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一粒のタイル2

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9)

ダビデ王の悲しみと放蕩息子の父の喜び(2021.1.24 礼拝)

2021-01-25 12:43:13 | 礼拝メッセージ
2021年1月24日礼拝メッセージ
『ダビデ王の悲しみと放蕩息子の父の喜び』
【Ⅱサムエル18章4~15、24~27、32~33節】

はじめに
 先週の礼拝メッセージでは、息子アブサロムの謀反を知ったダビデが王宮を逃げ出した箇所を取り上げました。ダビデとアブサロムがその後どうなったのか、気になっている方もいると思いますから、ダビデの波乱万丈の人生を今週もご一緒に見ることにします。そして、後半ではダビデと放蕩息子の父とを並べて見て、神様が注いで下さる恵みを分かち合うことにしたいと思います。

 きょうの話のポイントは次の三つです。

 ①息子の無事を願っていたダビデと放蕩息子の父
 ②「滅び」と「救い」の大きな差を生む分かれ目
 ③魂の渇きを自覚して神の霊の水の潤いを求める

①息子の無事を願っていたダビデと放蕩息子の父
 先ずは前回の話から今回の話に至るまでの途中経過を簡単に見ておきたいと思います。
 前回のメッセージの最後では、第二サムエル15章28節のダビデのことばに注目しました(p.567)。

Ⅱサムエル15:28 「見なさい。私は、あなたがたから知らせのことばが来るまで、荒野の草原でゆっくり待とう。」

 この時のダビデは私利私欲から解放されてすべてを手放し、すべてを神様にお委ねしていたことで、心の平安を得ていたようです。「荒野の草原でゆっくり待とう」ということばから、その様子が伺われます。

 そのように平安を得ていたと思われるダビデでしたが、オリーブ山の坂を登る時には泣いていました。30節です。

30 ダビデはオリーブ山の坂を登った。彼は泣きながら登り、その頭をおおい、裸足で登った。彼と一緒にいた民もみな、頭をおおい、泣きながら登った。

 このダビデの悲しみは、財産を失ったとか、王宮が恋しくて泣いたとか、そういう類のものではないでしょう。自分の罪深さが、多くの人を巻き込んでしまい、息子の謀反という最悪の結果を招いてしまったことに王として、そして親として申し訳なく思い、涙が止まらなかったのだと思います。特に息子のアブサロムを、父に反逆する罪人に育て上げてしまったことをダビデは申し訳なく思っていたと思います。ダビデの心の中はアブサロムへの申し訳なさで一杯になり、涙が止まらなかったのだろうという気がします。

 さて、このオリーブ山の山頂で、アブサロムの反逆事件の歯車の回転がゆっくりと止まり、次いで逆向きの回転が静かに始まります。32節に登場するアルキ人フシャイが、アブサロム有利からダビデ有利へと反転させるキーマンになった人物です。32節、

32 ダビデが、神を礼拝する場所になっていた山の頂に来たとき、見よ、アルキ人フシャイが上着を引き裂き、頭に土をかぶってダビデに会いに来た。

 ここからダビデ側の逆転が始まり、物事がダビデの側に有利に運んで行きます。アルキ人フシャイはアブサロムに近づいて行き、アブサロムが不利になる作戦をわざと提案して、アブサロムはこれを採用します。実はこれはすべて主の御手の中にあることでした。17章14節で、そのことが明らかにされています。p.571の17章14節、

Ⅱサムエル17:14 アブサロムとイスラエルの人々はみな言った。「アルキ人フシャイの助言は、アヒトフェルの助言よりも良い。」これは、がアブサロムにわざわいをもたらそうとして、がアヒトフェルのすぐれた助言を打ち破ろうと定めておられたからである。

