2019年12月5日祈り会メッセージ
『イエヤスの天下統一とイエスの天地合一』
【ヨハネ1:4~5、黙示録21:1,2,4,27】
(12月8日のハンドベル演奏会でのショート・メッセージ予定稿)
これから約10分、なぜ私たちがクリスマスをお祝いするのか、「イエヤスの天下統一とイエスの天地合一」というタイトルでお話しします。
私は、この静岡市で生まれ育ちました。高校を卒業してからは北海道を始めとして色々な所で暮らしていましたが、今年41年振りで再び静岡市民になりました。
私が幼い頃に通っていた幼稚園は、大岩の臨済寺のすぐ近くにある「てるみ幼稚園」です。ですから私は子供の頃は臨済寺でよく遊んでいました。また大人になってからも、時々臨済寺を訪れています。
この臨済寺は、幼少期の徳川家康がここで学問や書を学んだことで有名ですね。家康とイエスは発音が似ています。しかし発音だけでなく、他にも色々と似ている点がありますから、きょうは家康とイエスを比べながら話を進めて行きます。ここからはイエスをイエスさまと呼ばせていただきます。教会ではいつもイエスさまと言っているからです。
徳川家康が生まれたのは三河の岡崎です。しかし今川氏の人質になったために、この駿府の地で幼少期を過ごしました。つまり子供時代の家康は故郷の親元を離れて暮らしていました。イエスさまも同じです。イエスさまは元々は天の国にいて、天の神と共にいました。聖書は「この方は、初めに神とともにおられた」(ヨハネ1:2)と書いています。神は天の国にいる父親で、イエスさまは、その神の息子です。
イエスさまが御子と呼ばれるのは、そのためです。御子のイエスさまは天の父親のもとを離れて地上に降(くだ)り、人間の子供として母マリアから生まれました。「クリスマス」はこのイエスさまの降誕をお祝いする行事です。「誕生」と言わずに「降誕」と言うのは、イエスさまが天の国から地上に降って(くだって)来て生まれたからです。
では、イエスさまは何のために天の国から地上に降って来られたのでしょうか?これも徳川家康と似ています。家康は天下を統一して日本を一つにしました。イエスさまはもっとスケールが大きいです。イエスさまは弟子たちに「天の国が地上に来ますように」(マタイ6:10)と祈るように言いました。つまりイエスさまは天の国と地上とを一つにするために、地上に来られました。それで「天地合一」という言葉をタイトルに使ってみました。天と地が一つになる時、地上から悪は無くなります。
ここで聖書の記述を見てみましょう。プログラムに載せてあるヨハネの福音書1章の4節と5節をお読みします。4節の「この方」というのはイエスさまのことです。
天の国には死も闇もありません。ですからイエスさまは命であり、光であるお方です。この光は闇の中で輝いています。
「闇」とは「心の闇」のことであり、「悪」と言い換えても良いでしょう。この地上では人の心に闇があるために、悪に満ちています。この地上は悪の勢力に支配されています。テレビや新聞で悪いニュースが報じられない日はありませんね。今なお地上は悪に満ちていることを強く感じます。
地上が悪に満ちているために、私たちはこの世で多くの苦しみを味わいます。イエスさまが赤ちゃんとして、この世に生まれたのは、イエスさまご自身も人として、この世の苦しみと悲しみを肌で感じるためです。赤ちゃんのイエスさまを育てた両親も、とても貧しかったようです。イエスさまはヨセフとマリアがベツレヘムにいた時に生まれましたが、生まれた場所は何と家畜小屋でした。それゆえ飼い葉おけがベッド代わりでした。
もし両親が裕福であったなら、きっと宿屋に泊まれたことでしょう。こうして生まれた時から貧しい中にあったイエスさまは、人々の苦しみや悲しみをたくさん見ながら育ち、30歳の頃に人々に教えを説き始めました。多くの病人の病気を治し、罪人や貧しい人々に寄り添い、弱い人こそ天の国に入ることができることを説きました。しかし、イエスさまが神の御子であることを信じない人々が、イエスさまを捕えて十字架の死刑にしてしまいました。
このように、人として生まれたイエスさまは弱い人に寄り添い、ご自身も弱い人として死にました。しかし、死んでから三日目に復活して天の国に帰ってからは、力のある神として私たちの心の闇に光を照らすために働いておられます。
