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一粒のタイル2

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9)

霊に燃え、主に仕えよ(2023.1.15 礼拝)

2023-01-16 07:22:27 | 礼拝メッセージ
2023年1月15日礼拝説教
『霊に燃え、主に仕えよ』
【使徒9:1~9】

はじめに
 きょうの説教のタイトルは、「霊に燃え、主に仕えよ」です。週報のp.2に、この教会の会堂の2階の応接室の壁に掛かっている「霊に燃え、主に仕えよ」の色紙の写真を載せました。



 これを書いたのは、本田弘慈先生です。本田先生は、特別集会で招かれた教会には、好んでこの「霊に燃え、主に仕えよ」の色紙を書いて残して行かれたそうで、高津教会の2階にもありましたし、神学生の時に遣わされたいくつかの教会でも目にしました。或いはまた、インマヌエルの教団本部があるお茶の水のOCCビルの玄関を入った1階の壁には、もっと大きなサイズで書かれた「霊に燃え、主に仕えよ」の額が掛かっています。

 きょうは使徒の働き9章のパウロがイエス様と出会って回心した場面を見ながら、パウロが、霊に燃えて主に仕えた人であったことを分かち合いたいと思います。きょうの聖句は、ローマ人への手紙12章の10節と11節です。

ローマ12:10 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。
11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい

 そして、説教の構成は、次の通りです。

 ①背景:ステパノに「律法を守っていない」と言われて怒る
 ②本題:a) 律法を偶像化して律法に仕えていたサウロ
     b) 一転してイエス・キリストに仕えたサウロ
     c) 人は元々、主人に仕えるように造られている
 ③適用:霊に燃え、真にお仕えすべきお方の主に仕えよう

①背景:ステパノに「律法を守っていない」と言われて怒る
 まず、背景の説明をします。先週は、ステパノがユダヤ人たちに捕らえられて裁判に掛けられた場面を取り上げました。簡単に振り返っておきます。

 ステパノが裁判の場で話したことは、使徒の働きの7章に記されています。この弁明は、大変に長いものです。彼はアブラハムのことから語り始め、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセについて語りました。さらにヨシュア、ダビデ、ソロモンにも言及しました。このアブラハムからソロモンに至る話はユダヤ人たちにはよく知られていたことでしたから、ステパノは批判されるようなことは何も述べていません。しかし、7章の51節から、ステパノは一転してユダヤ人たちを批判し始めました。7章51節と52節です。

使徒7:51 うなじを固くする、心と耳に割礼を受けていない人たち。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖たちが逆らったように、あなたがたもそうしているのです。
52 あなたがたの先祖たちが迫害しなかった預言者が、だれかいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって告げた人たちを殺しましたが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。

 ユダヤ人たちの先祖は、預言者たちを迫害して、残酷な方法で殺しました。そして、ステパノは、ユダヤ人たちが、先祖と同じように正しい方であるイエス・キリストを十字架に付けて殺したのだと言いました。そして53節、

53 あなたがたは御使いたちを通して律法を受けたのに、それを守らなかったのです。」

 ステパノは、ユダヤ人たちが律法を守らなかったと言いました。このことばに、ユダヤ人たちは当然、怒りました。なぜなら当時のユダヤ人たちは律法を守っていたからです。それは、彼らの先祖が律法を守らなかったために、北王国と南王国が滅ぼされたからです。そうして北王国の民はアッシリアに、南王国の民はバビロンに捕囚として引かれて行きました。ですから、南王国の民がエルサレムへの帰還を許されて神殿を再建して以降は、律法を守っていました。特にパリサイ人たちは厳格に守っていました。それなのにステパノが、「あなたがたは…律法を…守らなかった」と言ったので、ユダヤ人たちは激怒してステパノを石で打ち殺しました。サウロもその場にいました。

 しかし、ユダヤ人たちは、やっぱりステパノの言った通り、律法を守っていなかったのですね。先週はそういう話をしました。彼らは、「隣人を愛しなさい」という重要な戒めを守っていませんでした。イエス様が安息日に病人を癒した時、ユダヤ人たちはそれを批判して、最後には十字架に付けて殺してしまいました。目の前に病気の人がいれば、たとえ安息日であっても癒すべきで、それが隣人を愛することだとイエス様は人々に示しました。しかしユダヤ人たちは、イエスは律法を守っていないと言って批判して、殺してしまいました。これは、「隣人を愛しなさい」という律法に違反しています。

