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一粒のタイル2

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9)

エルサレム行きにこだわったパウロ(2018.1.28 礼拝)

2018-01-30 08:22:47 | 礼拝メッセージ
2018年1月28日礼拝メッセージ
『エルサレム行きにこだわったパウロ』
【使徒21:7~15】

はじめに
 きょうは使徒の働きの21章に入ります。パウロは人々が止めるのも聞き入れずにエルサレムに行くことにこだわっていました。きょうは、そのことをご一緒に考えてみたいと思います。パウロの本心は本人でなければわからないことですが、パウロの気持ちに思いを巡らすことで、私たちもまたパウロのように少しでも御父と御子に近づくことができれば幸いであると思います。

エルサレムに向かったパウロ
 先週ご一緒に見た20章では、パウロはミレトの港町にいました。先週ご一緒に読んだ中の、20章22節から24節までを交代で読みましょう。

20:22 いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。
20:23 ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。
20:24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。

 ここにあるように、パウロはエルサレムに向かっていましたが、そこで捕らえられることを予感していました。しかしパウロは24節で、「私のいのちは少しも惜しいとは思いません」と言っています。そうしてミレトの港町を離れました。
 21章の1節から3節までをお読みします。ここには「私たち」とありますから、この使徒の働きのルカも同行していました。

21:1 私たちは彼らと別れて出帆し、コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。
21:2 そこにはフェニキヤ行きの船があったので、それに乗って出帆した。
21:3 やがてキプロスが見えて来たが、それを左にして、シリヤに向かって航海を続け、ツロに上陸した。ここで船荷を降ろすことになっていたからである。

 パウロたちはツロに上陸しました。後ろの地図で確認しておきましょう。
(地図を見る)

エルサレム行きにこだわったパウロ
 このツロの町では、この町の弟子たち、すなわちクリスチャンのところに滞在しました。4節です。

21:4 私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。

 ここではツロの弟子たちも、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにとパウロに忠告したことが記されています。そうして、少し飛ばして7節と8節、

21:7 私たちはツロからの航海を終えて、トレマイに着いた。そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した。
21:8 翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家に入って、そこに滞在した。

 パウロたちはカイザリヤに着きました。そして、そこでも、こんなことがありました。9節から11節。

21:9 この人には、預言する四人の未婚の娘がいた。
21:10 幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。
21:11 彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される』と聖霊がお告げになっています」と言った。

 そこで12節、

21:12 私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。

 すると13節、

21:13 するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。

 このようにパウロはこのカイザリヤでも、ミレトの港町で言ったことと同じようなことを繰り返しました。そうして14節と15節、

21:14 彼が聞き入れようとしないので、私たちは、「主のみこころのままに」と言って、黙ってしまった。
21:15 こうして数日たつと、私たちは旅仕度をして、エルサレムに上った。

捕らえられたパウロ
 そしてパウロは実際にエルサレムで捕らえられました。その経緯は少々長いので、30節から33節までの4カ節だけを見ておきましょう。交代で読みます。

21:30 そこで町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外へ引きずり出した。そして、ただちに宮の門が閉じられた。
21:31 彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、ローマ軍の千人隊長に届いた。
21:32 彼はただちに、兵士たちと百人隊長たちとを率いて、彼らのところに駆けつけた。人々は千人隊長と兵士たちを見て、パウロを打つのをやめた。
21:33 千人隊長は近づいてパウロを捕らえ、二つの鎖につなぐように命じたうえ、パウロが何者なのか、何をしたのか、と尋ねた。

 こうしてパウロは、ローマ兵に捕らえられてしまいました。
 それにしても、なぜパウロはここまでしてエルサレムに行くことにこだわったのでしょうか。エルサレムで困窮している兄弟たちのためにヨーロッパで集められた支援金を持っていくという大切な任務がありましたが、誰か他の人に託すこともできたと思います。先々週ご一緒に見ましたが、パウロはローマに寄ってからイスパニヤに行きたいという願望を持っていました。エルサレムで捕らえられてしまえば、イスパニヤに行くことは適わなくなります。

パウロはなぜエルサレム行きにこだわったか
 ここ何週間か私は、パウロが何故ここまでエルサレムに行くことにこだわったのかについて思いを巡らしていました。なかなか分からない中で、一つ気になることが示されました。それはパウロがエルサレムの神殿で礼拝を捧げていたということです。先ほどご一緒に読んだ30節に、「人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外に引きずり出した」とありますから、パウロは捕らえられた時には神殿にいました。
 私はここにパウロの神殿への強いこだわりが見え隠れしているように感じています。神殿へのこだわりというと語弊があるかもしれません。御父への深い愛と言ったほうが良いかもしれません。父へ礼拝を捧げることは神殿でなくてもできますが、神殿が存在する以上は、エルサレムの神殿が最も父の臨在を感じることができる場所であることは確かでしょう。
 例えば、好んで海外で暮らしている日本人を考えてみましょう。日本より外国のほうが暮らしやすいからという理由で、海外暮らしをしている日本人はたくさんいます。そういう日本人もほとんどの人々は日本を愛していることと思います。そうしてたまには短期間だけ帰国して日本を満喫している人も多いでしょう。
 パウロも異邦人の地での生活を長くしていて、そのことに慣れていましたが、たまにはエルサレムの神殿での礼拝を思う存分したいという気持ちはあったでしょう。その気持ちはパウロが五旬節の日にはエルサレムに着いていたい(使徒20:16)と考えていたことから読み取れます。五旬節は、三大祭り(過越、七週、仮庵)の七週の祭りの時にありますから、やはり生粋のユダヤ人であるパウロは、祭りの時に神殿に礼拝したいという思いが強かったのではないかと思います。そうしてエルサレムでエネルギーをチャージしてからローマ・イスパニヤ方面に向かいたかったのではないでしょうか。

神殿の喪失感を引きずっていた人々
 ルカが書いた使徒の働きはルカの福音書の続編です。そのルカの福音書の書き出しは、バプテスマのヨハネの父ザカリヤの神殿における奉仕の話から始めています。ここでルカは使徒たちの神殿への強い愛着感そして喪失感を表現しているように感じます。神殿は紀元70年にローマ軍の攻撃によって焼失してしまいます。ルカの福音書と使徒の働きは、恐らくこの神殿焼失よりも後に書かれたと考えられます(焼失前という説もありますが)。
 パウロが生きていた時代には、まだ神殿が存在していました。神殿が存在している以上、パウロが神殿に強い愛着とこだわりを持っていたことは当然だと思います。そうして神殿における礼拝で御父と御子との一体感を感じていました。ただ、これは異邦人の前では言いにくいことですね。異邦人は神殿に入ることができませんでしたから、異邦人の前ではパウロは自分の神殿への愛着を言うことはなかったでしょう。
 一方、ルカの福音書よりもさらに後のヨハネの福音書のイエスさまは、ヨハネ4章でサマリヤの女に次のように言っています。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。(中略)神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:21,24)
 ヨハネの福音書のイエスさまは、父を礼拝するのは、このサマリヤの山でもエルサレムの神殿でもないとおっしゃっています。ここからは、ヨハネの福音書が書かれた1世紀の末頃でも、なお多くの人々が神殿の喪失感を引きずっていたことが読み取れると思います。ユダヤ人はもういい加減に神殿のことは忘れなさいというヨハネからのメッセージとも読み取れます。父を礼拝することは神殿でなくてもできるのですから、神殿にこだわる必要はないわけです。しかし何度も繰り返しますが、パウロの時代にはまだ神殿がありましたからパウロが神殿にこだわるのは当然のことでした。

おわりに

 私たちは、私たちの神殿である会堂の建設への強いこだわりを持っていましたが、それを果たすことはできませんでした。しかし、このことによって新約聖書が書かれた時代の人々がエルサレムの神殿に愛着を持ち、ローマ軍の攻撃によって焼失した後には喪失感を長く引きずっていたことが、より深く理解できるようになったと私は感じています。このことは感謝すべきことなのだろうと思います。もし会堂建築が順調に進んでいたなら、なかなか気付かなかっただろうと思います。私たちは聖書の時代の人々にもっと近づき、もっと身近に感じることで、御父と御子への愛をもっと深めることができますから、これはとても感謝なことです。
 きょうはパウロが御父と御子を深く愛し、一つとなっていたことを学ぶことができましたから感謝したいと思います。私たちも御父と御子と一つになって、これからも礼拝を捧げて行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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私たちを成長させるみことば(2018.1.21 礼拝)

2018-01-22 10:12:10 | 礼拝メッセージ
2018年1月21日礼拝メッセージ
『私たちを成長させるみことば』
【使徒20:31~38】

はじめに
 先週の礼拝では使徒の働き20章の3節までを読みました。きょうもまた20章です。3月一杯で使徒の働きの学びを終わらせるためには、同じ章で足踏みをしているわけには行かないのですが、この20章のミレトにおけるパウロの説教は省略するわけにはいかないでしょう。このミレトの説教だけで何回分かのメッセージができると思いますが、きょうの一回だけで終わらせたいと思います。
 このミレトの説教からのメッセージを私は静岡教区会のディボーションで2回聞いたことがあります。静岡教区では春と秋の教区会の始めに15分間のディボーションの時を持ちます。私が沼津に来たのが2013年ですから、2017年までの5年間に10回の教区会のディボーションがありました。そのうちの1回は私の担当で、残りの9回のうちの2回が、このミレトの説教からでした。聖書66巻の広い範囲から9回のうち2回もここからメッセージが語られたということで、この箇所をインマヌエルの先生方がいかに大切に思っているかということがわかります。

その時その時を全力で生きていたパウロ
 この時、パウロは船でエルサレムに向かっていました。後ろの第三次伝道旅行の地図で確認しておきましょう。先週見た20章3節では、パウロはまだコリントの町にいました。
(地図を見る)

 ではまず、17節と18節をお読みします。

20:17 パウロは、ミレトからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ。
20:18 彼らが集まって来たとき、パウロはこう言った。「皆さんは、私がアジヤに足を踏み入れた最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。

 こうしてパウロはエペソの教会の長老たちに向かって話し始めました。この説教は長いもので、先ほど話したように、ここからだけでも礼拝メッセージを何回もできると思いますが、きょうは3箇所だけを短く取り上げて、20章の学びを終わらせます。それで少し飛ばして、1箇所目として24節をお読みします。

20:24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。

 パウロはこの先、エルサレムで捕らえられることを予感していました。23節でパウロは「聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われる」と言っています。そうして24節で、けれども自分の走るべき行程を走り尽くして任務を果たし終えることができるなら、いのちを少しも惜しいとは思わないと言っています。先週ご一緒に開いたローマ人への手紙では、パウロはローマに寄ってからイスパニヤに行くことを望んでいたことを学びました。ですから、その前に捕らえられてしまうことは決して望んでいない筈です。ここからは、パウロがどのような生き方をしていたかがわかる気がします。パウロは、その時その時を全力で生きていたということではないでしょうか。確かにローマやイスパニヤには行きたい、しかし、そのことのために今は安全策でエルサレムには行かないようにしようとか、今は体力を温存しておいて将来のイスパニヤ行きに備えておこうとか、そういうことは考えなかったのがパウロという人だと読み取れます。その時その時を全力で生きているから、たとえ途中で命を落とすことがあっても、それを残念だとは思わない、もちろん、その先もずっと主に仕えて長生きしたいとも思っていたでしょうが、そのことのために今は力をセーブしようとは思わない、途中で倒れても、それが御心なら、それはそれで構わない、そのような生き方をパウロはしていたと読み取れると思います。

江藤先生のこと
 この箇所を読んで、私は1週間前の1月14日に天に召された江藤博久先生の生き方もそのようなものではなかっただろうかと思いました。江藤先生には私が沼津に着任してから最初に行った聖餐式礼拝に来ていただいて聖餐式を執り行っていただきましたから、皆さんもよく覚えていらっしゃることと思います。18日に神学院教会で行われた告別式の説教の中で司式者の小川先生が、江藤先生が60歳を過ぎてから神学院に入学して神学生として奉仕された姿を見て多くの人々が心を動かされて献身へと導かれたと話しておられました。ああ、本当にそうだなと思いました。私もまた神学生の時の江藤先生の姿に心を動かされて献身へと導かれた者の一人だったからです。
 江藤先生は神学院の4年生の時にインターン実習生として高津教会で半年間ご奉仕をされました。2000何年のことだったかな?と私の中では記憶が曖昧になっていましたが、2006年のことだったと告別式で配布された資料を見て記憶がよみがえりました。江藤先生は有名企業の役員まで務め上げた方でしたが、神学生としての江藤先生はぜんぜんそんな風には見えず、本当に一神学生として下働きもへりくだってしておられました。その姿を拝見していて私は心を動かされて、定年後にこういう道もあるのだなと思いました。それで、ふと「自分も、もしかしたら定年後には神学院に通うようなことがあるかもしれない」と思った瞬間がありました。実際に私が神学院に通い始めたのは、その2年後でしたから定年よりはずっと早かったわけですが、もし江藤先生の姿を見て「自分も、もしかしたら神学院に通うようなことがあるかもしれない」と思った瞬間が無かったなら、恐らく私が神学院に入学することもなかっただろうと思いますから、確かに私も江藤先生によって献身に導かれた者の一人です。
 そうして今、神学生の時の江藤先生の姿を思い出すと、先ほど話したパウロの生き方とが重なって来ます。江藤先生はもちろん牧師になることを目指して神学院で学んでいたわけですが、その途中で倒れても良いぐらいの気持ちで全力で神学生としての務めに励んでおられたように思います。60歳を越えてから神学院の男子寮で寝起きをしながら勉強を続けることは、心身に相当な負担が掛かっていた筈です。後から知ったことですが、神学生になる前には心臓の大手術を受けていたということです。そういう体で夏は暑くて冬は寒い男子寮で、朝は5時半に起きて6時からの早天に出席し、朝食後には男子寮と広いキャンパスの清掃をした後で午前と午後の授業に臨み、夜には祈祷会があるという生活をすることは本当に大変だっただろうと思います。ですから、いつ倒れてもおかしくないわけです。もちろん倒れては困るわけですが、それでも悔いはないぐらいの気持ちで、神学生としての一日一日を精一杯過ごしておられたのではないかという気がしています。

私たちを成長させるみことば
 次に第二の箇所に移りたいと思います。32節です。

20:32 いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。

 「みことばは、あなたがたを育成し」とあります。ああ、本当にそうだなあと思いますし、皆さんもそう思われることでしょう。新改訳2017には「みことばは、あなたがたを成長させ」とあります。育成も成長も同じような意味を持つと思いますから、どちらが良いと思うかは人それぞれだと思いますが、私は「成長」のほうが何となくしっくりくる気がします。そして、私が好んで引用する第一ヨハネ1章の1~3節も、このパウロのことばと同じことが書かれていると感じます。週報のp.3に記しました。

1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
1:2 ──このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。──
1:3 私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。

 ヨハネはイエスさまをいのちのことばであると書いています。パウロはみことばが私たちを成長させると書いていますが、ことばであるイエスさまが私たちの中に入って、私たちを成長させて下さいます。そうして私たちを御父および御子イエス・キリストとの交わりに入れて下さいます。これが私たちが霊的に成長するということでしょう。
 私たちの今年の聖句の第一ヨハネ4:13の、

4:13 神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。

もまた同じことを言っていると感じます。御霊によって私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかるということは、私たちが霊的に成長しているということです。このように私たちが霊的に温まっている状態にあるなら、パウロのことばもヨハネのことばも同じだということに気付きます。霊的に冷たい学術的な読み方をするならパウロとヨハネとは区別して読むことになるでしょう。そしてパウロとヨハネとで異なる点について論じるかもしれません。しかし霊的に温まっていればパウロもヨハネも同じです。三位一体の神の理解も霊的に温まっていなければ、決して理解できないでしょう。父・子・聖霊は霊的に冷たければ三つの神に見えるでしょう。しかし、霊的に温まっていれば一つの神であると感じられます。

受けるよりも与えるほうが幸い
 最後に第三の箇所に移ります。35節です。

20:35 このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」

 「受けるよりも与えるほうが幸いである。」私はこのことの幸いを、教会の皆さんが会堂建設のために熱心に献金に励んで下さった姿を通して見させていただいたと思い、とても感謝に思っています。
 着工には至りませんでしたが、昨年の今頃はいよいよ会堂建設の着工に進めるとの期待感に溢れており、私たちは霊的に燃えていました。そこまで到達できたのは、皆さんが会堂献金に熱心に励んで下さったからこそです。皆さんが「受けるよりも与えることの幸い」を率先して形で表して下さったことは本当に感謝なことであったと思います。会堂建設には至りませんでしたが、これは沼津教会にとって間違いなく大きな財産になったと思います。
 最後に、36節から38節までを交代で読みましょう。

20:36 こう言い終わって、パウロはひざまずき、みなの者とともに祈った。
20:37 みなは声をあげて泣き、パウロの首を抱いて幾度も口づけし、
20:38 彼が、「もう二度と私の顔を見ることがないでしょう」と言ったことばによって、特に心を痛めた。それから、彼らはパウロを船まで見送った。

 こうしてパウロはエルサレムに向かって行きました。そして次聖日に学びたいと思いますが、パウロはエルサレムで捕らえられました。ですからパウロは捕らえられるためにエルサレムに向かって行ったようなものでした。イエスさまもまた捕らえられるためにエルサレムへと向かって行きました。このようにイエスさまの姿とパウロとは重なります。それはまた、次の礼拝の時にご一緒に学ぶことにいたしましょう。
 お祈りいたします。
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聖書間のことばの霊的な混じり合い(2018.1.14 礼拝)

2018-01-16 07:40:41 | 礼拝メッセージ
2018年1月14日礼拝メッセージ
『聖書間のことばの霊的な混じり合い』
【使徒20:1~3、ローマ15:22~28】

はじめに
 礼拝メッセージでは約1ヶ月半の間、使徒の働きの学びから離れていましたが、きょうからまた、使徒の働きに戻ることにします。この使徒の働きの学びは早ければ2月一杯で、遅くても3月中には最終章の28章までを学んで、この書を最初から最後まで学び通したという形にしたいと思います。

エペソでの大騒動
 きょうは20章のはじめの部分を見ます。まず20章1節、

20:1 騒ぎが治まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げて、マケドニヤへ向かって出発した。

 この時、パウロは第3次伝道旅行でエペソの町にいました。ここまでの第3次旅行をごく簡単に振り返っておくと、第3次伝道旅行の出発は、18章の23節です。

18:23 そこにしばらくいてから、彼はまた出発し、ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた。

 この23節の「彼はまた出発し」というのが第3次伝道旅行の出発を示します。そして、パウロは19章の1節でエペソに来ました。19章1節、

19:1 アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。

 そして、19章にはパウロがエペソにいた時のことが書いてあります。この19章の始めのほうは去年ご一緒に学びましたね。きょうは19章後半に記されているエペソでの大騒動を簡単に見てから20章に戻ることにします。
 23節から見て行きます。

