juntarouじいじの日々是好日

保谷障害者福祉センターの卒業記念に「じいじにも出来るよ」と言われて始めたブログ、早いもので、もう18年目に入りました。

北信濃旅行

2015年10月18日 | 旅行記

14日の水曜日から3日間、学生時代の仲間達と北信濃を周って来ました。昨年の富士山周遊、その前の信州安曇野など今までは5月に出かけていたのですが、「北信濃ならリンゴと紅葉だろ」と、今回は秋と言うことになりました。14日午後の戸隠では戸隠山に少し雲がかかりはしましたが、3日間とも素晴らしい天気に恵まれました。日頃の行いのおかげでしょうか。東京は金曜日は雨模様だったんですね(*^_^*)。
友人たち6名と私の付き添いのばあばを含めて計8名。毎回なんですが、Wさんが今回も立案・宿・レンタカーの手配から運転まで全てをやってくれました。彼は体力・気力そして頭も「年不相応」。シニアソフトボールの選手として活躍、300坪の畑で野菜を作り、月に1,2回は山に登り、海釣りにも時々出かけると言うスーパーじいじなんですよ。今回は私の為に車いすまで新幹線に乗っけて持って来てくれました。

北陸新幹線で長野まで東京から1時間30分少し、お昼過ぎに名古屋方面からの友人たちと合流し、まずは戸隠神社へ。戸隠山は神話の「天の岩戸」が飛んできて今の形になったという伝説があり、その麓にある戸隠神社は「天の岩戸開き神事」に功績のあった神々を祭っているんですね。戸隠神社の中社にお参りし、近くの絶景ポイント鏡池に向かいました。上の写真が、その鏡池ですが、この日はちょっと風があって水面に戸隠山の姿は映りませんでした。紅葉も見頃にはもう少しでしょうか。でも、綺麗なところでパワースポットとしても人気が高い所なんだそうです。
戸隠を出て野尻湖へ。もう野尻湖のシーズンは終わりですね。湖畔に「ナウマンゾウ博物館」があるので立ち寄りました。私も耳にしたような記憶がありますが「野尻湖のナウマンゾウ化石発掘」は1948年に湖底でナウマンゾウの歯の化石が偶然見つかり、それがきっかけで1962年から始まったそうです。今でも続いているようですよ。実物大の模型が展示されていましたが大きいものですね。4万年前の石器時代の人達が、この大きなナウマンゾウを捕まえたと言うんですから驚きです。
宿は妙高の休暇村。夕食になんと「のどぐろの塩焼き」が出て来ました。私は今まで寿司ネタでしか食べたことがありませんでしたが、これがとても美味しかったですね。山の中で「のどぐろ」を頂くとは思ってもいませんでしたが、考えてみれば日本海まで直ぐなんですね。翌朝、宿から眺める妙高山、とてもきれいでした。

朝9時頃出発して、妙高高原の「イモリ池」へ。高原の朝の空気、素晴らしい天気で本当に気持ちが良い散策でした。正面真ん中の山が妙高山、標高2454m。
飯山市に向かい、ガンギのある家々をぶらりと散策。その後、私は全く知りませんでしたが人形作家として有名なんだそうですね。「高橋まゆみ人形館」を訪れました。展示されている沢山のほのぼのとした人形に心がなごみました。
お昼は、Wさんがたまたま出会った観光課の人に「美味しいお蕎麦屋さん」の店を聞きだし、そのお店で幻のそばと言われる「富倉そば」を頂きました。富倉とはこの地区の名でつなぎにヤマゴボウの葉を使った色の濃いシコシコとした食感があるそばです。大盛!と頼んでいる方もいましたが私は普通盛りで十分お腹一杯。美味しいそばでした。


長野と言えば、今はリンゴですね。Wさんお知り合いの長野市近郊にあるOリンゴ農家を訪ねました。「ふじ」は11月に入ってからとかで、今が旬なのは「信濃スイート」だそうです。両親は「つがる」と「ふじ」で、甘みがありシャキシャキしてとても美味しいと思いました。「ふじ」より美味しいかも。