 そして、彼らはステパノも石で打って殺してしまいました。ここには、隣人への愛がまったく見られません。

②本題:
a) 律法を偶像化して律法に仕えていたサウロ

 サウロ、後のパウロも、ユダヤ人たちと全く同じ考えで、ステパノが言ったことばに激怒していて、イエス様を信じたエルサレムの人々を率先して迫害していました。そして、エルサレムにとどまらずダマスコにまで出掛けて行くことにしました。使徒の働き9章1節と2節、

使徒9:1 さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅かして殺害しようと息巻き、大祭司のところに行って、
2 ダマスコの諸会堂宛ての手紙を求めた。それは、この道の者であれば男でも女でも見つけ出し、縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。

 このサウロの行動も、隣人を愛することからは掛け離れていますね。エルサレムとダマスコでは、直線距離でも200km以上離れています。そんな遠い所まで出掛けて行って縛りあげてエルサレムまで引いて来ることにしたとは、すごい執念ですね。そんなサウロは、律法を偶像化して、律法を愛し、律法に仕えていたように見えます。主に仕えていたのではなくて、律法に仕えていたようです。

b) 一転してイエス・キリストに仕えたサウロ
 しかし、そこに突然イエス・キリストが現れました。3節から5節、

3 ところが、サウロが道を進んでダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。
4 彼は地に倒れて、自分に語りかける声を聞いた。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」
5 彼が「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。

 イエス様は、圧倒的な力を持って、サウロの前に現れました。十字架に付いた時のイエス様は、まったく弱い人でした。そんな弱々しい、木にくくられて呪われて死んだ者が救い主であるはずがないと、ユダヤ人たち、そしてサウロはイエス様を信じる者たちを迫害しました。しかし、サウロの前に現れたイエス様は、十字架に付いた時の弱いイエス様ではなく、圧倒的な力を持つ、王の王であるイエス様でした。そうして、イエス様はサウロに言いました。6節、

6 立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたがしなければならないことが告げられる。」

 続いて7節から9節、

7 同行していた人たちは、声は聞こえてもだれも見えないので、ものも言えずに立っていた。
8 サウロは地面から立ち上がった。しかし、 目を開けていたものの、何も見えなかった。それで人々は彼の手を引いて、ダマスコに連れて行った。
9 彼は三日間、目が見えず、食べることも飲むこともしなかった。

 そして、サウロの目はアナニアによって開かれました。この時のアナニアとサウロについては、来週ご一緒に見ることにします。

 さて、目が開かれたサウロは、今度は一転してイエス・キリストを宣べ伝えるようになりました。20節です。

20 ただちに諸会堂で、「この方こそ神の子です」とイエスのことを宣べ伝え始めた。

 さらに22節、

22 しかし、サウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。

c) 人は元々、主人に仕えるように造られている
 今回、使徒の働きの7章から9章までのサウロの出て来る箇所を読んでいて、「人は元々、主人に仕えるように神様によって造られている」と感じました。9月に台風15号で静岡が大きな被害を受けた時、被災地に多くのボランティアが入って困っている被災者を助けました。この様子を見て、人は元々、隣人を愛して助けるように神様によって造られているのだなと感じました。

 そして、今回、サウロの箇所を読んで、人は元々、主人に仕えるように神様によって造られているのだなと思いました。罪に汚れている間は正しくない主人に仕えることが多いですが、本当にお仕えすべきお方であるイエス・キリストに出会った時、人は生涯を掛けてイエス様にお仕えするようになるのだなと、サウロの姿を見て思いました。

