今夜のNHK「鶴瓶の家族に乾杯」は美祢市から。番組を見ながら59年前の思い出が甦った。僕が高校3年だったこの年の国体夏季大会は山口県で行われ、僕が参加した水球競技は美祢市の大嶺高校プールが会場となった。高校時代最後の公式大会であり想い出深い。宿舎となった旅館では到着したその日に歓迎の夕べが開かれ、地元のご婦人たちの唄と踊りにより民謡「男なら」などが披露された。大会の方は優勝を目指していたが残念ながら準決勝で敗れ、3位決定戦で勝って3位となった。試合終了後、黌歌が流されると、まるで自分の青春が終わったかのようで涙したことを憶えている。また、個人的には父が観戦に来た最初で最後の大会となった。国体恒例観光バスツアーでは秋芳洞と秋吉台を巡った。
▼山口県民謡「男なら」
市民の歓迎を受ける
大会会場となった大嶺高校プール
唯一残る僕の写真。宿舎の裏庭で
▼山口県民謡「男なら」
市民の歓迎を受ける
大会会場となった大嶺高校プール
唯一残る僕の写真。宿舎の裏庭で
※山口市と山口県立大嶺高等学校のサイトから写真をお借りしました。
いいですね。水泳で国体に出られたんですね。すごい。クロールをやるとどうしたことかすぐに沈んでしまいました。
白黒写真がなんともなつかしいですね。スポーツに関する私のお恥ずかしい想い出といえば、1964年東京オリンピック。聖火をむかえて行われた奈良市営球場での器械体操、人の肩にのったまでは良かったのですが、たちまち地に落ちてしまいました。
自分の記憶はカラーですのでそんなに古いとは思わないんですが、白黒写真で見せられるとはるか遠い昔ですね(笑)
聖火リレー歓迎イベントでの落下事故ですか!?おつらい思い出になりましたね。
山口県立大嶺高等学校のサイトまで掲載されて!!!テレビドラマの「青春とは何だ」なんて思い出してしまいました。
当時はたぶん屋外プールで真っ黒に日焼けされていたのではないですか?(笑)
>・・・「黌」歌が流されると・・・
見たことがなく読めない字が出てきましたので検索すると
~学校名は、「詩経」の一節「濟濟たる多士、文王以て寧んず」から採られている(「黌」は「学校」を意味する)。そのため卒業生を「多士」と呼び、現在でも「校長」を「黌長」、「校門」を「黌門」などと表記する伝統がある。「済済黌」、「濟々黌」とも表記する。なお、黌長印には「熊本県立済済黌高等学校長」とある。~
と出て来て興味深く感じました。
有難うございました。
大嶺高校は合併して今はもうありませんけどね。
高校時代は屋内での大会は経験したことはありません。もちろん練習はいつも屋外のプールでした。
「黌」の字を使うのはこの学校の卒業生の矜持みたいなものですが、地元であまりそれを出し過ぎると嫌われます(笑)