2018年1月28日礼拝メッセージ
『エルサレム行きにこだわったパウロ』
【使徒21:7~15】
はじめに
きょうは使徒の働きの21章に入ります。パウロは人々が止めるのも聞き入れずにエルサレムに行くことにこだわっていました。きょうは、そのことをご一緒に考えてみたいと思います。パウロの本心は本人でなければわからないことですが、パウロの気持ちに思いを巡らすことで、私たちもまたパウロのように少しでも御父と御子に近づくことができれば幸いであると思います。
エルサレムに向かったパウロ
先週ご一緒に見た20章では、パウロはミレトの港町にいました。先週ご一緒に読んだ中の、20章22節から24節までを交代で読みましょう。
20:22 いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。
20:23 ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。
20:24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。
ここにあるように、パウロはエルサレムに向かっていましたが、そこで捕らえられることを予感していました。しかしパウロは24節で、「私のいのちは少しも惜しいとは思いません」と言っています。そうしてミレトの港町を離れました。
21章の1節から3節までをお読みします。ここには「私たち」とありますから、この使徒の働きのルカも同行していました。
21:1 私たちは彼らと別れて出帆し、コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。
21:2 そこにはフェニキヤ行きの船があったので、それに乗って出帆した。
21:3 やがてキプロスが見えて来たが、それを左にして、シリヤに向かって航海を続け、ツロに上陸した。ここで船荷を降ろすことになっていたからである。
パウロたちはツロに上陸しました。後ろの地図で確認しておきましょう。
(地図を見る)
エルサレム行きにこだわったパウロ
このツロの町では、この町の弟子たち、すなわちクリスチャンのところに滞在しました。4節です。
21:4 私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。
ここではツロの弟子たちも、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにとパウロに忠告したことが記されています。そうして、少し飛ばして7節と8節、
21:7 私たちはツロからの航海を終えて、トレマイに着いた。そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した。
21:8 翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家に入って、そこに滞在した。
パウロたちはカイザリヤに着きました。そして、そこでも、こんなことがありました。9節から11節。
21:9 この人には、預言する四人の未婚の娘がいた。
21:10 幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。
21:11 彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される』と聖霊がお告げになっています」と言った。
そこで12節、
21:12 私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。
すると13節、
21:13 するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。
このようにパウロはこのカイザリヤでも、ミレトの港町で言ったことと同じようなことを繰り返しました。そうして14節と15節、
21:14 彼が聞き入れようとしないので、私たちは、「主のみこころのままに」と言って、黙ってしまった。
21:15 こうして数日たつと、私たちは旅仕度をして、エルサレムに上った。
捕らえられたパウロ
そしてパウロは実際にエルサレムで捕らえられました。その経緯は少々長いので、30節から33節までの4カ節だけを見ておきましょう。交代で読みます。
21:30 そこで町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外へ引きずり出した。そして、ただちに宮の門が閉じられた。
21:31 彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、ローマ軍の千人隊長に届いた。
21:32 彼はただちに、兵士たちと百人隊長たちとを率いて、彼らのところに駆けつけた。人々は千人隊長と兵士たちを見て、パウロを打つのをやめた。
21:33 千人隊長は近づいてパウロを捕らえ、二つの鎖につなぐように命じたうえ、パウロが何者なのか、何をしたのか、と尋ねた。
こうしてパウロは、ローマ兵に捕らえられてしまいました。
