平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

あなたは勇士のように腰に帯を締めよ(2018.9.30 礼拝)

2018-10-01 11:36:13 | 礼拝メッセージ
2018年9月30日礼拝メッセージ
『あなたは勇士のように腰に帯を締めよ』
【ヨブ38:1~3、40:6~7】

はじめに
 きょうはヨブ記からのメッセージの3回目です。来週は聖餐式がありますから、ヨブ記からは離れます。再来週、ヨブ記にまた戻って来るかどうかはまだ分かりませんが、戻って来ない可能性のほうが高いかなと思っています。
 ヨブ記は長いですから少なくとも4~5回は続けられるかなと思っていました。しかし、ヨブ記の中身の大半はヨブの泣き言ですから、泣き言からのメッセージを延々と続けても恵まれませんね。それで、ヨブ記は今日で一区切りにするかもしれません。きょうの聖書の箇所も、ヨブの泣き言からではなく、最後のほうにある、主からヨブへの励ましのことばの箇所を選びました。

「帯を締めよ」と言って励ます主
 もう一度、ヨブ記38章1節から3節までを読みます。今度は交替で読みましょう。

38:1 【主】は嵐の中からヨブに答えられた。
38:2 知識もなしに言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。
38:3 さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。

 3節の、「さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ」は40章の7節でも、もう一度出て来ます。この「さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ」という主のことばは、精神面でヨブの心を励ましているのはもちろんですが、床に伏しているヨブに対して肉体的にも床から起き上がるように促していると受け取れると思います。つまり、ヨブの病気を癒すという主からのメッセージと受け取りたいと思います。
 この「帯を締める」という表現は、聖書にはいくつもの箇所で見出すことができます。すべてを挙げることはできませんが、二つの箇所を週報のp.3に挙げました。その箇所をご一緒に開いて、前後の箇所も見たいと思います。まずエレミヤ書の1章17節です(旧約聖書p.1284)。ここに、

1:17 さあ、あなたは腰に帯を締めて立ち上がり、わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。

とあります。この箇所の前の、1章6節でエレミヤは、「ああ、【神】、主よ、ご覧ください。私はまだ若くて、どう語ってよいか分かりません」と言って尻込みしています。そんなエレミヤに主は7節で「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすすべてのところへ行き、わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ」と仰せられ、続いて8節で「彼らの顔を恐れるな。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ」と仰せられました。ですから、17節の「さあ、あなたは腰に帯を締めて立ち上がり」は、まだ若くて経験がないエレミヤを奮い立たせて預言者の働きを始めることを促し、励ますためのことばだということがわかります。

帯を固く締めて気合を入れる
 もう一箇所、今度は新約聖書のエペソ書6章を開きましょう。ここは以前も開いたことがある箇所です(新約聖書)p.392)。14節に、

6:14 そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、

 とありますね。このエペソ書6章は、以前、礼拝メッセージで使徒の働きの連講をしていた時の最後のほうで開きました。パウロのことばを聞いてイエス・キリストを信じた人々もいましたが、信じない人々もたくさんいました。パウロがエルサレムで逮捕されてからは、ほとんどが信じない人々でした。それゆえ、パウロの戦いは正に悪魔との戦いでした。悪魔が人々の霊的な目と耳とを塞いでいるからです。その悪魔と戦うためには、主の大能の力によって強められ、神のすべての武具を身に着けなければなりません。
 このエペソ6章の10節から18節までを、きょうも共に味わいたいと思います。交代で読みます。

6:10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
6:11 悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。
6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。
6:13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。
6:14 そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
6:15 足には平和の福音の備えをはきなさい。
6:16 これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。
6:17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。
6:18 あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。

