juntarouじいじの日々是好日

保谷障害者福祉センターの卒業記念に「じいじにも出来るよ」と言われて始めたブログ、早いもので、もう19年目に入りました。

QRコード作成

2021年04月12日 | 食・レシピ

我が家の小さな庭、「こでまり」がきれいです。

みなさまから、沢山「80歳おめでとう」の祝意を頂きました。感謝申し上げます。

松山英樹がマスターズ優勝しました。あっぱれ!です。アメリカへ行って10年、日本人初ですが、アジアでも初めてなんだそうです。
今朝は早めに起きて、後半ですがテレビで見ておりました。4打差あったので割と楽に見ていましたが15番でボギーをたたき2打差になった時は、少々心配しました。まあ、18番で2打差のままだったので最後は安心して見ていましたが。

コロナ、今日から東京も「まん延防止措置」適用。23区と武蔵野、立川、八王子、調布、府中、町田、の6市が対象とか。西東京市は対象外ですが、かと言って気を緩める訳には行きませんね。ワクチン接種が終わるまでは、我慢、我慢。

ところで、今はそこら中で見るQRコードですが、スマホで読み取ることはあっても、自分で簡単に作れるとは思ってもみませんでした( ◠‿◠ )
先週金曜日のパソコン教室はワードで「名刺の作成」が課題だったのですが、N先生によると、今どきは自分の名刺に自分のデータをQRコードにして載せている人も多いんだそうです。もらった人はそのQRコードをスマホで読み取り、アドレス帳に登録するだけで、手間が省けるんだそうです。世の中進歩してますねえ( ◠‿◠ )

ワードで名刺の作成は省略して、QRコードですが、ワードで作る方法とwebで作る方法があるようでN先生の指導で両方で作成してみました。

まずはワードで。①QRコードにするデータ(URLとかメールアドレスなど)を別ファイルに表で作成し保存しておく ②名刺のQRコードを入れたい部分にテキストボックスを作っておく。③テキストボックスの中で「差し込み文書」→「宛先の選択」→「既存のリストを使用」→「データファイル選択」→「バーコードフィールドの挿入」フィールドから選ぶ・バーコードのタイプからQRコードを選ぶ。結果のプレビユーでQRコードが完成。 出来上がったQRコードの大きさの変更は、右クリック、バーコードの編集、詳細設定、スケール、で出来ます。

webで作成するには、インターネットで「QRのススメ」で検索すると、QRコードの無料作成アプリ「QRのススメ」が出てくるので、それを開き案内に従って進めて行くと簡単に出来ました。このブログのURLをコピーして指示通り貼り付けると直ぐにQRコードが完成。保存もjpegの画像として保存できるので、ワード文書やメールなどどこでも使えますね。

下のQRコードこのブログのQRコードです。スマホで読み取ってもらうと、このブログが開かれます。


QRコードなるものは日本発祥の技術ですってね。1994年にデンソーが開発したとか。QRコード、最大で英数字だと4296字で漢字・かなは1817文字だそうです。凄い容量ですね。

先週土曜日、麻雀教室の大会がありました。「80歳優勝」と、力が入ったせいか、何とブービーになっちゃいました( ◠‿◠ )
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1 コメント

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QRコードにも上下左右があるのだそうですね (きゅりー婦人)
2021-04-13 09:10:08
「こでまり」と言えば、最近は「てまり」で遊んでいる子供を見掛けません。昔は良寛さんも子供たちと一緒に遊んでいたのに。良寛さんにこんな歌があります。
この里に 手まりつきつつ子供らと 遊ぶ春日(はるひ)は 暮れずともよし

松山英樹は凄いことをやりました。優勝賞金約2億2700万円、マスターズの生涯出場権、そして他の3大メジャー大会の5年間の出場権の獲得です。他にも来年の大会前に開かれる歴代王者が集う恒例の「チャンピオンズディナー」のメニュー決定権までも。

QRコードは最近よく見かけますが、私はこれを使ったことはありません。ガラケー携帯でも使えるのでしょうか。じいじ様は既に使われているようで、今回はそのQRコードの作成方法まで習得されました。そのお年で驚きしかありません。ご自身の名刺にでも使われるのかな?

じいじ様が麻雀大会でブービーだったとは流石です。負けても賞品だけは逃しません。ブービーはもともと「最下位」を意味するのですが、その賞を目当てに故意に最下位になる人がいないよう、日本では「最下位から二番目」をブービー賞にしたのでしたね。賢い判断です。

ごようつつじ様から折角教えて頂いていた「スパイの妻」を昨夜BS103でやっていたのに、残念ならが見られませんでした。夜遅かったので。また、三島由紀夫が自決1年前にこんな伝説の東大全共闘との討論会をしていたことも初めて知りました。しかも、単独で乗り込んで行って。

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