19:23 そのころ、この道のことから、ただならぬ騒動が持ち上がった。

 ただならぬ騒動というのは何でしょうか。24節と25節、

19:24 それというのは、デメテリオという銀細工人がいて、銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたが、
19:25 彼が、その職人たちや、同業の者たちをも集めて、こう言ったからである。「皆さん。ご承知のように、私たちが繁盛しているのは、この仕事のおかげです。

 24節に、「職人たちにかなりの収入を得させていた」とありますから、これはお金が絡んだ事件です。以前も占いの霊につかれたピリピの町の若い女奴隷の記事を見ましたね(使徒16:16~)。この女奴隷の占いで主人たちは多くの利益を得ていましたが、パウロがこの女から占いの霊を追い出してしまったので、もうける望みを失った主人たちが役人に訴えてパウロとシラスは捕らえられて牢に入れられるという事件がありました。この時も金儲けが絡んでいましたが、今回のエペソの事件も同様です。26節と27節、

19:26 ところが、皆さんが見てもいるし聞いてもいるように、あのパウロが、手で作った物など神ではないと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせているのです。
19:27 これでは、私たちのこの仕事も信用を失う危険があるばかりか、大女神アルテミスの神殿も顧みられなくなり、全アジヤ、全世界の拝むこの大女神のご威光も地に落ちてしまいそうです。」

 パウロがエペソで聖書の神を宣べ伝えたので、エペソのアルテミスの神殿が売れなくなってしまいました。それで28節、

19:28 そう聞いて、彼らは大いに怒り、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ」と叫び始めた。

 こうして、この事件は大騒動になりました。

コリント滞在中にローマ人への手紙を書いたパウロ
 この騒動は19章の終わりに何とか治まって、20章に入り、パウロはエペソを出発してマケドニヤに向かいました。続いて20章の2節と3節、

20:2 そして、その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、ギリシヤに来た。
20:3 パウロはここで三か月を過ごしたが、そこからシリヤに向けて船出しようというときに、彼に対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにした。

 パウロはギリシヤに来て、そこで三か月を過ごしたとありますが、これはコリントの町のことです。パウロはコリントの町で三か月を過ごしました。パウロのローマ人への手紙は、この第3次伝道旅行のコリント滞在中に書かれたとされています。この三か月の間には様々なことがあったと思われますが、使徒の働き20章は何も触れずに、2節でコリントに来たと思ったら、3節ではもうシリヤに向けて帰ることになったことが書かれています。
 そこで、このコリントにいた時のパウロの心情をローマ人への手紙で補いたいと思います。ローマ人への手紙15章の22節から見ていきます。22節と23節、

15:22 そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、
15:23 今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行く場合は、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していましたので

 パウロはずっとローマに行きたいと願っていましたが、幾度も妨げられていて、ローマ人への手紙を書いた時点では、まだローマに行ったことがありませんでした。そしてパウロはまたイスパニヤ、スペイン方面にも行きたいと願っていました。ですからイスパニヤ、スペイン方面に行く時にはローマに立ち寄るつもりでいました。それが24節に書かれています。

15:24 ──というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです、──

 イスパニヤに向かう途中でローマのあなたがたに会い、しばらくローマにいて心を満たされてから、ローマの人々に送られてイスパニヤに行きたいと望んでいました。しかし、25節と26節、

15:25 ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。
15:26 それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。

 マケドニヤとアカヤとありますが、マケドニヤにはピリピ、アカヤにはコリントの教会がありました。そして、その周辺の町々にも教会があったことでしょう。これらの地方の諸教会では、エルサレムの聖徒たちの中の貧しい人々のためにお金を送ることにして、パウロはそれを携えてエルサレムに行くことにしました。27節と28節、

15:27 彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。
15:28 それで、私はこのことを済ませ、彼らにこの実を確かに渡してから、あなたがたのところを通ってイスパニヤに行くことにします。

 このように、パウロはこれからの計画をローマ人への手紙のおしまいのほうの15章で書いています。
 先ほど私はパウロのローマ人への手紙はコリントの町で書かれたと言いましたが、それはこのローマ人への手紙の文面と使徒の働きの記事とを重ねるとわかることです。その他にもパウロのガラテヤ人への手紙と使徒の働き、コリント人への手紙と使徒の働きを重ねると、どちらか一方だけではよくわからないことも、よくわかるようになります。これらパウロの手紙と使徒の働きとを重ねてパウロのことをより深く理解できるようになることは霊的でなくてもできることです。ですからクリスチャンでなくても、これらの書を重ねて読めばわかることです。

霊的な読み方とそうでない読み方
 では、ルカの福音書と使徒の働きとを重ねた場合はどうでしょうか。ルカの福音書も使徒の働きもルカが書いたルカ文書ですが、私はルカ15章の「放蕩息子の帰郷」の物語は使徒の働きに記されている「異邦人の救い」と重ねられていると考えています。これについては賛否両論があることでしょう。これは霊的な状態でなければ見えて来ないことだからです。ですから、学術的に読めば、「放蕩息子の帰郷」が「異邦人の救い」と重ねられているというような読み方は有り得ないと片付けられてしまうかもしれません。なぜなら異邦人が父の家を出たのは創世記の時代で、父の家に戻ったのは使徒の時代だからです。異邦人が家を出てから父の家に帰るまで何千年もの歳月を要しました。一方、ルカ15章の放蕩息子が父親の家を離れていた期間はそんなに長いものではなかったでしょう。どれくらいの期間であったかは書かれていませんが、放蕩息子が父親の財産を使い果たすまでの期間ですから、せいぜい数年程度でしょう。「異邦人の救い」の場合は何千年も掛かって父の家に戻り、「放蕩息子の帰郷」の場合は数年間で父の家に戻りましたから、両者の間には大きな隔たりがあります。しかし、この時間的に大きな隔たりがある両者が同じに見えるようになることが「霊的な読み方」であるというのが私の考えです。これは『旧約聖書』と『新約聖書』が混じり合わなければ見えて来ないことです。そのためには、霊的にある程度熱い状態である必要があると言えるでしょう。
 先ほど話したパウロの手紙と使徒の働きとを重ねて読むことは霊的に冷たくてもできることです。しかし、『旧約聖書』と『新約聖書』とを重ねて読むことは霊的に熱い状態でなければできないことです。『旧約聖書』と『新約聖書』とは霊的に冷たければ混じり合いません。

金属原子の相互拡散のモデル

 私は今年に入ってから、このことが私のかつての専門だった金属材料の分野でよく知られている現象に非常によく似ていることに気付きました。それは「相互拡散」という現象です。二つの異なる金属を接合してから加熱してあげると、一方の金属の原子がもう一方の金属の方へ拡散移動して行って、混じり合うという現象です。温度が高ければ原子は速く拡散し、温度が低ければなかなか拡散しません。そして完全に冷たければ原子は全く拡散しません。このように金属の場合には原子が移動しますが、聖書の場合には、聖書のことばが移動します。そうして、『旧約聖書』と『新約聖書』とが混じり合います。
 例えば私たちクリスチャンには、イエス・キリストの十字架とイザヤ書53章のしもべとが重なって見えます。これは『旧約聖書』のイザヤ書のことばと『新約聖書』の福音書のことばが混じり合ったということです。しかし、クリスチャンではない霊的な目が開かれていない人の場合は両者が混じり合うことはないでしょう。クリスチャンではない方々は霊的に温まっていないからです。イザヤ書53章の3節から6節までを交代で読みましょう(旧約聖書p.1214)。

53:3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、【主】は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

 イザヤ書の時代と福音書の時代とは何百年も離れています。しかし、私たちにはこの二つの書が時間を越えて混じり合うことを感じます。このように時間を越える時、それは霊的な読み方であると言えるでしょう。私たちが霊的に温まった状態でイザヤ書を読む時、イザヤ53章のしもべは福音書のイエス・キリストと混じり合います。
 ヨハネの福音書4章のサマリヤの女が、エリヤの時代のやもめの女で、ここにいるイエスさまはエリヤだと私が言っているのは、私がこのように『旧約聖書』と『新約聖書』とが混じり合う読み方をしているからです。ヨハネ2章でイエスさまが水をぶどう酒に変えた出来事は出エジプトの時代にモーセがナイル川の水を血に変えた出来事と重なると言っているのも同じことです。これは私独自の読み方ではなくて、『旧約聖書』と『新約聖書』とを接合して霊的に熱い状態で読めば、二つの書は混じり合います。

混じり合う「過去」と「未来」
 今年私が個人的に示されている働きは、私のかつての専門の金属材料学の知識を生かして、聖書の霊的な読み方をこれまでよりも、客観的に扱えるようにすることです。霊的な読み方は主観的と思われがちで、私のヨハネの福音書について言っていることも、小島独自の読み方のような受け取られ方をしていると思います。そうではなくて、聖書の読み方を霊的に熱い状態で読むことと冷たい状態で読むこととを同じ場で統合的に論じられるようにしたいと思います。霊的に温まった状態で読むディボーション的な読み方と、霊的に冷たい状態で読む学術的な読み方は相容れないように受け取られていると思いますが、両者を同じ土俵に上げて同じように扱えるようになると良いと思います。
 このことは、様々な恩恵をもたらすと私は期待しています。
 それは、『旧約聖書』と『新約聖書』が混じり合うことは、「過去」と「未来」とが混じり合うことだからです。旧約から見れば新約は未来であり、新約から見れば旧約は過去です。ですから二つの書が混じり合うことは「過去」と「未来」とが混じり合うことです。
 また、キリスト教では「罪」や「きよめ」のことがイエスさまの十字架と直結して論じられます。イエスさまが十字架に掛かったのは自分の罪のためだと教えられ、最初は何のことかわかりませんが、ある時からそれがわかるようになります。すると自分と十字架とが直結しますから、その過程で何が起きたか見落とされがちですが、実はここで、二千年前の過去の十字架とその二千年後の未来の自分とが混じり合うという「過去」と「未来」との混じり合いが起きています。このメカニズムを、金属原子の相互拡散モデルで例えるなら、原子の拡散移動には時間が掛かりますから、もう少し理解しやすい形になるのではないかと思います。このことで、「霊的とはどういうことか」や「永遠とは何か」ということが、今までよりは、もう少しわかりやすくなるのではないかと私は期待しています。
 キリスト教の初心者にとって十字架をわかりづらくしている要因の一つに、現代の自分と二千年前の十字架をあまりに直結してしまっていることがあると私は感じています。それで金属原子の相互拡散のプロセスを挟んであげれば少しはわかりやすくなるだろうと思います。

おわりに
 伝道が困難な時代ですが、まだまだ工夫の余地はあるように思います。1世紀のパウロたちも、どうすればキリストの教えを伝えることができるか、様々に悩み、試行錯誤しながら伝道していたと思います。パウロのローマ人への手紙にも、その苦労の跡が見えます。最後に、ローマ人への手紙をご一緒に読んで礼拝メッセージを閉じます。どこを開いても良いのですが、ローマ10章の11節から17節までを、ご一緒に交代で読みたいと思います。この箇所の中にある15節にはイザヤ書52章7節の「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう」が引用されています。私たちは、これからも様々に工夫をしながら「良いことの知らせ」、イエス・キリストの福音をお伝えして行きたいと思います。

10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。
10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。
10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」
10:16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか」とイザヤは言っています。
10:17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。

 お祈りいたしましょう。
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みことばのお風呂屋さん(2018.1.7 新年礼拝)

2018-01-08 07:56:33 | 礼拝メッセージ
2018年1月7日新年礼拝メッセージ
『みことばのお風呂屋さん』
【Ⅰヨハネ4:7~16】

はじめに
 新しい年に入り、新年最初の説教のタイトルは、『みことばのお風呂屋さん』にしました。実は、「みことばのお風呂」というタイトルで私は神学生の2年生の時に教報の神学生の報告欄に文章を書いたことがあります。その時に書いたものを、ここで読ませていただきます。

みことばのお風呂
(ここから引用)
 私の神学院生活も二年目に入りました。私の好きな奉仕の一つに寮のお風呂掃除があります。洗い場の床のタイルをデッキブラシでゴシゴシとこすり、湯を抜いた後に浴槽の底に残る汚れをきれいに洗い流すと、清々しい気分になります。そして、きれいになった浴槽に湯を満たし、体を浸すと本当に幸せな気分になります。お湯で体が温められると同時に水の浮力により体が軽くなり、日々の様々な重荷から解放されるからです。
「彼女(マルタ)にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた」(ルカ10:39)。この時のマリヤはきっと深刻な顔ではなく、お風呂に入っているような幸せそうな顔をしていたのだと私は思います。私はこれを「みことばのお風呂」と呼びたく思います。そして近頃私が思うことは教会は「みことばの風呂屋」ではないかということです。風呂屋の亭主が客にきれいな湯をたっぷりと提供するように、牧師も神様の聖なるみことばを来会者にたっぷりと提供し、主の平安にどっぷりと浸ってもらいます。こんなことを考えるようになったのは、私自身が一年目の緊張から解放され、イエス様との距離も縮まり、神学院でのみことば漬けの生活の恩恵に浴しているからだと思います。
 私たちにこのような心の癒しと平安がもたらされるのはイエス様の打ち傷により(イザヤ五三・5)、それは私たちの咎ゆえであることをしっかりと心に留めつつ、今の私の理想の牧師像である「みことば湯」の亭主への道を追求していけたらと思っています。今後ともお祈りとご支援をどうかよろしくお願い申し上げます。
(引用ここまで)

今年の聖句
 この「みことばのお風呂」は2009年の教報の7月号に掲載されました。私がこの沼津教会を初めて訪れたのが同じ2009年の7月の伝道会の時でしたから、ちょうど同じ月の教報ということになります。
 今回、この「みことばのお風呂」という言葉を思い出したのは、2018年の聖句が与えられて、この聖句から、どのようなメッセージを語ろうか思いを巡らしていた時でした。ですから、「みことばのお風呂」が先ではなくて、聖句のほうが先に与えられました。今年の聖句は週報の1ページ目に記したように、第一ヨハネ4:13です。

「神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。」 (Ⅰヨハネ4:13 新改訳 第3版)
「神が私たちに御霊を与えてくださったことによって、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられることがわかります。」(Ⅰヨハネ4:13 新改訳 2017)

 新改訳の第3版と2017の両方を載せたのは、今年はいろいろな意味で移り変わりの時期であるということと、実はまだ新改訳2017をいつから使い始めるか、幹事会で決めていなかったからです。12月の幹事会で話し合えば良かったのですが、あいにく他に話し合わなければならないことが色々とあって、それどころではなかったというのが正直なところです。今月の幹事会では議題に挙げようと思います。幹事以外の方々で、新しい聖書をいつから使い始めるのが良いかのご意見をお持ちの方は、私または幹事の方へお伝えいただければと思います。きょうのメッセージは、従来通りの第3版の訳を使います。
 今年の聖句として第一ヨハネ4:13を示されたのは、私たちは互いにもっと霊的に成長して、それを分かち合えるようになりたいという思いがあるからだと思います。一人一人が霊的に成長するだけでなく、その成長を互いに分かち合えるようになれたら良いと思います。そのためには、先ずは私たちには御霊が与えられていることを自覚する必要がありますが、その次の段階として、私たちが同じ神のうちにおり、そして、その同じ神が私たちのうちにおられることがわかるようになりたいと思います。この場合の「私たち」というのは、クリスチャンになったばかりの方にとっては、「現代の同じ教会(インマヌエル沼津キリスト教会)の私たち」でも良いと思いますが、霊的に成長したなら、「1世紀のヨハネたちとの交わりの中にある私たち」ということを感じることができるようになりたいと思います。

私たちは永遠の中にいる神のうちにいる
 きょうの聖書交読の箇所の第一ヨハネ1章1~4節を、もう一度交代で読みましょう。

1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
1:2 ──このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。──
1:3 私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。
1:4 私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。

 もう数え切れないぐらい何度も引用していますが、ヨハネは1章3節で「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです」と書いています。ヨハネは21世紀の現代の私たちもまた、この交わりに招いています。なぜなら、私たちに与えられている御霊は永遠の中にいるからです。御霊は神で、神は永遠の中にいます。私たちは永遠の中にいる神のうちにおり、永遠の中にいる神も私たちのうちにいますから、同じ神のうちにいる1世紀のヨハネも21世紀の私たちも、同じ交わりの中にいます。こうして永遠を感じることができるようになるなら、私たちは霊的に成長しているということができるでしょう。

神の霊の風呂

 この霊的な事柄を、きょうは「みことばのお風呂」の考え方を使って改めて説明してみたいと思います。8年半前の2009年7月の私は、まだ霊的なことを上手く説明することはできませんでしたが、今は少しは説明することができます。「みことばのお風呂」とは実は「神の霊の風呂」とも言い換えることができます。このことを、きょうは3つのポイントで話したいと思います。
 3つのポイントとは、①みことばは神の霊であること、②私たちは神の霊の浮力を受けて平安を得ること、③私たちの霊的な状態は熱くもなるし冷たくもなるということ、です。
 まず最初の①みことばは神の霊であることについては、私たちの実感として納得できるでしょう。みことばは、私たちの内に入って私たちを励まし、強め、平安を与えます。つまり、みことばは神の霊と同じだということです。また、ヨハネはイエス・キリストは「ことば」であったと書いています。ヨハネの福音書でヨハネは、「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」(ヨハネ1:1)、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」(ヨハネ1:14)と書いていますね。そして第一の手紙においても、先ほど読んだ1:1で、「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて」と書いています。ことばであるイエス・キリストは神ですから、人として生まれる前のキリスト、そして天に昇った後のキリストは神の霊として永遠の中に存在しています。ですから、みことばは神の霊であると言えます。
 次に②私たちは神の霊の浮力を受けて平安を得ることについて説明します。私たちは神の霊の中にいて、神の霊は私たち中にいます。このことは、お風呂のことを考えるとよくわかると思います。私たちの体の半分以上は水分からなるそうです。赤ちゃんの場合は体重の約8割が水分だそうで、子供で7割、大人だと6割、年を取ると5割にまで減るそうですが、それでも半分は水分です。ですから、お風呂に入れば私たちは水の中におり、水も私たちのうちにあるという状態になります。その中で私たちは浮力を受けて軽くなり、心身ともにリラックスすることができて心の平安を得ることができます。
 同様に、自分が神の霊の中にいて、神の霊も自分の中にいることを感じるなら、私は自分が神の霊の中で浮力を受けているような感覚を覚えます。その時には魂の平安を感じます。
 そして、③私たちの霊的な状態は熱くもなるし冷たくもなるということを、ご一緒に考えてみたいと思います。お風呂のお湯の場合は、お湯が熱ければ私たちも熱くなり、お湯がぬるかったり冷たかったりすれば、私たちの体は冷えてしまいます。しかし、神の霊の場合には私たちが霊的に熱くなるか冷たくなるかは、私たちがどれだけ霊的に整えられているかによるのだろうと思います。整えられていれば神の霊によって霊的に熱く燃やされると思いますし、鈍感なら霊的に熱くなることはないでしょう。ただし、いたずらに熱くなれば良いというわけでもないと思います。熱くなりすぎると、のぼせてしまったり熱狂状態になってしまったりする危険性もあります。しかし、ある程度の熱さは必要でしょう。そうでないと聖書を読んでも霊的な読み方ができなくなります。ですから聖書を読んで霊的にポカポカと暖かくなるためには、私たちは霊的に成長して整えられる必要があるでしょう。そうして、みことばのお風呂に浸かって霊的にポカポカと暖かくなるなら、21世紀の私たちだけでなく、1世紀のヨハネたちとも同じお風呂に入ってポカポカしている感覚を味わうことができるのではないかと思います。これが、ヨハネが第一の手紙の1章3節と4節に書いた、