 ここには帯だけでなく胸当てや兜などの武具も出て来ます。それゆえ、これまで私はそちらに目を取られて、この箇所の帯のことを緩く考えていたことに気付かされました。しかし、腰に締めるこの真理の帯は、単に腰に緩く巻き付けるのでなく、ギュッと固く締めて気合を入れるという意味合いもありますね。柔道の選手も帯をギュッと締めます。相撲の力士もまわしをギュッと締めます。重量挙げの選手もベルトをギュッと締めます。戦いの場に出る時は、誰でも腰の帯をギュッと締めます。信仰もまた戦いです。エレミヤもパウロも帯をギュッと締めて戦いの場に出ました。主はヨブに対しても床から起きて信仰の戦いの現場に復帰するように促したのかもしれません。
 さて、帯を締める話と悪魔の話をしたところで、最近の私の近況について少し話すことにしたいと思います。他教会との合併へ向かう中で、私たちの教会では今、近隣の地域の方々への伝道活動はしていません。また、礼拝出席者も少なくなってしまいましたから、私はここ何ヶ月か、精神的に低調な日々が続いていました。しかし最近、新しい書き物を始めたことで、また元気が出て来ました。つまり、腰の帯を再びギュッと締めることができました。この書き物はまだ始めたばかりで、完成までに少なくともあと一ヶ月は掛かると思いますし、完成後に世に出すことができるか、出ずに終わるかはまだ分かりませんが、とにかく今は書くことで気持ちに張りが出て来ました。やはり私は書き物をすることが好きなようです。
 それで、少しだけこの書き物の内容の話をしようと思います。

(中略)

全知全能で唯一の神様だからこその祝福
 ここでヨブ記38章に戻ることにします。38章を見ると、神が天地を創造し、海を造り、光を造り、雪や雹や雨を降らせ、風を吹かせ、雷を落とし、天の星も造り、獣や鳥も造ったことが分かります。正に神様は万物を創造した全知全能のお方です。全知全能の方だから、人を励まし、良い方向へと導いて行って下さるのですね。ヨブ記の結末をご一緒に読みたいと思います。42章の12節から17節までを交代で読みましょう。

42:12 【主】はヨブの後の半生を前の半生に増して祝福された。それで彼は羊一万四千匹、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。
42:13 また、息子七人、娘三人を持った。
42:14 彼はその第一の娘をエミマ、第二の娘をケツィア、第三の娘をケレン・ハ・プクと名づけた。
42:15 ヨブの娘たちほど美しい女は、この地のどこにも見つからなかった。彼女たちの父は彼女たちに、その兄弟たちの間で相続地を分け与えた。
42:16 この後ヨブは百四十年生き、自分の子と、その子の子たちを四代目まで見た。
42:17 こうしてヨブは死んだ。年老いて満ち足りた生涯であった。

 ヨブの後半生を、神様は以前に増して祝福して下さいました。もし、神様が分業制だったら、ヨブはこんなにも祝福されることはなかったでしょう。ヨブの家畜は大いに増えました。もし神様が分業制だったら家畜の守り神を信じなければなりません。ヨブはまた息子七人と娘三人にも恵まれました。分業制の神なら安産の神と家内安全の神を信じなければなりません。ヨブはこの後百四十年生きましたから、長寿の神への信仰も持たなければなりません。子孫の四代目まで見たということですから、自分の子供たちに良縁があるように縁結びの神への信仰も持たなければなりません。こんなに色々な神々に祈り願い、すべての神から素晴らしい祝福を受けるなど有り得ないことです。神様が全知全能で唯一の方だからこそ、ヨブの後半生はこんなにも祝福されました。

おわりに
 この全知全能で唯一の神様が「さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ」と励まして下さることは素晴らしい恵みです。明日の10月から、いよいよ私たちの教会は合併の手続きに入ります。これまで合同礼拝を重ねて来て、話し合いの場も持って来ましたが、書類上の手続きには入っていませんでした。その書類の手続きにもいよいよ取り掛かることになります。
 このことに関しても、主は私たちに「さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ」と言って下さっていると感じます。今の古い会堂を新しくする願いが適わず、この教会を存続することができないことになった時にはヨブのような泣き言を言いたくなり、気力も萎えて元気がなくなった時期もありました。しかし、そういう期間は過ぎました。今は腰の帯をギュッと固く締めて再び立ち上がるべき時です。
 主は素晴らしいタイミングで、このみことばを与えて下さったと感謝したいと思います。主は私たちを力強く励まし、私たちを導いて行って下さいますから、その導きに従って行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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