 人は元々主人に仕えるように造られているということは、特に日本人の私たちにはよく分かるのではないでしょうか。

 今年のNHKの大河ドラマは『どうする家康』です。家康には彼に仕える家臣団がいました。そうして、家康に仕える家臣たちに支えられて家康は戦国時代を勝ち抜いて江戸に幕府を開きました。その家康も、形の上では天皇に仕えていました。家康に征夷大将軍の称号を与えたのは天皇だからです。そして、幕末の15代将軍の徳川慶喜の時には、形の上だけでなく、実際の力関係でも、天皇が将軍の上に立ちました。倒幕に動いた薩長連合などが天皇を担ぎ上げて慶喜を朝敵として徳川軍を賊軍とした時、慶喜は観念して天皇への恭順の意志を示して蟄居謹慎しました。そうして、山岡鉄舟や勝海舟らの尽力によって江戸城無血開城が実現しました。

 この後、日本は明治から昭和の第二次世界大戦での敗戦までは天皇を神格化して、天皇を神として崇めました。このような日本の歴史を見ても、人は元々、主人に仕えるように造られていることを強く感じます。

 イスラエルの歴史においても、サムエル記にそれを見ることができますね。週報p.2に記したように、イスラエルの長老たちはⅠサムエル8章5節で言いました。「…どうか今、…私たちをさばく王を立ててください」。これを聞いた主は怒りましたが、拒むことはせずに認めて、このように仰せられました。22節です(週報p.2)。

22 「彼らの言うことを聞き、彼らのために王を立てよ。」

 イスラエル人が仕えるべき主君は天の神であり、人間の王ではありません。このことが分かっていないイスラエル人のことを主もサムエルも嘆き、怒りましたが、結局は認めました。どうして認めたんだろうと不思議に思いますが、やがての日に天から神の御子を遣わして、イエス・キリストこそ王の王であることを分からせるための、遠大なご計画だったのかもしれません。人間の王様では結局はイスラエルの国を治めることはできずに失敗して滅ぼされてしまい、そのことを通して、まことの王の王はイエス・キリストであることを悟らせるためであったのかもしれません。

 いずれにしても、サムエル記の時代にイスラエル人たちが人間の王を欲したことは、それが罪による過ちであったとしても、人は元々、主人に仕えるように造られていることを、ここからも見て取ることができると思います。

③適用:霊に燃え、真に仕えるべきお方の主に仕えよう
 週報のp.2にコピーを載せましたが、1/10付の静岡新聞の読者欄の「ひろば」に、「心癒すハンドベルの音色」という投稿が載りました。お読みします。



 この読者の声の切り抜きは英和のホームページにも掲載されていました。英和ハンドベル部の生徒さんたちと顧問の先生は、とても励まされたことと思います。この投稿者が訪れた演奏会の会場は、田町の会場ではなかったかもしれませんが、私たちもまた、とても励まされます。こういう形で市民の方々のお役に立てたことを、とてもうれしく思います。この投稿を読むなら、この演奏会の場では聖霊が働いていたことが伝わって来て、とても励まされます。

 きょうの聖句であるローマ人への手紙12章の10節と11節でパウロは書きました。

ローマ12:10 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。
11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。

 この読者欄への投稿者の方は、「中高生に感謝の気持ちでいっぱいである」、「本当に頭の下がる思いだった」と書いています。49歳の方ですが、自分より年下の中高生たちに対して頭の下がる思いがして、「相手をすぐれた者として尊敬し」(ローマ12:10)ました。そうして、「大人も人のために役立つように生きることが求められている気がした」と書いています。人のために役立つことをすることは、すなわち人を造った主のために働くことであり、主に仕えるということです。このような思いが投稿者に与えられたのは、まさに聖霊がここで働いていたからでしょう。聖霊は、イエス様を信じる者にも未だ信じていない者にも等しく働き掛けます。そうして、善い行いをするように導きます。

 この聖霊は、天の父と御子イエス・キリストが地上に遣わして下さいます。この聖霊を遣わすイエス様こそが、私たちが遣えるべき主人です。霊に燃えて、この正しいお方にお仕えすることで、私たちは互いに愛し合い、尊敬し合うようになります。

 争い事が絶えず、戦争が無くならないのは、この正しいお方に仕えるのでなく、間違った人や物に仕えてしまっているからです。まず私たちが率先して、正しいお方にお仕えしたいと思います。人は元々、主人に仕えるように造られています。世の人々が罪によって間違った人や物に仕えることがないよう、まずは私たちが霊に燃え、主にお仕えしたいと思います。

 しばらくご一緒に、お祈りしましょう。

ローマ12:10 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。
11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。
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