徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

YouTube動画のコマ割り

2021-03-14 19:41:09 | Web
 今日、幸若舞「敦盛」をGoogleで検索していて「おや?」と思った。リストアップされた中に僕がYouTubeにアップした動画もあって、その下に「この動画には10件の重要なシーンがあります」というメッセージが付けられていた。そのメッセージをクリックすると、字幕に対応してコマ割りした画面が現れ、見たいシーンを選べるようになっていた。
 いつからこんな便利な機能が付いたのだろう。でもどの動画もこんな機能が付くわけではないようだ。試しに他の字幕を付けた動画を検索してみたが、コマ割りはされなかった。いったいどういう基準で選ばれているのだろうか。





岐阜県民謡「おばば」

2021-03-13 16:12:31 | 音楽芸能
 民謡歌手の水野詩都子さんと三味線奏者の秀五郎さんによる東海風流プロジェクトの新曲がアップされました。今回の曲名は「おばば」です。動画の中で水野さんが曲の由来を次のように解説しておられます。

 天文10年(1541年)揖斐城主 堀池備中守の姉、お政が上善明寺の春淨の許へ嫁ぎ、子宝に恵まれて、初孫の誕生を喜び、お婆々さまとなられたお姑さんがお政の在所である揖斐城へお祝いに訪れた際、笛や太鼓で唄われたという由来が伝えられています。

 戦国乱世に翻弄された揖斐城にもこんな穏やかな日々があったのでしょう。

 この「おばば」という民謡は実は、九州鹿児島にも伝わっているそうです。それは江戸中期の宝暦年間、幕命により「手伝普請」として木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の治水工事を課せられた薩摩藩の人たちによって持ち帰られたそうです。しかし、この「手伝普請」は、多くの薩摩藩士が殉職するという「宝暦治水事件」を引き起こし、後の倒幕につながったともいわれる薩摩藩の怨恨を残しました。



 三味線の秀五郎さんは今年独立され、本名の﨑秀五郎(さきしゅうごろう)に戻って再出発されました。
 新たなステージでのさらなるご活躍をお祈りしたいと思います。
   ※﨑秀五郎 ホームページ


﨑秀五郎さん「第25回くまもと全国邦楽コンクール」で最優秀賞受賞

九州新幹線全線開業10周年

2021-03-12 13:10:51 | 熊本
 九州新幹線鹿児島ルートが全線開業して今日でちょうど10年。開業前日はわざわざ「リレーつばめ」のラストランを見に行ったのに、開業当日の記憶が一切ない。ブログにも何も書き込んでいない。前日に発生した東日本大震災で茫然という状態だったのだろう。熊本駅まで様子を見に行ったのは開業から5日も経ってからだ。そんな多難なスタートだった九州新幹線は、当初は前途を危ぶむ声も多かった。しかし、その後利用者は順調に増え、観光やビジネスの足として定着した。この間の利用者は1億2000万人余りに上り、熊本・博多間の1日の利用者は平均2万5500人となっている。しかし、新型コロナウイルスの影響で昨年秋には乗客が前年の65%ほどに落ち込むなど、利用の低迷が続いており、13日のダイヤ改正で運行本数が減らされるという。


開業前日の東日本大震災発生で前途多難なスタートを切った九州新幹線鹿児島ルート


開業を祝うイベントはすべて中止となった。


九州新幹線全線開業前日(東日本大震災発生日)まで博多-熊本間をつないだ「特急 リレーつばめ」


九州新幹線全線開業で地域振興を図るため「新幹線くまもと創りプロジェクト」が企画された。
その一環として小山薫堂さんプロデュース「くまもとサプライズ」のPRキャラクターとして生まれたのがくまモン。



九州新幹線全線開業を記念したパレード「城下町くまもと時代絵巻」が開業の翌年から行われた。


開業1周年記念イベントが森都心プラザイベント広場で行われた。(出演:ザ・わらべ他)

3.11 あの日から10年

2021-03-11 09:46:03 | 
 あの日から10年が過ぎた。悲しいけれど年々記憶が風化しつつある。この10年間にブログに取り上げた「3.11」関連の記事の中から三つ選んで再掲し記憶を更新したい。

▼あの日(2011.3.11)
 こんな凄まじい光景は初めて見た。自然の猛威の前には人間は全く無力であることを今さらながら思い知らされた。明日の九州新幹線全線開業を前に、リレーつばめのラストランの写真でも撮ろうと、母と家内を連れ立って田原坂に向かう車中、どういうわけだか、日本でもまた大きな地震が起こりそうだな、なんて話をしながら行った。写真を撮ってから事務所で待っていた母たちと合流すると、なんと「大地震が東北の方であった!」という。あまりの偶然に驚いたが、帰りながらラジオの速報を聞くと、地震と大津波の被害は東北地方だけにとどまらず、日本全国に及んでいるという。これで、九州新幹線全線開業の祝賀ムードも吹っ飛んでしまった。さっそく九州新幹線全線開業のイベントはすべて中止になったというテロップが流れる。いろんな意味で忘れられない日になりそうだ。
 各地の被災者の皆様に心よりお見舞申しあげます! 