その後、「くり」で有名な小布施町へ。葛飾北斎が晩年滞在した地としても良く知られていますね。小布施滞在中に描かれた肉筆画、画稿、書簡、などを展示している「北斎館」に行ったのですが、たまたまこの日は展示品の入れ替え日で、常設展示だけの鑑賞でした。でも代わりに入館料は無料。常設は2基の祭り屋台の天井画で「龍と鳳凰」と男波、女波と称される「波濤」の2枚。北斎が小布施に来たのは80才を超えてからとのことですが、新幹線は無い時代ですからね。スーパーじいさんはここにもいらっしゃいましたね(*^_^*)

宿は湯田中温泉。ゆっくり温泉に入り美味しいお料理を頂きました。思い出話に花を咲かせた後はカラオケルームで美声を響かせ、楽しい晩をすごしました。

この写真は奥志賀高原の紅葉です。志賀高原と奥志賀高原へドライブ。一番上の方はもう終わりかけでしたが途中の丸池や琵琶池付近は丁度良かったですね。なにしろ天気が良いので紅葉を楽しみながらの志賀高原・奥志賀高原のドライブ、最高!でした。
志賀高原から戻り、中野市にある「中山晋平記念館」に立ち寄りました。沢山の童謡やカチューシャの唄、ゴンドラの唄等の作曲で東洋のフォスターと言われる中山晋平はこの地の出身なんですね。そうそう、昨日巨人を破ってセリーグ覇者となったヤクルトの東京音頭も中山晋平の作曲でした。余談ですが、原監督、辞めるんですね。後任はだれでしょうか。

ちょっと遅いお昼に信州そばを頂いて、長野駅で解散。15時41分発のはくたかで東京駅に17時12分着。ラッシュの時間帯でしたが少し待って中央線に座って三鷹へ。18時21分発のひばりが丘行のバスで帰って来ました。
代わる代わる車椅子を押してくれた友人たちに感謝ですね。楽しい北信濃への旅行でした。
あ、そうそう、マツタケはどこで頂いたかな。確かあったはずなんですが(*^_^*)

くたびれたので、今日はおしまい(*^_^*) またフォトチャンネルに写真を入れますのでご覧ください。
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スペイン旅行

2012年10月10日 | 旅行記

Photo パエリア、とっても美味しかったです。本場の味はやはり違いますね。本当の本場はアンダルシア地方だそうですがマドリッドのパエリア専門店で頂きました。この大きなお鍋で6~7人前との事でした。今度のスペイン旅行、多少腰が痛くなったりしましたが、大いに楽しんで、まずは元気で帰って来れました。

成田へ前泊して28日に出発、一昨日帰って来ました。スペインには直行便が無いので、ヨーロッパ各地での乗り継ぎが必要になりますが今回はフィンランド航空でヘルシンキで乗り継ぎでした。ヘルシンキまで約10時間ちょい、ヘルシンキからマドリッドまでが4時間30分でマドリッド到着まで17時間位かかりました。2,3日、スペインは豪雨とかで(久しぶりの雨で恵みの雨だとか言っていましたが)着いた夜は多少雨が残っていましたが、翌日から回復し、帰るまでどこも快晴でした。事前の情報では少し涼しいかも、と聞いていたのですが連日30度位の暑さで、半袖でも暑かったですね。尤も日陰に入ればとても気持ちが良い気候でした。

Photo_2 マドリッドでは、ピカソの「ゲルニカ」を、プラド美術館ではエル・グレコ、ベラスケス、ゴヤ、などの巨匠の名画を鑑賞して来ました。スペイン語を学ぶためこちらに来てスペイン人の男性と結婚。今19年目と言うガイドさんがとても解りやすく説明してくれました。

右の写真は、マドリッドの南1時間くらいの所にある古都トレドの街。パラドール(国営のホテル)のテラスからの眺めです。エル・グレコが住んだ街としてしても知られています。南のアンダルシアへ向かう途中のラ・マンチャ地方には、今は観光用ですが「風車の風景」が残っています。一番手前の風車さん、何だか笑っているようにも見えますね。ドン・キホーテのセルバンテスが泊まっていたという旅籠もありました。Photo_3

アンダルシアのグラナダへ入り、夜にはフラメンコを鑑賞。観光用とは思いますが相当レベルは高いと思いましたね。ロマの情熱と哀愁がバンバン伝わって来ます。

翌日はアルハンブラ宮殿の観光、14世紀末ごろ今の姿に完成したイスラム文化の華ですね。下の写真は「アラヤネスの中庭」ですが優美な7つのアーチ、その向こうに高さ45mの塔、そしてアンダルシアの青い空、それらが鏡のような水面に映っているんですよ。ほんと美しいですね。Photo_7

