下は僕が一度は行ってみたい寺の一つ、京都市北区にある臨済宗大徳寺の塔頭、高桐院である。この寺は慶長7年(1602)に、肥後細川家二代・細川忠興によって創建された細川家の菩提寺の一つである。ここには忠興とガラシャ夫人の墓塔やガラシャ夫人の生害にまつわる確執で廃嫡された長男の細川忠隆の墓などがある。さらに興味深いのは歌舞伎の創始者といわれる出雲阿国の墓があり、すぐ傍には阿国の恋人とも夫ともいわれる名古屋山三郎の墓もある。
このガラシャ夫人と出雲の阿国はほとんど同じ時代を生きた人だが、戦前の高等女学校教育に使われた「日本女性文化史」(全国高等女学校長協会編)の目次には、歴史に残る代表的日本婦人として、二人が並んで紹介されているのも不思議な縁なのかもしれない。
このガラシャ夫人と出雲の阿国はほとんど同じ時代を生きた人だが、戦前の高等女学校教育に使われた「日本女性文化史」(全国高等女学校長協会編)の目次には、歴史に残る代表的日本婦人として、二人が並んで紹介されているのも不思議な縁なのかもしれない。