2年前の熊本地震で石垣が崩れ、傾いていた元太鼓櫓(もとたいこやぐら)が、一昨日の大雨で崩壊したというニュースを聞いて、今朝現地を見て来た。復旧工事の優先度も低かったし、そのうち崩壊するのではないかと思っていたが、思いのほか早かった。
この櫓は平成15年(2003)に戌亥櫓(いぬいやぐら)などと一緒に復元されたもので、明治初期、時の熊本鎮台司令だった桐野利秋(中村半次郎)の指示により破却されていた。従って、僕らの年代にもあまり馴染みがない。むしろ、昭和35年の熊本国体の頃、テニスやバレーボールのコートとして使われていた奉行丸の観客席の一部だったイメージが強い。
この元太鼓櫓を含む西出丸一帯を破却した桐野利秋は、皮肉なことに明治10年の西南戦争では、西郷隆盛の右腕として熊本鎮台(熊本城)を攻めることになる。ところが知り尽くしているはずの熊本城を攻め落とせず、転戦の後、鹿児島で戦死した。
そんなことを考えていたら、9年ほど前、鹿児島出身の俳優・榎木孝明さんが、中村半次郎の半生を描いた映画「半次郎」を製作するというので、当時、くまもとフィルムコミッションに登録していた僕は、熊本地方裁判所で行われたロケのセッティングにボランティアとして参加したことを思い出した。
朝からテレビ各社の取材クルーがやってきていた。
今年3月23日の様子
この櫓は平成15年(2003)に戌亥櫓(いぬいやぐら)などと一緒に復元されたもので、明治初期、時の熊本鎮台司令だった桐野利秋(中村半次郎)の指示により破却されていた。従って、僕らの年代にもあまり馴染みがない。むしろ、昭和35年の熊本国体の頃、テニスやバレーボールのコートとして使われていた奉行丸の観客席の一部だったイメージが強い。
この元太鼓櫓を含む西出丸一帯を破却した桐野利秋は、皮肉なことに明治10年の西南戦争では、西郷隆盛の右腕として熊本鎮台(熊本城)を攻めることになる。ところが知り尽くしているはずの熊本城を攻め落とせず、転戦の後、鹿児島で戦死した。
そんなことを考えていたら、9年ほど前、鹿児島出身の俳優・榎木孝明さんが、中村半次郎の半生を描いた映画「半次郎」を製作するというので、当時、くまもとフィルムコミッションに登録していた僕は、熊本地方裁判所で行われたロケのセッティングにボランティアとして参加したことを思い出した。
朝からテレビ各社の取材クルーがやってきていた。
今年3月23日の様子
残念です。
ネットで見られる地震前の熊本城の様子を映したフィルムとかCDが有りましたら教えてください。