それにしても、なぜパウロはここまでしてエルサレムに行くことにこだわったのでしょうか。エルサレムで困窮している兄弟たちのためにヨーロッパで集められた支援金を持っていくという大切な任務がありましたが、誰か他の人に託すこともできたと思います。先々週ご一緒に見ましたが、パウロはローマに寄ってからイスパニヤに行きたいという願望を持っていました。エルサレムで捕らえられてしまえば、イスパニヤに行くことは適わなくなります。
パウロはなぜエルサレム行きにこだわったか
ここ何週間か私は、パウロが何故ここまでエルサレムに行くことにこだわったのかについて思いを巡らしていました。なかなか分からない中で、一つ気になることが示されました。それはパウロがエルサレムの神殿で礼拝を捧げていたということです。先ほどご一緒に読んだ30節に、「人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外に引きずり出した」とありますから、パウロは捕らえられた時には神殿にいました。
私はここにパウロの神殿への強いこだわりが見え隠れしているように感じています。神殿へのこだわりというと語弊があるかもしれません。御父への深い愛と言ったほうが良いかもしれません。父へ礼拝を捧げることは神殿でなくてもできますが、神殿が存在する以上は、エルサレムの神殿が最も父の臨在を感じることができる場所であることは確かでしょう。
例えば、好んで海外で暮らしている日本人を考えてみましょう。日本より外国のほうが暮らしやすいからという理由で、海外暮らしをしている日本人はたくさんいます。そういう日本人もほとんどの人々は日本を愛していることと思います。そうしてたまには短期間だけ帰国して日本を満喫している人も多いでしょう。
パウロも異邦人の地での生活を長くしていて、そのことに慣れていましたが、たまにはエルサレムの神殿での礼拝を思う存分したいという気持ちはあったでしょう。その気持ちはパウロが五旬節の日にはエルサレムに着いていたい(使徒20:16)と考えていたことから読み取れます。五旬節は、三大祭り(過越、七週、仮庵)の七週の祭りの時にありますから、やはり生粋のユダヤ人であるパウロは、祭りの時に神殿に礼拝したいという思いが強かったのではないかと思います。そうしてエルサレムでエネルギーをチャージしてからローマ・イスパニヤ方面に向かいたかったのではないでしょうか。
神殿の喪失感を引きずっていた人々
ルカが書いた使徒の働きはルカの福音書の続編です。そのルカの福音書の書き出しは、バプテスマのヨハネの父ザカリヤの神殿における奉仕の話から始めています。ここでルカは使徒たちの神殿への強い愛着感そして喪失感を表現しているように感じます。神殿は紀元70年にローマ軍の攻撃によって焼失してしまいます。ルカの福音書と使徒の働きは、恐らくこの神殿焼失よりも後に書かれたと考えられます(焼失前という説もありますが)。
パウロが生きていた時代には、まだ神殿が存在していました。神殿が存在している以上、パウロが神殿に強い愛着とこだわりを持っていたことは当然だと思います。そうして神殿における礼拝で御父と御子との一体感を感じていました。ただ、これは異邦人の前では言いにくいことですね。異邦人は神殿に入ることができませんでしたから、異邦人の前ではパウロは自分の神殿への愛着を言うことはなかったでしょう。
一方、ルカの福音書よりもさらに後のヨハネの福音書のイエスさまは、ヨハネ4章でサマリヤの女に次のように言っています。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。(中略)神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:21,24)
ヨハネの福音書のイエスさまは、父を礼拝するのは、このサマリヤの山でもエルサレムの神殿でもないとおっしゃっています。ここからは、ヨハネの福音書が書かれた1世紀の末頃でも、なお多くの人々が神殿の喪失感を引きずっていたことが読み取れると思います。ユダヤ人はもういい加減に神殿のことは忘れなさいというヨハネからのメッセージとも読み取れます。父を礼拝することは神殿でなくてもできるのですから、神殿にこだわる必要はないわけです。しかし何度も繰り返しますが、パウロの時代にはまだ神殿がありましたからパウロが神殿にこだわるのは当然のことでした。
おわりに
私たちは、私たちの神殿である会堂の建設への強いこだわりを持っていましたが、それを果たすことはできませんでした。しかし、このことによって新約聖書が書かれた時代の人々がエルサレムの神殿に愛着を持ち、ローマ軍の攻撃によって焼失した後には喪失感を長く引きずっていたことが、より深く理解できるようになったと私は感じています。このことは感謝すべきことなのだろうと思います。もし会堂建築が順調に進んでいたなら、なかなか気付かなかっただろうと思います。私たちは聖書の時代の人々にもっと近づき、もっと身近に感じることで、御父と御子への愛をもっと深めることができますから、これはとても感謝なことです。
きょうはパウロが御父と御子を深く愛し、一つとなっていたことを学ぶことができましたから感謝したいと思います。私たちも御父と御子と一つになって、これからも礼拝を捧げて行きたいと思います。