1:3 私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。
1:4 私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。

ということだと思います。

客観的な尺度の導入の提案

 さてここで、これから私が個人的に取り組んで行きたいと願っていることの一部を話して、皆さんと分かち合いたいと思います。きょうは半分だけを話して、残りの半分は水曜日の祈祷会と来週の礼拝メッセージで話したく思っています。祈祷会で話すことは、来週の礼拝でまた要約して話したく思いますから、祈祷会のメッセージを聞かなくても大丈夫です。
 これから私が取り組みたいこととは、聖書を読む時に、今話した霊的な温度のような共通の尺度を導入することを提案して行くことです。そうすれば、もっと霊的な読み方を多くの方々と分かち合うことができるようになるのではないかと思い始めています。
 なぜ、こんなことを考えているかというと、去年私は「『ヨハネの福音書』と『夕凪の街 桜の国』」という本を出しましたが、あまり共感を得ることができませんでした。どうしてなのかを考えると、結局のところ、これは小島の読み方だということになってしまっているのだと思います。私はそうは思っていないのですが、他の人々は、この読み方は小島独自の読み方だと思っていて、自分には関係ないと思われているように感じます。
 私は、それは違うと思います。そう思われているとしたら、それは例えるなら、「小島は熱い風呂が好きみたいだけど、自分はぬるい風呂が好きだから自分とは関係ない」と言っているようなものだと思います。しかし、それは違います。
 今度は違う例えで話します。鉄の釘をガスバーナーで熱することを考えてみましょう。鉄の釘は表面を磨いてピカピカにしてあげれば銀色をしています。しかし、この釘をペンチか何かで挟んでガスバーナーの炎で熱すると色が変化して行きます。最初は銀色だったのが温度が上がってくると鉄は赤くなります。温度がある程度低い間は暗い赤ですが、温度が上がると明るい赤になります。そして、もっと温度が上がると黄色くなり、さらに温度が上がると白く輝くようになります。つまり、同じ釘でも温度が違えば違った色に見えます。
 聖書の読み方も同様に考えたら良いのだと思います。霊的に冷たい状態で読めば、読んだ字の通りのことが書いてあります。しかし、霊的に熱い状態で読めば聖書から神の光が輝いているのが見えます。どちらも同じ聖書ですが、霊的に熱いか冷たいかで見え方が異なります。これは霊的に熱いか冷たいかの違いで論じるべきであって、小島の読み方とか中島の読み方、大島の読み方などと人の読み方の違いで論じるべきではないでしょう。そして、もちろん好みで片付けるべき問題でもありません。
 霊的な温度という言い方が適当かどうかはわかりませんが、何かそのような誰でも共通に扱える尺度のようなものがあれば、聖書の読み方を今よりも客観的に論じることができるようになると思います。白く輝いているのが小島の読み方、黄色いのが中島の読み方、赤いのが大島の読み方と言うのではなく、白く輝いているのが霊的な温度が非常に高い状態で読んだ場合、黄色いのは霊的な温度がある程度高い状態で読んだ場合、赤いのは霊的な温度があまり高くない状態で読んだ場合、銀色はまったく霊的にならずに読んだ場合などと分類すれば良いのだと思います。どの読み方が良いとか悪いとかではなく、こういう読み方をすれば、こうなるのだということを客観的に言えるようにすることが大切だと思います。そして、温度だけでなくて、もう一つの尺度、パラメータを導入すれば、聖書の霊的な読み方をもっと上手く説明できるようになると思いますが、それについては、きょうは、これ以上話すと長風呂になってのぼせてしまうと思いますから、今度また、次の水曜日の祈祷会と礼拝とで話すことにしたいと思います。

おわりに
 最後に、きょうのタイトルの『みことばのお風呂屋さん』について、もう一度改めて考えてみます。「みことばのお風呂屋さん」とは教会のことです。そうして私は、この教会を訪れる皆さんに、ゆっくりと温まって行っていただきたいと思います。そうして霊的に恵まれていただきたいと思います。しかし、そのようにみことばのお風呂を満喫していただくためには、いくつか必要なことがあります。一つは、まず裸になっていただくことです。先週、ナアマンの話をしました。ナアマンはプライドという心の鎧をしっかりと身に着けていましたが、部下の言うことを聞いて鎧を脱ぎ、裸になってヨルダン川の水に浸かったので、心身ともにきよめられました。みことばのお風呂に入る時にも、心に着込んでいるプライドなどの余計なものは脱ぎ捨てて、裸になってお風呂に入る必要があります。二つめは、力を抜くことです。せっかくお風呂に入っても体に力が入っていてはリラックスすることができません。自分の力で何とかしようとか、いろいろと余計な力が入っていると、みことばに恵まれることはできません。すべてを神様にお委ねして、神の霊のお風呂に浸る必要があります。そうして温まっていただきたいと思います。
 そうして神の霊に浸かって心の平安を得る人が多くなるなら、世界は平和になるだろうと思います。聖書の中でもヨハネの福音書は特に深い平安を得られる書ですが、今のところ小島の読み方のように思われているようです。そうではなくて鉄の色が温度によって違う色に見えるように、霊的に熱いか冷たいかで聖書の見え方も異なってくるのだということを、わかっていただく必要があります。そうして、多くの方々に深い平安を味わっていただきたいと願っています。
 私たちは同じ神の霊の中にいて、私たちの中にも同じ神の霊がいるのですから、同じ平安を味わうことが、きっとできるはずです。そのように、お互いに霊的に成長したいと思います。
 お祈りいたしましょう。

4:13 神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。
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十字架を学んだ一年(2017.12.31 年末感謝礼拝)

2018-01-02 08:20:10 | 礼拝メッセージ
2017年12月31日年末感謝礼拝メッセージ
『十字架を学んだ一年』
【ヨハネ19:23~27】

はじめに
 きょうは今年最後の礼拝となりました。アドベントとクリスマスの期間に続けて来た「悩む人々」のシリーズは一旦終わり、きょうは今年を振り返り、この一年間は「十字架を学んだ一年間」であったことを話したいと思います。
 今年、私たちの教会は会堂建設への大いなる希望を持ってスタートしました。融資を受ければ会堂の建設が可能であるという目途が立ち、地元の金融機関からも融資可能との内諾を得ていたからです。
 しかし、現実は厳しいものでした。『十字架を学んだ一年』であったとは、そういう意味です。今日はヨハネ19章の十字架の場面を見ながら、聖書箇所を読みながら、この年を振り返ってみたいと思います。

下着まで剥ぎ取られた十字架のイエス
 19章23節と24節をお読みします。

19:23 さて、兵士たちは、イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した。また下着をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目なしのものであった。
19:24 そこで彼らは互いに言った。「それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」それは、「彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた」という聖書が成就するためであった。

 イエスさまは捕らえられてムチで打たれて傷だらけになった後で釘付けにされるという苦痛を味わいましたが、それだけでなく着物と下着をも剥ぎ取られるという精神的な苦痛をも味わいました。
 週報のp.3にピリピ人への手紙2章6節から8節までを載せておきましたので、お読みします。

2:6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
2:8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。

 イエスさまは神の子キリストです。それなのに神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、ローマ兵のなすがままにされて、ご自分を卑しくして、上着だけでなく下着まで剥ぎ取られる精神的な苦痛に耐えて、そうして十字架の死にまでも従われました。
 十字架は本当にすごいなあと私は思います。どこがすごいかというと、私たちはものを手放せば手放すほど十字架のイエスさまに近づいて行くことができるという点です。逆に多くのものを持っていると、十字架のイエスさまのことはなかなかわかりません。

イエスがわからなかった金持ちの青年
 マタイの金持ちの青年の記事をやはり週報のp.3に載せましたので、お読みします。

19:21 イエスは彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」
19:22 ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。

 ここから読み取るべきことは、多くのものを身に着けていると十字架のイエスさまのことがなかなかわかりませんよ、ということだと私は受け取っています。私たちはそれぞれ事情があって、自分の財産を必ずしも手放すことはできません。それはそれで仕方がないことです。ただし多くのものを手放せば、それだけ十字架のイエスさまを深く知る恵みを得ることができることは確かです。この「多くのもの」とは物質的なものというよりは「精神的」なものと言えるでしょう。例えば、それはプライドです。たとえ多くの財産を手放してもプライドの厚い衣を着たままでいるなら、やはり十字架のイエスさまのことはわからないでしょう。イエスさまは神であることを捨てて着物を剥ぎ取られることまでされました。その精神的な苦痛は、プライドの厚い衣を着込んだままでいるなら、なかなかわからないでしょう。
 実は、それは私自身のことです。私は聖宣神学院に入学する時に大学教員の職を辞し、自宅のマンションを売却し、様々な持ち物の大半を処分しました。そうして多くの物質的なものを手放して神学院での勉強を始めましたが、イエスさまの十字架のことがなかなかわかりませんでした。それは私が財産を手放してもなお、多くのプライドの厚い着物を着込んでいたからでしょう。プライドは捨てたつもりでいましたが、やっぱり心の片隅では抱えていたのだと思います。しかし神学生の1年生、2年生、3年生と神学院で過ごすうちに段々とそういうプライドが取り去られていったと思います。

プライドの衣を脱いだナアマン
 神学生の時の私の説教の持ちネタにナアマンの話がありました。ナアマンの箇所を、ご一緒に読みたいと思います。列王記第二5章の9節から14節までを交代で読みましょう(旧約聖書p.639)。

5:9 こうして、ナアマンは馬と戦車をもって来て、エリシャの家の入口に立った。
5:10 エリシャは、彼に使いをやって、言った。「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」
5:11 しかしナアマンは怒って去り、そして言った。「何ということだ。私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、【主】の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、このツァラアトに冒された者を直してくれると思っていたのに。
5:12 ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で洗って、私がきよくなれないのだろうか。」こうして、彼は怒って帰途についた。
5:13 そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」
5:14 そこで、ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。

 こうしてプライドを捨てて裸になってヨルダンの水に浸かったナアマンは、ツァラアトが治って体がきよくなりました。この時、ナアマンは体だけではなく心もきよくなったのですね。ナアマンは病人なのにエリシャの家の前に戦車で乗り付けるほど、軍人としてのプライドの高い人でした。戦車に乗っていたのですから鎧も着込んでいたかもしれません。ナアマンはそういうプライドの塊のような人物でした。そのナアマンが部下の言うことを聞いて着ているものを脱いで裸になり、ヨルダン川に身を浸しました。ナアマンに必要だったことは、ヨルダンの水に浸ることというよりもプライドの厚い衣を脱いで裸になることだったのですね。そうしてナアマンは神様に近づくことができて、ナアマンの心はきよめられました。

十字架をそばで見ていた愛弟子は私たち
 神学生だった私も段々とプライドを捨てることができ、そして神学生の4年生の時にヨハネの福音書を深く知ることができるという素晴らしいプレゼントをいただきました。そして私たちの教会は、隣の土地を購入することができたという素晴らしい祝福をいただきました。しかし、もしかしたら、このことで、見えなくなってしまったことがあったのかもしれません。そのことに気付かされたのが、この一年の出来事でした。
 私たちは会堂の建設計画と資金計画を立てましたが、実現しませんでした。それで、今度はリフォームの計画を立てましたが、それも実現しませんでした。そうして私たちは、この年の始めに持っていた大いなる希望を失いました。このことは本当に残念なことです。しかし、このことによって私たちは十字架のイエスさまに近づくことができるという恵みもまた得られるのです。十字架は本当にすごいなあと思います。
 ヨハネ19章に戻って25節から27節までを交代で読みましょう。

19:25 兵士たちはこのようなことをしたが、イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた。
19:26 イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます」と言われた。
19:27 それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。

 ここにはイエスが愛した弟子、すなわち「愛弟子」がいました。この愛弟子とは私たちのことです。いろいろなものを手放すと、愛弟子とは私たちのことなのだとうことがわかってきます。ここで、もう少し時間を掛けて、なぜこの愛弟子が私たちなのかを説明します。

ヨハネの福音書とヨハネの手紙第一の相互補完性
  きょうの礼拝の始めの聖書交読ではヨハネの手紙第一を開きました。私たちは、このヨハネの手紙第一とヨハネの福音書を無意識のうちに互いに補って読んでいることでしょう。例えば手紙の1章3節には「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです」とありますが、記者のヨハネは「見たこと」を手紙に具体的に書いているわけではありません。それゆえ現代の読者の私たちは福音書に書かれているイエスさまの姿を補って手紙を読んでいると思います。逆にヨハネの福音書の有名な3章16節には「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」とありますが、この神の愛は手紙のきょうの交読箇所の4章9~10節「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(Ⅰヨハネ4:9-10)を補うことで、より良く理解できるようになっています。
 では「執筆当時の読者」は両者をどのように読んだでしょうか。ヨハネの福音書とヨハネの手紙第一の記者は同一人物である蓋然性が高いでしょう。仮に同一人物でなかったとしても、同じ共同体に属する者同士であったことは間違いないでしょう。そして当時はこの二つ以外にも様々な文書が存在していたでしょう。であれば猶更一つの文書だけを単独に読むことをしなかったでしょう。記者は手紙の中で(これも交読箇所ですが)「神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります」(Ⅰヨハネ4:13)と書いています。仮に記者が複数いたとしても、読者と記者のうちには共通の神がいて、皆が共通の神のうちにいます。それゆえ福音書と手紙は分断して読むべきものではありません。そして私はさらに両者を積極的に相互補完して読むことを試みた結果、ヨハネの福音書の理解が格段に深めることができました。

十字架を見ることを意識していたヨハネ
 では、ここで改めてヨハネの手紙第一1章3節「私たちの見たこと、聞いたこと」について考えてみます。お読みします(新約聖書p.465)。

1:3 私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。

 ここでヨハネが書いている「私たちの見たこと、聞いたこと」とは福音書に描かれているイエスさまの姿の全体のことでしょう。しかし、中でもヨハネが「十字架を見ること」を強く意識していたことは次の理由(a~d)から明らかです。a) 1:7という早い段階でイエスの血が罪をきよめることに言及していること、そのすぐ後にb) 2:2で「なだめの供え物」に言及していること、c) 福音書の中心的なメッセージであるヨハネ3:16の直前(3:14-15)で、モーセが荒野で上げた蛇を見た者が生きた記事(民数記21:9)に言及していること、d) イエスの愛弟子が十字架をそばで見ていたとヨハネが記していること(ヨハネ19:25-26)です。このイエスの愛弟子とは福音書の記者のヨハネ自身のことです。このことから次のことが導かれます。
 ヨハネは手紙の1章3節で「あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです」と書いて読者を同じ交わりに招いています。そして、ヨハネは手紙の4章11~12節で「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら・・・・・・」と書き、神がいかに読者を愛しているかを強調しています。ここからイエスの十字架をそばで見ていた「イエスの愛弟子」(ヨハネ19:26)とは読者の私たちのことでもあると導かれます。これは二千年前の十字架を自分の罪のためと自覚するクリスチャンの実感とも良く合うと言えるでしょう。また、この愛弟子は最後の晩餐でイエスの右隣という特等席にいました(ヨハネ13:23)。ヨハネ13~17章の重要なメッセージを読者にしっかりと伝えたいという記者の気持ちが伝わってくる描写です。

時間を越えた御父と御子との交わりに招いているヨハネ
 このように福音書と手紙を相互補完的に読むなら、「御父および御子イエス・キリストとの交わり」(Ⅰヨハネ1:3)への招きは読者を「イエスの愛弟子」の座に招いていることだと読み取れます。イエスさまを信じて聖霊を受けるなら時間を遡って十字架の現場に立ち会うことが霊的には可能になるのです(パウロはガラテヤ2:20で自身を十字架に付けたが、ヨハネは十字架を見る側にいました)。それはヨハネが手紙の4章13節で、「神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります」(Ⅰヨハネ4:13)と書いているように、ヨハネも読者も共に同じ神のうちにいて、同じ神がそれぞれのうちにいるからです。すなわちヨハネが体験したことを読者も霊的に共有できる世界へとヨハネは招いています。そして下着に至るまで全てを剥ぎ取られた十字架のイエスさまと向き合うなら、自分がいかに多くの罪を身にまとっているかがわかるようになります。私の場合は、プライドという厚い衣をしっかりと着込んでいたことに気付かされました。
 そしてヨハネはさらに旧約の預言者たちの時代へも読者を招いています。これまで礼拝で何度も話しましたが、ヨハネ2章のイエスさまはモーセになり、4章ではエリヤ、6章ではエリシャ、7章ではイザヤ、9章と10章ではエレミヤとエゼキエルになっています。そして11章のイエスはゼカリヤやハガイになっています。これらは聖霊を受けた旧約の預言者たちのうちにはイエスさまがいたことを示し、読者もまたその時代に招かれているのです。このことに気付くなら旧約の民の神への背きの重い罪が自分の中にも存在することがわかり、神の愛もまた深く理解できるようになります。このようにヨハネは読者を霊的な領域において「過去→現在→未来」の一方通行の時間から解放して御父と御子との「時間を越えた交わり」に招いています。

おわりに
 このように、私たちはイエスさまの愛弟子としてイエスさまの十字架に向き合うとき、いろいろなことが見えて来ます。私たちが新しい会堂を建てることができなかったことは、とても残念なことでしたが、十字架のイエスさまと向き合う恵みをいただけたことは幸いなことであったと思います。
 お祈りいたしましょう。

19:23 さて、兵士たちは、イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した。また下着をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目なしのものであった。
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悩む人々8:イエス(2017.12.24 礼拝)

2017-12-27 07:04:58 | 礼拝メッセージ
2017年12月24日クリスマス礼拝メッセージ
『悩む人々8:イエス』
【ルカ22:39~46】

はじめに
 クリスマスおめでとうございます。
 今月に入ってから3回のアドベントの礼拝を行い、きょうはいよいよクリスマス礼拝の日となりました。
 私たちはクリスチャンであってもなくても、クリスマスを盛大に祝います。神のひとり子である御子イエスがキリスト、すなわち救い主として、この世にお生まれになったことは本当に素晴らしい恵みです。

