは触れないでおきます。
②本題:a) パウロにとっては大恩人のバルナバ
パウロにとって、バルナバは大恩人でした。まだ回心して間もない頃にパウロはエルサレムに行ったことがありました。使徒の働き9章の26節から28節、
使徒9:26 エルサレムに着いて、サウロは弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みな、彼が弟子であるとは信じず、彼を恐れていた。
27 しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に語られたこと、また彼がダマスコでイエスの名によって大胆に語った様子を彼らに説明した。
28 サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の御名によって大胆に語った。
27 しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に語られたこと、また彼がダマスコでイエスの名によって大胆に語った様子を彼らに説明した。
28 サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の御名によって大胆に語った。
バルナバがパウロを引き受けてくれたから、パウロはエルサレムにいた使徒たちとの交わりに入れてもらうことができました。使徒たちとの交わりの中に入れてもらうことができたことは、パウロにとって非常に大きなことだったと思います。このことだけでもバルナバは大恩人です。
そして、その後、パウロは長い間、故郷のタルソで過ごしていました。このパウロをタルソまで探しに行ってアンティオキアに連れて来たのも、バルナバでした。使徒の働き11章の25節と26節、
使徒11:25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソに行き、
26 彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た。彼らは、まる一年の間教会に集い、大勢の人たちを教えた。弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。
26 彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た。彼らは、まる一年の間教会に集い、大勢の人たちを教えた。弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。
このように、バルナバがパウロをアンティオキアに連れて来たことで、パウロの異邦人への伝道活動が本格的に開始されました。バルナバがいたからこそパウロは本格的に用いられるようになり、そうしてパウロの手紙が新約聖書に収められて、二千年を経た今も読み継がれています。また、バルナバがパウロをアンティオキアに連れて来なければ、後にパウロがヨーロッパ方面にまで伝道することはなく、キリスト教はエルサレムとアンティオキアを中心にした狭い地域のみの宗教で終わり、世界中に広まることもなかったかもしれません。
b) バルナバとの別行動を決めたパウロ
さてしかしパウロは、その大恩人のバルナバと喧嘩別れするようなことになってしまいました。その経緯が、きょうの聖書箇所に書かれています。まず15章36節、
使徒15:36 それから数日後、パウロはバルナバに言った。「さあ、先に主のことばを宣べ伝えたすべての町で、兄弟たちがどうしているか、また行って見て来ようではありませんか。」
ここから第二次伝道旅行が始まります。パウロはバルナバに第一次伝道旅行で行った町を再び訪れて、兄弟たちがどうしているか見て来ようと言いました。そうして、出発することになりましたが、37節、
37 バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを一緒に連れて行くつもりであった。
実は、マルコはバルナバのいとこでした。コロサイ人への手紙4章10節でパウロは次のように書いています(週報p.2)。この時にはパウロとマルコの関係は回復していたようです。
コロサイ4:10 私とともに囚人となっているアリスタルコと、バルナバのいとこであるマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もし彼があなたがたのところに行ったら迎え入れるように、という指示をあなたがたはすでに受けています。
バルナバはいとこのマルコにもう一度チャンスを与えたかったのですね。しかし38節、
使徒15:38 しかしパウロは、パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよいと考えた。
先ほどご一緒に地図を見たように、マルコは第一次伝道旅行が本格化する前の序盤で早々に離脱してしまいました。パウロにしてみれば、こんなひ弱な若者を一緒に連れて行ったら、足手まといになるばかりだと考えたのでしょう。39節と40節、
39 こうして激しい議論になり、その結果、互いに別行動をとることになった。バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行き、
40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。
40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。
こうして、パウロとバルナバは互いに別行動をすることになり、バルナバはマルコと共に船でキプロス島(バルナバの故郷)へ向かい、パウロは41節にあるようにシラスと陸路でシリアおよびキリキアを通り、諸教会を力づけました。
c) 霊的にはまだ成長途上だったパウロ
さて、ここでこのパウロの態度が「御霊の実」という観点から見てどうだったかを考えたいと思います。ご承知の方も多いと思いますが、バルナバという名前には「慰めの子」という意味があります。使徒4章36に、そのことが書かれています(週報p.2)。
使徒 4:36 キプロス生まれのレビ人で、使徒たちにバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも…
この「慰めの子」という名前からは、バルナバの性格が穏やかであった様子が伺えます。ですから、パウロがマルコの同行に反対した時も、最初から激しい議論にはなったわけではないと思います。反対するパウロに、バルナバは穏やかに、「まあ、そんなこと言わずにマルコにもう一度チャンスを与えようよ」という感じでやんわりと言ったのではないかなと思います。それでもパウロが強硬に反対したので、バルナバも段々と熱くなって来て、ついには激しい議論になってしまったんでしょう。そういう様子が目に浮かぶようです。
「慰めの子」であるバルナバを熱くさせて怒らせたパウロは、良くなかったんじゃないかな、という気がします。マルコは単なるひ弱な若者ではなくて、非常に将来性を秘めた器でした。マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4つの福音書のうち、最初に書かれたのがマルコの福音書であると言われています。マルコはお手本なしで、素晴らしい福音書を書きました。マルコの福音書がなければ、もしかしたらマタイとルカ、そしてヨハネの福音書は書かれなかったかもしれません。福音書を最初に書くという素晴らしい働きをマルコはしました。バルナバがマルコにチャンスを与えたいと思ったのは、いとことしての情もあったと思いますが、マルコの才能をもっと育てて上げたいという気持ちもあったような気がします。
そんなことはお構いなしに「慰めの子」であるバルナバを怒らせてしまったパウロの態度はどうだったんだろう、という疑問を持たざるを得ません。この頃のパウロは、まだまだ十分に「御霊の実」を結ぶことができていなくて、霊的には成長の途上であったんだろうと思います。「御霊の実」とは、パウロ自身がガラテヤ5章22節と23節に書いている通りです(週報p.2)。
ガラテヤ5:22 御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。
23 柔和、自制です。
③適用:互いに相手をすぐれた者として尊敬し合う
まだ御霊の実が十分に結ばれていなかったと思われるパウロは、後に書いたローマ人への手紙12章10節では、このように書いています。きょうの聖句です。
ローマ12:10 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。
ローマの教会に手紙を書いた時のパウロはかなり聖められていたのでしょう。でも、バルナバと別れた時のパウロはまだまだでした。パウロに十分な兄弟愛があれば、バルナバの「慰めの子」としてのすぐれた部分、マルコが将来「マルコの福音書」を書くことになるすぐれた部分にも気付くことができて、尊敬し合うことができたことでしょう。
先ほど見たコロサイ人への手紙4章10節で見たように、後にパウロはマルコとの関係を修復しています。この文面を見るとバルナバとの関係も修復できたことと思います。コロサイ人への手紙はローマ人への手紙よりもさらに後に書かれています。ですから、パウロはさらに聖められていたことでしょう。
パウロでさえ、第二次伝道旅行に出発する頃にはまだ「御霊の実」が十分に結べていなかったようであるところを見ると、このことの難しさを覚えますが、私たちも御霊に励まされながら、「御霊の実」を結ぶことができるお互いでありたいと思います。そうして、兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合うことができるお互いでありたいと思います。そのように、御霊に導かれたいと思います。
このことに思いを巡らしながら、しばらくご一緒に、お祈りしましょう。
ローマ12:10 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。