お祈りいたしましょう。
『エルサレム行きにこだわったパウロ』
【使徒21:7~15】
はじめに
きょうは使徒の働きの21章に入ります。パウロは人々が止めるのも聞き入れずにエルサレムに行くことにこだわっていました。きょうは、そのことをご一緒に考えてみたいと思います。パウロの本心は本人でなければわからないことですが、パウロの気持ちに思いを巡らすことで、私たちもまたパウロのように少しでも御父と御子に近づくことができれば幸いであると思います。
エルサレムに向かったパウロ
先週ご一緒に見た20章では、パウロはミレトの港町にいました。先週ご一緒に読んだ中の、20章22節から24節までを交代で読みましょう。
20:22 いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。
20:23 ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。
20:24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。
ここにあるように、パウロはエルサレムに向かっていましたが、そこで捕らえられることを予感していました。しかしパウロは24節で、「私のいのちは少しも惜しいとは思いません」と言っています。そうしてミレトの港町を離れました。
21章の1節から3節までをお読みします。ここには「私たち」とありますから、この使徒の働きのルカも同行していました。
21:1 私たちは彼らと別れて出帆し、コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。
21:2 そこにはフェニキヤ行きの船があったので、それに乗って出帆した。
21:3 やがてキプロスが見えて来たが、それを左にして、シリヤに向かって航海を続け、ツロに上陸した。ここで船荷を降ろすことになっていたからである。
パウロたちはツロに上陸しました。後ろの地図で確認しておきましょう。
(地図を見る)
エルサレム行きにこだわったパウロ
このツロの町では、この町の弟子たち、すなわちクリスチャンのところに滞在しました。4節です。
21:4 私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。
ここではツロの弟子たちも、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにとパウロに忠告したことが記されています。そうして、少し飛ばして7節と8節、
21:7 私たちはツロからの航海を終えて、トレマイに着いた。そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した。
21:8 翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家に入って、そこに滞在した。
パウロたちはカイザリヤに着きました。そして、そこでも、こんなことがありました。9節から11節。
21:9 この人には、預言する四人の未婚の娘がいた。
21:10 幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。
21:11 彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される』と聖霊がお告げになっています」と言った。
そこで12節、
21:12 私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。
すると13節、
21:13 するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。
このようにパウロはこのカイザリヤでも、ミレトの港町で言ったことと同じようなことを繰り返しました。そうして14節と15節、
21:14 彼が聞き入れようとしないので、私たちは、「主のみこころのままに」と言って、黙ってしまった。
21:15 こうして数日たつと、私たちは旅仕度をして、エルサレムに上った。
捕らえられたパウロ
そしてパウロは実際にエルサレムで捕らえられました。その経緯は少々長いので、30節から33節までの4カ節だけを見ておきましょう。交代で読みます。
21:30 そこで町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外へ引きずり出した。そして、ただちに宮の門が閉じられた。
21:31 彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、ローマ軍の千人隊長に届いた。
21:32 彼はただちに、兵士たちと百人隊長たちとを率いて、彼らのところに駆けつけた。人々は千人隊長と兵士たちを見て、パウロを打つのをやめた。
21:33 千人隊長は近づいてパウロを捕らえ、二つの鎖につなぐように命じたうえ、パウロが何者なのか、何をしたのか、と尋ねた。
こうしてパウロは、ローマ兵に捕らえられてしまいました。