永遠の中にいる御父と御子イエス・キリスト
 多くの皆さんがご承知のように、この素晴らしい恵みは、イエス・キリストが十字架で死んだ後にもたらされたものです。十字架の前にも多くの病人が癒されたりしましたから、恵みを受けた人々はもちろんいました。しかし、病気が治っても人は必ず年老いて行きますから、いつかは必ず死にます。人はそういう死への不安を抱えながら毎日を生きて行かなければなりません。
 このように私たちが生きるこの世界には死がありますが、イエス・キリストは死がない神の「永遠」の世界から来られました。ヨセフとマリヤの子として人の世界に来て、十字架に掛かって私たち人間と同じように死にました。しかし死んでから三日目のイースターの日に復活して弟子たちの前に姿を現した後で天に昇り、再び神の「永遠」の世界へと帰って行かれました。このイエス・キリストを信じるなら私たちには天から聖霊が注がれて、私たちは「永遠」の中にいる神様と霊的な交わりを持つことができるようになります。すると私たちの心は平安で満たされ、死へと向かう不安からは解放されることになります。
 キリスト教について誤解されがちなことの一つに、クリスチャンは死んだ後に天国に行けることに希望を持って今を生きているということがあると思います。それは間違いではないとは思いますが、あまり正確ではないと思います。イエス・キリストを信じて永遠の中にいる天の父と子との交わりの中に入れられるなら、私たちは死後でなくても今を生きる毎日が平安で満たされ、喜びに満ちた生活を送ることができるようになります。もちろん私たちの生活では様々なことが起こりますから24時間いつでも平安でいられるわけでは必ずしもありません。それでも心を天の神様に向けるなら大きな平安が得られますから感謝です。これは本当に素晴らしい恵みですから、このことをもっと多くの方々に知っていただきたいと思います。

「永遠」への入口の十字架
 先ほども言いましたが、この素晴らしい恵みは十字架の後にもたらされたものです。私たちが永遠に入れられる素晴らしい恵みを得るためには、まず十字架によって悪が滅ぼされる必要がありました。そうは言っても、十字架以降も悪は存在しているではないかと多くの人々は思うことでしょう。しかし、十字架は永遠の世界への入口にありますから、それで良いのです。きょうはあまりややこしい話はしないつもりでいますが、少しだけ話すと、十字架とは例えるならドラえもんのタイムマシンの入口の、のび太の机の引き出しのようなものだと言えるでしょう。ドラえもんやのび太たちは、この机の引き出しに入るなら、どの時代にも行くことができます。つまり、この引き出しは永遠につながっています。ですから永遠の世界に入るには、この机の引き出しを必ず通らなければなりません。私たちも「永遠」の中にいる神様と交わりを持つためには、必ず十字架を通らなければなりません。イエス・キリストが十字架で流した血によって私たちの罪がきよめられて初めて、私たちは神の「永遠」の中に入ることが許されます。
 このように私たちの罪がきよめられて神の「永遠」の中に入り、平安を得るためには十字架がどうしても必要です。イエス・キリストはクリスマスの日に生まれた時から、すでに十字架に掛かって死ななければならないように定められていました。赤ちゃんとして生まれたイエスさまが何歳ぐらいになった時にこのことを自覚するようになったかはわかりませんが、30歳ぐらいの時にガリラヤの地で宣教を開始した時には、すでにご存知であったろうと思います。きょうは、そこら辺りのところから見て行きたいと思います。

宣教の開始時から殺されかけたイエス
 まず同じルカの福音書の4章16節からを見ましょう(新約聖書p.114)。これは、イエスさまがガリラヤで宣教を始めてから間もない時のことです。16節から19節までをお読みします(目で追ってください)。

4:16 それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。
4:17 すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。
4:18 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、
4:19 主の恵みの年を告げ知らせるために。」

 このイザヤ書は、イエスさまの時代よりも何百年も前に書かれた書です。このイザヤ書はイエスさまがいずれ人々の前に現れることを予告していました。そして、このことが実現したことをイエスさまは21節で言いました。

「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」

 これを聞いた人々は、みことばには恵まれましたが、このイザヤ書で預言された救い主が目の前のイエスだとは思いませんでした。22節にあるように、「この人は、ヨセフの子ではないか」と言いました。このようにイエスさまは宣教の始めの頃から、ご自身が救い主であることを人々に理解してもらうことができませんでした。そして28節と29節を見ていただくと、

4:28 これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、
4:29 立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。

とありますから、ここに既に十字架の予兆のようなことが見られます(崖から落とされたら死んでしまいます)。そして、この時のイエスさは、やがて自分が十字架に掛けられて死ななければならないことをご存知であったでしょう。ですからイエスさまは、このことに当然苦悩していたであろうと思います。神の御子イエスといえども人の子です。人々に理解されない孤独とともに、やがて大変な苦痛を受けなければならないことに悩まなかったはずがありません。

イエスを理解できなかった弟子たち
 また、人々がイエスさまを理解しないという点においては、弟子たちも同様でした。18章31節から34節までを読みますから目で追ってください(新約聖書p.154)

18:31 さてイエスは、十二弟子をそばに呼んで、彼らに話された。「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子について預言者たちが書いているすべてのことが実現されるのです。
18:32 人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。
18:33 彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
18:34 しかし弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。彼らには、このことばは隠されていて、話された事が理解できなかった。

 ルカの福音書では、弟子たちは5章からイエスさまと行動を共にしました。そして、いま読んだ箇所は18章ですから、ここまで弟子たちはイエスさまから多くのことを教わっていました。それにも関わらず、弟子たちは今お読みした31節から33節までのイエスさまのことばを理解することができませんでした。もう一度、確認しておきましょう。31節でイエスさまは「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます」と言いました。これから、イエスさまはエルサレムで捕らえられて十字架に掛けられます。そして、イエスさまは続けます。
「人の子について預言者たちが書いているすべてのことが実現されるのです。人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。彼らは人の子をむちで打ってから殺します。」
 このことが預言されている旧約聖書の箇所で一番有名なのはイザヤ書53章でしょうね。私のほうでお読みします(開かなくても良いです)。

53:3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

 イエス・キリストは私たちの神へのそむきの罪のために十字架に掛けられました。この十字架によって悪が滅ぼされて私たちの罪も赦され、この十字架に向き合う者には平安がもたらされるようになりました。ドラえもんやのび太が机の引き出しを通して永遠の世界との行き来ができたように、私たちはこの十字架を通して神の「永遠」へとつながることができます。
 ただし、このことを弟子たちが理解したのはイエスさまが十字架で死んだ後のことでした。イエスさまが地上で宣教している間は理解することができませんでした。それゆえイエスさまの孤独感は本当に大きかっただろうと思います。

十字架を前にして苦悩したイエス
 そのイエスさまの苦悩は最後の晩餐の後で頂点に達します。きょうの聖書箇所のルカ22章39節から46節までです。これは最後の晩餐の後のことです。ここは交代で読みましょう。

22:39 それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。
22:40 いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われた。
22:41 そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。
22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
22:43 すると、御使いが天からイエスに現れて、イエスを力づけた。
22:44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。
22:45 イエスは祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに来て見ると、彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまっていた。
22:46 それで、彼らに言われた。「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」

 42節でイエスさまは、「この杯をわたしから取りのけてください」と祈りました。イエスさまもできることなら十字架に掛かりたくなかったのです。それは当然のことです。しかし、「わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」と祈りました。そして御使いがイエスさまを力づけましたが、イエスさまの苦悩が消え去ることはありませんでした。44節にあるように、イエスさまは苦しみもだえて、切に祈られました。汗が血のしずくのように地に落ちたとあります。夜の涼しい時間帯にその場で祈っているだけで汗が血のしずくのように地に落ちるとは、いったいどれほどの苦悩でしょうか。イエスさまがそれほどまでに苦しみ悶えていたのに、弟子たちは眠り込んでしまっていました。「悲しみの果てに」とありますから、鈍感だった弟子たちでも、イエスさまの様子を見て尋常ではないことを感じ、悲しい思いになったのでしょう。しかし弟子たちはイエスさまのことを最後の最後まで理解することができないでいました。それは仕方のないことです。まさかイエスさまが十字架に掛けられることになろうとは、弟子たちはこの時点で夢にも思っていませんでした。
 しかし、仕方がなかったとは言え、それがますますイエスさまの孤独感を増し加えることになったと思いますから、本当につらかったことだろうと思います。

おわりに
 最後に、礼拝の始めに交代で読んだルカ2章をもう一回皆さんと交代で読みたいと思います。救い主のイエスさまの誕生は本当に素晴らしい出来事でしたが、その素晴らしい恵みが私たちにもたらされるためには、イエスさまは十字架に掛からなければなりませんでした。そのことはイエスさまがお生まれになった時から、すでに定められていたのだということを私たちは覚えたいと思います。ルカ2章の8節から20節までを交代で読みましょう。

2:8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
2:13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。
2:14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
2:15 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」
2:16 そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。
2:17 それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。
2:18 それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。
2:19 しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

 お祈りいたしましょう。

2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
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悩む人々6:兄息子

2017-12-18 09:45:44 | 礼拝メッセージ
2017年12月17日アドベント第3礼拝メッセージ
『悩む人々6:兄息子』
【ルカ15:25~32】

はじめに
 「悩む人々」のシリーズは祈り会と礼拝とを合わせて今日で6回目になります。先週の祈り会では「弟息子」に注目しました。そして、きょうの礼拝では「兄息子」に注目します。また次の20日の祈り会では「バプテスマのヨハネ」に注目する予定にしていて、来週の24日のクリスマス礼拝では人としてのイエス様ご自身に注目する予定にしています。

家に近づくほど不安が増した勇作

 はじめに、先週の祈り会で注目した放蕩息子である弟息子の悩みについて、簡単に話したく思います。父親から分けてもらった財産を湯水のようにじゃんじゃん使って、使い果たしてしまった弟息子は食べる物に困っている時に「我に返り」、父親の家に戻ることにしました。この弟息子が家に戻る過程では、家に近づけば近づくほど、きっと不安が増していったことと思います。このことを40年前の映画の『幸福の黄色いハンカチ』を例話にして話しました。この高倉健と賠償千恵子が北海道の夕張の夫婦の役を演じた映画についてはテレビでも何度も放映されましたから、多くの皆さんがご存知のことと思います(実は来週のお楽しみ会で10分ぐらいラストシーンを中心にしてビデオをご一緒に観るようにしようかなと思っています)。
 網走の刑務所を出所した高倉健が演じる元・夫の勇作は、倍賞千恵子が演じる夕張にいる元・妻の光枝に一枚の葉書を出しました。その葉書には、もしまだ一人でいて自分を待ってくれているなら、鯉のぼりの竿に黄色いハンカチを掲げてほしい、もし掲げていなかったら黙って去るからと書いてありました。そうして夕張に向かいます。しかし、夕張に近づくにつれて、もう光枝は待ってくれてはいないだろうという思いが段々と強くなり、夕張に行くのをやめようとします。それを若い二人(当時)、武田鉄矢と桃井かおりが彼を励まし、車で夕張まで連れて行きます。勇作は夕張の家に近づけば近づくほど結果を恐れて不安になって行きました。それは勇作が事件を起こして刑務所に入所する前後に光枝に対して色々とひどいことを言って彼女を深く傷つけてしまっていたからでした。そんな罪深い自分を光枝が待ってくれているはずがないと勇作は思うのでした。だったらなぜ彼女に葉書を出したのか、それはやはり勇作が光枝を愛していたからで、できれば彼女と和解してもう一度人生をやり直したいという微かな希望を持っていたからです。

罪を自覚していた勇作と弟息子

 放蕩して財産を失った弟息子もまた、家に近づけば近づくほど不安が増しただろうと思います。『黄色いハンカチ』の勇作の場合は妻に対して自分がひどいことを言ってしまったという罪深さを自覚していました。そして弟息子の場合は父親に対して自分が罪を犯したことを自覚していました。18節にありますね。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。」ですから、父は決して自分を赦してはくれないだろうと弟息子は思っていました。しかし、父は大きな愛で弟息子の罪を赦し、それだけではなくて大歓迎をしました。20節に、「まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした」とあります。それだけではありません。父親は、しもべたちに言いました。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めました。
 ここまでが弟息子の物語です。前置きが少し長くなりましたが、きょうは兄息子のほうに注目します。

家に入ろうとしなかった兄息子

 この兄息子は父親が弟を歓迎したことに不満でした。25節から28節までを交代で読みましょう。

15:25 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。
15:26 それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、
15:27 しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』
15:28 すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。

 28節の「家に入ろうともしなかった」というのは大事なポイントかもしれません。弟息子は家に入りましたが、兄息子は家に入りませんでした。続いて29節と30節を交代で読みましょう。

15:29 しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。
15:30 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』

兄と弟をユダヤ人と異邦人として読む
 この11月から私はeラーニングでルカ文書の学びをしています。ルカ文書というのはルカが書いたルカの福音書と使徒の働きのことです。このeラーニングではルカの福音書と使徒の働きとが並行関係にあることを学んでいます。それで私は、この「放蕩息子の帰郷」の物語はパウロたちの異邦人伝道と重ねられていると考えるようになりました。つまり弟息子は異邦人と重ねられていて、遠い昔にイスラエル民族の家系から離れてしまった民族のことだというわけです。その異邦人である弟息子が使徒の働きの時代になって父の家に戻ったと考えるのです。ですから、父の家にずっといた兄息子とはユダヤ人たちのことです。この兄息子に対して父は「おまえはいつも私といっしょにいる」と言っています。31節と32節を、お読みします。

15:31 父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。
15:32 だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」

 ユダヤ人たちは父の家にずっといながら、父のことを敬っていません。敬っていないということは父のことを心の底からは信じていないということです。父を信じているなら御子イエス・キリストのこともまた信じるはずですが、彼らは信じませんでした。このことをパウロは、とても嘆いていました。このことは使徒の働きで私たちは学んでいますね。パウロは行く先々の町でイエス・キリストを信じようとしないユダヤ人から迫害を受けていました。そして、パウロに同行していたルカもまた、信じようとしないユダヤ人たちを数多く目撃していました。使徒の働きの最後の部分もそうです。

パウロの嘆き
 使徒の働きの最後の部分をご一緒に見ましょう。使徒28章の16節と17節の途中までをお読みします。

28:16 私たちがローマに入ると、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許された。
28:17 三日の後、パウロはユダヤ人のおもだった人たちを呼び集め、彼らが集まったときに、こう言った。

 16節に「私たち」とありますから、ルカはパウロと共にローマに来ていました。そしてパウロはローマにいるユダヤ人たちに話を始めました。すると、もっと大勢で聞くことになりました。少し飛ばして23節と24節、

28:23 そこで、彼らは日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。
28:24 ある人々は彼の語る事を信じたが、ある人々は信じようとしなかった。

 このように信じる者もいましたが、信じようとしない者もいました。それで25節、

28:25 こうして、彼らは、お互いの意見が一致せずに帰りかけたので、パウロは一言、次のように言った。「聖霊が預言者イザヤを通してあなたがたの父祖たちに語られたことは、まさにそのとおりでした。

 そうしてパウロはイザヤ書を引用して言いました。

28:26 『この民のところに行って、告げよ。あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。
28:27 この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』
28:28 ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。」

 パウロは28節で、神のこの救いは異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう」と言いました。こうして家を出ていた異邦人は父の家に帰りました。

イスラエルにねたみを起こさせる異邦人の救い

 ユダヤ人たちがイエス・キリストを信じようとしないことへのパウロの嘆きはローマ人への手紙にも書かれています。

11:11 では、尋ねましょう。彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。
11:12 もし彼らの違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らの完成は、それ以上の、どんなにかすばらしいものを、もたらすことでしょう。
11:13 そこで、異邦人の方々に言いますが、私は異邦人の使徒ですから、自分の務めを重んじています。
11:14 そして、それによって何とか私の同国人にねたみを引き起こさせて、その中の幾人でも救おうと願っているのです。

 11節の「彼らがつまずいた」の「彼ら」とはユダヤ人たち(或いはイスラエル人たち)のことです。ユダヤ人たちの違反によって救いが異邦人に及びました。ユダヤ人たちがクリスチャンを迫害したことでクリスチャンが散らされて、救いが異邦人に及びました。それはイスラエルにねたみを起こさせるためだとパウロは書いています。そしてパウロは14節でも「ねたみ」という言葉を使っています。14節の「私の同国人」とはパウロの同国人ですからユダヤ人です。パウロは同国人にねたみを引き起こさせて、その中の幾人でも救おうと願っていました。
 この「ねたみ」がどんな「ねたみ」なのかは、このローマ人への手紙だけからではよくわかりませんが、放蕩息子の兄の行動を見るとよくわかりますね。

弟をねたんだ兄息子

 もう一度、ルカ15章に戻りましょう。28節から30節までを交代で読みましょう。

15:28 すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。
15:29 しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。
15:30 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』

 ユダヤ人の兄は異邦人の弟をねたんでいました。異邦人の弟は律法を守らずに好き放題をしていました。そんな異邦人が救われることは、ユダヤ人にとっては到底受け入れがたいことでした。
 しかし、これが父の願いでした。ユダヤ人の兄も異邦人の弟も、同じ父の家で一つになって暮らすことが父の願いでした。イエス・キリストが十字架に掛かったのは、ユダヤ人と異邦人とが一つになるためでもありました。イエスさまはこの十字架に掛かるために、クリスマスの日にお生まれになったとも言えます。

ユダヤ人と異邦人を一つにするイエス・キリスト

 最後にパウロのエペソ人への手紙の2章をご一緒に読みましょう。まず11節と12節(私が読みます)、

2:11 ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、
2:12 そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。

 エペソ人への手紙ですから、「あなたがた」とは異邦人であるエペソ人たちのことです。12節に異邦人の「あなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外されて」いたとあります。異邦人は遠い昔に父の家を出た者たちでした。その者たちは放蕩息子のように望みもなく、神もありませんでした。しかし13節、

2:13 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。

 続いて14節から16節、

2:14 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、
2:15 ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、
2:16 また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。

 イエス・キリストの十字架はユダヤ人たちと異邦人たちを一つにして神と和解させる力があります。そして平和が宣べられます。17節、

2:17 それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。

 そして18節、

2:18 私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。

 私たちはキリストによって、ユダヤ人も異邦人も一つの御霊において父の家に入ることができます。これは兄息子にとっては、受け入れがたいことであったかもしれませんが、人類が一つになり、平和がもたらされるためには欠かせないことでした。

おわりに
 今の時代、世界は一つになる方向とは逆行して分断が進行しつつあるように見えますが、皆がキリストにあって一つになり、平和に向かうよう祈りつつ、私たちも周囲の方々にイエス・キリストを宣べ伝えて行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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悩む人々4:マリヤ(2017.12.10 礼拝)

