昨日の熊日朝刊に「荒木精之記念文化功労者」として3名の方が熊本県文化協会の表彰を受けたというニュースが載っていた。荒木精之とは戦後、熊本にあって文芸界のリーダー的な役割をはたした作家である。この新聞記事を見ながら、35、6年前に一度お会いした日のことを思い出した。会社に入って2年目の頃、社内報の担当をしていたが、定番の地元ネタを載せようという話になり、先輩の勧めで肥後の民話がよかろうということになった。そしてその先輩から、ネタは荒木先生に相談してみたらと言われた。その頃は幸か不幸か、荒木先生のことなど全く知らなかったので、いきなりご自宅を訪問した。アポなし突撃というやつだ。熊本市の薬園町にある古いご自宅の格子戸を開けて声をかけると、文士らしく着物姿の先生が現われた。趣旨を説明すると先生は「わかった!」と言って奥へ引っ込まれた。しばらくして戻ってきた先生は一冊の本を手にしていた。「これを使ったらどうか!」一瞬ためらった私に先生は「いいから持ってけ!」それが左の「続 肥後民話集」である。
それっきり先生にお会いすることはなかったが、その後先生の著作や活動を知るにつけ、なんて無礼なことをしたのだろうと悔やんだものだ。ずっと後になって、あの三島由紀夫が、代表作「豊饒の海」の第二部「奔馬」の執筆に当って、直接荒木先生に会って取材をしたことも知った。先生は81年に亡くなったが、「豊饒の海」の第一部「春の雪」を同じ熊本出身の行定勲監督が映画化したことは奇しき因縁のような気がする。
それっきり先生にお会いすることはなかったが、その後先生の著作や活動を知るにつけ、なんて無礼なことをしたのだろうと悔やんだものだ。ずっと後になって、あの三島由紀夫が、代表作「豊饒の海」の第二部「奔馬」の執筆に当って、直接荒木先生に会って取材をしたことも知った。先生は81年に亡くなったが、「豊饒の海」の第一部「春の雪」を同じ熊本出身の行定勲監督が映画化したことは奇しき因縁のような気がする。