コルドバ、セビリア、と周り地中海に面したマルベーリャのホテルへ。コスタ・デル・ソル(太陽海岸)と言ってヨーロッパの避暑地として夏はとても賑わう所です。ここからロンダの街へ出かけました。私は知りませんでしたが最近公開された織田裕二の「アンダルシア」って映画があるそうで、その舞台がロンダの街だとか。深い谷にかかったロンダ橋の景観、最古の闘牛場などを見学。

マラガから飛行機でバルセロナへ。何と言っても「ガウディ」ですね、サグラダ・ファミリア、写真やテレビでは見ていましたが実際に見て見ると、そのスケール圧倒的ですね。近くで車を降りて生誕の門から入り中を見学、エレベーターで(65mとか言ったいましたが)上へ登りバルセロナの街を眺めても来ました。教会内が凄く明るい感じがしましたね。未だ建設が続いており20年後には完成するとか、永遠に完成しないとか、どうなんでしょうね。外へ出て来て全体像を撮りたくて池の向こうまで頑張って歩いてしまいました。

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食事は大概美味しかったですね。小皿料理のタパスやピンチョスのお店も入って見ました。イカ墨のパエリアも結構なお味でした。

お買い物はバルセロナ。スペイン王室御用達のお店「ロエベ」も、ばあばのお供で。チョコレートの「カカオ サンパカにも寄って来ました。

今回、空港や美術館では車椅子を頼み、移動は出来るところはタクシーを使いました。行く先々でアシスタントの人をお願いして手伝ってもらったので、歩く所が多いスペイン旅行でしたが無事完遂出来ました。ツアーのメンバーも同年代かちょっと若いご夫婦の旅慣れた方がほとんどで、天候にも恵まれて、とても楽しい旅行でした。まだちょっと腰が痛くて困っていますが(^_^.)

詳細は、また近い内に「スペイン旅行」のアルバムを作ります。

そうそう、バルセロナでガウディと同じ時期に活躍した建築家モンタネールの傑作「カタルーニャ音楽堂」を見て来たんですよ。これも世界遺産です。おとぎの国の音楽堂みたいでした。

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北京ダック Ⅱ

2009年05月14日 | 旅行記

008_2 10日ぶりにスポーツセンターへ行き、秤にのってみると一安心(^・^)。体重は変わっていませんでした。旅行中、結構食べたのですが、それだけ体も動かしていたと言う事でしょうね。インフルエンザも大丈夫のようです。

そうそう、我が家にも定額給付金が振り込まれたようです。未だ確認はしていませんがね。税金でのバラマキですから、こんな政策は反対ですが、まあ、くれると言うのに返すのもなんですから貰っておきます(^・^) それよりも吉祥寺の伊勢丹が来年3月で閉店とか、伊勢丹はばあばの御用達先でしたから(^・^)「随分貢献してきたのにねぇ」と、とても残念がっています(^・^)。

テレビで見る北京の風景と言えば、以前は人民服で自転車の大群が大通りを行く風景でしたが、今は全く違いますね。人民服など一人も見かけませんでしたし、大通りは何時も車で大渋滞。車もベンツやアウディ、高級車が一杯走ってました。行政区の北京市は広さが四国と同じらしいですね。人口も1800万とか、どこにいっても人、人、人の感じでした。上の写真は天安門と並んで北京のシンボルと言われる天壇公園の祈念殿ですが、広い公園内にはいたるところでお年寄りたちが集まって、合唱や気功や太極拳に興じていて、とても楽しそうでした。北京の人達は早起きなんだそうですね。現地の日帰りツアーをみたら朝4時半出発なんてものもありました。尤も日本人でも早起きの人はいるみたいで、私のパソコンの受信メールには良く4時何分というのが入ってますからね(^・^) 北京では頭髪の白さで「老人度」を判断するそうで、「お父さんがバスに乗ったら、直ぐに席を譲ってくれるよ(^・^)」と、娘が言ってました。