私たちの心の闇は、光であるイエスさまの方に心を向ければ無くなります。ただ残念なことにイエスさまに心を向けない人は少なくありません。このことについて、ヨハネは次のように書いています。「悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない」(ヨハネ3:20)。イエスさまの方に来なければ、その人の心の闇は無くなりません。イエスさまに心を向けない人がまだ多くいるのは闇の世界の支配者が、人々の心が光の方を向かないように、いつも働いているからだと聖書は書いています。
ここで、もう一つの聖書箇所のヨハネの黙示録21章をお読みします。ここには未来に起きることが記されています。ヨハネはそれを幻として見ました。
天にある新しい都が地に降(くだ)って天と地が一つになるなら、4節にあるように人々から涙がぬぐい取られ、もはや死もなく悲しみも苦しみもありません。しかし、光の方を向かないで心に闇を持つ人は、この都に入ることができません。ですから、イエスさまはこの都に入ることができる人が一人でも多く増えるように、今も働いています。
戦国時代の徳川家康が敵対する武将たちと戦っていたように、イエスさまは闇の世界の支配者と戦っています。それは地上の人が一人でも多く光の方を向くようにするためです。
教会はこのイエスさまのために働いています。徳川家康のために働く家臣がたくさんいたように、世界中に多くの教会があってイエスさまのために働いています。イエスさまは天から地上に来て、これから起きることを私たちに伝えて下さいました。ですから私たちはクリスマスに、イエスさまのご降誕をお祝いします。
皆さん、ぜひまた教会に来て下さい。そしてイエスさまのことを、もっと良く知っていただきたいと思います。イエスさまのご降誕をお祝いしつつ、しばらく黙祷する時を持ちましょう。
『イエヤスの天下統一とイエスの天地合一』
【ヨハネ1:4~5、黙示録21:1,2,4,27】
(12月8日のハンドベル演奏会でのショート・メッセージ予定稿)
これから約10分、なぜ私たちがクリスマスをお祝いするのか、「イエヤスの天下統一とイエスの天地合一」というタイトルでお話しします。
私は、この静岡市で生まれ育ちました。高校を卒業してからは北海道を始めとして色々な所で暮らしていましたが、今年41年振りで再び静岡市民になりました。
私が幼い頃に通っていた幼稚園は、大岩の臨済寺のすぐ近くにある「てるみ幼稚園」です。ですから私は子供の頃は臨済寺でよく遊んでいました。また大人になってからも、時々臨済寺を訪れています。
この臨済寺は、幼少期の徳川家康がここで学問や書を学んだことで有名ですね。家康とイエスは発音が似ています。しかし発音だけでなく、他にも色々と似ている点がありますから、きょうは家康とイエスを比べながら話を進めて行きます。ここからはイエスをイエスさまと呼ばせていただきます。教会ではいつもイエスさまと言っているからです。
徳川家康が生まれたのは三河の岡崎です。しかし今川氏の人質になったために、この駿府の地で幼少期を過ごしました。つまり子供時代の家康は故郷の親元を離れて暮らしていました。イエスさまも同じです。イエスさまは元々は天の国にいて、天の神と共にいました。聖書は「この方は、初めに神とともにおられた」(ヨハネ1:2)と書いています。神は天の国にいる父親で、イエスさまは、その神の息子です。
イエスさまが御子と呼ばれるのは、そのためです。御子のイエスさまは天の父親のもとを離れて地上に降(くだ)り、人間の子供として母マリアから生まれました。「クリスマス」はこのイエスさまの降誕をお祝いする行事です。「誕生」と言わずに「降誕」と言うのは、イエスさまが天の国から地上に降って(くだって)来て生まれたからです。
では、イエスさまは何のために天の国から地上に降って来られたのでしょうか?これも徳川家康と似ています。家康は天下を統一して日本を一つにしました。イエスさまはもっとスケールが大きいです。イエスさまは弟子たちに「天の国が地上に来ますように」(マタイ6:10)と祈るように言いました。つまりイエスさまは天の国と地上とを一つにするために、地上に来られました。それで「天地合一」という言葉をタイトルに使ってみました。天と地が一つになる時、地上から悪は無くなります。
ここで聖書の記述を見てみましょう。プログラムに載せてあるヨハネの福音書1章の4節と5節をお読みします。4節の「この方」というのはイエスさまのことです。
4 この方には命があった。この命は人の光であった。
