昨日は高校時代のチームメイトF君の四十九日だった。葬儀には参列できなかったので山の上にある公園墓地での納骨に、他のチームメイトらとともに立ち会った。
僕にはどうしても忘れることのできないF君との想い出がある。それは高校3年の時のインターハイ決勝の朝のことだ。かつて数々の国際大会が行われた大阪扇町プールが試合会場だったが、僕らはそのプールへ朝練に行った。ゲーム形式の練習の最中、僕が不用意に腕を動かした瞬間、マークについていたF君の顔面に僕の肘が当った。F君のまぶたが切れ鮮血が流れた。傷はかなり深かった。F君はキャプテンでディフェンスの要でもあった。大事な試合前のキャプテンの負傷にメンバー全員のショックは大きかった。たまたま応援に来ていた医師の先輩の応急処置で何とか試合には出られることになった。しかし、僕らのモラールは明らかに落ちた。案の定、試合は優勢といわれていた僕らが負けた。もちろん負けた原因はそれだけではないが、僕は自分の不用意さを悔いた。しかし、F君はもちろん、他の誰もそのことは一切口にしなかった。あの日から49年の歳月が流れた。お坊さんの読経を聴きながらじっとそんなことを考えていた。彼とあの日のことを笑って語り合うことも今生ではもうない。
※写真は今朝、雨に打たれながら咲いていたマツリカの花。昨年、中学時代の友人にもらったもの。クリックすると大きなサイズで見られます。
僕にはどうしても忘れることのできないF君との想い出がある。それは高校3年の時のインターハイ決勝の朝のことだ。かつて数々の国際大会が行われた大阪扇町プールが試合会場だったが、僕らはそのプールへ朝練に行った。ゲーム形式の練習の最中、僕が不用意に腕を動かした瞬間、マークについていたF君の顔面に僕の肘が当った。F君のまぶたが切れ鮮血が流れた。傷はかなり深かった。F君はキャプテンでディフェンスの要でもあった。大事な試合前のキャプテンの負傷にメンバー全員のショックは大きかった。たまたま応援に来ていた医師の先輩の応急処置で何とか試合には出られることになった。しかし、僕らのモラールは明らかに落ちた。案の定、試合は優勢といわれていた僕らが負けた。もちろん負けた原因はそれだけではないが、僕は自分の不用意さを悔いた。しかし、F君はもちろん、他の誰もそのことは一切口にしなかった。あの日から49年の歳月が流れた。お坊さんの読経を聴きながらじっとそんなことを考えていた。彼とあの日のことを笑って語り合うことも今生ではもうない。
※写真は今朝、雨に打たれながら咲いていたマツリカの花。昨年、中学時代の友人にもらったもの。クリックすると大きなサイズで見られます。
朝から君の徒然なか(意味深な)話を見るのが楽しみです。
今日の話の扇町プールは現在住んでいる天神橋の近くです。夏孫を水遊びに連れて行くところです。f君の思い出とマツリカの花が君の心境を物語って高校時代を想いだします。
差し支えなければ電話頂きたいです。
090-4093-9729
いや、ビックリしました!高校以来お会いしてませんよね!お元気そうで何よりです。
大阪にお住まいだったんですね。それよりこのブログは済々黌同窓会のホームページでお知りになったんですか?いや嬉しいです!
最近、中学や高校時代の友人がポツポツと鬼籍に入り始めて、もうそういう歳になったんだなぁと実感しています。
昔あった扇町プールの巨大なスタンドを想い出すと今でも興奮します。
これからも時々ブログを覗いてみてください!
コメントありがとうございます!
昔の面影はしっかり残していても道で会っても判らない旧友もいました。
小生と会っても判らないかも?
映画に関する造詣が深いですね。高1の頃シエーンの話を想いだします。
貴兄のお父さんとのキャッチボールが水球に活かされたとの話は教育のあり方に示唆を与えるものでした。孫との遊びの参考にさせていただきます。
熊本に帰ってきた時、たしか同窓会に連絡した記憶があるんですが、いつからか、なぜか連絡が来なくなりました。
たしかに街の中で同級生とすれ違ってもわからない人がほとんどでしょうね。
高1の頃、第一次リバイバル映画ブームでしたね!「シェーン」とか「荒野の決闘」とかよく教室で話していたことを思い出します。
昨年が父の生誕百年でしたので、それを機に父が書き遺したものを掘り起こしています。いつか本にまとめられたらいいなと思っています。
お父さんの日記は、昭和の時代を鮮明に記録されているようですね。教科書に無い事実を是非本にまとめてください