徒然なか話

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肥後の左義長

2015-01-12 18:53:00 | イベント
 今日、今年の「壷川校区どんどや大会」が京陵中学校グラウンドで行なわれた。この校区のどんどやは今年で42回目を数える。






■肥後の左義長
 平安時代の昔から宮中に於ける正月の年中行事「左義長」として行われてきたどんどやは、日本中の村やでも行われ、その呼び名も所によって、ドンド焼、サギチョウ等と様々であるが、江戸時代、熊本では武道と結びつき、全国的にも有名な大がかりな行事だったようだ。
 「左義長」については津々堂さんのブログ「津々堂のたわごと日録」で何度か紹介されているが、古の「馬揃え」のような騎馬を集めてその優越を競いあう行事だったようだ。
 昭和10年に出版された「松村大成永鳥三平両先生伝」(熊本県教育会玉名郡支会編)の中の「國臣大眞と左義長を見る」という章でその様子を伺わせるが、これを題材にされたと思われる西門二引著「平野次郎國臣伝 西のミソラ」では次のような一節が出てくる。

「正月十四日、国臣と松村家の次男大眞は、熊本名物左義長(さぎちょう)の見物に出かけた。
 熊本城二の丸の西隣に藤崎神社がある。ここの祭事は火馬、流鏑馬、駿馬、飾馬など、多くの馬を用いることで有名だった。
 弓馬故実の研究家としては、これを見ない訳にはいかない。
 とりわけここでは正月飾りの火中に馬を乗り入れるなど、神事の中でも豪気を養うものが多い。これが肥後の士風となり、肥後武者の自慢となっている。」

※右の写真は「相馬野馬追」の風景(誰でも使える フリー 写真 素材集 FreePhoto)より

▼かつて「馬揃え」のような「左義長」が行われた熊本城二の丸御門前




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