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 万里の長城、八達嶺ですが、車椅子用のルートで上がってくると、この写真の真ん中の囲い(敵楼とか戦台というそうですが)に出てきます。そこから前方が男坂、手前が女坂。話は違いますが中国語でも男は男、女は女で、トイレは厠。分かりやすかったですね。

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故宮はじめ、古い建物の屋根の上には必ずこのようなものが。走獣と言い魔除けの神獣達だそうです。鬼瓦とかシーサーとかと同じですかね。

053 太和殿の向かって右にある左門、左は子供をあやす塗金青銅の獅子像。右は、まりを抱えてますね。

今回の旅行で感じたことはやはり歴史と大きさでしょうか。ただデカイだけ、とか長いだけ、とか言う人もいますけど(^・^)それに、経済の成長振りでしょうか。巨大な空港と北京中心街とは高速で30分位ですよ。成田は遠いですよね。八達嶺までも高速が出来ていて1時間ちょいですからね。私の友人たちの中にも以前行かれた人が何人かおられるのですが、その頃は、がたがた道で一日がかりだったそうです。「へぇ、高速で、スロープにエレベーターですか」とみなさん感心してました。

「百聞は一見に如かず」 楽しい旅行でした。(^・^)

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北京ダック

2009年05月11日 | 旅行記

017 これが我々が頂いた「北京ダック」です。

「ニーハオ」と「シェシェ」だけで、北京を楽しんで元気に昨夜帰って来ました(^・^)。娘夫婦が北京に居るので、一度は行ってこなきゃと、飛行機とホテルだけJTBに頼んで、後はすっかり娘任せで気楽な旅をして来ました。成田では中国便とあって、検疫の質問表は書きましたが停留されることもなく(^・^)すんなりと出て来ました。北京では、ばあばがマスク、マスクと言うので、日頃マスクなど滅多にしない私も一応かけてはみましたが誰もマスクなどしておらず、たまぁに見かけると、やはり日本人。返って不審に思われちゃいますよね(^・^)北京市民は誰も全く気にしていないようでした。

北京へ行くのは初めてでしたが、「百聞は一見にしかず」って、正にそうでした。北京空港始め、とにかく「でかい」。空港では機内から出たところから検疫や入国審査を経て駐車場まで車いすをお願いしましたが、もし私が歩いていたら(とても歩けませんが)「日が暮れちゃう」です(^・^)。 余談ですが車いすをお願いすると、機内から出るのは最後になりますが係りの人が車いすを押してくれ、入国審査などはスタッフ専用口を通って行くんですよ。今回の北京では新型インフルエンザの事からでしょうね。検疫官の前は大行列、2,3百人は並んでいた感じでしたが私と付き添いのばあばは横からスイスイ、トランク受け取りから出口までちゃんと連れて行ってくれましたから、迷う事もありませんでしたしね。大助かりでした。

024 まずは、北京ダック(^・^)ですね。娘たちが「大董(DaDong)という最高級店へ連れて行ってくれました。北京ダックを注文すると厨房に行って、窯の中で焼かれている中から「これっ」って指定出来るんですよ。面白そうなのでばあばと私も厨房まで行って見ました。熱かったですが、このような窯が3つあり、一つの窯の中には5,6匹(羽と数えるのでしょうか(^・^))。ぶら下がっておりました。一匹選びましたが、どれを選んでも同じでしたね(^・^) シェフの一人がテーブルの傍に来てダックを切ってくれます。右の写真、右手前が皮、真ん中が肉、その左が頭の部分です。百八つに切分けるのが上手い切り方だそうです。日本では皮しか食べませんが、本場ではそうではないようです。肉もさっぱりして美味しかったですよ。食べ方は、最初に皮の一切れに砂糖をつけて食べ、後は日本と同じですね。餅(ピン)にネギなどと、みそをのせ、包んで食べます。とても美味しいですが、食べきらないほど沢山有るので、日本で頂くのと比べ、返って有難みが減っちゃうかもしれませんね(^・^)。北京ダック、これで200元、日本円で3000円位だそうです。日本で一匹丸々頂いたら、どの位になっちゃうでしょうね。他の料理も、どう表現して良いか上手く言えませんが、日本で食べる中華料理も美味しいんですが、又違った味で美味しいんですね。注文のやりとりは娘夫婦がやってくれるので、ばあばと私は食べるだけ(^・^) 親孝行な娘たちです。

