2021年10月21日祈り会メッセージ
『神に向かってうめき、そして癒される』
【詩篇5篇】
前半では、岩手県の陸前高田市にある「漂流ポスト」を題材にした新しいドキュメンタリー映画(『歩きはじめる言葉たち』)が最近公開された話をしました。この漂流ポストには、震災などで亡くなった人に向けた手紙が送られます。肉親や近しい人を突然亡くした人々は、誰にも聞いてもらえない悲しみを抱え込んで苦しんでいます。東日本大震災の場合は、皆が同じ悲しみを抱えているので、なかなか話すことができない、ということです。そのような、どこにも持って行き場のない悲しみ・苦しみを漂流ポストは受け留めます。
そういう、どこにも持って行き場のない悲しみ・苦しみを抱えている人は、今の日本に数多くいることと思います。ここ数年、急速に増えている豪雨によって洪水や土砂崩れの被害に遭って家族や知人を亡くした方々がたくさんいます。新型コロナウイルスによっても多くの方が亡くなりました。親しい人を亡くしていなくても、緊急事態宣言によって外出や外での娯楽が制限されて、鬱々とした日々を過ごさなければなりませんでした。人々が外での飲食や買い物、旅行をしなくなって経営が苦しくなったお店や宿泊施設もたくさんあります。今や多くの人々が重くてつらい苦しみ・悲しみを抱えています。
ちょうど今、静岡では参議院選挙と衆議院選挙の両方が行われていますから、この思いを政治家に託して、少しでも良い方向に向かうことを願っている人も多いことでしょう。私も選挙では棄権はせずに必ず投票します。今の状況を変えてもらうために票を投じることは大切なことです。でも、投票によって心の奥底にある悲しみや苦しみが癒されるわけではありません。心の奥底までを癒すことができるのは神様だけです。
神様に向けて心のうめきを注ぎ出すなら、神様は聞いて下さり、癒して下さいます。
前半では詩篇22篇1節を開きました。
自分が苦しみのどん底にある時、自分は神様に見捨てられている、そんな風に感じることもあります。でも神様に向かってうめき続けるなら、次第に心が癒されていくことを感じます。後半は、詩篇5篇を開いて、この恵みに感謝したいと思います。もう一度詩篇5篇の1節と2節をお読みします。
まずは、「主よ」と呼び掛けることができるお方がいることに感謝したいと思います。「私の王、私の神」と呼び掛けることができるお方がいる幸いに心一杯感謝したいと思います。クリスチャンでなくても日本人の多くは苦しい時に神々に向かって祈ります。でも、それらの神々は本当にいるのかいないのか、定かではない神々です。
一方、私たちの主は、いつも私たちと共にいて下さるということが聖書にはっきりと書かれていて、期待を込めて呼び掛けることができるお方です。祈りはすぐには応えられないかもしれませんが、主は私の祈りにいつかは必ず応えて下さる方だと、期待を込めて、祈ることができます。私の祈りはうめきの祈りです。このうめきの祈りを聞いて下さるお方がいることの幸いに感謝したいと思います。
そして私たちは、神様に向かってうめくことで、次第に心が癒されることを感じます。どうして癒されるんでしょうか?とても不思議です。不思議ですが、理由の一つは、主イエス様もまた十字架で苦しまれたからではないでしょうか。イエス様は十字架で、「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と、絶望的な叫び声を上げました。イエス様の苦しみは今の私の苦しみよりももっと大きなものです。そのイエス様の苦しみに心を寄せることで、私の苦しみは癒されます。イエス様は今の私よりももっと苦しんでおられたことを思うなら、不思議な癒しを感じます。そうして、少しずつ前向きになることができます。3節、
「朝明けに」ということばに前向きさが表れていると感じます。少し前までは暗闇の中でうめいていましたが、朝明けに祈ることができる前向きさを主は与えて下さいます。そうして主を仰ぎ望むことで、うなだれていた私は顔を上げることができます。次に5節、
主に背いている人たちは、この恵みをいただけません。しかし7節、
あなたの家、聖なる宮とは幕屋であり、神殿であり、教会です。暗闇の中でうめいていた私は、主にうめきを聞いていただくことで癒されて暗闇を脱し、朝明けに祈ることができるようになり、主を仰いで顔を上げることができるようになりました。そして今や外に出て主の家に行くことができるほどに回復しました。それは主イエス・キリストの十字架の死からの復活と重ねることもできるでしょう。イエス様が復活したように、私たちもうめきのどん底から復活します。そして11節、
今や自分のことだけでなく、他の人々のことも考えることができます。自分の苦しみを脱して、他の皆の喜びを考えることができるほどの回復が与えられました。そうして最後に主を賛美して終わります。12節、
自分が苦しみの中でうめく時、主イエス様はもっと苦しい中でうめいています。そのことで私たちは癒されます。岩手県の陸前高田市にある漂流ポストは、多くの人が持って行き場のない悲しみや苦しみを抱えていることを教えてくれています。神様はその人々のうめきを聞き、癒して下さり、前向きな心に変えて下さるお方です。この恵みに心一杯、感謝したいと思います。
『神に向かってうめき、そして癒される』
【詩篇5篇】
詩篇5:1 私のことばに耳を傾けてください。主よ。私のうめきを聞き取ってください。
2 私の叫ぶ声を耳に留めてください。私の王、私の神、私はあなたに祈っています。
2 私の叫ぶ声を耳に留めてください。私の王、私の神、私はあなたに祈っています。
前半では、岩手県の陸前高田市にある「漂流ポスト」を題材にした新しいドキュメンタリー映画(『歩きはじめる言葉たち』)が最近公開された話をしました。この漂流ポストには、震災などで亡くなった人に向けた手紙が送られます。肉親や近しい人を突然亡くした人々は、誰にも聞いてもらえない悲しみを抱え込んで苦しんでいます。東日本大震災の場合は、皆が同じ悲しみを抱えているので、なかなか話すことができない、ということです。そのような、どこにも持って行き場のない悲しみ・苦しみを漂流ポストは受け留めます。