 こうして事態はダビデに有利な方向に回って行き、18章でいよいよダビデとアブサロムの両軍が激突することになります。まず18章1節、

Ⅱサムエル18:1 ダビデは自分とともにいる兵を調べて、彼らの上に千人隊の長、百人隊の長を任命した。

 そして、2節の終わりでダビデは「私自身も、あなたがたと一緒に出陣する。」と言いました。しかし、兵たちは言いました。3節、

3 「王様が出陣してはいけません。私たちがどんなに逃げても、彼らは私たちのことは何とも思わないでしょう。私たちの半分が死んでも、彼らは私たちのことは心に留めないでしょう。しかし、今、あなたは私たちの一万人に当たります。今、あなたは町にいて私たちを助けてくださるほうがよいのです。」

 この兵たちのことばを聞いてダビデは町にとどまることにして、兵たちを送り出しました。その時、隊長のヨアブたちにダビデは言いました。5節です。

5 「私に免じて、若者アブサロムをゆるやかに扱ってくれ。」

 ダビデは息子のアブサロムと和解したかったのですね。ダビデはアブサロムを反逆者に育ててしまったことを悔やみ、申し訳なく思い、親子関係を修復したいと思っていました。

 しかし、事態はそうは進みませんでした。9節と10節、

9 アブサロムはダビデの家来たちに出会った。アブサロムはらばに乗っていたが、らばが大きな樫の木の、茂った枝の下を通った。すると、アブサロムの頭が樫の木に引っ掛かり、彼は宙づりになった。彼が乗っていたらばはそのまま行ってしまった。
10 ある男がそれを見て、ヨアブに告げて言った。「今、アブサロムが樫の木に引っ掛かっているのを見ました。」

 この報告を聞いた隊長のヨアブはアブサロムが引っ掛かっていた樫の木に急ぎます。14節と15節、

14 ヨアブは、「こうしておまえとぐずぐずしてはいられない」と言って、手に三本の槍を取り、まだ樫の木の真ん中に引っ掛かったまま生きていたアブサロムの心臓を突き通した。
15 ヨアブの道具持ちの十人の若者たちも、アブサロムを取り巻いて彼を打ち殺した。

 一方、ダビデは町の門のそばにいて、息子のアブサロムのことを心配していました。門の見張りには目の良い者が選ばれて立っていたことでしょう。その見張りからの報告をいつでも聞けるようにダビデは門のそばにいました。24節と25節をお読みします。

24 ダビデは外門と内門の間に座っていた。見張りが城壁の門の屋根に上り、目を上げて見ていると、見よ、ただ一人で走って来る男がいた。
25 見張りが王に大声で告げると、王は言った。「ただ一人なら、吉報だろう。」その者がしだいに近づいて来た。

 ダビデは吉報を信じて待っていました。ダビデにとっての吉報とはアブサロムの軍団が降伏して戦いが止み、アブサロムが投降することでしょう。そうしてダビデはアブサロムと和解したかったことでしょう。続いて26節と27節、

26 見張りは、別の男が走って来るのを見た。見張りは門衛に叫んだ。「あそこにも、一人で走って来る男がいる。」王は言った。「それも吉報を持って来ているのだろう。」
27 見張りは言った。「最初の者の走り方は、ツァドクの子アヒマアツのもののように見えます。」王は言った。「あれは良い男だ。良い知らせを持って来るだろう。」

 ダビデは良い知らせだけを信じて待っていました。しかし、そうはなりませんでした。32節と33節、

32 王はクシュ人に言った。「若者アブサロムは無事か。」クシュ人は言った。「王様の敵、あなた様に立ち向かって害を加えようとする者はみな、あの若者のようになりますように。」
33 王は身を震わせ、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブサロム。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブサロム。わが子よ、わが子よ。」

 この箇所を読む時、私はルカの福音書15章の放蕩息子の父親を想い起こさずにはいられません。息子の無事を願うダビデの姿と放蕩息子の父親の姿が重なります。

②「滅び」と「救い」の大きな差を生む分かれ目
 ルカの福音書15章でイエス様が語った「放蕩息子の帰郷」の例え話は、皆さんの多くが良くご存知のことと思いますが、簡単に説明します。