▼琵琶経 ~3.11後の供養曲~(2015.2.22)
 2月22日、森都心プラザホールで行われた「くまもと全国邦楽コンクール」の各年度最優秀者による「邦楽新鋭展」において、第12回最優秀賞の薩摩琵琶奏者・北原香菜子さんが演奏した「琵琶経 ~3.11後の供養曲~」に感動した。




▼東日本大震災七回忌追善公演(2017.3.29)
 3月29日、仙台市の電力ホールで行われた「東日本大震災七回忌追善公演 ふるさとの春まつり」に舞踊団花童が出演。これは3年前に38歳の若さで夭逝した作詞家おのりく(園田凌士)さんとのご縁で実現したもの。おのさんは少年時代を熊本で過した方で、十代から音楽活動を始め、作詞家となってからは多くの歌手に歌詞を提供している。今回の「ふるさとの春まつり」では、おのさんが生前、東日本大震災の被災者へ、復興への願いを込めて贈った歌を花童が踊った。
 下の動画は熊本の玄宅寺で行われた公演の時の様子。


【歌の解釈】
 奥州平泉で非業の最期を遂げた源義経。この世の未練断ち切りがたい義経の魂が高館の杜を彷徨っていると、どこからかカラヴィンカ(迦陵頻伽)の妙なる歌声が幽かに聞こえて来て、やがてひとすじの希望の光が差し、阿弥陀如来の来迎を予感させます。そして義経の魂はお浄土へと導かれるのです。義経の物語に仮託しながら東日本大震災のすべての犠牲者を供養しているのだと解釈しています。

熊本城の 桜!サクラ!SAKURA !

2021-03-10 20:36:59 | 熊本
 今年の桜シーズンが近づいた。熊本市の開花予想は発表する機関によって多少バラついているようだが、おおむね14日~17日になることは間違いないだろう。となると23~25日あたりが満開か。
 熊本城も桜の名所なのだが、熊本地震以来、まだ立入りが規制されている箇所があるのは残念だが、それでも十分に楽しめると思う。
 下の写真はいずれも熊本地震前に撮ったもの。


現在、石垣が崩落して通れなくなっている奉行丸西側の坂道。


熊本城のメインの桜名所である行幸坂(右側は南坂)。桜の時期、行幸坂は一部開放の予定。


二の丸広場と西大手門の間の通路。


監物台樹木園前の道路。

翁プロジェクト熊本公演

2021-03-09 20:24:34 | 伝統芸能
 〽どうどうたらりたらりら
  たらりあがりららりどう
  ちりやたらりたらりら
 
 細川家ゆかりの水前寺成趣園能楽殿。かつて細川家の能楽を担った本座・友枝家の当主である友枝昭世さんの、呪文のような謡いで翁が始まる。歴史の重みを感じる。2017年1月の国立能楽堂における友枝さんによる翁の映像とはちょっと印象が違う。それもそのはず、国立能楽堂とは異なり、ここは屋外。朗々とした謡いの背景では山桜が風にそよぎ、鳥がさえずる。ふと、そもそも翁とはこういうものだったのだろうと思う。千数百年前に渡来した申楽が「草木国土悉皆成仏」という日本人独特の感性によって形づくられてきたことに感動を覚える。


開演前の能楽殿風景


漱石句碑「鼓うつや能楽堂の秋の水」

吉次峠 と 能「熊坂」

2021-03-08 18:33:43 | 歴史
 熊本から豊前街道を植木方面へ進んでいくと、北区徳王に追分石があり、「是より左きとめ通きちしこえたかせへのみち」と書かれている。つまり、「ここから左折すると、木留(植木町木留)を通って吉次峠(きちじとうげ)を越え、高瀬(玉名市高瀬)へ向かう道」という意味だ。この道はかつて「吉次往還」とも呼ばれていたそうだ。往時は多くの人馬が行き交ったことだろう。吉次峠は田原坂と並び西南戦争で多くの犠牲者を出した激戦地。
 吉次峠の名の由来は、昔、金売吉次という人物がここで盗賊に殺害されたという言い伝えからその名がついたといわれている。あの源義経との伝説が残る金売吉次がなぜここで、と思うのだが、一説では金商人のことを「金売吉次」と呼んでいて、特定の一人のことではないともいわれる。


