徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

立田山と清原元輔

2017-07-18 22:03:28 | 歴史
 先日、某ローカルテレビの番組で、熊本市の龍田・黒髪地区の地名の由来についてのフェイク情報が、ネット上でまことしやかに囁かれているという話題を取り上げていた。いずれも他愛もない作り話に過ぎないのだが、これも今日のネット社会の一断面か。
 そもそも立田山(龍田山)は、その昔、濃い緑に覆われていたため黒髪山と呼ばれていたが、平安時代の歌人清原元輔が国司として肥後へ赴任したとき、この山の姿に奈良の龍田の里をしのんで、名前を改めたといわれる。
 清原元輔は「梨壺の五人」の一人にも数えられる和歌の名人で、祖父深養父(ふかやぶ)も歌人、また、娘の清少納言は「枕草子」の作者として有名。また、清原家の子孫が肥後細川家の祖、細川幽斎である。
 元輔は永祚2年(990)6月、任地の肥後にて83才で没した。北岡神社の北側にある清原神社は、元輔を祭神としており、都に帰れなかったその霊を慰めた跡と伝えられる。元輔と女流歌人の檜垣との親交があったという伝承があるが、後世に創作された伝説の一つのようだ。



黒髪山の名にふさわしい鬱蒼とした広葉樹林が広がる立田山


北岡神社北側の清原神社


小さな祠に納められている元輔像。右の二像は妻の周防命婦と檜垣か?