 放蕩息子は父親がまだ元気なのに財産を分けてほしいと願い出て、分けてもらうとすぐに遠い国に旅立ってしまい、そこで放蕩して財産を湯水のように使い、使い果たしてしまいます。そうして食べる物に困った放蕩息子は我に返って自分が犯した罪に気付きます。我に返った息子は父親の家を目指して帰路につきます。ここから先は週報p.2に載せた記事を読みます。まずルカ15章20節。

ルカ15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。

 父親は、息子がまだ家まで遠かったのに彼を見つけました。父親は息子のことをずっと心配していて、いつも遠くの方を気に掛けていたのですね。ダビデと同じです。アブサロムを心配して門のそばにいたダビデと同じように放蕩息子の父は遠くを気に掛けていました。そうして息子を見つけた父親はかわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけしました。ダビデもこのようにアブサロムを迎えたかったことでしょう。21節、

21 息子は父に言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。』

 ダビデも、アブサロムからこの言葉を聞きたかったことでしょう。と同時に、自分もアブサロムを遠ざけてしまっていたことを謝りたかったことでしょう。22節から24節、

22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。
23 そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。
24 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』こうして彼らは祝宴を始めた。

 ダビデもアブサロムと和解の祝宴をしたかったことでしょう。ダビデはきっとそうできると信じていました。しかし、そうはなりませんでした。ダビデがアブサロムを抱きしめて共に祝宴を楽しむことは最早叶わないことでした。放蕩息子は生きて父の家に帰って来ましたが、アブサロムは死に、ダビデのもとに帰って来ることはできませんでした。

 アブサロムは滅び、放蕩息子は救われました。まったく違う正反対の結果になりました。では、アブサロムと放蕩息子の罪は、滅びと救いとに分かれるほどに大きな違いがあったでしょうか?アブサロムの罪はそれほどまでに大きかったのでしょうか?

 確かにアブサロムが犯した罪は大きなものでした。しかし放蕩息子の犯した罪も負けず劣らず大きかったと言えるでしょう。罪人という点では五十歩百歩と言えるのではないかと思います。

 ちなみに、この「五十歩百歩」ということばの語源は、昔の戦場にあるのだそうですね。戦場で五十歩逃げた兵士が、百歩逃げた兵士を見て、お前は臆病だと笑ったそうです。しかし逃げた臆病者という点では五十歩逃げた者も同じです。アブサロムと放蕩息子の罪も、アブサロムのほうが大きいようにも見えますが、罪を犯したという点では同じです。そして、それは私たちも同じです。罪の大きさに関わらず、罪を犯したという点では私たちもアブサロムと放蕩息子と同じ罪人です。

 皆、同じ罪人ですが、少しの差が「救い」と「滅び」という大きな違いへの分かれ目になります。では、アブサロムと放蕩息子の少しの差とは何だったでしょうか?聖書から読み取れることは、頭を低くし、身を低くすることができたかどうかということです。第二サムエル18章9節をお読みします。

第二サムエル18:9 アブサロムはダビデの家来たちに出会った。アブサロムはらばに乗っていたが、らばが大きな樫の木の、茂った枝の下を通った。すると、アブサロムの頭が樫の木に引っ掛かり、彼は宙づりになった。彼が乗っていたらばはそのまま行ってしまった。

 この場面は、アブサロムが頭を低くし、身を低くすることができなかった人物であることを象徴しているように思います。一方の放蕩息子は「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません」と、天に対し、父親に対して頭を低くし、身を低くすることができました。

 頭を低くし、身を低くすることはイエス様が率先して行ったことです。イエス様は最後の晩餐の時、弟子たちの前で身を低くして弟子たちの足を洗いました。そして弟子たちにも、同じようにするように教えました。

 放蕩息子は父親に対して、身を低くすることができたから、救われて祝福されたのだなあと思います。しかし、アブサロムはそれができませんでした。

③魂の渇きを自覚して神の霊の水の潤いを求める
 頭を低くすることができるなら、自分が自力でできることの限界も見えるようになります。そうして、実は自力では何一つできないことが、見えて来ます。自分は他人に助けられ、神様に助けられて生きていることが分かるようになります。