004 万里の長城に、行けるとは思いませんでしたね。娘が昨年のオリンピックを機に車いすでも登れるようになったと言うので、ホテルで車いすを借りて出かけて来ました。一般の人達は相当離れた所から車を降りて歩いて来るようでしたが、車いす用に城壁の割と近くに、スロープと1,2階分のエレベーターが整備されていました。それでも自力では厳しかったですが、娘とばあばの手助けで、多少しんどかったですが城壁にたどり着きました。多くの人で一杯。元気なお年寄りが一杯でした。

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北京から北西に車で1時間ちょいでしょうか。八達嶺長城です。この長城は明代に築かれたもの。私は少ししか歩きませんでしたが、娘とばあばは結構先まで歩いて来たようです。周りを一望すると、こんな所に本当に凄いものを築ったものだなあ、と感心しきり。帰り道「居庸関」にも立寄りました。見るだけでしたが、ここの長城も凄いですね。城壁の最大斜度70度ですって。そこも大勢の人が登っていました。

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故宮を見て周るのはちょっと大変でした。人民大会堂の前で車をおり、車いすで天安門広場から天安門へ。広いですね。天安門の上には登りませんでした。そのまま、瑞門から午門。みな巨大ですね。太和門を入ると皇帝が政を行った太和殿です。車いすで行くのは一苦労でした。太和殿の中の玉座など、ちょっと見たかったのですが、見れるところは押し合いへし合いの人で、あきらめちゃいました。ここまでで結構くたびれてしまい内廷へ行くのは止めにして、是非見ておきたいと思っていた「九龍壁」とキューリー夫人から言われていた「珍妃の井」を目指し東サイドへ。娘の中国語のお蔭ですんなりと見つけられました。左が「九龍壁」、右が「珍妃の井」です。こんな小さな井戸なんですね。珍妃が西太后に投げ入れられたというのは本当なんでしょうか。

次回も「北京報告」となりそうです(^・^) アルバムも近日中に作ります。 

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越前・勝山

2007年11月24日 | 旅行記

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奈良の大仏さまではありません。越前大仏です。

21,22,23、と二泊三日で福井へ行って(もう、帰って来たとは言えませんでしょうか)来ました。3年前に、先生の叙勲のお祝いに集まって以来の中学のクラス会です。卒業50年記念で、今回は女子11名、男子7名が集まりました。先生は教師になって初めて受け持ったクラスが我々だったので歳は10~11しか違わないんですよ。今年、喜寿を迎えられたので、そのお祝いも兼ねて集まった訳です。

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福井駅がすっかり新しくなっていました。駅員に聞くと、もう2年近くになるとの事。ゴミゴミしていた東口は大分整理が進み、結構きれいになっていましたが、福井市の玄関口である西口は、なんだか前より寂れた感じ。聞いてみると再開発の計画は有るものの目途は立っていないとの事でした。

ホテルでの昼食会が終わり、一同勝山へ。勝山は福井市から九頭竜川に沿って東へ30キロ位でしょうか、隣の大野とで奥越といいます。勝山で有名なのは、約1300年前に作られ、白山信仰の拠点として賑わい、室町以降、多くの僧兵を抱えて一大勢力を誇り、そして信長による一向一揆征伐の兵火により消滅した平泉寺(へいせんじ)ですね。 昔、一、二度行きましたが、でも、今回はパスでした(^・^)

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この輝いている球形のドーム、何だと思いますか。これは恐竜博物館なんです。10数年前、勝山地区で恐竜の化石が発見され、今でも発掘が続いているとの事で、きっと町興しにしようとしたのでしょうね。

黒川紀章の設計ですって。立派な博物館でしたが入場者は見たところ、パラパラ。随分とお金が掛かっているようで県も市もさぞ困っているでしょうね。

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勝山の泊まったホテルから見た大仏殿と五重塔です。昭和62年に落慶したそうです。成功した、ある実業家が私財数百億円を投じて造ったそうです。この大仏様、奈良の大仏様よりも大きいそうですが、有難みはねえ(^・^) 最近は訪問者も激減、関係者の方々、大弱りだそうです。

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大野市の朝市の風景です。美味しいと言うので「いもきんつば」を買って、帰路へ。

福井駅で解散。みなさん、「3年前より、元気になったみたい」と私に言ってくれました。嬉しいですね。再会を約し、皆とお別れ、私はお昼に「おろしそば」を食べ、「小鯛のささ漬」をばあばへのおみやげに、帰って来ました。「おろしそば」って福井だけでしょうか。冷たいつゆそばなんですが、かつおぶしに辛い大根おろしをたっぷりかけて頂くんです。美味しいですよ。

おっと、忘れてはいけませんね。足羽(あすわ)山に有る両親の墓参りはちゃんと行って参りました(^・^)

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帰って来ました!