そういう、どこにも持って行き場のない悲しみ・苦しみを抱えている人は、今の日本に数多くいることと思います。ここ数年、急速に増えている豪雨によって洪水や土砂崩れの被害に遭って家族や知人を亡くした方々がたくさんいます。新型コロナウイルスによっても多くの方が亡くなりました。親しい人を亡くしていなくても、緊急事態宣言によって外出や外での娯楽が制限されて、鬱々とした日々を過ごさなければなりませんでした。人々が外での飲食や買い物、旅行をしなくなって経営が苦しくなったお店や宿泊施設もたくさんあります。今や多くの人々が重くてつらい苦しみ・悲しみを抱えています。
ちょうど今、静岡では参議院選挙と衆議院選挙の両方が行われていますから、この思いを政治家に託して、少しでも良い方向に向かうことを願っている人も多いことでしょう。私も選挙では棄権はせずに必ず投票します。今の状況を変えてもらうために票を投じることは大切なことです。でも、投票によって心の奥底にある悲しみや苦しみが癒されるわけではありません。心の奥底までを癒すことができるのは神様だけです。
神様に向けて心のうめきを注ぎ出すなら、神様は聞いて下さり、癒して下さいます。
前半では詩篇22篇1節を開きました。
詩篇22:1 わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか。私を救わず遠く離れておられるのですか。私のうめきのことばにもかかわらず。
自分が苦しみのどん底にある時、自分は神様に見捨てられている、そんな風に感じることもあります。でも神様に向かってうめき続けるなら、次第に心が癒されていくことを感じます。後半は、詩篇5篇を開いて、この恵みに感謝したいと思います。もう一度詩篇5篇の1節と2節をお読みします。
詩篇5:1 私のことばに耳を傾けてください。主よ。私のうめきを聞き取ってください。2 私の叫ぶ声を耳に留めてください。私の王、私の神、私はあなたに祈っています。
まずは、「主よ」と呼び掛けることができるお方がいることに感謝したいと思います。「私の王、私の神」と呼び掛けることができるお方がいる幸いに心一杯感謝したいと思います。クリスチャンでなくても日本人の多くは苦しい時に神々に向かって祈ります。でも、それらの神々は本当にいるのかいないのか、定かではない神々です。
一方、私たちの主は、いつも私たちと共にいて下さるということが聖書にはっきりと書かれていて、期待を込めて呼び掛けることができるお方です。祈りはすぐには応えられないかもしれませんが、主は私の祈りにいつかは必ず応えて下さる方だと、期待を込めて、祈ることができます。私の祈りはうめきの祈りです。このうめきの祈りを聞いて下さるお方がいることの幸いに感謝したいと思います。
そして私たちは、神様に向かってうめくことで、次第に心が癒されることを感じます。どうして癒されるんでしょうか?とても不思議です。不思議ですが、理由の一つは、主イエス様もまた十字架で苦しまれたからではないでしょうか。イエス様は十字架で、「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と、絶望的な叫び声を上げました。イエス様の苦しみは今の私の苦しみよりももっと大きなものです。そのイエス様の苦しみに心を寄せることで、私の苦しみは癒されます。イエス様は今の私よりももっと苦しんでおられたことを思うなら、不思議な癒しを感じます。そうして、少しずつ前向きになることができます。3節、
3 主よ、朝明けに私の声を聞いてください。朝明けに私はあなたの御前に備えをし、仰ぎ望みます。
「朝明けに」ということばに前向きさが表れていると感じます。少し前までは暗闇の中でうめいていましたが、朝明けに祈ることができる前向きさを主は与えて下さいます。そうして主を仰ぎ望むことで、うなだれていた私は顔を上げることができます。次に5節、
5 誇り高ぶる者たちは御目の前に立つことはできません。あなたは不法を行う者をすべて憎まれます。
主に背いている人たちは、この恵みをいただけません。しかし7節、
7 しかし私はあなたの豊かな恵みによってあなたの家に行き、あなたを恐れつつ、あなたの聖なる宮に向かってひれ伏します。
あなたの家、聖なる宮とは幕屋であり、神殿であり、教会です。暗闇の中でうめいていた私は、主にうめきを聞いていただくことで癒されて暗闇を脱し、朝明けに祈ることができるようになり、主を仰いで顔を上げることができるようになりました。そして今や外に出て主の家に行くことができるほどに回復しました。それは主イエス・キリストの十字架の死からの復活と重ねることもできるでしょう。イエス様が復活したように、私たちもうめきのどん底から復活します。そして11節、
11 どうかあなたに身を避ける者が、みな喜び、とこしえまでも喜び歌いますように。あなたが彼らをかばってくださり、御名を愛する者たちがあなたを誇りますように。
今や自分のことだけでなく、他の人々のことも考えることができます。自分の苦しみを脱して、他の皆の喜びを考えることができるほどの回復が与えられました。そうして最後に主を賛美して終わります。12節、
12 主よ、まことにあなたは正しい者を祝福し、大盾のようにいつくしみでおおってくださいます。
自分が苦しみの中でうめく時、主イエス様はもっと苦しい中でうめいています。そのことで私たちは癒されます。岩手県の陸前高田市にある漂流ポストは、多くの人が持って行き場のない悲しみや苦しみを抱えていることを教えてくれています。神様はその人々のうめきを聞き、癒して下さり、前向きな心に変えて下さるお方です。この恵みに心一杯、感謝したいと思います。