徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

京町濱田屋はどこ?(2)

2021-06-05 21:01:33 | 歴史
 5月24日のブログに「吉田如雪の明治十年日記」に出て来る「京町濱田屋」とはいったいどこにあったのかを取り上げた。その後、当時の京町絵図の有無を調べることにしていたが、この店は京町の花街を構成する一つと考えられ、西南戦争の戦火で他の妓楼などと一緒に焼失し、3年余の短い期間しか存在しなかったと推測される。従って当時の町絵図が残っている可能性は極めて低いと考えられる。
 そこで、そもそも「京町濱田屋」とはどんな店だったのか推測してみた。まず「京町」とあえて付けたのは本店が別にあるのではないか。あるいは暖簾分けした店なのかも知れない。前回の記事に「吉田如雪の文章によれば『京町濱田屋』は三階建て。ただの湯屋とも思えない。旅館か料亭だったのか、はたまた妓楼だったのか。」と書いた。いろいろ思いめぐらせていた5月29日、「ブラタモリ~木更津編」が放送された。木更津は「切られ与三」として知られる歌舞伎「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」の物語の発端の地という解説があった。そして与三郎とお富が再会するのが江戸日本橋界隈の「玄冶店(げんやだな)」。そこでハッと気が付いた。玄冶店といえば「濱田屋」だ。現在も高級料亭として名高い。あのフジテレビの三田友梨佳アナの実家としても有名だ。
 明治時代には芸者置屋の大店だったらしいが、はたして熊本に店を出すだろうか。明治時代の熊本は軍都であり、学都であり、また国の出先機関が置かれた西日本有数の大都市。ありえない話ではない。話が少し妄想気味になって来たが、調べてみる価値はありそうだ。





「切られ与三」を題材とした昭和29年の大ヒット曲「お富さん」


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。