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一粒のタイル2

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9)

天の星のように増えてほしい愛弟子(2016.11.2 祈り会)

2016-11-03 10:12:07 | 祈り会メッセージ
2016年11月2日祈り会メッセージ
『天の星のように増えてほしい愛弟子』
【ヘブル11:11~16】

はじめに
(前略)
 ヨハネの福音書の「深層部」を理解する人々が星の数ほど、海辺の数えきれない砂粒ほどに増えてほしいと私は願っています。

天の星のように増えてほしい愛弟子
 ここで、きょうの聖書箇所をご一緒に読みたいと思います。ヘブル人への手紙11章の11節から16節までを交代で読みましょう。

11:11 信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。
11:12 そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天の星のように、また海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。
11:13 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。
11:14 彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。
11:15 もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。
11:16 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。

 今回、私はこのヘブル人への手紙の箇所を読んで、「ここにはヨハネの福音書がある」と感じました。
 ヨハネの福音書では、このヘブル人への手紙の箇所のアブラハムがイエスさまの愛弟子に当たります。一人のアブラハムからは多くの子孫が増えました。そしてイエスさまの愛弟子もまた、最初は一人です。しかし、その愛弟子の弟子が愛弟子に育ち、その愛弟子の愛弟子から新たな愛弟子が育つことで愛弟子は星の数のように増えて行くことを神様は願っています。そうして星の数ほどに増えた愛弟子の一人一人が霊的なイエスさまとの出会いについての証を書物に書いて残せば、世界も書かれた書物を入れることはできないでしょう。ヨハネの福音書の一番おしまい(ヨハネ21:25)に書いてある通りです。
 しかし、もし私たちがヨハネの福音書の表層部しか理解しないなら、ヨハネの福音書の愛弟子は一人しかいません。紀元1世紀を人間のイエスさまと共に生きた愛弟子の一人だけです。一方、もしヨハネの福音書の霊的な領域の深層部を理解して、霊的なイエスさまとの交わりを持つなら、その者は新たな愛弟子に加えられ、こうして愛弟子は増えて行きます。

地上でイエスと共に旅する私たち
 これまでも説明して来ましたが、ヨハネの福音書には「旧約の時代」と「イエスの時代」と「使徒の時代」の三つの時代が重ねられています。そして「使徒の時代」は今も続いています。つまりヨハネの福音書の中には創世記の1章から黙示録の22章までのすべての時代があります。そうして私たちは霊的なイエスさまと共にこれらの時代の中を旅する旅人です。ヨハネの福音書で私たちがイエスさまの弟子として共に旅をして、その中で霊的な学びをして愛弟子へと育つことができたと意識できるなら、その愛弟子は地上生涯の後に天の故郷に入ることは確実です。その愛弟子には、やがて天の故郷に入ることが確約されていますから、この世にあっても少しも心配することなく旅人としてイエスさまと共に旅を続ければ良いわけです。
 この「旅人」ということばは、ヘブル人への手紙11章13節にも出て来ますね。

11:13 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。

 私たちもまた地上では旅人です。この地上での旅にイエスさまが共に歩んで下さっていますから、何の心配も要りません。ヨハネの福音書の深層部を霊的に理解するなら、そのことがよくわかって来ます。
 ヨハネの福音書はそんなに長い書ではありません。この大して長くない書の中に旧約聖書と新約聖書の全体がコンパクトに収まっています。この全体像を理解すると、私たちが聖書の中におり、聖書も私たちのうちにあることがわかると思います。ヨハネの手紙第一で、ヨハネは、

「神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。」(第一ヨハネ4:13)

と書きましたが、この「私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられる」の神を聖書に置き換えて、「私たちが聖書のうちにおり、聖書も私たちのうちにある」と言うこともできると思います。
 後半の「聖書が私たちのうちにある」というのはわかりますね。私たちは聖書を読み、聖書の聖句を心の中にとどめて蓄えますから、聖書は私たちのうちにあります。そして、私たちは霊的なイエスさまと共にヨハネの福音書の中で聖書の中を旅しますから、私たちは聖書のうちにあります。

ヨハネの福音書の深層部
 これまでも話して来たようにヨハネ1章は深層部の「旧約の時代」にあっては創世記の時代、ヨハネ2章は出エジプトの時代、ヨハネ3章は律法が授けられた時代とヨシュア記・サムエル記の時代、ヨハネ4章以降は列王記の時代です。或いはまた深層部の「使徒の時代」にあってはヨハネ1章では弟子たちが復活したイエスさまに会い、イエスさま天に帰った時まで、ヨハネ2章はペンテコステの日のガリラヤ人とユダヤ人たちへの聖霊の注ぎがあった時、ヨハネ3章はステパノの迫害があった時、ヨハネ4章はサマリヤ人と異邦人に聖霊の注ぎがあった時というように、私たちは霊的なイエスさまと共に聖書の各時代の中を旅します。こうして私たちが聖書のうちにあることがわかります。
 このように地上においてもイエスさまと一体になり、聖書と一体になる旅の中にいるなら、天の故郷に入ることができることは確実ですから、何の心配も要りません。
 そうして心の平安が得られるなら、争い事もずっと減って行くであろうと私は信じています。それが百年後なのか千年後なのかわかりませんが、イエスさまの愛弟子の数が星の数ほどに増えて行くなら、そのようになるでしょう。そして教会も一つになるでしょう。
 アブラハムも、アブラハムが生きていた時には、アブラハムの子孫はまだ少ししかいませんでした。しかし、アブラハムが地上での生涯を終えた後に、アブラハムの子孫であるイスラエルの民はおびただしく増えました。ですからイエスさまの愛弟子も、百年後か千年後かはわかりませんが、いずれは、星の数のほどに増えるであろうと私は思っています。そのための準備となる働きをしなければ、一タラントのしもべのようなことになってしまいますから、ちゃんと神様からお預かりしたタラントを増やしてお返しできるようにしなければならないと思っています。

おわりに

 この教会は、その働きのための拠点であると私は考えています。まずは私たちがイエスさまの愛弟子になり、そして私たちの周囲の方々が愛弟子になり、やがて、その数が増し加えられて行くことを願っています。周囲の方々というのは、この今沢の地域の方々ももちろんですが、現代はインターネットの時代ですから、ネットを通じてつながっている方々もまた、周囲の方々です。
 こうして、イエスさまの愛弟子の数が天の星のように、また海辺の数え切れない砂のように増えて行くことを願っています。
 お祈りいたしましょう。

11:12 そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天の星のように、また海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。

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