2017-12-11 10:25:57 | 礼拝メッセージ
2017年12月10日アドベント第二礼拝メッセージ
『悩む人々4:マリヤ』
【ルカ2:25~35】

はじめに
 「悩む人々」のシリーズ4回目のきょうはマリヤに注目します。聖書箇所はシメオンの箇所にしました。ルカの福音書でマリヤが登場する場面はいくつかありますが、マリヤの苦悩ということを考えた時、シメオンが35節で予告した「剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう」という言葉がとても重く響くと感じたからです。

我が子の十字架に心を刺し貫かれたマリヤ
 ルカが書いた福音書の続編の使徒の働き1章13節と14節を見ていただくと、イエスさまの弟子たちは母のマリヤと一緒にいたことが記されています。13節と14節を交代で読みましょう。

1:13 彼らは町に入ると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。
1:14 この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。

 14節にイエスの母マリヤの名前が出て来ます。ですから、マリヤはイエスさまが十字架に掛かって死んだ時にまだ生きていました。ヨハネの福音書には母が十字架のすぐそばにいたことが書かれています。このことについては、後でまた触れたいと思いますが、いずれにしても母マリヤは我が子が十字架に掛かって死んだ時に、まさに心が剣によって刺し貫かれるような大きな痛みと深い傷を負いました。きょうは後で、このことに思いを巡らすことにしたいと思います。

主のはしため・しもべの信仰
 その前に、皆さんよくご存知の箇所ですが、マリヤが御使いのガブリエルから受胎についての告知を受けた場面をご一緒に見ておきましょう。少し長いですが、ルカ1章26節から38節までを交代で読みましょう。

1:26 ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。
1:27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。
1:28 御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
1:29 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
1:30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。
1:31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。
1:32 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
1:33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
1:34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
1:35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
1:36 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。
1:37 神にとって不可能なことは一つもありません。」
1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。

 この時のマリヤはまだ若い娘でした。イエスさまが十字架で死んだのは、この時から30年以上が経ってからでした。聖書の読者の私たちにとっては、毎年クリスマスになると開くおなじみの箇所であり、この後で何が起きるかを私たちは知っています。しかし、これから何が起きるかわからず、しかも若い娘で人生経験も乏しかったマリヤは本当に何が何だかわけがわからなかったことでしょう。しかし、38節にあるように、

「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」

とマリヤは言いました。このマリヤの信仰を私たちも見習いたいというメッセージが、教会ではよく語られるわけですが、このマリヤの信仰は考えれば考えるほどすごいことだと思います。
 「私は主のはしためです」とは、男の場合で言えば「私は主のしもべです」です。「私は主のしもべですから、おことば通りになさって下さい」と言うことは、それほどたやすいことではありません。牧師である私も、神学校にいた頃なら、様々に自由が制限されている中にいて、上の人が言うことに従って動いていましたから、おことば通りになさって下さいということはできたかもしれません。しかし、神学校を出てからはまた、それなりに自由な生活をするようになりましたから、その中で「私は主のしもべですから、おことば通りになさって下さい」ということは、なかなか難しいことだと感じます。だからこそ、このマリヤの信仰を見習わなければならないと、改めて思わされています。

家畜小屋でイエスを産んだマリヤ
 さて次に、マリヤがイエスさまを産んだ場面を見ましょう。ルカ2章の1節から7節までを交代で読みましょう。

2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
2:2 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
2:3 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。
2:4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、
2:5 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
2:7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

 マリヤは身重の身でナザレからベツレヘムは行かなければなりませんでした。ユダヤのベツレヘムはガリラヤのナザレからは遠く離れています。そうして苦労してベツレヘムにたどり着きましたが、宿屋に泊まることができませんでした。マリヤが出産した場所は何と家畜小屋でした。ルカはこの時のマリヤの気持ちを書いていませんが、マリヤにしてみれば、どうして、こんなことになるのかと思ったことでしょう。
 ただし家畜小屋で良かったことも、一つだけありました。それは羊飼いたちから祝福を受けたことでした。まず、御使いが羊飼いたちの前に現れて11節と12節のように言いました。

2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。

 少し飛ばして15節と16節、

2:15 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」
2:16 そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。

 こうして羊飼いたちはみどり子のイエスさまを捜し当て、祝福しました。祝福したとは書いてありませんが、きっと祝福したことでしょう。もしマリヤとヨセフが普通に宿屋に泊まることができていたら、このように羊飼いたちの訪問を受けることはできませんでしたから、これも神様のご計画でしょうか。とても不思議なことです。そして羊飼いたちは御使いから告げられたことを両親に話しました。17節と18節です。

2:17 それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。
2:18 それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。

 ここには両親以外にも人が集まって来ていたようです。それを聞いた人たちは皆、羊飼いの話したことに驚いたとありますが、マリヤだけは違いました。19節、

2:19 しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。

 きっとマリヤは御使いのガブリエルから受胎告知を受けた時から、ずっと思いを巡らしていたことでしょう。特に、お腹に確かに胎児がいることを感じるようになってからは、なおさら、ずっと思いを巡らしていたことでしょう。

マリヤは十字架のそばにいたのか?
 そして両親とイエスさまは、羊飼いたちだけでなく様々な人々の訪問を受け、祝福されました。マタイの福音書には東方の博士たちがベツレヘムを訪れたことが記されています。そうして、きょうの聖書箇所では、両親が神殿を訪れた時にシメオンから祝福を受けました。週報のp.3にレンブラントの有名な絵を貼り付けておきました。この時のシメオンの賛歌が29節から32節までにあります。交代で読みましょう。

2:29 「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。
2:30 私の目があなたの御救いを見たからです。
2:31 御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、
2:32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」

 32節に「異邦人を照らす啓示の光」とありますから、私たちが使徒の働きで学んでいるパウロたちによる異邦人伝道のことも、ここで預言されているのですね。これを聞いて両親は、33節にあるように驚きました。そしてシメオンはマリヤに対して、「剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう」と35節で言いました。
 このシメオンの予告は、イエスさまが十字架に掛かったことで、本当のこととなりました。ルカ23章の46節から49節までを交代で読みましょう。

23:46 イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。
23:47 この出来事を見た百人隊長は、神をほめたたえ、「ほんとうに、この人は正しい方であった」と言った。
23:48 また、この光景を見に集まっていた群衆もみな、こういういろいろの出来事を見たので、胸をたたいて悲しみながら帰った。
23:49 しかし、イエスの知人たちと、ガリラヤからイエスについて来ていた女たちとはみな、遠く離れて立ち、これらのことを見ていた。

 49節に女たちは皆、遠く離れて立ち、とあります。母のマリヤがこの女たちの中に含まれていたかどうかですが、マタイの福音書は次のように記しています。マタイ27章の55節と56節です(新約聖書p.62)。

27:55 そこには、遠くからながめている女たちがたくさんいた。イエスに仕えてガリラヤからついて来た女たちであった。
27:56 その中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベダイの子らの母がいた。

 ここには母マリヤがいたという記述はありません。マルコの福音書はどうでしょうか。マルコ15章40節と41節を見ましょう(新約聖書p.102)。

15:40 また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。その中にマグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメもいた。
15:41 イエスがガリラヤにおられたとき、いつもつき従って仕えていた女たちである。このほかにも、イエスといっしょにエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。

 ここにも母マリヤの名前は挙がっていません。

私たち読者の隣に母マリヤを置いたヨハネ
 さてしかし、ヨハネの福音書だけは異なる描写をしており、母マリヤが愛弟子と共にいたことが記されています。ヨハネ19章の25節から27節までです(新約聖書p.221)。

19:25 兵士たちはこのようなことをしたが、イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた。
19:26 イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます」と言われた。
19:27 それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。

 このヨハネの福音書の記述をどのように考えるか、私はかねてから言っているように、この十字架のそばにいる愛弟子とは読者である私たち自身であると考えますから、記者のヨハネは私たちの横に母マリヤを置き、「母マリヤの心が剣によって刺し貫かれたこともまた深く思い巡らしなさい」と言っているのだと捉えています。
 イエスさまが誕生した時、母マリヤと父ヨセフは、羊飼いや東方の博士たちの訪問を受けて祝福されました。そのように祝福されて生まれた我が子が、どうして十字架に付けられてみじめに死ななければならなかったのか。マリヤには全くわからなかったことと思います。
 しかし、三日目にイエスさまが復活し、それから五十日目の五旬節の日に弟子たちが聖霊を受けてから、神様の壮大な計画が次第に明らかになって行きました。そうして私たちが使徒の働きで学んでいるようにパウロたちの伝道旅行によってイエス・キリストの福音は地中海沿岸の広い地域に広がって行きました。
 その後、さらにキリストの教えはヨーロッパ全域に広がり、宣教師たちの働きによって世界各地に伝えられるようになりました。この伝道の働きは、今もまだその途上にあります。日本にはザビエルによって1549年に伝えられましたが、なかなか浸透しません。この働きは、本当にゆっくりとしか進みません。ある時は非常に盛んになりますが、少し経つと勢いが衰えてしまいます。

聖書の大きな物語の中にいる私たち

 その中で私たちの教会も苦しい戦いを強いられていますが、私たちもこの世界伝道の働きの一翼を担っているのだという意識を忘れることなく持ち続けていなければなりません。聖書の大きな物語は、ひと続きになっています。アダムとエバが罪を犯して以来、人類は神から離れるようになってしまいましたが、神様はアブラハムを召し出し、まずはイスラエルの民族を救い出し、そうして全人類を救うという壮大な計画をお立てになり、今はまだその途上にあります。ただし、途上にあるのは私たち人間の側であって、永遠の中にいて、「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである(黙示録22:13)」とおっしゃる神様にとっては全体像が見えていることでしょう。
 ヨハネの福音書19章27節では、愛弟子は母マリヤを「自分の家に引き取った」とあります。愛弟子とは私たちのことですから、私たちは母マリヤの苦悩と悲しみもまた自分のこととして受け留めたいと思います。母の気持ちをどれくらい受け留めることができるか、男性と女性とでは違うと思いますし、私のような単身の者は十分には受け留めることはできないでしょう。それでも母の悲しみをでき得る限り、受け留めたいと思います。世界では今も争い事が絶えず、紛争や戦争で多くの人々が命を落としています。その度に家族たちは大きな悲しみに心を刺し貫かれます。平和のための働きはなかなか進みませんが、このような深い悲しみがなくなるよう、宣教の働きに励まなければならないと思わされます。

おわりに
 母マリヤの悲しみを考える時、私たちがイエスさまの証人として為さなければならない役割の重さをより一層感じます。伝道がなかなか進まない中、私たちは苦しい戦いを強いられていますが、母のマリヤがどれだけ深い傷を心に負ったかということにもまた思いを巡らしながら、私たちが進むべき道を祈り求めて行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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悩む人々2:ヨセフ(2017.12.3 礼拝)

2017-12-03 20:49:14 | 礼拝メッセージ
2017年12月3日アドベント第1礼拝メッセージ
『悩む人々2:ヨセフ』
【マタイ1:18~25】

はじめに
 きょうは五十周年の証もありましたし、礼拝後にはクリスマス・下半期感謝献金の趣意書の朗読と会堂問題勉強会もあります。会堂問題勉強会に多くの時間を残したく思いますから、メッセージは10分ちょっとの短いものにとどめます。
 礼拝と祈祷会ではこれからしばらくの間、『悩む人々』を取り上げたいと願っています。礼拝では来年の新年礼拝を越えたらまた使徒の働きの学びに戻ると思いますが、祈祷会では、しばらく『悩む人々』にスポットを当てたいと思っています。その際には悩んでいる人のことだけでなく、背後にいるスケールの大きな神様についても思いを巡らすことができたらと願っています。小さな人間だけでなく背後の大きな神にもまた注目することで、人知を遥かに越えたキリストの大きな愛を感じることができるようになりたいと思います。

悩むヨセフ
 さて、きょうはアドベント第一礼拝ということでマタイ1章のヨセフの悩みを短く見たいと思います。まず1章18節です。

1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。

 このことが真実であることを知っていたのはマリヤのほうです。男性と関係を持たなかったのに妊娠したことはマリヤ自身がよくわかっていることでした。しかしヨセフにはそれが本当のことなのかはわかりません。マリヤを信用するしかありません。たとえヨセフがマリヤを信用したとしても世間の人々は信用しないでしょう。世間の人々はマリヤが婚約者ではない男性と関係を持って妊娠したと思うでしょう。これは律法で禁じられていることですから、さらし者になって制裁を受けなければなりません。
 ヨセフは悩みに悩んだことでしょう。19節にあるように、ヨセフは正しい人でした。正しい人であるとは律法を守る人であったということです。ですからマリヤが他の男性と関係を持ったなら彼女を許すわけにはいきません。一方でヨセフはマリヤを愛していたという面においても正しい人でしたから、彼女をさらし者にはしたくありませんでした。それで、彼女を内密に去らせることにしました。これは苦渋の決断であったと思います。
 そんな時に御使いがヨセフの夢に現れて言いました。20節と21節です。

「20 ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

 目が覚めてからヨセフはまた悩んだのではないかと思います。マリヤを内密に去らせようと決めたことは、相当に悩んだ末に決めたことだと思いますから、夢でお告げがあったぐらいであっさりとそれを覆すことは容易ではなかったはずです。
 そうして、ヨセフはさらに悩んだ末にだと思いますが、24節にあるようにマリヤを迎え入れました。

時空を越えた神を感じたであろうヨセフ
 さて、ではヨセフはどうして主の御使いが命じられたとおりにすることができたのでしょうか。ヨセフの信仰が立派であったからと言ってしまえば、それまでですが、今ご一緒に読んだ箇所から少し探ってみたいと思います。そしてスケールの大きな神様に共に思いを馳せてみたいと思います。
 まず押さえておきたい重要な点は、御使いが夢に現れた時点でヨセフは聖霊を受けていなかったということです。もし聖霊を受けていたならヨセフは御使いの言うことを単純に受け入れることができたと思います。しかし、ヨセフは聖霊を受けていませんでした。そんなヨセフがなぜ御使いの言うことに耳を傾けることができたのか、二つのポイントで考えてみたいと思います。
 一つは、御使いは天から遣わされる使者だということです。天からの使者ということであれば心は宇宙スケールの神様のほうに向いて行きます。それは私たちの場合も同じです。イエスさまを信じる私たちには聖霊が注がれていますが、その聖霊は天から遣わされました。復活したイエスさまは天に昇り、使徒信条にある通り、全能の父なる神の右に座しています。聖霊はその天の御座から遣わされます。御使いも聖霊もどちらも宇宙スケールの神様が遣わすのだということを意識することはとても大切なことだと思います。この宇宙スケールの神様を感じることで私たちは人知を遥かに越えるキリストの大きな愛を感じることができるようになります。
 二つめのポイントとして、御使いがヨセフに対して「ダビデの子ヨセフ」(20節)と呼び掛けたことを挙げたいと思います。ルカの福音書によれば、ヨセフはこの後、マリヤとベツレヘムに住民登録のために行き、そこでイエスさまが生まれました。ヨセフがダビデの町のベツレヘムに向かったのはヨセフが自分がダビデの血筋の者であることを知っていたからです。マタイの福音書の1章の始めの系図によれば、6節にダビデ王が生まれたとあり、そして16節にマリヤの夫のヨセフが生まれたことが記されています。ヨセフは確かにダビデの子でした。しかし、普段のヨセフはそれまで「ダビデの子」などと呼ばれることはなかったでしょう。ダビデとヨセフの間には千年の隔たりがあるからです。そんな中、御使いが現れて「ダビデの子ヨセフ」と呼ばれたことで特別な感情が湧いたのではないかという気がします。
 ヨセフにとってダビデ王は約千年前の祖先です。その千年の時間を越えて「ダビデの子ヨセフ」と呼ばれた時、ヨセフは聖霊を受けてはいませんでしたが、霊的な目が開かれたのではないかという気がします。人が霊的であるか無いかは、時間を越えることができるかどうかに掛かっていると言ってもよいほど、時間を越えることは大切だと私は考えます。二千年前のイエス・キリストの十字架が自分のためでもあったと私たちが感じる時、私たちは二千年の時間を越えて霊的な目が開かれます。同様に、「ダビデの子ヨセフ」と呼ばれたヨセフは千年の時間を越えて霊的な目が開かれたのではないかと思います。

おわりに
 ヨセフがイザヤ書のみことばを知っていたかどうかはわかりませんが、23節の「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」というのはイザヤ書の預言ですね。このイザヤの預言もイエスさまが生まれる700年以上も前のものです。
 最後にイザヤ書のこの箇所をご一緒に見ましょう。イザヤ7章14節です(旧約聖書p.1136)。

7:14 それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。

 お祈りいたしましょう。
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コリントの教会の仲間割れ(2017.11.12 礼拝)

2017-11-14 07:19:38 | 礼拝メッセージ
2017年11月12日礼拝メッセージ
『コリントの教会の仲間割れ』
【使徒18:23~28、Ⅰコリント1:10~13】

はじめに
 先週の使徒の働きの学びでは、パウロたちが第二次伝道旅行を終えて、しばらくしてまた第三次旅行に出発したことを話しました。そして、この第三次伝道旅行でパウロは出発点のアンテオケに戻ることはなかったことを話しました。パウロはエルサレムでユダヤ人たちに捕らえられてしまったからです。パウロはまるで捕らえられるためにエルサレムに向かって行ったかのようでした。そのパウロの姿はイエスさまが捕らえられるためにエルサレムに向かって行ったことと重なります。以上のことは予告編的な話ですので、今話したパウロが捕らえられた箇所についてはいずれまたご一緒に見ることにしたいと思います。

コリントに行ったアポロ
 きょうは改めて第三次伝道旅行の始めから見て行きたいと思います。18章の23節からです。

18:23 そこにしばらくいてから、彼はまた出発し、ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた。

 パウロはアンテオケにしばらくいてからまた出発して、まずガラテヤ地方に行きました。さて、24節からは、いったんアポロというユダヤ人の話になります。彼はエペソに来ました。24節、

18:24 さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。

 アレキサンドリヤというのはエジプトにある町で、ここにおいてもキリスト教が広まったことが知られています。この町の出身のアポロは聖書に通じていました。25節、

18:25 この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。

 アポロはイエスさまのことを正確に語ったそうです。ただ、バプテスマのヨハネのバプテスマしか知らなかったそうです。つまり、アポロは聖霊についてはほとんど知らなかったようです。続いて26節、

18:26 彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。

 この時、プリスキラとアクラはエペソにいました。第二次伝道旅行を終えるためにパウロがコリントの町を船で出帆した時に、この夫妻も同行して彼らはエペソで船を降りていたのでした。プリスキラとアクラの夫妻はコリントの町で一年半もの間、パウロと同じ場所で生活していましたから、神の道のことをよく知っていました。それでアポロにもっと正確に説明しました。そして27節、