5 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
5 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
天の国には死も闇もありません。ですからイエスさまは命であり、光であるお方です。この光は闇の中で輝いています。
「闇」とは「心の闇」のことであり、「悪」と言い換えても良いでしょう。この地上では人の心に闇があるために、悪に満ちています。この地上は悪の勢力に支配されています。テレビや新聞で悪いニュースが報じられない日はありませんね。今なお地上は悪に満ちていることを強く感じます。
地上が悪に満ちているために、私たちはこの世で多くの苦しみを味わいます。イエスさまが赤ちゃんとして、この世に生まれたのは、イエスさまご自身も人として、この世の苦しみと悲しみを肌で感じるためです。赤ちゃんのイエスさまを育てた両親も、とても貧しかったようです。イエスさまはヨセフとマリアがベツレヘムにいた時に生まれましたが、生まれた場所は何と家畜小屋でした。それゆえ飼い葉おけがベッド代わりでした。
もし両親が裕福であったなら、きっと宿屋に泊まれたことでしょう。こうして生まれた時から貧しい中にあったイエスさまは、人々の苦しみや悲しみをたくさん見ながら育ち、30歳の頃に人々に教えを説き始めました。多くの病人の病気を治し、罪人や貧しい人々に寄り添い、弱い人こそ天の国に入ることができることを説きました。しかし、イエスさまが神の御子であることを信じない人々が、イエスさまを捕えて十字架の死刑にしてしまいました。
このように、人として生まれたイエスさまは弱い人に寄り添い、ご自身も弱い人として死にました。しかし、死んでから三日目に復活して天の国に帰ってからは、力のある神として私たちの心の闇に光を照らすために働いておられます。
私たちの心の闇は、光であるイエスさまの方に心を向ければ無くなります。ただ残念なことにイエスさまに心を向けない人は少なくありません。このことについて、ヨハネは次のように書いています。「悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない」(ヨハネ3:20)。イエスさまの方に来なければ、その人の心の闇は無くなりません。イエスさまに心を向けない人がまだ多くいるのは闇の世界の支配者が、人々の心が光の方を向かないように、いつも働いているからだと聖書は書いています。
ここで、もう一つの聖書箇所のヨハネの黙示録21章をお読みします。ここには未来に起きることが記されています。ヨハネはそれを幻として見ました。
1 私(ヨハネ)は、新しい天と新しい地を見た。
2 私はまた、聖なる都が、天から降って来るのを見た。
4 神は人々の目から涙を、ことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。
27 しかし、すべての汚れたもの、また忌まわしいことや偽りを行う者は、決して都に入れない。
2 私はまた、聖なる都が、天から降って来るのを見た。
4 神は人々の目から涙を、ことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。
27 しかし、すべての汚れたもの、また忌まわしいことや偽りを行う者は、決して都に入れない。
天にある新しい都が地に降(くだ)って天と地が一つになるなら、4節にあるように人々から涙がぬぐい取られ、もはや死もなく悲しみも苦しみもありません。しかし、光の方を向かないで心に闇を持つ人は、この都に入ることができません。ですから、イエスさまはこの都に入ることができる人が一人でも多く増えるように、今も働いています。
戦国時代の徳川家康が敵対する武将たちと戦っていたように、イエスさまは闇の世界の支配者と戦っています。それは地上の人が一人でも多く光の方を向くようにするためです。
教会はこのイエスさまのために働いています。徳川家康のために働く家臣がたくさんいたように、世界中に多くの教会があってイエスさまのために働いています。イエスさまは天から地上に来て、これから起きることを私たちに伝えて下さいました。ですから私たちはクリスマスに、イエスさまのご降誕をお祝いします。
皆さん、ぜひまた教会に来て下さい。そしてイエスさまのことを、もっと良く知っていただきたいと思います。イエスさまのご降誕をお祝いしつつ、しばらく黙祷する時を持ちましょう。