日銀の黒田総裁が、日本経済は底をうったと発表したそうです。つまりこれ以上悪くなりようがないという意味で上る一方と言うことなんでしょうが、バブル崩壊から全然上がっている実感がない。
コロナ自粛に関わりなく、こちらでは年々商店が店を閉めてます。理由は高齢化の後継者不足なのですが。かつては村で一番の商店街だった私の住む地区も店舗売りしている店はゼロです。最近は自動販売機もなくなっちゃった。
活気があるのはクマやイノシシだけで、人間様は物静かになっちまいましたね。
昨年閉店して解体することになった店から「長年お世話になったから」ともらった段ボール箱。ズシリと重かったのですが、中から石焼ビビンバの器が出てきました。淋しさ通り越して心が冷た~くなってきた。
でも、石焼ビビンバ、決して嫌いなわけじゃない。
あの器がどうにも好きになれないだけのだ!重たいし、焼けていると熱くて持てないし、だいたい、肉や野菜をはさみできるという文化も好きではないが、焼けた石焼ビビンバの器をヤットコで挟んで持ってくるその感性が引いてしまう。
お茶をたてるには重すぎるし、お花を生けるには武骨すぎる。
でも、久々に食べてみたい気はする。
ふとひらめいた無用の長物があった。登山用品店の福袋に入ってきたホッターサンドを焼くプレート。山の中にもっていくのも面倒だし、あんなところでサンドウィッチ焼く暇があったら、さっさと食ってしまったほうが早い。一度どら焼き焼いてみたけど見事に失敗した。厄介者の道具に厄介者の国の料理。案外相性がいいかもしれない。
お焦げつけるならあのプレートのほうがいいんじゃなかろうか?と、昨日の残り物の冷や飯にもやしなどの野菜とコチュジャンぶっこんでかき混ぜて、卵は入れないことにして、ホットサンドのプレートにごま油を塗ってガスコンロで焼いてみました。
うまく成功すれば次は焼きおにぎりにつかえるかも?
偉大なる社会実験は共産主義だった!
つまり失敗したと言えよう。下味が悪かったのか?ただのお焦げご飯に近いものになってしまったし、薄くておむすびにもならなかった。これならあの武骨な石の器のほうがよかった。
馬鹿なことやっちまったなぁと反省しつつも、一人もんでよかった!とリアル充実感。
>1年前の合宿で、おフランスの素敵な女性に『ちょっと武骨すぎる』
いやいやいや、すごく成長されてるじゃないですか!!
あの無口なシェフが、私なぞに素敵なんて言えるなんて(そこじゃねーって?笑)
そうなんです、無骨というより無口と言う方がよかったかも。
武骨と色気は相反するものではないですよ〜。
とても気遣いのできるお優しいシェフが、あまり無口だと魅力が半減で勿体ないですよ?と言いたかったのです。
とある菩薩様も言ってますが、口に出さない好きよりも虚八百の好きの方が強いのです(笑)
そもそも色恋っつーもんは男がイニシアティブを持つもんどす。
男は自分の好みの蝶を探せばいいんどす〜。
薩摩族でさえ、夜のクラブ活動でクラスターが起きているのに。
しかし、アクリル板で仕切られていては、昔流行った覗き部屋みたいです。其の前に、刑務所に面会に行くような光景が浮かんでしまった。
まさにガラス箱の中の蝶ですね。
熱した器は割れやすくなるので、色気もほどほどがいいのでしょうが、色気の基準がちょっとずれた人たちでしたからねぇ。
こちら吉備の国ではこの1週間で感染者が新たに6人増え、現在34人になりました。
ちなみに、今のところ夜のクラブ活動では、感染者は出ていない模様です。
先日、久々に馴染みのクラブ活動に行ってみると、入店する前に検温、アルコール消毒とマスクの着用は必須でした。
そして、他県からのお客様はお断りしているようで、予約制でした。
夜のクラブ活動も、大変らしく出来る限りの武漢コロナ対策はしているようです。
が、しかし蝶達は皆フェイスシールドをしていて透明のアクリル板で区切られ、カラオケも当面は中止なので、何だか色気が無いというか何というか、素直に楽しめなかったので、仕方なくとりあえずボトルを1本おろして帰りました。
せっかくの着飾った綺麗な蝶も、あれでは台無しかと…。
1年前の合宿で、おフランスの素敵な女性に『ちょっと武骨すぎる』と指摘された事がパラレルワールドのように未だ脳裏をぐるぐる回って離れません。
石の器のように、炎でガンガンに熱すれば私も一皮剥け、色気も出るのかなと思ったりもします。(笑)
一世を風靡したコロナも、マークⅡ、プレミオとなってやがてなくなってしまう。
ゆく川の流れはたえずして…鴨長明も申してます。
「実感」を伴わないということは
「生き方」が変わったということなのでは?
もしくは「その兆候」なのでは?
熱狂とともに来る「もの」は
「ろくでなし」ですが
いつのまにか
そうなっていたものは
「本物」かもね。
価値観が変わったのかもね。
「コロナ」がなくても
変わるものは
やがて変わる。
律して生きる。
心穏やかに生きる。
ちょっと「わいが感じている空気」を言ってみた。