徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

女性能楽師

2014-11-20 21:49:20 | 音楽芸能
 先月11日に行われた「熊本城薪能」は、台風の影響で急遽、会場が二の丸広場から本丸御殿へ変更となり、いかにも間に合わせの設営となったのはやむを得ないことだったかもしれない。手狭な本丸御殿大広間での舞台は出演者の皆さんもやりにくかったろうが、見る側の僕たちも見づらく残念だった。この日のプログラム、メインの能「枕慈童」のシテ方は、喜多流初の女性能楽師である大島衣恵さんだった。僕にとって女性がシテ方を務める舞台を見るのは初めてだった。それだけに環境の整った舞台で観たかったという思いがどうしても残る。
 ところで、能楽界では現在、240名ほどの女性能楽師がいるという。かつては「女人禁制」だった能楽界で、女性が能楽師として認められ、能楽協会に入会できたのは、戦後の昭和23(1948)年のことだそうである。僕の愛読書「近江山河抄」など多くの随筆の著者であり、女性能楽師の先駆者でもある白洲正子は、50歳を過ぎて梅若流の能の免許皆伝を授かった直後、「女に能は表現出来ない」と、能から遠ざかったといわれる。
 能を大成させた観阿弥・世阿弥の時代から数えても600年もの間、男性だけで連綿と演じ続けられてきた能楽の舞台に、女性が堂々と上がれるようになったことは、考えてみれば凄いことだ。一方、400年前に、出雲阿国という女性芸能者のかぶき踊りが始まりといわれる歌舞伎は、その20数年後には女性が舞台からシャットアウトされ、いまだに女性は歌舞伎の舞台に上がることはできない。この能と歌舞伎という日本の代表的な伝統芸能における女性に対する考えの違いは何なのだろうか。



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2 コメント

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能は連綿と男性が・・・ほんとうですか??? (通りすがり)
2020-08-17 23:57:26
能楽は勃興期から権力者に好まれ、武家社会になってからは侍にも好まれて、ついには武家の式学になったという歴史があります。しかし、能に含まれている技法には、中世までの(男女を問わず)舞楽の技術がたくさん盛り込まれています。

能楽とは何かという定義は、歴史が古いだけに難しいものがありますが、ずっと男性だけが演じてきたという確証も薄いようです。判然とはしないようですが、歌舞伎と同様、江戸時代に女性が舞台に上がるのを嫌って徹底的に排除した、そのあたりが境界線ではないかと思います。(そのせいで明治期の演劇でも女形は大モテでした)

しかし戦後、特に昨今は古典芸能の危機の時代です。ことに歴史の長い能楽にとっては、幾度目かの大きな危機ですから、女性を特に排除するメリットがないと判断されているのかもしれませんね。確かに正視に耐えない男性も多い反面、立派に伝統を、まさに「伝え」つづける女性も少なくありません。「扶持」のない現在の能楽師は、一期一会の舞台だけでも食べていけませんから、立派に舞台を勤めつつ素人弟子も巧みに教えていける、バランス感覚のある人が生き残れるのでしょう。

このように何事も世につれて変わっていくのだと思います。ずっと男性(女性)だけに許されてきた・・・というのは、長い通史を見てみると正しくないことの方が多いような気がします。

なおシテ方喜多流は、女性を正式には認めておらず、喜多能楽堂のホームページにも男性しか掲載されていません。この辺りは、まさに武家によって立った新進(!?)の流派だという事情も絡んでいるのかもしれません。したがって、古来から旅周りをして発展してきた他流のように「座」と表現されることもなく、「四座一流」の「流」です。

古~い記事へのコメントで申し訳ありません。検索で発見して立ち寄ってみた「通りすがり」でした。
Re:通りすがり様 (FUSA)
2020-08-18 06:08:02
高いご識見のコメントありがとうございます。
確かにご指摘のように能楽の歴史を様々な文献で調べましたが、中世芸能についてはよくわからないことが多く、未分化の状態が続いていたようですね。

> 昨今は古典芸能の危機・・・

おっしゃるとおりだと思います。わが熊本でも最近、男性能楽師の頼りなさを感じることが度々で、女性が伝統を支えるカギの一つではないかと思っております。

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