しばらくぶりに再び「さわぎ唄」について。
今日では国語辞書にも載っており、下記のように説明されている。
1.江戸時代、遊里で三味線や太鼓ではやしたててうたったにぎやかな歌。転じて、広く宴席でうたう歌。
2.歌舞伎下座音楽の一。揚屋・茶屋などの場面で、酒宴・遊興の騒ぎを表すもの。大鼓・小鼓または太鼓のにぎやかな囃子(はやし)を伴う。
もともと江戸時代の吉原発祥の固有の唄だった「さわぎ唄」。正式名「吉原さわぎ」は、他地区の遊里などで唄う場合は吉原の許可を必要としたという。各地に広まっていくと遊里や酒宴の席などで、座を盛り上げるために三味線や太鼓に合わせてにぎやかに唄われた。当時の日本人のグルーブ感を上げるのには絶好の音楽だったのだろう。
歌舞伎などでも廓や茶屋などの場面でにぎわいを表現するために蔭囃子として演奏されることが多い。吉原でも当初は音曲のみ、しかも太鼓のみで歌う短い曲だったそうだが、その後三味線が加わり、さらに振りを付けて、舞台などでも踊るようになったので曲が長くなったそうだ。そしてお座敷の最後には必ずこの唄で締めたという。
ちょっとシュールな「さわぎ」の映像を見つけたので、ザ・わらべ の「熊本さわぎ」とともに掲載してみた。
今日では国語辞書にも載っており、下記のように説明されている。
1.江戸時代、遊里で三味線や太鼓ではやしたててうたったにぎやかな歌。転じて、広く宴席でうたう歌。
2.歌舞伎下座音楽の一。揚屋・茶屋などの場面で、酒宴・遊興の騒ぎを表すもの。大鼓・小鼓または太鼓のにぎやかな囃子(はやし)を伴う。
もともと江戸時代の吉原発祥の固有の唄だった「さわぎ唄」。正式名「吉原さわぎ」は、他地区の遊里などで唄う場合は吉原の許可を必要としたという。各地に広まっていくと遊里や酒宴の席などで、座を盛り上げるために三味線や太鼓に合わせてにぎやかに唄われた。当時の日本人のグルーブ感を上げるのには絶好の音楽だったのだろう。
歌舞伎などでも廓や茶屋などの場面でにぎわいを表現するために蔭囃子として演奏されることが多い。吉原でも当初は音曲のみ、しかも太鼓のみで歌う短い曲だったそうだが、その後三味線が加わり、さらに振りを付けて、舞台などでも踊るようになったので曲が長くなったそうだ。そしてお座敷の最後には必ずこの唄で締めたという。
ちょっとシュールな「さわぎ」の映像を見つけたので、ザ・わらべ の「熊本さわぎ」とともに掲載してみた。