2007年06月02日 | 旅行記

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昨日のお昼過ぎ、元気で帰って来ました。最後のウイーンではちょっと寒かったのですが、それまでは暑くてTシャツ一枚でも良い位で私も結構黒くなりました。今回、車椅子はウイーン空港で乗り継ぎの時とウイーンのシェーンブルン宮殿で使っただけで、一部タクシーも使いましたが結構頑張って歩いて来ました。くたびれていたんでしょうか、昨夜は9時過ぎにバタンキューで今朝まで熟睡でした。

雄大なアルプスの山並みが迫るインスブルック、これぞチロルというハル・イン・チロル、モーツアルトとサウンド・オブ・ミュージックの街、ザルツブルグ、山と湖の景観が素晴らしいザルツカンマーグート(上の写真は世界遺産ハルシュタットです)、 バァッハウ渓谷のドナウの船旅、そして、ウイーン。

楽しかったですね。ザルツブルグのミラベル宮殿でのコンサート、ウイーンの楽友協会にも行きました。そして、ばあばが最も感激していたのがオペラ座です。偶然にも初来日以来、すっかり好きになったサルバトーレ・リチートラがタイトル・ロールを歌っていたんですよ。「アンドレア・シェニエ」です。当初、オペラは長時間だし字幕も無いので今回は止めておこうと言っていたんですが、これは、観なくてはと急遽ホテルにチケットを手配して貰って行って来ました。流石にウイーンのオペラ座ですね。劇場と観客が作り出す雰囲気、オーケストラのウイーンフイルの音も素晴らしいし、ソプラノもバリトンもそして勿論リチートラも、最高の一夜でした。2_14

食事も毎日美味しい物ばかり頂いて、何となく申し訳ないような感じ(^・^) 写真はインスブルックの有名レストラン、ゲーテやハイネが泊まったゴルデナー・アドラーでの鮭のムニエル、ホワイトアスパラと新じゃが添えです。オーストリアではやはり肉料理が中心で「ウイナー・シュニッツェル(薄切り牛肉のカツ)」とか「ターフェル・シュピーツ(牛肉をゆでて)」などオーストリア料理といわれる料理の写真も撮って来たのでいずれ紹介します。(そういえば、youkoさんから、そんなご要望がありましたね(^・^))

いたるところカフェ有りで、ザルツブルグのトマッセリやウイーンのデーメルなどの有名店にも行きました。おかげで、メランジェ(カプチーノみたいなもの)、ブラウナー(カフェラッテみたいなもの)、アイスカフェ(アイスコーヒーとは全く違い、コーヒーの上にアイスクリームと生クリームをたっぷり、飲むよりも食べる感じ)、アイス・テ(これはアイスティに近いですね)、アインシュペナー(いわゆるウインナコーヒーでしょうか)など、色々頼めるようになりました(^・^)

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ザルツブルグのミラベル宮殿と庭園、ホテルが隣だったので早朝撮りに行きました。綺麗でしょ。未だ誰もいませんね。 宮殿の右の2階の大理石の間でコンサートが開かれたんです。

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ザルツブルグ旧市街のモツアルトの生家前です。観光客で一杯。

写真も沢山撮って来ましたので追々お見せしたいと思います。

海外では、どんな具合にやるのかなあと思い、携帯のメールと電話を使ってみました。キューリー婦人にもご協力頂きました。メールは国内と全く同じでした。電話は「日本にかける」を選択するだけでこれも簡単でした。でも料金がいくらだったかは判りません(^・^)

おっと、忘れちゃいけませんでした。孫達へのおみやげはザルツブルグ(宮本と三都主が所属しているチーム)のユニフォームのレプリカです。少々大きめでしたが捜して買って来ました。なかなか格好いいんですよ。でも、果たして喜んでくれるでしょうか(^・^)

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