それにしても、なぜパウロはここまでしてエルサレムに行くことにこだわったのでしょうか。エルサレムで困窮している兄弟たちのためにヨーロッパで集められた支援金を持っていくという大切な任務がありましたが、誰か他の人に託すこともできたと思います。先々週ご一緒に見ましたが、パウロはローマに寄ってからイスパニヤに行きたいという願望を持っていました。エルサレムで捕らえられてしまえば、イスパニヤに行くことは適わなくなります。
パウロはなぜエルサレム行きにこだわったか
ここ何週間か私は、パウロが何故ここまでエルサレムに行くことにこだわったのかについて思いを巡らしていました。なかなか分からない中で、一つ気になることが示されました。それはパウロがエルサレムの神殿で礼拝を捧げていたということです。先ほどご一緒に読んだ30節に、「人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外に引きずり出した」とありますから、パウロは捕らえられた時には神殿にいました。
私はここにパウロの神殿への強いこだわりが見え隠れしているように感じています。神殿へのこだわりというと語弊があるかもしれません。御父への深い愛と言ったほうが良いかもしれません。父へ礼拝を捧げることは神殿でなくてもできますが、神殿が存在する以上は、エルサレムの神殿が最も父の臨在を感じることができる場所であることは確かでしょう。
例えば、好んで海外で暮らしている日本人を考えてみましょう。日本より外国のほうが暮らしやすいからという理由で、海外暮らしをしている日本人はたくさんいます。そういう日本人もほとんどの人々は日本を愛していることと思います。そうしてたまには短期間だけ帰国して日本を満喫している人も多いでしょう。
パウロも異邦人の地での生活を長くしていて、そのことに慣れていましたが、たまにはエルサレムの神殿での礼拝を思う存分したいという気持ちはあったでしょう。その気持ちはパウロが五旬節の日にはエルサレムに着いていたい(使徒20:16)と考えていたことから読み取れます。五旬節は、三大祭り(過越、七週、仮庵)の七週の祭りの時にありますから、やはり生粋のユダヤ人であるパウロは、祭りの時に神殿に礼拝したいという思いが強かったのではないかと思います。そうしてエルサレムでエネルギーをチャージしてからローマ・イスパニヤ方面に向かいたかったのではないでしょうか。
神殿の喪失感を引きずっていた人々
ルカが書いた使徒の働きはルカの福音書の続編です。そのルカの福音書の書き出しは、バプテスマのヨハネの父ザカリヤの神殿における奉仕の話から始めています。ここでルカは使徒たちの神殿への強い愛着感そして喪失感を表現しているように感じます。神殿は紀元70年にローマ軍の攻撃によって焼失してしまいます。ルカの福音書と使徒の働きは、恐らくこの神殿焼失よりも後に書かれたと考えられます(焼失前という説もありますが)。
パウロが生きていた時代には、まだ神殿が存在していました。神殿が存在している以上、パウロが神殿に強い愛着とこだわりを持っていたことは当然だと思います。そうして神殿における礼拝で御父と御子との一体感を感じていました。ただ、これは異邦人の前では言いにくいことですね。異邦人は神殿に入ることができませんでしたから、異邦人の前ではパウロは自分の神殿への愛着を言うことはなかったでしょう。
一方、ルカの福音書よりもさらに後のヨハネの福音書のイエスさまは、ヨハネ4章でサマリヤの女に次のように言っています。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。(中略)神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:21,24)
ヨハネの福音書のイエスさまは、父を礼拝するのは、このサマリヤの山でもエルサレムの神殿でもないとおっしゃっています。ここからは、ヨハネの福音書が書かれた1世紀の末頃でも、なお多くの人々が神殿の喪失感を引きずっていたことが読み取れると思います。ユダヤ人はもういい加減に神殿のことは忘れなさいというヨハネからのメッセージとも読み取れます。父を礼拝することは神殿でなくてもできるのですから、神殿にこだわる必要はないわけです。しかし何度も繰り返しますが、パウロの時代にはまだ神殿がありましたからパウロが神殿にこだわるのは当然のことでした。
おわりに
私たちは、私たちの神殿である会堂の建設への強いこだわりを持っていましたが、それを果たすことはできませんでした。しかし、このことによって新約聖書が書かれた時代の人々がエルサレムの神殿に愛着を持ち、ローマ軍の攻撃によって焼失した後には喪失感を長く引きずっていたことが、より深く理解できるようになったと私は感じています。このことは感謝すべきことなのだろうと思います。もし会堂建築が順調に進んでいたなら、なかなか気付かなかっただろうと思います。私たちは聖書の時代の人々にもっと近づき、もっと身近に感じることで、御父と御子への愛をもっと深めることができますから、これはとても感謝なことです。
きょうはパウロが御父と御子を深く愛し、一つとなっていたことを学ぶことができましたから感謝したいと思います。私たちも御父と御子と一つになって、これからも礼拝を捧げて行きたいと思います。
お祈りいたしましょう。