今年も残すところ3週間。そろそろ振り返りをしたい時期になりました。今日はその第1回として「7年ぶりの夏目漱石内坪井旧居再公開」を選びました。
五高教師として熊本で4年3ヶ月を暮した漱石は、その間6回もの転居を繰り返しましたが、その中で最も長い1年8ヶ月を暮したのが5番目の内坪井旧居。2016年4月の熊本地震で大きく損壊し、ずっと休館が続いていました。この漱石旧居前は普段からよく通るので、いつから復旧工事が始まるのだろうと通る度に思っていましたが、3年前に復旧工事が始まり、今年に入ってやっと工事が完了し、漱石の誕生日である2月9日に公開を再開しました。約7年ぶりの公開です。僕自身も2016年1月に訪れて以来、7年ぶりの入館となりました。

内坪井旧居再開翌日(2023.2.10)の風景
再開後、今では毎月、漱石にちなんだ行事が行われており、10月には舞踊団花童が初めてここで公演を行ないました。漱石が熊本にいた頃、東阿弥陀寺町にあった東雲座(明治21年開業)で、鏡子夫人が女歌舞伎をご覧になったことがあるそうで、もし鏡子夫人が今回ご覧になっていれば大変喜ばれただろうと思います。
五高教師として熊本で4年3ヶ月を暮した漱石は、その間6回もの転居を繰り返しましたが、その中で最も長い1年8ヶ月を暮したのが5番目の内坪井旧居。2016年4月の熊本地震で大きく損壊し、ずっと休館が続いていました。この漱石旧居前は普段からよく通るので、いつから復旧工事が始まるのだろうと通る度に思っていましたが、3年前に復旧工事が始まり、今年に入ってやっと工事が完了し、漱石の誕生日である2月9日に公開を再開しました。約7年ぶりの公開です。僕自身も2016年1月に訪れて以来、7年ぶりの入館となりました。

内坪井旧居再開翌日(2023.2.10)の風景
再開後、今では毎月、漱石にちなんだ行事が行われており、10月には舞踊団花童が初めてここで公演を行ないました。漱石が熊本にいた頃、東阿弥陀寺町にあった東雲座(明治21年開業)で、鏡子夫人が女歌舞伎をご覧になったことがあるそうで、もし鏡子夫人が今回ご覧になっていれば大変喜ばれただろうと思います。
漱石旧居座敷で踊る舞踊団花童