18:27 そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。

 アカヤの首都はコリントですから、このアカヤというのはコリントのことでしょう。アポロはコリントに行き、そこですでに信者になっていた人たちを大いに助けました。そして28節、

18:28 彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。

 こうしてパウロが教会を開拓したコリントの町で、アポロの宣教の働きは大いに用いられました。ですから、これでメデタシ、メデタシ、かのように見えます。

仲間割れしたコリントの教会
 しかし、使徒の働きでは明らかにされていませんが、パウロの手紙によれば、この後コリントの教会ではあまり芳しくないことが起きていたようです。そのことが、コリント人への手紙第一の最初のほうで明らかにされます。
 では、第一コリントの1章を見ましょう(p.317)。ここは10節から13節までを交代で読みましょう。

1:10 さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。
1:11 実はあなたがたのことをクロエの家の者から知らされました。兄弟たち。あなたがたの間には争いがあるそうで、
1:12 あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」「私はキリストにつく」と言っているということです。
1:13 キリストが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか。あなたがたがバプテスマを受けたのはパウロの名によるのでしょうか。

 10節でパウロは、「みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください」と書いています。どういうことかと言うと、12節にあるように、コリントの教会はパウロ派やアポロ派に分派してしまっていたようです。
 コリントの教会には、極めて人間的な問題が起きていました。この問題は3章にも書かれています。3章の4節から7節までを、交代で読みましょう。

3:4 ある人が、「私はパウロにつく」と言えば、別の人は、「私はアポロに」と言う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。
3:5 アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰に入るために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。
3:6 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
3:7 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。

 6節でパウロは「私が植えて、アポロが水を注ぎました」と書いています。コリントの町はパウロが開拓して、その後、アポロがコリントの町を訪れたということを、最初の方で話しました。このことで教会にはパウロ派とアポロ派ができて仲間割れをしてしまったわけですが、7節でパウロは「たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです」と書いています。

信仰が幼かったコリント人たち
 本当にその通りだと思います。このコリントの町の人々の信仰は、まだまだ幼いものでした。今度は3章の1節から3節までを見ます。まず1節、

3:1 さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。

 ここから、キリスト教の信仰がどのようなものかがわかります。人はイエス・キリストを信じると新しく生まれてクリスチャンになりますが、その信仰は最初のうちは赤ちゃんのようなものです。御霊に属する人になって初めて大人になります。2節、

3:2 私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。

 コリント人の信仰は、まだ離乳食が無理な幼子の段階でした。3節、

3:3 あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。

 コリントの人々は仲間割れをしていましたから、まだ肉に属していました。では、御霊に属する人とはどのような人なのでしょうか。それは3章の前の2章に書かれていますが、この第一コリントの2章よりもガラテヤの5章のほうが分かりやすいと思いますから、同じパウロが書いたガラテヤ人への手紙の5章のほうを見ることにしましょう(p.370)。

御霊に導かれて進もう
 ガラテヤ5章16節と17節を読みます。

5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

 ガラテヤ人が抱えていた問題とコリント人が抱えていた問題は異なりますが、どのような場合であっても御霊によって歩むなら、御霊がより良い方向へと導いて下さいます。18節、

5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。

 ここでパウロはガラテヤ人たちが抱えていた問題に触れています。少し復習すると、異邦人のガラテヤ人たちは、割礼派のユダヤ人たちに惑わされていたのでしたね。割礼派のユダヤ人たちは、異邦人はたとえイエス・キリストを信じてもユダヤ人と同じようにモーセお律法を守って割礼を受けなければ救われないと主張していました。それでパウロは、割礼派に惑わされていたガラテヤ人たちを手紙で叱りました。人はイエス・キリストを信じる信仰によって救われるのであり、律法の行いによって救われるのではありません。イエス・キリストを信じれば聖霊を受けますから、御霊によって歩めばよいのですね。御霊によって歩めば、御霊がきよめて下さって肉の行いからも離れることができます。
 続いて19節から21節、

5:19 肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
5:21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。

 この肉の行いのリストの中にはコリントの教会の人々が抱えていた問題もあります。御霊に属していないと、このような問題を抱えることになります。続く22節から25節までは交代で読みましょう。

5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
5:24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
5:25 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

おわりに
 ガラテヤの教会であっても、コリントの教会であっても、そして現代の21世紀のキリスト教会であっても、私たちが御霊によって生きるなら、御霊に導かれて進むべきです。
 私たちの前途には様々な困難がありますが、御霊に導かれて進みなら、御霊が正しい方向へと導いて下さいます。御霊に導かれて、進もうではありませんか。
 お祈りいたしましょう。
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第二次から第三次伝道旅行へ

2017-11-06 19:45:37 | 礼拝メッセージ
2017年11月5日礼拝メッセージ
『第二次から第三次伝道旅行へ』
【使徒18:18~23】

はじめに
 先週は召天者記念礼拝で旧約聖書の申命記を開きましたから、使徒の働きの学びは休みました。今週はまた使徒の働きに戻ります。今は18章を学んでいるところです。12月のアドベントに入ったら多分、福音書を開くことになると思います。そうすると年内には使徒の働きは終わらないことになります。使徒の働きの学びを始めたのは昨年の6月26日からでしたから、随分と長い学びになっていますが、一つの書をこれだけじっくり学べるのも感謝なことだと思います。

第二次伝道旅行を終えたパウロ

 さて、先々週の学びでは、18章の9節で主が幻の中でパウロに「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない」と語り掛けた箇所を見ました。そうして、パウロはコリントの町に1年半腰を据えて、神のことばを教え続けました。この1年半の間には、12節にあるようにパウロがユダヤ人たちに法廷に引かれて行くということもありましたが、10節で主が言われたように、パウロ自身は危害を加えられるようなことはありませんでした。
 そうしてパウロは長い間コリントに滞在してから、第二次伝道旅行を終えることにしました。18節から見て行きます。18節と19節、

18:18 パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。
18:19 彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じた。

 パウロたちはシリヤへ向けて出帆しました。当時の船は帆船でしょうから、文字通り出帆ですね。「シリヤへ向けて」と書いてあるのは出発点がシリヤのアンテオケ教会ですから、このように書いてあるのだと思います。この船にはプリスキラとアクラも同乗していました。彼らは途中、エペソに寄り、プリスキラとアクラはエペソに残ることになりました。エペソでパウロはいつものように会堂に入ってユダヤ人と論じました。
 そして20節、

18:20 人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、
18:21 「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます」と言って別れを告げ、エペソから船出した。

 そうしてパウロはエペソには少しいただけで、また船出しました。そして、直接アンテオケには戻らずにエルサレムに寄って行きました。22節です。

18:22 それからカイザリヤに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンテオケに下って行った。

 ここまでが第二次伝道旅行です。ここで後ろの地図を見て、地理を確認しましょう。
 (地図を確認)

アンテオケに戻れなかった第三次伝道旅行
 そしてパウロはしばらくアンテオケにいましたが、使徒の働きの記述では間を置くことなく、すぐに第三次伝道旅行の記述が始まります。23節、

18:23 そこにしばらくいてから、彼はまた出発し、ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた。

 この「彼はまた出発し」というのが第三次伝道旅行に出発したということです。
 さて、去年からのこの使徒の働きの学びでは、概ね1章から順番に記事を学んでいますが、時々は少し先回りをして、もう少し広い範囲を見渡すことをしています。その方がこの使徒の働きという書の全体像を把握しやすいと思うからです。
 それで、きょうの学びでも少し先回りをして、第三次伝道旅行の最後の方を見ることにしたいと思います。先ほど地図で見たように、この第三次伝道旅行ではパウロはアンテオケに戻ることはありませんでした。第一次と第二次ではパウロが伝道の拠点としていたアンテオケに戻りましたが、この第三次伝道旅行では戻ることができませんでした。それは、パウロがエルサレムで捕らえられてしまったからです。
 この使徒の働きのパウロの第三次伝道旅行を見ていると、パウロは捕らえられるためにわざわざエルサレムに向かって行ったような感じを受けます。それは、まるでイエスさまが捕らえられるためにエルサレムに向かって行ったのと似ています。きょう、これから、その捕らえられた場面を先回りして見ようと思います。これから何回か第三次伝道旅行の学びをする中で、この第三次の旅行の行く末にはパウロの拘束があるのだということを予め知っておき、パウロが何を思ってエルサレムへ向かって行ったのかということにも思いを巡らすことができたら良いなと思っています。

よく似ているルカの福音書と使徒の働き
 今回、このような読み方を礼拝のメッセージの中でもしてみたいと思ったのは、先週から始まったeラーニングの新しい講座のルカ文書の学びが、ルカの福音書と使徒の働きを並べて考えてみることになっているからです。まだ講座が始まったばかりで私も思い巡らしを始めたばかりですので十分に深まっていませんが、多くのことを学べるであろうと期待しています。講師の山崎先生によれば、ルカは何らかの意図を持ってルカの福音書と使徒の働きを似たような構造を持つ文書にしたのであろうということで、今回のeラーニングの学びでは、そのことも探られていくことと、思います。
 では、第三次伝道旅行のおしまいのほうを、見ることにしたいと思います。21章の7節から見て行きます。

21:7 私たちはツロからの航海を終えて、トレマイに着いた。そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した。

 7節の始めに「私たち」とありますから、ルカも一緒にいたことがわかります。彼らが着いたトレマイは、エルサレムの比較的近くです。第三次の旅行でパウロは第二次の時と同じようにギリシャのコリントの町にまで行っていましたが、エルサレムの近くにまで戻って来ていました。

21:8 翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家に入って、そこに滞在した。

 伝道者ピリポというのは、サマリヤ人に伝道したピリポですね。それからエチオピヤ人の宦官にイザヤ書53章のしもべがイエスさまのことであることを教えたのも、ピリポでした。この8節から、ルカはピリポと直接の面識があったことがわかりますから、使徒の働き8章のピリポのサマリヤ伝道については、ルカがピリポから直接聞いたのだろうということがわかります。続いて9節から11節、

21:9 この人には、預言する四人の未婚の娘がいた。
21:10 幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。
21:11 彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される』と聖霊がお告げになっています」と言った。

 ここでアガボという預言者によって、パウロがエルサレムでユダヤ人に捕らえられることが預言されます。12節、

21:12 私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。

 ルカもこの場にいたのですね。ルカたちはパウロにエルサレムに上らないよう頼みました。すると13節、

21:13 するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。

 ここからパウロはすべて覚悟の上でエルサレムに上って行ったことがわかります。14節と15節、

21:14 彼が聞き入れようとしないので、私たちは、「主のみこころのままに」と言って、黙ってしまった。
21:15 こうして数日たつと、私たちは旅仕度をして、エルサレムに上った。

 少し飛ばして30節だけを見ておきましょう。30節、

21:30 そこで町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外へ引きずり出した。そして、ただちに宮の門が閉じられた。
 
 このようにユダヤ人たちは乱暴な方法でパウロを捕らえました。これはイエスさまがエルサレムで捕らえられた時とよく似ていると思います。
 ルカはパウロの中にイエスさまを見ていたのかもしれません。ルカは十字架に付く前の人としてのイエスさまには会ったことがありません。しかし、パウロを通してイエスさまと出会ったとも言えるでしょう。パウロもまた十字架に付く前のイエスさまに会ったことはありませんでしたが、パウロに対してはダマスコ途上で復活したイエスさまが直接現われました。そして私の場合は、パウロが復活したイエスさまと出会ったことを信じたことで、イエスさまと出会うことができました。人とイエスさまとの出会いには様々なパターンがあるということも、使徒の働きを学ぶとわかります。

まだまだ知られていない聖書の面白さ
 講師の山崎先生によれば、ルカの福音書と使徒の働きとの間に並行関係があることは、ルカ文書を専門とする聖書学者の間では、よく知られていることだそうです。こんなに面白いことが、なぜもっと広く一般の牧師にも広まって、説教に活かされるようになっていないのか不思議な気持ちがします。聖書は本当に面白いと思います。このことがもっと伝われば、聖書に関心を持つ人々も増えていくことでしょう。ヨハネの福音書には三つの時代の重なりがあることも同様です。もっともっと広まっていく必要があると思います。
 どうしてルカの秘密、ヨハネの秘密が広まらないで来てしまったのか、過ぎてしまったことは仕方がありませんが、これからはもっともっと広まって行かなければならないと思います。
 これらのことも思いながら、これからパウロの第三次伝道旅行を学んで行きたいと思います。お祈りいたしましょう。
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モーセの最期と信仰のたすきリレー(2017.10.29 召天者記念礼拝)

2017-10-29 16:34:23 | 礼拝メッセージ
2017年10月29日召天者記念礼拝メッセージ
『モーセの最期と信仰のたすきリレー』
【申命記34:1~12】

はじめに
 今年も、先に天に召された信仰の先輩方のことを思いながら、ご遺族の方々と共に主に礼拝を捧げる恵みをいただけていますことを、心から感謝したいと思います。
 今年、沼津教会は設立50周年の中を通っています。松村導男師がオートバイで静岡から来て下って家庭集会を行っていた時代を経て、専任の牧師の小田満師が派遣されて沼津教会の歴史が始まったのが1967年、昭和42年のことでした。

(ここで週報に記した兄弟姉妹方が天に召された年を見る)

 こうして、召天者の方々が召されたのが教会設立後何年で、それが何年前であったかということに思いを巡らしていると、この教会が刻んで来た、歴史の重みというものを感じます。
 そして、きょうは、この何十年かの期間を、聖書のモーセの生涯と重ねて考えてみる、ということをご一緒にしてみたいと思っています。というのは、モーセの人生の行き先は、およそ40年ごとに変わって行ったからです。

モーセは最期に何を思っただろうか
 モーセの波乱万丈の生涯を聖書を通して見ていると、人の人生が終わる時というのは、どこにいるのか本当にわからないものだなと思います。モーセがエジプトで奴隷になっていたイスラエル人たちを率いてエジプトを脱出した、出エジプトの出来事は有名ですから、ご存知の方も多いと思います。エジプトを脱出した後、イスラエル人たちは海に行き手を阻まれました。しかし、神は海の水を二つに割って下さり、水の壁を作って下さったので、イスラエル人たちは海の底を向こう岸まで歩いて渡ることができました。そうしてイスラエル人たちが渡り切った後で、神は海の水を元通りにしたので、後ろから追い掛けて来たエジプトの王の軍勢は皆、海の水に飲み込まれてしまいました。
 このエジプト脱出の出来事は、だいたい紀元前1500年ぐらいのこと、今から3500年ぐらい前のことと言われています。この時、モーセは80歳で、モーセが死んだのが120歳の時でした。このモーセの生涯は、聖書の出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の四つの書に記されています。ですから、聖書はモーセの生涯をかなり詳しく描いています。
 きょうは、このモーセの生涯を簡単に振り返り、モーセが生涯の最期の時に何を思ったのかに思いを巡らしてみたいと思います。
 先ほど歌った讃美歌③の373番「恵みにあふれる祈りのひと時」の4節に、「ピスガの山より、ふるさとを臨み」とあります。これはモーセが最期にピスガの山に上って、イスラエル人のふるさとであるカナンの地を見渡したことを表していて、同時に将来私たちもまた天の御国に行くのだということに思いを巡らしています。この最期の時に私たちの先輩たちは何を思ったでしょうか。そして私たちは何を思うでしょうか。
 きょうのこれからの話で、モーセが最期に何を思ったかは、私の想像がだいぶ入りますが、それ以外のモーセの生涯については、聖書に書いてあることを話します。いちいち聖書を開きませんから、聞いていていただければ良いです。ただし、最期の場面については、メッセージの終わりに、ご一緒に聖書を見て確認したいと思います。

エジプト脱出のリーダーに指名されたモーセ

 モーセはヘブル人、すなわちイスラエル人の子供として生まれましたが、生後3ヶ月の赤ん坊の時にナイル川の川岸に置き去りにされました。その赤ん坊のモーセをエジプトの王の娘が見つけて育てることにしたので、モーセはエジプトの王家の息子として育ち、大人になりました。
 そうしてエジプトの王家の息子として育ったモーセでしたが、40歳の時に殺人事件を起こして、エジプトから逃げ出さなければならなくなりました。そうして外国のミデヤンの地に逃れたモーセは、そこで羊飼いとして40年間を過ごして80歳になりました。ここまでのことが、出エジプト記の1章と2章に書いてあります。ここまでだけでも、十分に波乱万丈の生涯と言えると思いますが、ここから先がさらに波乱に富んでいます。
 モーセが80歳になった時、モーセは神様に呼び出されます。そして、エジプトで奴隷になっているイスラエル人をエジプトから脱出させるので、そのリーダーになるように言われました。
 イスラエル人が祖先の土地のカナンを離れてエジプトに住んでいたのは、その昔、大ききんがあって食糧がなくなった時に、エジプトに移住したからでした。イスラエル人はエジプトで多くの子供を生み、増え広がりました。その勢いはエジプトの王が恐れるほどで、それゆえエジプトの王はイスラエル人を奴隷として働かせて苦しめることにしました。その苦しみにイスラエル人たちは悶え、叫びの声を上げました。その叫びの声を聞いた神様は、彼らをエジプトの地から脱出させて祖先のふるさとのカナンの地に導き入れることにしました。そのリーダー役にモーセを指名したのでした。
 このイスラエル人の数は、成人の男子だけで約60万人もいましたから、女性や子供を入れると100万人を越えていたでしょう。こんなにも大勢の人々を率いるのは大変なことですから、モーセは自分には無理だから他の人を遣わして下さいと神様に頼みました。しかし、結局は神様に押し切られて、この大変な役目を引き受けることになりました。こうしてモーセの人生は大きく変わっていきました。モーセはイスラエル人の子として生まれたのに川岸に捨てられ、拾われてエジプトの王家の息子として40歳までを過ごし、それが40歳からは羊飼いになって80歳までの40年間を過ごしました。そうして次は100万人を越えるイスラエル人のリーダーになって彼らをエジプトから脱出させなければならなくなりました。

