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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

プログラミング教育ブーム

2016-06-14 20:06:24 | ニュース
 今、プログラミング教育がブームらしい。パソコン黎明期の、80年代初頭にプログラミングに七転八倒した僕には、懐かしさと同時に苦い思い出がよみがえる。しかし、昨今のブームは、僕らの頃のビジネスOA化とはちょっと違うようだ。家庭に入った女性が、家事や育児の合間に在宅ワークとしてプログラミング業務を請け負うのがトレンドだという。使う言語もJavaScript、Ruby、Perl、Python、PHP等々、聞き慣れない言語名が並ぶ。僕らの頃はもっぱら、COBOL、BASIC、FORTRANなどだった。僕は事務処理系だったのでCOBOLとBASICを使っていた。当時の一般的な事務処理は割と単純な繰り返し作業のプログラムが多かった。だから、表計算ソフトが登場すると、すぐにとって代わられた。最近のプログラミングはインターネットに関わるものだったり、ゲームだったりして複雑な処理をこなさないといけないと思われるので、僕が今から挑戦してもおそらくついていけないだろう。

熊本城石垣復旧の手順

2016-06-13 21:19:25 | 熊本
 先週、棒庵坂の下に並べられた地震で崩落した熊本城石垣の石の話を書いたが、昨日、今度は歩いて通ったら、下のような掲示が立てられていた。 この石は東十八間櫓南側の石垣が崩落したものらしい。
 今後もこの様に復旧の進捗状況を情報公開していただければありがたい。

▼いずれもクリック → 拡大










ブラタモリ ~ お伊勢参り ~

2016-06-12 18:06:26 | テレビ
 先週土曜日のブラタモリは伊勢を巡る旅の2回目。「人はなぜ伊勢を目指す?」をテーマに「お伊勢参り」にスポットを当てた。個人的には、満足度100点満点で50点といったところ。その理由は、テーマの「人はなぜ伊勢を目指す?」については50%程度しか説明していないからだ。当然ながら、伊勢の門前町で知り得る情報は、あくまで参詣者を受け入れる側の御師らの経営努力の話でしかないからだ。江戸時代、三次にわたる一大ブームとなり、年間400万人を超える参詣者が押し寄せたのは、ブラタモリで紹介された大名旅行のような人たちはほんの一握りに過ぎず、ごくごく平凡な庶民がお伊勢参りをすることができたからこそのこと。その背景には「お伊勢参り講」や「抜け参り」といった社会システムがあったことが大きい。また、お伊勢参りを済ませて国へ戻った人たちの口コミ、覚えて帰った「伊勢音頭」、さらには「東海道中膝栗毛」のような旅行本などがブームを拡大させたといわれる。











菊池渓谷

2016-06-11 22:04:23 | 熊本
 熊本の人気観光スポットの一つ、菊池渓谷が熊本地震による落石や土砂崩れのため立入禁止の状況にあり、再開するのは、どうも来年春以降の見通しだそうだ。これから菊池渓谷が最も賑わう夏の避暑シーズン、そしてそれに続く秋の紅葉シーズンが今年は絶望的になった。今年は特に、映画「うつくしいひと」やNHKドラマ「精霊の守り人」のロケ地になったことでも注目され、観光客の増加が見込まれていただけに残念だ。


これからがベストシーズンになるはずだった菊池渓谷


映画「うつくしいひと」の一場面に登場する菊池渓谷


NHK大河ファンタジー「精霊の守り人」の重要なシーンに登場する菊池渓谷


数年前、母と家内を連れて菊池渓谷を訪れた時

熊本城復旧への第一歩!?

2016-06-09 20:53:55 | 熊本
 今朝、車で市役所方面へ向かう時、棒庵坂の下を通りかかったら、道路に面した平地に地震で崩落した石垣の石が並べられ、個々の石にはナンバーリングがふられていた。昨日から加藤神社へ入れるようになったが、おそらく道を塞いでいた石を運んできたものだろう。
 また、夕方のテレビニュースでは、福島県白河市の鈴木市長が熊本市の大西市長を訪問し、白川市民からの支援金を手渡すとともに、東日本大震災で石垣が崩落した小峰城の石垣修復のノウハウを提供するとともに、応援職員を派遣するというありがたい申し出があったと伝えていた。
 現在も修復工事が進む小峰城では、工事の様子を市民に公開しており、復旧への市民の一体感を重要視しているそうだ。熊本市もぜひそうあってほしいものだ。
 崩落した石垣の整理が始まったことは、いよいよ復旧への第一歩を踏み出したということなのかもしれない。