吉次峠から田原坂方面を望む


 平安時代の盗賊・熊坂長範が金売吉次一行を襲い、逆に一行の中の牛若丸(源義経)に討ち取られたという伝説の後日談が能「熊坂」。旅僧の前に現れた熊坂長範の霊が薙刀を振るって舞う迫力ある能。


2013年熊本城薪能 金春流能「熊坂」

江戸芸かっぽれの雑学

2021-03-07 22:36:25 | 音楽芸能
 「かっぽれ」は江戸時代、大坂の住吉踊りに端を発し、願人坊主らによって大道芸として江戸に伝わり、洗練されて江戸芸として発展した。明治中期には九代目市川団十郎も歌舞伎舞踊に「かっぽれ」を摂取し、全国で大流行。祝事には必ず唄い踊られるようになったと伝えられる。夏目漱石の「坊っちゃん」にも登場する。
 YouTubeマイチャンネルの「かっぽれ」も多くの方々に再生いただき、いろいろなコメントもいただいている。その中には初耳の情報も多く、例えば、テレビのコント番組「LIFE!」やお色気番組「恵比寿マスカッツ」や戦隊もの「爆竜戦隊アバレンジャー」などでも「かっぽれ」が踊られているという情報や、漫才のナイツのラジオショーで、塙さんが内海桂子師匠に「かっぽれ」を厳しく仕込まれたという話などを聞くと、この江戸芸のすそ野の広さをあらためて認識する。また、この動画で踊る舞踊団花童のくるみ・あやのの両名が身に着けているのが裁着袴(たっつけばかま)だということも教えていただいた。おかげで様々な雑学が身に付いた。


東日本大震災10年 ~忘れられない思い出~

2021-03-06 20:16:19 | 
 来週11日は東日本大震災から10年となる。某テレビ局の義捐金募集に些少な額を応じただけで、何にも復興支援はできていないが、僕自身の思い出として一つのエピソードを記録しておきたいと思う。

 2016年3月10日、熊日新聞に次のような記事が載った。
 大震災から5年となる明日、山鹿市の鹿本農高郷土芸能伝承部の生徒たちが、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区で山鹿灯籠踊りを披露する。閖上地区は特に津波の被害がひどく、人口の1割強が犠牲になった。明日行われる追悼イベントで、鎮魂と復興の願いを込めた踊りを披露するという内容だった。

 鹿本農高郷土芸能伝承部は山鹿灯籠まつりや県高校総文祭などで毎年踊りを見せていただいていたこともあり、ぜひ彼女たちの支援活動を一人でも多くの人に知っていただきたいと思い、当ブログで紹介した。すると、この追悼イベントに参加しておられた名取市在住のミント様という方が、たまたまこのブログをご覧になって次のような心のこもったコメントをお寄せいただいた。

はじめまして。
名取市に住む者です。
踊り会場の向かいの護岸で休んでたら、なにやら横笛と太鼓の音色が流れてきたので近づいてみたら、頭に灯籠をのせた若い女性たちが10人ほど、ゆったりした舞いを披露。
山鹿灯籠踊りを舞う高校生の姿に見とれてしまいました。
日本の美が凝縮された優雅に呆然。
あのような舞いがあるんですね。
この世のものとは思えない幻想は浄土の光景をまじかに見てるようでした。
亡き人も残された人も喜んでいることでしょう。
寒い中、遠い場所からありがたいことです。
ほんとうにごくろうさまでした。

 さらに、ありがたいことに、山形県酒田市在住のcake様という方が、追悼イベントをご覧になっていて、ご自身のブログ「無題・休題-ハバネロ風味-」に当日の様子を写真付きでリポートしていただいていた。さっそく写真の転載をお願いしたところ、こころよく承諾いただき、当ブログでもイベントの様子を紹介することができた。

追悼イベント当日の写真(cake様撮影)




 そして、その経緯を鹿本農高郷土芸能伝承部様にも手紙でお伝えしたところ、下記のような丁寧なお礼のご返事をいただいた。



 遠く離れた方々と心が通じ合った一連の出来事を僕は一生忘れないだろう。

近江アナ ラスト出演!