苦労の連続だったモーセ
 モーセはリーダーとして、本当に苦労しました。一番の苦労は、イスラエル人たちがすぐに不平不満をつぶやくことでした。のどが渇くと「水がない」と不平不満を言いました。お腹がすくと、「食料がない」と不平不満を言い、「こんなことだったらエジプトにいたほうが良かった」と言いました。これはひどいですね。イスラエル人たちは奴隷として苦しみ叫んでいたので、神様は彼らをエジプトから出してあげたのでした。それなのに、エジプトでは腹いっぱい食べていたからエジプトにいたほうがマシだったとは、さすがにひど過ぎると思います。こんな不平不満を言う彼らに対して当然神様は怒りますから、モーセはイスラエル人と神様との間で板ばさみになって本当に大変でした。
 しかし、モーセの災難は、これだけにとどまらずに、まだまだ続きます。神様はイスラエル人がエジプトを脱出した1年後には、祖先の地のカナンに導き入れるつもりでいました。それで、十二部族の族長たちにカナンを偵察に行くように命じました。そうしてカナンの偵察から戻って来た時、十二人の族長のうちの十人は弱気になっていて、カナンに進攻するのは無理だと言い出しました。カナンの地にはカナン人たちが住んでいて、イスラエル人がそこに入るには、カナン人たちと戦わなければなりません。偵察に行った族長たちは、カナン人たちがとても強そうに見えたので、おじけづいてしまいました。その族長たちの報告を聞いたイスラエル人たちは嘆き悲しみ、泣き叫びました。そして、「エジプトに帰ろう」と言い出しました。
 このことで神様は、それまでで一番怒りました。イスラエル人たちがエジプトを脱出できたのは神様の力があったからこそだったのに、泣き叫ぶイスラエル人たちはそのことがぜんぜんわかっていませんでした。海に行く手を阻まれたイスラエル人たちが、海を歩いて渡ることができたのは、神様が海の水を二つに割って下さったからです。神様は、こんなにすごいことができるお方です。ですから、カナン人たちがどんなに強くても、神様がそこに導いて下さっているのですから、恐れずに進めば、必ず神様が助けて下さいます。それなのにイスラエル人たちは弱気になって「エジプトに帰ろう」などと言い出したので、堪忍袋の緒が切れた神様は計画を変更して、彼らを荒野で40年間放浪させることにしました。

カナン入りが許されなかったモーセ

 そして、この40年間に荒野を放浪する間に、「エジプトに帰ろう」と泣き叫んだイスラエル人たちは皆、死に絶えました。結局、カナンに入ることができたのは、この時にまだ子供だった者と、40年間に新たに生まれた者と、十二人の族長の中で弱気にならなかったヨシュアとカレブだけでした。そしてモーセもまた、カナンに入ることが許されませんでした。
 モーセもまたカナンに入ることを許されなかったことについては、私はモーセをとても気の毒に思います。モーセをリーダーに指名したのは神様です。モーセは嫌がりましたが、結局は引き受けさせられました。そうしてモーセは不平不満を言うイスラエル人と怒る神様との間で板ばさみになり、ずっと苦労していました。神様はそれだけの苦労をモーセにさせたのですから、最後はご褒美にカナンの地に入れてあげても良さそうなものです。しかし、神様はそうはなさいませんでした。
 では、ここで今日の聖書箇所の申命記34章をご一緒に見ましょう(旧約聖書p.368)。私のほうでお読みします。まず1節、

34:1 モーセはモアブの草原からネボ山、エリコに向かい合わせのピスガの頂に登った。【主】は、彼に次の全地方を見せられた。

 モーセはピスガの山に登りました。ここから、ヨルダン川を挟んで、祖先の地のカナンの地を見渡すことができました。そして主はモーセに仰せられました。少し飛ばして4節、

34:4 そして【主】は彼に仰せられた。「わたしが、アブラハム、イサク、ヤコブに、『あなたの子孫に与えよう』と言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたはそこへ渡って行くことはできない。」

 神様はモーセが祖先の地に入ることを許しませんでした。続いて5節、

34:5 こうして、【主】の命令によって、【主】のしもべモーセは、モアブの地のその所で死んだ。

 こうしてモーセは祖先の地のカナンではなくてモアブで死にました。続いて6節~8節、

34:6 主は彼をベテ・ペオルの近くのモアブの地の谷に葬られたが、今日に至るまで、その墓を知った者はいない。
34:7 モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。
34:8 イスラエル人はモアブの草原で、三十日間、モーセのために泣き悲しんだ。そしてモーセのために泣き悲しむ喪の期間は終わった。

ヨシュアに後のことを託したモーセ
 モーセは、どんな思いで最期の時を迎えたのでしょうか。以前の私は、モーセは残念に思っていたに違いないと思っていました。しかし、今の私は、モーセは特に不満は抱かずに穏やかに死んで行ったのだろうと思うようになっています。なぜなら、モーセにはヌンの子ヨシュアという後継者が与えられていたからです。9節です。

34:9 ヌンの子ヨシュアは、知恵の霊に満たされていた。モーセが彼の上に、かつて、その手を置いたからである。イスラエル人は彼に聞き従い、【主】がモーセに命じられたとおりに行った。

 この後、リーダーの役割はヨシュアが引き継いで、イスラエル人たちはヨシュアに率いられて祖先の地のカナンに入ることができました。
 このヨシュアは、カナンに偵察に入った十二人の族長たちの一人でした。十二人のうちの十人は弱気になりましたが、ヨシュアとカレブの二人は、恐れないでカナンに進攻しようと主張しました。この二人は泣き言を言わなかったのでカナンの地に入ることが許されました。
 モーセには、このような心強い後継者がいました。ですから、後のことはヨシュアに任せて、モーセは肩の荷を降ろして安らかに生涯を終えたのだろうと、今の私は想像しています。神様は永遠の中を生きていますが、人の一生は長くても120年です。人はその短い生涯の間に、わずかなことしか為すことができません。ですから、自分ができなかったことを次の世代に引き継いで自らの役割を終えます。そうして長距離走の駅伝のたすきのように、信仰のたすきが引き継がれていきます。モーセは120年の天寿を全うすることができ、なおかつ信仰のたすきをヨシュアに引き継ぐことができたのですから、カナンに入れなかったことも受け容れ、霊と魂を主の御手にお委ねして平安のうちに息を引き取ったのだろうと思います。それが神に仕える信仰者の姿であろうと思います。

おわりに
 今年設立50周年の年の中を通っている沼津教会の私たちが、きょう先に天に召された信仰の先輩のことを思いながら、信仰のたすきリレーについて思いを巡らすことができたことを主に感謝したいと思います。
 私たちは、この信仰のたすきを次の世代に渡して行くことができるでしょうか。教団の牧師不足という大きな波に翻弄されて、人数の少ない小さな私たちの教会はかつてない危機の中にあります。主の御心はどこにあるでしょうか。私たちが信仰のたすきを次に引き継ぐことを許して下さるでしょうか。主の御手にすべてをお委ねして、御心に従いながら、私たちはこれからも、信仰の道を歩んで行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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恐れないで「霊的イエス」を証言し続ける ~聖書って、こんなに面白いんだ!(2017.10.22 教団創立記念礼拝)

2017-10-23 08:49:44 | 礼拝メッセージ
2017年10月22日教団創立記念礼拝メッセージ
『恐れないで「霊的イエス」を証言し続ける ~聖書って、こんなに面白いんだ!』
【使徒18:4~11、ヨハネ2:1~4】

はじめに
 きょうの礼拝は教団創立記念礼拝です。前半は連講中の使徒の働きの18章を見て、後半は教団と日本のキリスト教会の現状と将来についての話につなげて行きたいと思います。教団の創設時を振り返るよりは、日本のキリスト教会の将来について今の私が示されていることを、お話しできたらと願っています。

コリントで教え続けたパウロ
 では、いつものように使徒の働きの学びから始めます。前回は使徒18章の1節から3節までを見た後で少し先回りをして、パウロの第二次伝道旅行と第三次伝道旅行のこの先の足取りを確認し、そこにアクラとプリスキラがどのように関わって行ったかについて学びました。アクラとプリスキラの夫妻はパウロと共にコリントで1年半、エペソで約2年を過ごして、強い信頼関係が築かれました。
 それでは先週の続きの4節以降を見て行きましょう。まず4節、

4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。

 ここまではパウロはコリントの町にシラスとテモテを伴わないで来ていました。彼らとはベレヤの町で別れたままになっていました。しかし、ここでシラスとテモテとまた合流することができました。5節です。

5 そして、シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。

 しかし、ユダヤ人たちはパウロのことばを受け入れようとしませんでした。6節、

6 しかし、彼らが反抗して暴言を吐いたので、パウロは着物を振り払って、「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く」と言った。

 そして、異邦人であるコリント人の多くが信仰に入ったことが次に書かれています。

7 そして、そこを去って、神を敬うテテオ・ユストという人の家に行った。その家は会堂の隣であった。8 会堂管理者クリスポは、一家をあげて主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。

 パウロが後に書いたコリント人への手紙第一と第二は、この第二次伝道旅行のコリント伝道の時に信仰に入った人たちに向けた手紙ですね。

恐れないで語り続ける
 さて、ある夜にパウロは主から語り掛けを受けました。9節から11節です。

9 ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。10 わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」と言われた。11 そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。

 9節は有名な聖句ですね。説教などでよく引用されます。ここまでパウロは、ユダヤ人たちから様々な迫害や妨害に遭って来ました。それで、どの町においても、そんなに長く滞在することはありませんでした。テサロニケとベレヤでは大きな騒ぎがあったことを、少し前にご一緒に学びました。きょう見た箇所でも、「彼らが反抗して暴言を吐いた」とあります。ですから、このコリントの町でも大きな騒動が起きる心配があったと思います。しかし主は10節で、「わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない」とおっしゃって下さいました。こうして、パウロはコリントに一年半じっくりと腰を据えて、コリントの人々の間で神のことばを教え続けました。
 なぜ、ユダヤ人たちはパウロを迫害したのか。それは、かつてパウロがイエスを信じる者たちを迫害していた理由と同じだろうと思います。十字架に掛かって死んだイエスはユダヤ人から見れば神から呪われた者でしたから、そんな者がメシヤ/キリストであるはずがありません。迫害は過激ですが、ユダヤ人たちが容易にイエスを信じなかったのは、ある意味では仕方のないことだとも言えるかもしれません。
 その点、異邦人のギリシャ人たちはそもそも旧約聖書のバックグラウンドを持っていませんから、かえって伝道しやすかったとも言えるでしょう。ここで多くのコリント人たちが信仰に入りました。

状況を変える力を秘めている『ヨハネの福音書』
 さて、きょうは教団創立記念礼拝です。いまご一緒に読んだ箇所に、私は一筋の光明を見たように思いますので、後半は今の教団と日本のキリスト教会が置かれている状況とパウロが置かれていた状況とを絡めながら話を進めてみたいと思います。
 ご承知のように、教団は牧師不足の問題を抱えており、今のところ改善する兆しは見られません。ですから牧師は今後ますます不足する見通しになっています。これは私たちの教団だけの話ではなくて、キリスト教の大半の教団が抱えている問題です。それだけに深刻な問題です。
 今のキリスト教会の年齢構成は、ほとんどの教団において牧師も信徒も高齢側に偏っていることと思います。牧師も信徒も若い人が足りません。この状況が続くなら、今の教会の数を維持することは困難ですから、教会の数は減って行かざるを得ません。
 こういう状況の中に今の日本のキリスト教会はありますが、そんな中で私は『ヨハネの福音書』が、この状況を変える大きな力を秘めていると確信しています。ヨハネの福音書は、これまで私たちが教えられて来たような書ではないことが、いよいよハッキリして来ました。あとでまた説明しますが、ヨハネの福音書はマタイ・マルコ・ルカの福音書とはまったく異なる目的で書かれた書です。ただし、このことが多くの人に理解されるまでには長い時間が掛かるだろうと私は思っていました。しかし、そんな悠長なことは言っていられなくなりました。なぜなら、私たちの教会自体がこの深刻な問題の大水に飲み込まれそうになっているからです。きょうの聖書交読は詩篇69篇を交代で読みましたが、私たちはまさに大水の底に陥り、奔流が私たちを押し流そうとしています(詩篇69:2)。

「聖書って、こんなに面白いんだ!」
 私たちは、今の状況を変える可能性を秘めた『ヨハネの福音書』の秘密を知りながら、このまま大きな波に飲み込まれて行くわけにはいきません。それで、教団創立記念礼拝の今日のメッセージのタイトルは、『恐れないで「霊的イエス」を証言し続ける』としました。きょうの使徒18章9節で主はパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。」と語り掛けました。私も同様の語り掛けを主から受けていると感じていて、ヨハネの福音書の「霊的イエス」を恐れないで証言し続けなければならないと示されています。
 日本のキリスト教会がなぜ、今のような状況になってしまったのか。一つの要因は、聖書が「つまらない書物」だと思われているからだと思います。きょうは衆議院選挙の投票日ですから、選挙のことと併せて考えてみたいと思います。今の日本人は選挙も「つまらない」と思っている人が多いようです。昨年の参議院選挙の投票率は約55%でした。45%もの人々が投票しませんでした。特に若い人が投票所に行きません。選挙がつまらないものだと思われるようになった責任の大半は政治家にあるでしょう。同様に、聖書がつまらないものだと思われている責任の大半は牧師にあるのだろうと思います。
 選挙はつまらないものではなく、一人一人が期待を持って投票所に足を運んで一票を投じることで、日本は変わります。聖書もつまらないものではなく、一人一人が期待を持って聖書を開くことで日本は変わり、さらに聖書の場合には世界までもが変わります。聖書は「世界のベストセラー」とも呼ばれますから、それくらい大きな力を秘めています。
 きょうはヨハネ2章を開いて、残りの時間で「聖書ってこんなに面白いんだ」という話ができたらと思います。この面白さを感じてもらえないとしたら、私の力不足ということになります。

主役は「霊的イエス」であるヨハネの福音書

 ヨハネは「霊的イエス」を「人間イエス」の上に重ねる手法で私たちが神を見ることができるようにしてくれました。ヨハネの福音書の主役は「霊的イエス」であって、「人間イエス」は脇役です。
 一方、マタイ・マルコ・ルカの福音書の主役は「人間イエス」です。マタイ・マルコ・ルカの福音書の「人間イエス」に関する証言を受け入れてイエスが神の子キリストと信じるなら、その者は聖霊を受けます。そして聖霊を受けた者は「霊的イエス」が見えるようになることをヨハネの福音書は教えてくれています。
 また記者のヨハネはさらに、この福音書の読者に「霊的イエス」の新たな証人として加わるように求めています。そうして証言が増えていくなら、世界は証言が記された書物を収めきれないほどになります(ヨハネ21:25)。
 さて、「霊的イエス」は主に旧約の時代の預言者の内と、使徒の時代のクリスチャンの内にいます。預言者もクリスチャンも聖霊が注がれていますから、その者の内にはイエスさまが住んでいます。これが「霊的イエス」です。きょうはこの「霊的イエス」の例をヨハネ2章で見ることにしたいと思います。
 ヨハネ2章の背後にある「旧約の時代」は、出エジプト記の時代です。従って、「霊的イエス」は預言者のモーセの内にいます。この2章には「使徒の時代」のペンテコステの日の「霊的イエス」も重ねられていますが、きょうは「旧約の時代」だけを見ることにします。

聖霊を受けたモーセの内にいる「霊的イエス」
 ヨハネ2:4でイエスさまは母に、「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。」と言いました。ここで記者のヨハネは、この福音書の主役は「霊的イエス」であって、「人間イエス」ではないことを読者の私たちに教えてくれています。もし主役が「人間イエス」であったら、母に向かってこんな失礼な言い方はしないでしょう。しかし母のマリヤはモーセの母ではありませんから、モーセの内にいるイエスさまにとってマリヤは何の関係もありません。また、記者のヨハネはここに、モーセがエジプトの王女の息子として育てられたという事情も重ねているかもしれません。ここにはヨハネ流のユーモアがあります。このヨハネの福音書独特のユーモアを、ぜひ多くの方々に理解していただきたいと思います。
 次にイエスさまが水をぶどう酒に変えた最初のしるし(ヨハネ2:11)は、神様がナイル川の水を血に変えた「最初の災い」に重ねられています。モーセがナイル川の水を杖で打つと、ナイル川の水は血に変わりました(出エジプト7:20)。この時のモーセの内には「霊的イエス」がいたとヨハネの福音書は記しています。カナの婚礼の祝い事を「災い」と重ねることに違和感を覚える方もいるかもしれませんが、この災いによってイスラエルの民はエジプトを脱出できる恵みに与ったのですから、出エジプトの場合には祝福と災いを重ねても構わないでしょう。

十の災い
 この災いは「十の災い」の中の最初の災いです。そして、二番目から九番目の災いは
②カエル、③ブヨ、④アブ、⑤家畜の疫病、⑥腫れ物、⑦雹、⑧イナゴ、⑨暗闇です。この二番目から九番目の災いをヨハネは、12節に重ねています。

その後、イエスは母や兄弟たちや弟子たちといっしょに、カペナウムに下って行き、長い日数ではなかったが、そこに滞在された。(ヨハネ2:12)


 ここに「長い日数ではなかった」とありますね。これは二番目から九番目の災いには長い日数が掛からなかったということです。


 そして十番目の災いは「初子の死」の死ですね。この初子の死をイスラエル人たちは「過越」によって免れました。このことをヨハネは13節の

ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。(ヨハネ2:13)

で表しています。イスラエル人たちは、かもいと門柱に羊の血を塗って目印を付けましたから、神はそのイスラエル人の家を過ぎ越して行きました。しかし、エジプト人の家では王家の初子も家畜の初子も、ことごとく死にました。こうしてエジプトの王はイスラエル人たちにエジプトを出て行くように命じました。

海の水に飲み込まれたエジプトの王の軍勢
 しかし、皆さんご存知のように、この後、エジプトの王の軍勢がイスラエル人たちを追い掛けます。そうして二つに割れた海の水に飲み込まれて死んでしまいます。そのことが、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす」という詩篇69篇9節の引用で表しています。
 きょうの聖書交読で読んだように、詩篇69篇の1節と2節には次のようにあります。

1 神よ。私を救ってください。水が、私ののどにまで、入って来ましたから。2 私は深い泥沼に沈み、足がかりもありません。私は大水の底に陥り奔流が私を押し流しています。(詩篇69:1-2)

 こうしてエジプトの軍勢は海の水に飲み込まれてしまいました。この主の御業を見て、イスラエル人たちは神を信じました。ここは出エジプト記をご一緒に見ましょう。出エジプト記14章の29節~31節です。

29 イスラエル人は海の真ん中のかわいた地を歩き、水は彼らのために、右と左で壁となったのである。30 こうして、主はその日イスラエルをエジプトの手から救われた。イスラエルは海辺に死んでいるエジプト人を見た。31 イスラエルは主がエジプトに行われたこの大いなる御力を見たので、民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。(出エジプト14:29-31)


 こうして、イスラエルの民は主とモーセを信じました。そのモーセの中には「霊的イエス」がいます。このことをヨハネは2:23で表しています。

イエスが、過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエスの行われたしるしを見て、御名を信じた。(ヨハネ2:23)


人の心の内をすべて知っている神
 しかし、イスラエル人たちは水と食べ物のことで、すぐに不平不満をつぶやくようになりました。出エジプト16章の2節と3節を交代で読みましょう。