▼花の城下町(クリック → 動画再生)


甚大な被害に言葉を失う

2016-06-08 18:53:05 | 熊本
 熊本城内の立入禁止区域が一部解除され、今日から新堀橋~加藤神社間の道路が通れるようになった。さっそく、地震発生以来初めて加藤神社へ参拝に行った。今まで新聞やテレビなどでしか見られなかった被災の実態を目の当たりにし、あらためてその甚大さに言葉を失った。戌亥櫓の状況を近くで見ていた建築関係者が、こりゃ補修工事は命がけだな、とつぶやいていたのが印象的だった。


やっと渡れるようになった新堀橋


熊本城の見どころの一つだった百間石垣も無残に崩壊


西出丸北側の石垣は全壊。戌亥櫓の石垣も一部崩落


宇土櫓は続櫓が倒壊。本体は見た目は健在のようだが


大小天守閣はいったいどこから手をつけるのだろう


西大手門櫓もこんなに大きな被災だったとは・・・


西出丸の戌亥櫓続塀は全壊。石垣も一部崩落

高校3年は鬼門か?

2016-06-07 16:48:18 | スポーツ一般

 ここ数年、必ず見に行っていた高校総体の陸上競技は、熊本地震の影響で会場が八代となったため、今年は見に行くことが出来なかった。結果をネットや新聞で確認するしかなかったが、何よりも残念だったのは、女子短距離で県下ではダントツの実力者、宮崎亜美香(必由館高3)が故障のため走れなかったことだ。これによって、2012年の野林祐実(九州学院)以来のインターハイ優勝もけっして夢ではないと思っていたのだが、出場資格さえ失ってしまった。あとは秋の国体。彼女が得意とする200mはないが、100mで実力を見せつけるレースを期待したい。
 彼女は今年が高校最後のシーズンだが、どうもこの高校3年というのは鬼門のようだ。昨年も、北川愛菜(熊学付高)、深川恵充(八代東高)らの実力者が故障のため、不本意な高校最後のシーズンを送った。高校2年の時にインターハイで100と200の2冠に輝いた野林祐実でさえ、高校3年の時は、インターハイこそ2位だったが、集大成と臨んだ国体では失速、決勝にも進めなかった。中学から高校にかけて女子にとって成長期の微妙な年代ではあるが、体調管理や育成方法などに課題がありそうだ。
※右の写真は昨年の国体少年女子A100m4位の時の宮崎亜美香。

▼昨年の国体熊本県最終予選・少年女子A100m決勝

くまモン頑張れ絵 - 童謡「故郷」 - 高野辰之

2016-06-06 17:28:21 | 音楽芸能
 著名な漫画家たちが描いた「くまモン頑張れ絵」が、ACジャパンのテレビCMで頻繁に放映されている。それぞれの作家の絵の「力」のようなものを感じる。
 そして、そのバックに流れているのが童謡「故郷(ふるさと)」。日本人なら誰もが歌えるだろうし、この歌を聞いて何も感じない人はおそらくいないだろう。



 この「故郷」の作詞者・高野辰之(たかのたつゆき)を顕彰する記念館が、彼の出身地・長野県中野市にあるが、先週、長野県で行われた全国植樹祭にご出席の天皇皇后両陛下が、この高野辰之記念館を訪問されたというTVニュースが流れていた。高野辰之は「故郷」のほかにも「春の小川」や「春が来た」など今日も広く愛される童謡を数多く残している。
 また、高野辰之は日本の古典芸能や伝統芸能の研究家として知られており、数多くの著書を残しているが、明治時代末期、福岡県瀬高町に伝わる「大江幸若舞」を訪ねたことが、存続の危機にあった幸若舞の再興に与って力があり、今日もこの地に国内唯一の幸若舞が残ったといわれている。