2021-03-05 11:31:35 | テレビ
 NHKの近江友里恵アナが今朝の「あさイチ」でNHKアナウンサーとして最後の出演を終えた。これからは今までの経験を生かして街づくりの仕事に携わりたいという。思えば2012年の春、新人アナとして熊本局に配置され、まだ千葉城の丘の上にあった熊本局に出勤する彼女の姿を見かけたこともある。ブラタモリは毎回見ていたし、あさイチは毎朝BGM状態だったので、この9年間、彼女をずーっと見ていたような気がする。それだけに寂しいものを感じるが、彼女には別の夢があるようなのでそれがぜひ実現することを願ってやまない。ともかく9年間お疲れ様。そしてありがとう!

 ちなみに、僕が熊本の実家に帰ってから、熊本局に初任配置された女子アナたちの現在の所属と主なキャリアは次のとおり。

渡邊佐和子(大阪局)歴史秘話ヒストリア、英雄たちの選択、土曜スタジオパークなど
池田伸子(放送センター)ファミリーヒストリー、超絶 凄ワザ!、Good Job!会社の星など
近江友里恵(放送センター)ブラタモリ、あさイチなど
石橋亜紗(放送センター)おはよう日本、ららら♪クラシックなど
畠山衣美(大阪局)きょうの料理、上方演芸会など
佐藤茉那(熊本局)クマロク!など



最後の出演となった今日の「あさイチ」で


初任配置の熊本局時代

熊本のひな祭り

2021-03-03 18:15:34 | 日本文化
 今日はひな祭り。桃の節供ともいう。もともと旧暦の三月三日の行事だったので、今年の暦によみかえると4月14日にあたるらしい。たしかに今の時期は桃の花はまだ咲いていない。おそらく3月20日前後に咲くだろう。
 それはともかく、2001年に出版された「新熊本市史・別編 民俗・文化財」には熊本市の古い民俗について書かれており、ひな祭りについては下記のような記述があるが、今は廃れてしまったわが町の習俗はとても興味深い。

▼雛祭り
 旧暦の三月三日は、桃の節供ともいわれた。三月一日ごろから坪井、広丁、唐人町あたりに雛市が立っていた。
 一般的に長女の初節供のときには特別のお祝いをするが(嫁の実家から雛人形を贈る、ひし餅やふつ餅(よもぎ餅)をついて配るなど)、その他のときは、内祝い程度である。
 明治のころは旧暦で行われ、上巳(じょうし)の祝といって草の餅をこしらえ、初節供の家では「初ひな」と称し、ひなを床狭しと陳列した。まつりの二、三日前になると、各町に「ひな店」がでたが、坪井広丁などには、数軒の小屋をたて、ひな店を出し日夜売り出した。また餅つきの音も聞こえ、桃桜の花売りも徘徊した。
 秋津町沼山津には、千代紙で作った人形をひなまつりに川に流すという古い形を残した習俗があった。もともと桃の節供は家族や家のけがれを払うためのみそぎの行事であった。


ひな飾り(菊池夢美術館)


桃の花(柿原の桃畑)

春の句を二句

2021-03-02 19:04:16 | 文芸
 今日は午前中、昨日行けなかった朔日詣りをしに藤崎八旛宮へ。その時までは暖かかった。午後は本屋へ出かけるつもりだったが、曇って風が強くなり、急に寒くなってきたのでその気が失せた。
 再来週あたりから桜のたよりも届き始めるだろう。
 過去に詠んだ春の句の中から次の二句を読み返してみた。



梅の香や 崩れしままの 古城にも





大人びた 白きうなじに 桜まじ

熊本城特別公開の再開

2021-03-01 18:59:31 | 熊本
 熊本県の緊急事態宣言および熊本市医療非常事態宣言の解除に伴い、先月18日から熊本城特別公開が再開された。地上約6mの高さを通る「特別見学通路」も賑わいが戻りつつあるようだ。熊本地震の被災状況や復旧過程を間近で見ることができるという謳い文句だが、僕は見てみようという気が今一つ起こらない。わが家から歩いて行ける距離だし、われわれの世代は入場無料だし、行こうと思えばいつでも行けるにもかかわらずである。それは、僕が見てみたい、本丸へ登る頬当御門ルート、不開門ルート、竹の丸ルートなど、それぞれどうなっているのか確認したいのだが、「特別見学通路」では見られないからだ。そうは言っても復旧工事はまだ20年くらいかかることを思えば、生きているうちに、かつてのように本丸に登るのはもうできないかもしれない。やっぱり一度は見ておくかと思い始めた。 


かつて春の修学旅行で賑わっていた頃の熊本城天守閣