 特に魂のことに関しては完全に神様の領域のことです。神様と個人的な関係が築けるようになると、魂の渇きを自覚できるようになります。人の魂の渇きを癒し、豊かに潤すことができるのは神様だけです。神様は渇いた人の魂に神の霊の水を注いで潤して下さいます。ダビデはこの魂の渇きをよく自覚していました。きょうの聖書交読で読んだ詩篇63篇1節でダビデはこのように告白しています。

詩篇63篇 ダビデの賛歌。ダビデがユダの荒野にいたときに。

 これはダビデがアブサロムから逃れてユダの荒野にいた時の詩篇です。1節、

詩篇63:1 神よ あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない衰え果てた乾いた地で、私のたましいはあなたに渇き、私の身もあなたをあえぎ求めます。

 この時、ダビデは身を低くして全身全霊のすべてを神様の方に向けていました。魂の渇きを癒すことができるのは神様だけだからです。そんなダビデを神様は憐み、荒野から救い出して下さり、王宮に戻して下さいました。アブサロムも天に対して、父に対して頭を低くし、身を低くして、魂の渇きを自覚していたなら、違った展開になったことでしょう。しかし、アブサロムは魂の渇きを自覚することなく滅びてしまいました。このことを神様も悲しんでおられます。ダビデの悲しむ姿は、神様の悲しむ姿でもあります。

 人の渇いた魂は、神様の霊の水で潤されなければ枯れて滅びてしまいます。12月の年末の大掃除の時、玄関の脇の枯れてしまった針葉樹をM兄と処分しました。私のせいでこの針葉樹を枯らしてしまって申し訳なく思っています。ただ私は朝顔とコスモスを育てていましたから、水やりを怠っていたわけではありません。朝顔とコスモスに水をやる時には玄関の脇の針葉樹の鉢にも必ず一緒に水をやっていました。それなのにどうして枯らしてしまったのか、考えられるのは、雨が降った時には十分に水を与えていなかったということです。

 雨が降った時、外の朝顔とコスモスには水をやりませんでした。しかし、玄関の横のポットの植物には雨が降った時も水を少しだけ与えていました。ポットの上の方にはひさしのような出っ張りがあって、雨水が掛からないようになっているからです。それでも風があれば雨水が掛かりますから、水は少ししか与えませんでした。小さなポットの植物は、それで良かったと思います。しかし大きな鉢は高さがあり、針葉樹の背も高かったですから、ひさしで雨がさえぎられて少しの水では足りなかったんだろうなと思います。去年の夏は例年になく暑かったですから、申し訳ないことをしました。

 人の魂も神様の霊の水で潤されなければ渇いて滅びてしまいます。放蕩息子は、我に返って頭を低くし、身を低くした時、自分に必要なのは食べ物だけではなくて、魂の潤いもまた必要なのだと無意識の内に気付いたのでしょう。

おわりに
 人の魂は皆、渇いています。この渇きを潤すことができるのは、神様の霊の水、すなわち聖霊だけです。このことは非常に気付きにくいことですが、無意識にでも気付くなら、人は聖霊を求めて、その方向に歩み始めます。放蕩息子は頭を低くし、身を低くして「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません」と言うことができました。このことで救いの恵みに与ったことを、聖書は示しています。しかし、アブサロムはそれができませんでした。これがダビデの悲しみと放蕩息子の父の喜びという大きな差を生みました。ダビデの悲しみは神様の悲しみであり、放蕩息子の父の喜びは神様の喜びです。

 私たちの一人一人が救われた時、天に大きな喜びありました。先ずはこのことに心一杯感謝したいと思います。洗礼式は、この天の喜びを地上の教会において分かち合う場です。私たちは、この喜びをもっともっとたくさん分かち合いたいと思います。神様を悲しませることなく、たくさんの喜びを分かち合いたいと思います。

 このことのために、イエス様のように身を低くして互いに愛し合い、互いに尊敬し合って、共に歩んで行きたいと思います。

 このことに思いを巡らしながら、しばらくお祈りする時を持ちましょう。お祈りしましょう。
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