2 そのとき、イスラエル人の全会衆は、この荒野でモーセとアロンにつぶやいた。3 イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。(出エジプト16:2-3)

 このつぶやきは、モーセとアロンに対するもので、イスラエル人たちは神に直接不平不満をぶつけたわけではありませんでした。しかし、神は彼らの心の内をすべてご存知でした。それがヨハネ2:24-25に表されています。新改訳第3版ではわかりにくいので、新改訳2017を週報のp.3に載せておきました。

24 しかし、イエスご自身は、彼らに自分をお任せにならなかった。すべての人を知っていたので、25 人についてだれの証言も必要とされなかったからである。イエスは、人のうちに何があるかを知っておられたのである。(ヨハネ2:24-25、新改訳2017)

 25節にあるように、イエスさまは人の心の内に何があるか、不平不満があるのか、感謝があるのか、神への愛があるのか、すべてをご存知でした。
 このように、ヨハネの福音書の2章の背後には、こんなにも細かく出エジプト記の出来事が重ねられています。そして、ヨハネはさらにこのヨハネ2章に、「使徒の時代」も重ねていますが、ややこしくなるので、きょうは省略します。

おわりに ~聖書って本当に面白い
 このようなヨハネの福音書のことを私は、本当に面白いと思います。この面白さが皆さんに上手く伝わっていないとしたら、とても残念ですし、責任を感じます。こんなに面白い聖書を私たちに与えて下さった神様に申し訳なく思います。
 このヨハネの福音書の面白さは、まだほとんど知られていません。6月に「『ヨハネの福音書』と「夕凪の街 桜の国」』という本を出しましたが、特に話題になったわけではありませんから、ヨハネの福音書の面白さは相変わらず知られていません。このことを私は神様に申し訳なく思います。しかし逆に言えば、まだまだ知られていないからこそ、今の困難な状況を大きく変える大きな力を秘めているとも思っています。特に若い人々が、「聖書って、こんなにも面白い書だったんだ!」と思ってくれるようになるなら、状況は大きく変わると思います。
 ヨハネの福音書は、こんなにも大きな力を秘めています。ですから私は悲観する必要はないと思っています。皆さんはいかがでしょうか。共に、このヨハネの福音書の面白さを分かち合うことができると、うれしく思います。
 お祈りいたしましょう。
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パウロを助けたアクラとプリスキラ(2017.10.15 礼拝)

2017-10-15 17:00:30 | 礼拝メッセージ
2017年10月15日礼拝メッセージ
『パウロを助けたアクラとプリスキラ』
【使徒18:1~8】

はじめに
 使徒の働きの学びは17章を終えて今日から18章に入ります。17章ではパウロはアテネにいました。そうして次にパウロはコリントへ行ったことが18章1節に書かれています。

アクラとプリスキラと出会ったパウロ

 18章1節をお読みします。

18:1 その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。

 コリントの町はアテネの町から西へだいたい100kmぐらいの所にあります。次に2節と3節、

18:2 ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、
18:3 自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。

 ここにはいくつかの重要な情報が含まれています。まずパウロがアクラとプリスキラの夫妻とコリントの町で出会い、この夫妻の家に住んで天幕作りの仕事を一緒にしたということです。これによってパウロはアクラとプリスキラの夫妻との強い絆ができました。この夫妻の名前は、使徒の働きの後の箇所にも出て来ますし、ローマ人への手紙とテモテへの手紙第二にも出て来ます。パウロはこのローマ人への手紙とテモテへの手紙第二の最後で多くの人々によろしくと書いていますが、どちらの手紙にもこの夫妻の名前が最初に出て来ます。ですから、アクラとプリスキラの夫妻とパウロとは一緒にいても離れていてもパウロの生涯に亘って強い絆で結ばれていたことがわかります。それできょうは、この機会にアクラとプリスキラを絡めながら少し先回りをしてパウロの第二次伝道旅行のその後の足取りを見ておくことにしたいと思います。

パウロの年表
 そして18章2節から得られる、もう一つの重要な情報は、アクラとプリスキラがコリントの町に来ていたのはローマの皇帝のクラウデオ帝がユダヤ人への退去令を出していたからだ、ということです。クラウデオ帝によってユダヤ人退去令が出されたのは紀元49年または50年ということがわかっています。この情報があることでパウロがいつ頃どこにいたかということが、大まかにわかり、その他の情報をも併せるならかなり細かいところまで年代がわかります。
 きょうは週報にパウロの生涯の年表を折り込みました。これは岩上敬人先生の『パウロの生涯と聖化の神学』から取ったものです。この年表と聖書の記述を見ながら、パウロの足取りと、パウロを助けたアクラとプリスキラの夫妻とを見て行きたいと思います。
 まず、パウロの生年を見ておきましょう。クエスチョン・マーク付で紀元5年(?)となっています。パウロが何年に生まれたのかはわかっていません。ただ、ステパノが石に打たれて殉教した時にはパウロは着物の番をしていたことが書かれていますから、この時はまだ若造だったのですね。そういうわけで、パウロの生まれたのはこれぐらいの年だったのではないかと推定されます。
 そしてイエス・キリストが十字架で死んだ後に復活したのが紀元30年となっています。十字架の年については大きく紀元30年という説と33年という説とがありますが、この年表では紀元30年になっています。そうしてダマスコ途上でのパウロの回心があり、それから十数年を経てタルソにいたパウロをバルナバが捜しに行ってアンテオケ教会に連れて来たのが46年か47年だそうです。そして48年から49年に掛けてバルナバと共に第一次伝道旅行に出ました。
 クラウデオ帝によるユダヤ人退去令が出たのは、この第一次伝道旅行を終えた頃です。年表では49年になっています。そして使徒15章に書かれているエルサレム会議があったのは49年か50年です。その後、50年から52年に掛けてパウロはシラスとテモテと共に第二次伝道旅行に出ました。これまでに学んで来たように、この第二次伝道旅行でパウロは初めてヨーロッパに足を踏み入れてピリピ、テサロニケ、ベレヤ、アテネを経てコリントの町に入りました。このコリントの町にパウロは1年半いました。使徒の働きで確認しておきましょう。
 使徒18章の8節から11節までを交代で読みましょう。

18:8 会堂管理者クリスポは、一家をあげて主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。
18:9 ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。
18:10 わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」と言われた。
18:11 そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。

 このようにパウロは、コリントで一年半を過ごしました。いま読んだところは後日また取り上げますから、きょうは詳しくは見ないことにします。

コリントを離れてからのパウロ
 その後、パウロはコリントを離れて船でヨーロッパを離れ、エペソに立ち寄ってからエルサレムに行き、出発点のアンテオケ教会に戻りました。18章の18節から23節までを交代で読みましょう。この18節のはじめの時点でパウロはまだコリントにいました。

18:18 パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。
18:19 彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じた。
18:20 人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、
18:21 「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます」と言って別れを告げ、エペソから船出した。
18:22 それからカイザリヤに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンテオケに下って行った。
18:23 そこにしばらくいてから、彼はまた出発し、ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた。

 今ご一緒に読んだ箇所を週報のp.3に載せてありますから、今度は後ろの地図を見ながら、今の箇所をもう一度振り返ってみたいと思います。
 18節でパウロはコリントの港から船でシリヤに向けて出帆しました。シリヤにはカイザリヤの港があり、カイザリヤはエルサレムのすぐ近くにありますから、パウロはコリントを出る時からエルサレムに向かって第二次伝道旅行を終わらせるつもりでいたようです。この船にはプリスキラとアクラも乗っていました。同じ天幕職人ということで、よほど気が合ったんでしょうか。パウロは回心前にはクリスチャンを激しく迫害していましたし、第二次伝道旅行の出発時にはマルコを同行させるかを巡ってバルナバと激しく対立して結局別行動を取ることになりました。このことからもわかるように、パウロは激しい一面を持っていました。ですからアクラとプリスキラがコリントでパウロと一年半も一緒に住んでいて、なおパウロの旅に同行しようというのは、よっぽどウマが合ったんだろうなと思います。パウロにとってこれは本当にうれしいことだったろうと思います。
 さて、シリヤのカイザリヤに向かう途中でパウロたちはエペソに寄りました。そして、アクラとプリスキラは、このエペソに残りました。一方、パウロはエペソには短く滞在しただけで再び船に乗ってシリヤのカイザリヤに向かいました。そして22節にあるようにカイザリヤに上陸してエルサレムに上り、エルサレムの教会にあいさつしてからアンテオケに下って行きました。この18章22節までが第二次伝道旅行です。そして、23節に「彼はまた出発し」と書いてありますから、ここから第三次伝道旅行が始まりました。

強い信頼関係で結ばれたパウロとアクラ・プリスキラの夫妻
 エペソに残ったアクラとプリスキラとパウロとは、この第三次伝道旅行でパウロがエペソに行った時に再会して、パウロは2年あまりをエペソで過ごしました。このように、パウロはコリントとエペソで通算すると4年近くを共に過ごしたことになります。そうしてアクラとプリスキラの夫妻とパウロには強い信頼関係がしっかりと築かれました。
 そのことは、ローマ人への手紙16章のあいさつ文を読むとわかります。ローマ16章をご一緒に見ましょう。1節にあるフィべというのは、この手紙をローマに届けた人です。パウロはこのローマ人への手紙を第三次伝道旅行で行ったコリントで書き、コリントのすぐ近くのケンクレヤの教会の執事だったフィベに、この手紙を託しました。そしてパウロはアクラとプリスキラのことをフィベのすぐ後の3節と4節に書いています。

16:3 キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。
16:4 この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。

 パウロはこの夫妻を同労者と呼びました。彼らはコリントとエペソで共に労した同志でした。この夫妻は命の危険を冒して自分を守ってくれたとパウロは書きました。これは多分エペソでの出来事と考えられます。そしてこの二人にはパウロだけでなく異邦人のすべての教会も感謝しているとパウロは書きました。

パウロの喜びは私たちの喜び
 パウロにとってアクラとプリスキラという同労者がいたことは大きな喜びでした。そしてそれは、私たちの喜びでもあります。なぜなら聖霊を受けた私たちは皆、時代を越えて主にあって一つにされているからです。いつの時代の者たちであっても私たちは皆、主の祈りにあるように「みこころが地にもなるように」、同じ働きをしています。
 私たちが聖書を読むのは二千年前や三千年前の歴史を学ぶためではなく、パウロやペテロも、さらに旧約の時代のモーセやイザヤやエリヤたちも皆、聖霊を受けて主のために働いた者たちであり、その輪の中に私たちも入れられているのだということを学ぶためだと私は理解していますし、皆さんにも同じようにそれを感じ取っていただきたいと私は願っています。
 そのためにはできるだけ聖書の全体像を知ろうと努めることです。使徒の働きの学びでも一回一回の学びは部分的にならざるを得ませんが、それでもなるべく全体像が皆さんに見えるように話をしているつもりです。そうして全体像が見えるようになると、主のための働きに労した人々のことを、すっと身近に感じるようになることと思います。
 そうして私たちも、共に主のために働く者たちでありたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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宇宙スケールの創造主に心を向ける(2017.10.1 礼拝)

2017-10-03 09:51:40 | 礼拝メッセージ
2017年10月1日礼拝メッセージ
『宇宙スケールの創造主に心を向ける』
【使徒17:26~34】

はじめに
 使徒17章の学びを続けます。先週は、パウロがアテネの町に入り、そこに偶像がたくさんあるのを見て心に憤りを感じたところからの箇所を見ました。そうしてパウロはアテネのアレオパゴスで知識人たちに向かって話し始めました。この話の冒頭でパウロは、神は万物を創造した造り主であることを述べ、この神は人間が作った宮の中などには住まないことを話しました。

17:24 この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。

 先週はここから旧約聖書も参照して、ダビデの子のソロモンが神殿を建設した時に、同じようなことを語った箇所をご一緒に見ました。ソロモンは神殿を建設した時のまだ若かった頃には、万物の創造主であるスケールの大きな神にしっかりと心を向けていました。しかし、晩年のソロモンは外国の神々を礼拝する妻たちの影響で、彼自身もまた外国の神々に心を向け、偶像を礼拝するようになってしまっていました。偶像の神々は人間スケールの小さな神々です。
 霊的な目が閉じられてしまうと、心を宇宙スケールの大きな神に向けることができなくなります。きょうは、このことについて、さらにもう少し考えてみたいと思います。

霊的な目が開かれていない人々
 使徒17章の26節をお読みします。

17:26 神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。

 このように、神は天地を創造しただけでなく、人をも造って命をお与えになり、地の全面に住まわせました。そして神様は宇宙スケールの大きなお方で宇宙空間の中に遍く存在していますから、当然のこととして地の全面にも遍く存在しています。
 このように広く遍く存在する神に心を向けるには、霊的な目が開かれている必要があるのだと思います。霊的な目が閉ざされていると心は大きな方向には向いて行きません。これはクリスチャンであってもそうだと言えるでしょう。
 例えばアメリカの大統領のトランプ氏はクリスチャンであると自称しているそうですが、霊的な目が開かれていないのは明らかです。トランプ氏はアメリカの国益をあまりにも優先させすぎています。どの国のリーダーも自分の国の国益を優先させるのは当然のことですが、それと同時に広く世界のことも考えることが求められます。トランプ氏にはそれが欠けていると言わざるを得ません。例えばトランプ氏は地球温暖化防止の世界的枠組みであるパリ協定から離脱することを表明しました。大気中の二酸化炭素の濃度が増加すれば地球の温暖化が進むことは今や科学的にもはっきりと示されていますから、アメリカの離脱は非常に憂慮すべき事態です。
 温暖化の影響というと、昔よく言われていたのは、南極の氷が溶けて海水面が上がり、海抜の低い太平洋の島国が水没してしまうというような話でしたね。これは太平洋の島国にとっては非常に深刻な問題ですが、日本にいると今ひとつピンと来ないという面もあったと思います。しかし、近年は温暖化によって台風が大型化する傾向にあることを私たちはよく知っています。これは大変に恐ろしいことです。また台風だけでなく集中豪雨の被害も昔より頻繁に発生し、しかも被害が大きくなる傾向にあることも私たちは経験しています。これも温暖化によって海水の温度が上昇して、蒸発する水蒸気の量が増えていることが原因です。アメリカの大統領は国内にいても世界の国々のリーダーたちと会談する機会が頻繁にありますし、自身も国外に出て首脳外交をする機会がたくさんあります。それなのに、世界のことに心が十分に向かないのは何故でしょうか。それはやはり、霊的な目が閉じられているからだと言えるでしょう。
 日本の首相もそうです。日本の首相の安倍さんは頻繁に海外へ行きます。これまでに、かなり多くの国々を訪問しました。そのように頻繁に国外へ出るなら、もっと世界に心が向いても良いのではないかと思うのですが、今回の衆議院解散を見ると、まったくの自己都合のようにしか見えません。それもやはり、霊的な目が開かれていないからでしょう。
 このように、クリスチャンであってもなくても霊的な目が開かれていないなら、心は狭い方ばかりを向きます。これでは宇宙スケールの大きな神に心を向けることができないのは当然のことです。

一番肝心なのは霊的な目が開かれること
 さて、ここで一つの疑問が湧きます。クリスチャンであっても霊的な目が閉じている人は果たして救われているのか?という疑問です。ある人が救われて滅びを免れるのか、救われずに滅びに入るのかは神様が決めることですから、私たちにはわかりません。もしかしたら神様はものすごく気前の良いお方で、霊的な目が閉じたままのクリスチャンでも救って下さるのかもしれません。しかし、それは私たちにはわかりません。私たちに確かなことは、霊的な目が開かれている人なら確実に救われるということです。霊的な目が開かれている人は御父および御子イエス・キリストとの交わり(Ⅰヨハネ1:3)の中に既に入れられていますから、それはつまり救われているということです。
 牧師としての私の任務は、このように霊的な目が開かれるように人を導くことです。皆さんご承知のように、私はあまり個人的な罪の話はしません。旧約聖書に記されているイスラエルの民族の罪の話はしますが、私たち自身の罪についての話はあまりしません。それは、あまり「罪、罪」と言っていると心が狭い方向に向かって行ってしまうことを心配するからです。
 そして私は十字架の話もそんなにはしません。イエスさまが私の罪のために十字架に掛かって下さったと自覚することはとても大切なことです。けれども、それを強調し過ぎると、思いが十字架までで止まってしまいます。そこで止まってしまっては霊的な目は開かれないかもしれません。一番肝心な事は、そこから先です。十字架で死んだイエスさまは三日目に復活して天に昇り、御父のもとから聖霊を遣わします。週報のp.3に載せたヨハネ15:26でイエスさまがおっしゃった通りです。

ヨハネ15:26 わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。

 イエスさまの復活を信じて聖霊を受けるなら、霊的な目が開かれて御父および御子・イエスキリストとの交わりの中に入れられますから、確実に救われます。しかし十字架による罪の赦しの段階で止まってしまうなら霊的な目が開かれるかどうかは、よくわかりません。ですからイエスさまの復活を信じて霊的な目が開かれることが何よりも大切であると私は考えます。そうして霊的な目が開かれて宇宙スケールの神に心を向けるなら、心は自由を獲得して、平安が得られます。この世で生きていると様々な俗事に心を奪われがちになりますが、心が自由を獲得するなら、そのような世の中であっても心は平安でいられます。私は、この素晴らしい平安を是非とも多くの方々と分かち合いたいと願っています。

復活を信じなかったアテネの人
 パウロの説教も、そのような方向に進んで行きます。使徒の働き17章に戻ります。少し飛ばして、

17:29 そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。

 人間スケールの小さな偶像に心を向けてはいけません。30節、

17:30 神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。

 悔い改めるとは、心の方向を転換するということです。人間スケールの小さな偶像から宇宙スケールの大きな神に心の方向転換をしなければなりません。31節、

17:31 なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」

 そうして、イエス・キリストが復活したことを信じなければなりません。しかし、アテネのアレオパゴスの人々のほとんどは信じませんでした。32節、

17:32 死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、「このことについては、またいつか聞くことにしよう」と言った。

 残念ながら、彼らの霊的な目は閉ざされたままでした。33節、

17:33 こうして、パウロは彼らの中から出て行った。

 しかし34節、

17:34 しかし、彼につき従って信仰に入った人たちもいた。それは、アレオパゴスの裁判官デオヌシオ、ダマリスという女、その他の人々であった。

 信じない人々ばかりではなくて、信仰に入った人々も与えられたことは幸いなことでした。これらの人々は聖霊を受けて霊的な目が開かれたことでしょう。そして、このことはパウロにとって大きな励みになったことでしょう。

おわりに
 信仰の仲間が増えることは、とても大きな励みになります。私たちも、この地域で、信仰の仲間が増えることを願っています。霊的な目が開かれて、大きな神様に心を向けることができるようになるなら、心は自由を獲得して平安が得られます。この素晴らしい恵みを、地域の方々にお伝えして行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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