永遠のヒーロー モハメド・アリ

2016-06-05 14:56:46 | ニュース
 20世紀の最も偉大なスポーツマンの一人、モハメド・アリさんが亡くなった。僕らの学生時代は彼の全盛期だったので、まさにスーパーヒーローだった。彼を初めてテレビで見たのが、1964年2月のソニー・リストンとの世界ヘビー級タイトルマッチだった。まだ、カシアス・クレイと名乗っていた。下馬評は圧倒的にリストン優勢。実際、試合が始まると、クレイはリストンのくりだすパンチを、スウェーバックやステップバックでかわす場面が多く、いつリストンがつかまえるかに注目していた。しかし、これがなかなかつかまらない。クレイの軽やかなステップはますます冴えてくる。そのうち追い疲れてきたリストンに、クレイの放つジャブやストレートが決まり出した。そしてとうとう6ラウンド終了すると疲れ切ったリストンは戦闘意欲をなくし棄権した。翌年、両者のリターンマッチが行われたが、今度はモハメド・アリと改名していたクレイがわずか1ラウンドでKO、返り討ちにした。
 こうして彼は世界チャンピオンとしてその名を全世界に轟かせたわけだが、彼が僕らの世代でヒーローとなったのはそれだけが理由ではなかった。世界タイトル剥奪も恐れず、ベトナム反戦や公民権運動などでエスタブリッシュメントと戦った。その頃の学生は皆、アンチ・エスタブリッシュメントだったから僕らの心をとらえた。
 1971年に世界チャンピオンに復帰した「キンシャサの奇跡」や1976年のプロレス猪木との異種格闘技戦などもあったが、僕にとっては、モハメド・アリの歴史の中では付録みたいなものだ。
 彼と同じ時代に生まれたことを幸せに思う。


歴史秘話ヒストリア ~熊本城 400年の愛~

2016-06-04 15:35:32 | 歴史
 昨夜のNHK総合「歴史秘話ヒストリア」は多くの熊本人が感涙にむせんだことだろう。
 熊本地震で甚大な被害を受けた熊本城が、築城以来、度重なる大地震に見舞われ、その都度、復興を遂げてきた歴史がよくわかった。これまで、熊本城を築城した加藤清正公だけにスポットが当てられることが多かったが、細川忠利公を初めとする代々の細川家のお殿様たちによって240年の間、お城が守られてきたことが紹介されたことはとても喜ばしい。
 番組の中では触れられなかったが、それを象徴するのが、本丸御殿を支える「二様の石垣」である。清正公の時代に作られた石垣と細川忠利公の時代に作られた石垣の違い。同じ「打ち込みハギ」ながら清正公の石垣の反り、忠利公の算木積みなどの違いはいつ見ても興味深い。
 西南戦争における熊本城攻防戦で敗れた西郷隆盛が「わしは官軍に負けたのではなく、清正公に負けたのだ」と言ったというエピソードが紹介されていたが、薩軍ナンバー2には桐野利秋という熊本鎮台司令官を務め、熊本城を知り尽くした人がいたわけで、西郷さんは攻めきれないことは予め分っていたのかもしれない。
 ともあれ、先人たちが何度も苦難を乗り越えて、熊本城を復興させてきた歴史を鑑みると、われわれの世代も復興させないわけにはいかない。




▼二様の石垣(手前が清正公の時代、奥が忠利公の時代の増設)



▼二様の石垣の上には本丸御殿の中庭があります。(2012.4.7 桜の宴より ザ・わらべ)

坪井川散歩

2016-06-02 20:09:55 | 
 地震の後、初めて坪井川べりを歩いてみた。日差しは強いが川面を吹きわたる風の心地よいこと。風薫る季節とはまさにこのことだ。

 高校生が川遊び。かつては小学生の水泳授業が行われ坪井川だが、水位は往時の半分もない。


 遊水地の一角にある必由館高校のサッカーグラウンド。今、高校総体の期間中。練習にも熱がこもる。



 サギが魚を捕食する瞬間。厳しい食物連鎖の世界。



 打越橋の上を熊電の上熊本線が走る。青ガエルのラストランも随分前のことのような気がする。



 満身創痍になりながらも雄々しく立ち続ける熊本城。思わずガンバレ!と声をかけたくなる。



 中高生の通学路でもある土手道。最近では年配者の散歩やジョギングコース。

今日から6月、なのに・・・

2016-06-01 20:22:29 | 


 今日から6月。例月のごとく藤崎八旛宮へ朔日の参拝に行く。しかし、どこか気が晴れない。毎年この時期の楽しみだったイベントが、地震による会場の損壊などにより、軒並み中止や延期に追い込まれたからだ。その主なものを下にあげてみた。
 今日も二度、地底からドーンという衝撃があった。もうそろそろ熊本地震も終息してもよさそうなものだが。


▼中止になった 高校総文祭


▼県内外に分散開催となった 高校総体


▼延期になった くまもと大邦楽祭2016


▼中止になった 熊本城稲荷神社御田植祭