のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

庶民と文化

2023年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 ソメイヨシノが咲きだしました。例年、連休前後なのですが一か月早い。私が記憶する限り3月の桜が咲いたなんてことはない。

 暖かくなってくれたのはありがたいけれど、明らかに異常気象。こういう時にはどうすればよいのか?

 「河原で花見すべぇや!おらぁバーベキューの焼き台と炭もってくから、おめぇ肉買ってこぉ!」

 こうして日本人は異常気候を乗り越えてきたんですね。日本の智慧!

 コロナ過で花見が危機に陥った時も、伝承を継続すべく密かに繋いできた人々だけあって、一か月早くても手際が良い。その様子を見ながら明治の廃仏毀釈のことを思い出しました。

 まだ昭和の時代でしたが、奈良の纏向遺跡に行った時のことです。三輪山周辺なども散策したのですが、平等寺と言うお寺に参拝しました。聖徳太子が建立したお寺と言われていますが、明治の神仏分離の時にお寺が壊されて、仏像なども廃棄されました。

 再建されたのは昭和50年代で、その時、明治政府によって廃棄された仏像などがずいぶん戻ってきたんです。解体に関わった人たちはこの近所の人たちが隠し持っていたんですね。いつか再建される日を期待して。

 同じような話はあのロシアでもあります。共産党の宗教弾圧で教会が破壊されたとき、イコンと呼ばれる絵画などを近くの人たちが隠して保管し、ソビエトが崩壊して教会再建の時に持ち寄って作り上げた。バイカル湖のほとりのリストビヤンカの教会に行ったときに、「このイコンは誰が保管していたもの」「床下に」「天井に」と、その逸話をうかがうことができました。

 しばしば上からの命令には「過ち」もあります。と言うより、その過ちを拡大解釈して更なる誤りにもっていくのがエリートたちです。江戸の綱吉の生類憐みの令なんてまさにそれで、動物殺さねぇ方がいいんじゃねぇかい?ってなところが、上から指示受けた中間官僚が上への受けを狙ってお犬様にまで膨れがってしまう。

 廃仏毀釈だって、神社とお寺の線引きはっきりしようぜ!ってなもんが、まるで仏教弾圧のような事態を招いてしまう。あんときゃあれだ。寺受け制度(江戸時代の戸籍管理みたいなもの)など幕府に優遇されていたお寺に対して、明治政府の虎の衣を借りた神道側の暴走もあったんだけど、えてしてこうした間違いが起きると庶民の方が「そりゃおかしいんじゃないかい?」って冷静で秩序が保たれているもんです。

 思えば、花見のおじさんたちも「ステイホーム」おかみに自粛されるよう言われた中で、いつか再開される花見を予期し、その時に戸惑わぬよう道具を手入れして、こっそり集まって酒飲む練習をしてきた。こうして受け継がれてきた日本の伝統文化「花見」。重要無形文化財どころか、世界遺産に登録されてもおかしくない。

 実に感慨深い花見でした。

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